第76話「女子は買い物好き③」
文字数 3,053文字
「ダンさん、『ここ』って私の知っている、買い物する場所とは全然違います」
「うん、エリンもそう思う」
今日の朝、エリンはニーナと共に市場で買い物をした。
英雄亭の仕入れの為に。
生まれて初めて、本格的な『買い物』を経験したのである。
買う人、売る人、そして夥しい品物……
多くの人がたくさんのエネルギーを出して、使って、買い物を成立させていた。
素晴らしい活気があって、とても新鮮だった。
商品の置き方も工夫されていて、見るだけでも楽しかった。
エリンは、買い物がとても好きになったのだ。
しかしこの倉庫は、市場とは全く違う。
市場と同じくらい夥しい量があるとはいえ、単に品物が整然と並べてあるだけ。
かつてエリンが住んでいた、深き地下世界のダークエルフ王宮の、殺風景な倉庫とさして変わらない。
備蓄してある品物は、圧倒的に今居る倉庫の方が多いが……
思えばダークエルフの倉庫には、常に物資が不足していたのだ。
創世神から地下へ追放され、貧しい生活を強いられていたから。
だけど、貧しいながら幸せな生活だった。
皆、ダークエルフであることに、誇りをもって生きていた。
貧しくとも、静かにつつましく暮らしていこうと決めていた。
皆、笑顔だけは忘れずに、楽しく生き抜こうと決めていたのだ。
けれども……
その平穏は、無残にも破られてしまった。
アスモデウス率いる、凶暴な悪魔の軍団が攻めて来たからだ。
戦いは、果てしなく長い凄絶なものだった。
一族は精一杯、力の限り戦った。
残念ながら力及ばず、悪魔の圧倒的な力の前に敗れ、全員が死んでしまった。
しかし勝ち誇っていたアスモデウスもダンに倒され、地下は完全な静寂の世界となった。
結局、生き残ったのは、エリンひとりきりだ。
そしてエリンは皮肉にも……
一族がいつか戻る事を夢見ていた、遠き地上に居る。
助けて貰った、愛するダンと一緒に居る。
……そして愛すべき『妹』も出来た。
「運命なんて全く分からないものだ」とエリンは改めて思う。
考え込むエリンへ、ニーナが気になって声を掛けた。
「どうしたんです? エリン姉、目が遠くなっていますよ」
「ううん、何でもない……それよりさ、いくら考えても分からないから、ダンに教えて貰おう。ダン、前もここで買い物した事あるんだよね?」
考えても埒が明かないと感じたエリンは、ストレートにダンへ聞いた方が早いと考えたらしい。
「おお、あるぞ。それに今ここに居るのは、俺達家族だけだから丁度良い。買い物と共に、ざっくりとだが内緒の話も出来る」
エリンから聞かれたダンも、買い物だけではなく、この閉ざされた空間をいろいろと使おうと考えていたようだ。
「俺達家族だけ? ううう~、良い響きです、家族って」
ダンの使った『家族』という言葉に反応して、ニーナは「うるうる」していた。
自分が家族だと再確認したいニーナは、エリンに問いかける。
「昔から凄く憧れでした、家族が出来るのって……ええっと、私も家族の一員なんですよね? エリン姉」
「そうだよ、エリン達3人は家族だもの、ねぇ、ダン」
当然だと、エリンはきっぱり言い切り、ダンにも同意を求めた。
「ああ、そうさ。俺達は家族さ!」
俺達は家族!
何と、心に響くのだろう。
ニーナは我慢し切れずに、涙が「どっ」と溢れて来る。
「ううううう~」
嗚咽するニーナを見たエリンが、悪戯っぽく笑う。
「あは、ニーナは飢えた狼から、泣き虫狼に大変身だぁ」
泣き虫狼?
とんでもない!
悲しくて泣いているわけでは、全然ないっ。
ニーナは、断固として抗議する。
「泣き虫狼に大変身って、もう! エリン姉ったら、これは嬉し涙なんですよぉ」
「分かってるよぉ、でもニーナは泣き虫狼」
「もう! エリン姉の意地悪ぅ!」
ニーナは、自分でも不思議だ。
顔が泣きながら笑う状態だから。
幸せな気分で、心が一杯なのである。
ダンが笑いながら、エリンとニーナを促す。
「ははははは、さて買い物するか。あと1時間でさっきの店員が戻って来る。さくっとやるからな」
「はぁい」「はいっ」
こうして3人は『買い物』を開始したのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
店員は居ないので、エリンとニーナは最初戸惑ったが、ダンに言われて様々なものを買う。
買い物自体は、とても楽しい。
女子で、買い物が嫌いだという人は、あまり居ないだろう。
特にここは、好きなものを好きなだけ買える。
エリンとニーナのふたりは、つい解放感に満ち溢れてしまう。
まずは、家具を買う。
ダンの持つ家具は皆、オンボロだったから。
住んでいる家に、元々備え付けてあったものが大半である。
単に使えれば良いと考えていたから、ダンは新たに買ったりなどしなかった。
しかしエリンが来て、今度はニーナが来る。
可愛い嫁ふたりと暮らすのなら、ガタが来ている今の家具を処分した方が良い。
多少お洒落で、それ以上に丈夫で長持ちするものを、選んで買わなくてはならない。
ダンは、そう決めたのである。
倉庫には、いろいろなデザインの家具があった。
家具は基本的にオーダーメイドで、置いてあるものは見本品だが、ダンは購入して構わないらしい。
3人一緒に寝られるよう、真っ先に巨大なトリプルベッドを買う時、ニーナは恥ずかしそうにしていた。
エリンが、とてもエッチな事を言ってからかうと、真っ赤なトマトのようになってしまう。
ニーナが持つ、たくさんの可愛い服を入れられる大型のタンスも買う。
それでもニーナの私服は全部入らないが、ダンが魔法で何とかするという。
立派な姿見も買ったから、エリンとニーナは着せ替えっこして楽しめるだろう。
大家族が使えるサイズの、頑丈なテーブルとイスも買う。
このテーブルを使って、家族全員で食事をするのは楽しいに違いない。
アルバート達も一緒に食事が出来るようなサイズだし、イスも余分に買っておいたから万全だ。
他にも必要な家具を買い、消耗品も多く買う。
生活に必要な日用品は、当然買わねばならない。
当然だが、肌着などは大量に必要だ。
エッチなデザインの女性肌着もエリンが面白がって買うのを見て、ニーナがまた真っ赤になっていた。
籠、ほうき、くまで、ロープ等に加えて、ダンは自分が楽しむ為に釣り竿を複数と釣りに必要な小物も買う。
畑仕事に必要な鍬、シャベル、鋤、鎌などの道具に、作物の種も買った。
刃物を研げるよう、砥石も忘れない。
台所用品、食器も多く買って行く。
日持ちのする、加工された食料品も買う。
パンが焼けるように小麦粉、ライ麦粉、そして酵母も買う。
ワインも赤と白を樽ごと買う。
料理には欠かせない香辛料も、様々な種類をばっちり買った。
万が一の事もあるから、武器防具も結構買う。
ニーナは生まれて初めて革鎧を着て、冒険者だった亡き兄を思い出す。
それら以外にも……
ダンはエリン、ニーナと相談して、必要なものを確認しながら買って行ったのであった。