第105話「従って貰うわ」
文字数 2,490文字
ひと筋の光も射さない……冷え冷えした真っ暗な世界。
その闇に身を潜め、不気味に唸り、蠢く魔物達……
襲われた者が発する阿鼻叫喚……
斃れ地に伏した、哀れな犠牲者達から漂う死臭……
エルフの箱入りお嬢様育ちのヴィリヤにとって……
迷宮など……聞くだけで……はっきり言って……全てが苦手だった。
少しでも考えたくない。
だから、ゲルダが言った通り、ヴィリヤは今迄迷宮へ入った事はない。
まるで必要がなかったせいもあるが、実は暗いところ、狭いところ、気持ち悪い魔物が居る空間が嫌いだったから。
迷宮については、人から聞いたり、書物で読んだ知識しかないのだ。
愛するダンに、ついて行きたい!
その気持ちだけで、同行を宣言し……ここまで……こんな迷宮まで来てしまった。
湧き上がる悪寒を我慢しながら、大嫌いな迷宮の入口へ近づくにつれて、不安はどんどん増して行った。
3人の、先頭を歩くのはダン。
続くのは、エリン。
……ヴィリヤは最後について行く。
入口をくぐり……恐る恐る……迷宮へ足を踏み入れた瞬間。
「へ?」
ヴィリヤは、拍子抜けした。
どうした事であろう?
何が、起こっているのだろう?
目の前に大きく広がった迷宮の地下1階は……明るかった。
壁には魔力で明かりを供給する魔導灯が取り付けられ、ぼんやりした光を放っていたのだ。
人間やエルフ、そしてエルフの宿敵ドワーフ……
様々な種族の、冒険者達が居る。
商品を前にやりとりをする者、座り込んでぼうっとする者、寝そべって目を閉じている者……思い思いに過ごしているようだ。
それだけではなかった。
壁面はともかく、滑らかな石畳の床はゴミなど落ちておらず、清潔だった。
その理由は、すぐに分かった。
人喰いの迷宮の地下1階は王家や商業ギルドが認めない非合法な商店街&休憩スペースだったのである。
商店街といっても、ちゃんとした店舗があるわけではなかった。
薄い板で囲った、もしくはゴザを敷いただけの簡素な露店である。
これらの表向きは、冒険者が設営した単なるキャンプだ。
しかし良く見れば武器防具、道具、食料……そして簡単なケガなら治療出来る病院までがあった。
「こ、これは!? あ、あの人達は何を?」
ヴィリヤが指さしたのは、何か薬草らしきものを受け取り、代わりに金を渡した男達だった。
男のひとりは、ゴザを敷き座っている。
目の前に、様々な薬草を置き、店らしきものを開いていた。
もうひとりの男は、受け取った薬草をさも大事そうに、バッグへ仕舞っている。
「見れば分かるだろう? 店さ」
「そんな! 迷宮へ無許可で店を出すなど! 王国の規則に反する……許せませんっ! 私は問い質しますっ」
「おいおい、やめろって、英雄亭の二の舞はごめんだぜ」
英雄亭の二の舞……
それは、ヴィリヤが自分だけの価値観を振りかざし、周囲を従えようとする悪癖……
しかし、ダンがそう言ってもヴィリヤは止まらない。
冒険者達が座っている、『店』へ突進しようとする。
あまりにも潔癖すぎる、しかも真っすぐな性格がまたもや発揮されたのだ。
昨夜、ゲルダと約束したうちのひとつ、『個人プレーには走らない』……などすっかり頭から抜けている。
しかしダンはこのような事を想定して、エリンと打合せを済ませている。
なので、エリンが素早く動いた。
まるで電光のように。
「はっし」とヴィリヤの腕を掴んだエリン。
更に空いた手でヴィリヤの肩を掴み、ぐいっと自分の方へ向き直させる。
びしっ!
「ぎゃう!」
軽く肉を打つ音と、悲鳴が響く。
ヴィリヤの額が赤く……染まった。
そう!
エリンはヴィリヤのおでこに向け、鮮やかにデコピンを打っていたのである。
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迷宮地下1階……
ヴィリヤは座り込み、膝を抱えていた。
目を赤くして、泣いていた。
口惜しさと情けなさで、涙がどんどん溢れて来るのだ。
デコピンを放ったエリンは、ヴィリヤの手を掴んで隅っこへ連れて行った。
そして、強引にこの場へ座らせたのである。
視線を感じる。
ダンはともかく、人間に擬態したダークエルフのエリンと、エルフのヴィリヤは目立つ。
ふたりは、対照的な美少女だから。
エリンは褐色の肌をした、スタイル抜群のグラマラス野生美少女。
一方、ヴィリヤは外見はゲルダだが……
エルフの特有の、透き通るような肌をしたスレンダー&儚げな透明感あふれる美少女。
デコピンを受けたヴィリヤの悲鳴を聞いて、冒険者達は好奇心を刺激されたらしい。
多分、喧嘩だと思ったのだろう。
ヴィリヤの目の前には、腕組みをしたエリンが立ちはだかっている。
ダンは、苦笑してその背後に立っていた。
「ゲルダ、私達の目的は何?」
「…………」
エリンの呼びかけを無視して睨み、口を尖らせるヴィリヤ。
しかしエリンは、真っすぐにヴィリヤを見ながら、再度促す。
「答えて!」
凛としたエリンの声に押され、ヴィリヤは漸く口を開いた。
答える声は、掠れている。
「……あ、貴女なんかとは……口をききたくない。私はダンとだけ話す……」
「却下!」
「は?」
「却下! って言ったの。もしエリンの言う事に従わないのなら、ここから戻って貰うわ」
「な!? そんな権利を? あ、貴女がどうして? 私は従わな……」
抗議するヴィリヤの声を遮り、ダンが言い放つ。
「駄目だ、俺が許可した! というかエリンに頼んだ。ヴィリヤ、この迷宮内ではエリンの指示に一切従って貰うぞ」
「ええええっ!?」
悲鳴に続いて、大きな声を出すヴィリヤ。
「にやにや」しながら見つめるたくさんの冒険者達。
彼等からの興味津々な視線を浴びて、エルフの姫は頭を抱えていたのであった。