第84話「勇者の定義」
文字数 3,104文字
山に囲まれた、雑木林が点在するだだっ広い草原……
その真ん中に、「ぽつり」とあるダンの家。
他には、暮らす人など居ない。
アルバート達が居る村までは、大きな丘をひとつ超えなくてはならない。
歩くと、軽く2時間以上はかかる。
最初、ニーナは少し不安があった。
賑やかな王都で暮らしていたニーナは、すぐに人恋しくなるのではという心配だ。
しかし、今のところその心配は杞憂となっていた。
愛する夫、姉と暮らす生活はとても楽しいのだ。
まず、空気が美味しい。
景色も素晴らしい。
やる事がたくさんあり、1日があっという間に終わる。
ダンに案内されて、エリンとニーナの行動範囲はどんどん広がって行った。
広い草原、深い森、そして高い山。
草原で兎を追いかけ、森で鹿を狩り、山で鳥を捕まえる。
小さな川で小魚と遊び、大きな湖へ鱒釣りにも行く。
飽きる暇がないと、言って良かった。
ニーナはエリンが連れて行って貰った、ダンがお気に入りの、高い木の上からの絶景に息を呑む。
ダンに初めて愛された時と、同じくらい感動してしまった。
生活の方法も面白かった。
ダンは王都暮らしが嫌でここへ来たのだが、かと言って完全な自然主義者でもない。
完全な自然の恵みだけで暮らすのではない。
王都で購入したもの、そして自身の使う魔法も上手く組み合わせて、臨機応変に暮らそうとする考えを持っていたのである。
火の勢いが弱くなれば、
畑の作物の元気がなければ、
水の魔法だけは使えないので、
外で料理用のかまどを作る時は、転がっていた石や切り出した丸太を使う。
魚をすくう『たも網』は着古した服を使って作った。
刃物ではなく、石を削って石器、更に石斧を作ったりもした。
料理方法も、たまに趣向を変えた。
板に魚を打ち付けて焼く反射板料理、熱くした石を使う焼き石料理など、面白い方法も採用していた。
エリンとニーナは、楽しくて堪らなかった。
ダンによれば……
以前居た世界の知識と、この世界へ来て与えられた知識を組み合わせているという。
だが、決して楽しい事だけではない。
ダンは、危険なものも熟知していた。
人間を襲うゴブリン、オーク、オーガなどの魔物は勿論の事、猛々しい狼や熊などの肉食獣、怖ろしい毒を持つ蛇や蜥蜴、攻撃的な蜂などの虫、食べたら酷い目にあう草や茸などである。
素晴らしい自然の中で生きて行く為には、極めて用心深くならねばいけない事も、エリンとニーナはしっかりと学んだのだ。
そして人恋しくなる心配も、アルバート&フィービー夫婦のお陰で解消出来た。
元々ダンの監視役であるふたりだが、エリンの秘密も含めて共有しており、全く気兼ねないのが嬉しい。
3人との相性も良く、やり取りも楽しかったのだ。
更に数日が過ぎ……
ある朝、そのアルバート達が手紙を持ってやって来たのである。
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朝食後、ダンの家の居間で5人は話していた。
「ふうん……さすがに早過ぎると思ったが、今回は指令書じゃないんだな」
ダンは苦笑していた。
創世神の巫女がもたらす『神託』は半年から8か月に1回のペースである。
その度にダンは、『仕事』をこなす。
大体が、王国軍には難易度の高い、凶暴な魔物の討伐であるそうだ。
怖ろしい魔物がもたらす、災厄を防ぐという事らしかった。
「ああ、ヴィリヤ様の手紙によるとベアトリス様がダン、お前に会いたいと仰っているらしい」
「ベアトリスねぇ……」
「おいおいダン、さすがにベアトリス様は尊称で呼んでくれよ」
「ああ、悪い。で、まずはヴィリヤに会って、あいつと一緒にベアトリス様に謁見するんだな?」
「そういう事になる」
ダンとアルバートの会話を、エリンは興味深そうに聞いていたがニーナは唖然としてしまっている。
王家から仕事を受けていると、ダンから聞いてはいた。
だが、現実に聞くとやはり吃驚してしまったのだ。
王都で暮らしていたニーナは、アイディール王国王女ベアトリスの名を当然知っている。
創世神の巫女でもある、ベアトリスは現在18歳。
現国王の妹で、宰相フィリップの妹でもある。
ベアトリスは10歳になった時、突然創世神の巫女として覚醒した。
その代償なのか、ベアトリスは巫女覚醒と同時に視力と身体の自由を失った。
いくら巫女になれたとはいえ、自由闊達だった美少女のショックは大きかった。
嘆き悲しんだベアトリスは、国民の前には滅多に姿を見せなくなったのだ。
そのベアトリスが、ダンに会いたがっているらしい。
「俺は、あまり会いたくないなぁ……」
ダンが「ぽつり」と言ったので、エリンとニーナは吃驚した。
どうして? と思ったのである。
しかし、アルバートとフィービーは別に吃驚していない。
ダンと同様に、暗い表情をしているのだ。
エリンが、思わず問いかける。
「ダン、王女様に会いたくないの?」
「ああ、会いたくないな」
「何故? どうして?」
エリンの質問に、ダンは苦笑する。
そして、同じように見つめるニーナにも、力なく笑いかけたのである。
「……俺がベアトリス様に会いたくないのは、……彼女がとても気の毒なのと自分の無力さを痛感するからだ」
エリンにはまだ、話が見えない。
王女は、いきなり視力を失い、身体も不自由になった。
だからダンが言う、気の毒なのは分かる。
しかし何故ダンが、それで無力感を味わうのだろう。
エリンはそう思ったが、再び問いかけるのを
そんなエリンの心中を察してか、ダンは答えを戻してくれる。
「俺の使う魔法は、ベアトリス様に効果がない」
「え?」
どういう事なのか?
エリンは、呆然としてしまう。
「お前を治癒した魔法が、ベアトリス様には効かない」
「そ、それって?」
エリンは救われた時、全身に傷を負っていた。
悪魔との激しい戦いで負った傷である。
しかしダンは、治癒の魔法で直してくれた。
あっという間に傷がふさがり、元気が出た。
凄い回復魔法だった。
その魔法が……効かない?
「エリン、お前は『俺が勇者だ』って言ったが違うんだ。勇者は最強で万能な筈だろう? 俺の魔法は、あの可哀そうな女の子ひとりさえ救えないんだ」
エリンには、初めて分かった。
ダンが勇者と呼ばれるのを、頑なに拒否する気持ちが。
勇者という定義が、最強且つ完全な存在であるという考えのダン。
彼には、ベアトリスを救えない自分の力を、素直に受け入れる事が出来ないのだ。
でも……とエリンは思う。
改めて、ダンが好きになった。
大好きになった。
誰にでも、とても優しい気持ちを持つダンが。
エリンはふと、傍らのニーナを見る。
どうやら、同じ気持ちらしい。
ダンを心配そうに見つめており、心の波動が伝わって来る。
エリンは大きく息を吐き、ダンを再び見つめたのであった。