第90話「生きる希望」
文字数 3,078文字
いや……ふたりの『懇親会』は終わった。
やむなく終わったという感があるのは、謁見時間が1時間に限定されていたから。
なので、ベアトリスは残念な表情を隠さない。
「楽しい時間はすぐに終わる」と巷で言われるのは本当だと、つくづく実感していた。
まもなくヴィリヤ、そしてパトリシア&侍女達が戻って来る筈である。
ベアトリスは、ため息をつく。
「はぁ~、あっという間に、楽しい時間の終わりが来たわ……でも私が巫女になってから最高の1日だったかも」
しかし、ダンは首を振る。
「最高の1日? 果たしてそうか? 俺との雑談なんて全然大した事ないぞ。これからベアトリスには、もっともっと楽しいイベントが待っているじゃないか」
「ええっ? それって……私が貴方のお嫁さんになるって事? 確かに……凄く楽しみだわ!」
ベアトリスは、うっとりしている。
何となく好意を持っていた相手に、どんどん気持ちが傾いて行く。
恋に落ちるという甘美な味わいを、この薄幸な王女は初めて味わっていた。
一方、ダンはというと微笑んでいる。
確かにベアトリスは嫌いじゃないし、可愛い。
王族らしからぬ性格も好きだ。
だがもっと、相応しい相手が居ると思う。
「いや……相手が俺じゃなくて、ベアトリスに超イケメンの彼氏が出来るって意味だよ」
「ええっ!? 私、相手がイケメンじゃなくても良い。……価値観が合う優しい人が好きだから……やっぱりダンが良いかな」
「あのな……それって、俺が不細工って事かい?」
「うふふ、違うわよ。ダンは強くて恰好良いから」
ベアトリスは10歳で巫女になった時、同時に視力を失っている。
だから、ダンの顔は知らなかった。
物言い、雰囲気、そして
何となく優しくて、強いフィリップ兄に近いと思う。
もしくは……
視力を失う前に、本で読んだ物語に描かれていた、挿絵の美しい王子様みたいかもしれない。
でも……はっきり言って、顔などどうでも良い。
ダンは、自分に生きる勇気をくれた。
ベアトリスにとっては、それが最高の男子の条件——強くて格好良いというのはその比喩なのだ。
「そうかぁ? 俺、召喚された時に、ヴィリヤから散々不細工って言われたものな」
ダンがしかめっ面をして言うと、ベアトリスは悪戯っぽく笑う。
「ヴィリヤか……あの子……貴方に対して熱い
ベアトリスは、他人の
ヴィリヤは、今の自分と同じ波動を出していたと思う。
しかし、ダンは首を傾げる。
「さあ……どうかな?」
ベアトリスには分かる。
ダンが否定しても、ヴィリヤは彼の事が好きなのだ。
しかしエルフと人間という種族の違い、いずれソウェルを継ぐという身分、婚約者が既に居るという立場の違い。
諸々の足枷により、ヴィリヤが悶え苦しんでいるなど知らない。
始まったばかりである、ベアトリスの恋。
まだ辛さを感じない、淡い恋心である第一段階だから。
「うふふ、決めた! 私、貴方が居ない時にヴィリヤと恋バナしちゃおう」
恋したベアトリスは、自分がどんどん盛り上がるのを感じる。
ダンは一応、ブレーキをかけておく。
「あのな……念の為に言っておくけど……」
「何?」
「俺の嫁になるのなら、ベアトリスの身分は関係ない。順番で第三夫人以降が確定だぞ」
「全然構わない! ダンが大事にする子達だもの。良い子達だろうし、私……仲良くするわ!」
「ああ、そうしてくれ。後、これも言っておく。厳しい言い方だが、俺と結婚するのは魔族と結婚するくらい覚悟が要る」
ニーナの時同様、ダンは『酷い冗談』を告げた。
そうしておかないと、エリンの正体が判明した時に誤解を招きかねない。
「それって……」
「ああ、それくらいの深い想いと覚悟が必要だって事さ。僻地の不自由な暮らしも含めて、決して良い事ばかりじゃない」
ダンは、ベアトリスの夢に『現実』というスパイスを効かせた。
幸せと苦労は、表裏一体なのだから。
あまり暴走せずに、表裏両方見極めて欲しいというダンの願いである。
恋していても、ベアトリスは聡明な少女だ。
ダンの言う意味を、ある程度理解したようである。
「……分かった! でもダン、ありがとう! 私、本当に生きる張り合いが出て来たわ」
「ああ、どうしても貰ってくれる人が居なかったら、覚悟を決めて来い。俺がしっかり受け止めてやるから」
「うん! うんっ!」
こうして、ベアトリスは密かに覚悟を決めた。
創世神の巫女は、「勇者に嫁ぐ!」と決意したのである。
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やがて……
ヴィリヤとパトリシア達は戻って来た。
戻って来た全員が驚いた。
巫女になってから、表情が暗かったベアトリスが……
溌溂としているからである。
表情も謁見前とは大違い!
溢れんばかりな、満面の笑みを浮かべていた。
王女お付きの他の侍女達を別室に下がらせたパトリシアへ、ベアトリスは宣言する。
「うふふ、パトリシア。私、これからも頑張る! ダンと一緒に世界の平和を守るわ!」
失礼とは思いながら、急に明るくなった理由を聞かずにはいられなかった。
「んまぁ! ベアトリス様。ど、どうなされたのですか?」
「どうなったって……うん、私は元気が出たの。ダンが元気にしてくれたわ」
「そ、それは! ど、どうしてでしょう?」
「秘密!」
ベアトリスは内緒だと言って、具体的な理由を言わない。
パトリシアは首を傾げる。
ダンが元気にした?
意味が全然分からない。
「不可解ですね、いきなり」
「パトリシア、不可解って何?」
「不可解は、不可解です。いきなりそのような……お元気におなりになるなんて」
「失礼ね! 私が元気になっちゃいけないみたい。ダン、いざという時には頼むわね」
口を軽く尖らせたベアトリスは、ダンに話を振った。
表現だけでいえば、神託が出たら受けて欲しいという意味に取れなくもない。
さすがのベアトリスも、王女である自分が、将来ダンの嫁になるなどとは言えなった。
一方のダンも、素知らぬ顔でOKする。
「了解だ」
謎めいた会話に、パトリシアの心配、そして妄想は膨らんで行く。
「むむむ……まさか、勇者殿、ベアトリス様に不埒な真似を!」
「してないって! 指一本触れてね~よ」
ダンが即座に否定すると、ベアトリスは満更でもないように言う。
「うふふ、残念ね。私は待っていたのに。キスくらいしてくれても良かったわ」
「ベベベ、ベアトリス様ぁ!!!」
ダンとベアトリス主従の会話を、ヴィリヤは黙って聞いていた。
戻って来て、ベアトリスの顔を見たら、すぐに分かった。
ダンを熱く見つめるベアトリスの顔つきが、『恋する乙女の表情』になっている事を。
「…………ぶ~」
オミットされて、ただでさえ悪かったヴィリヤの機嫌は、益々悪化して行く。
嫉妬という、どろどろとした感情が、ヴィリヤの全身をいっぱいに満たしていたのである。