第106話「物事の表と裏」

文字数 2,746文字

 「びしっ」と、デコピンをしたエリン。
 痛むおでこに手を当てて、無言で睨むヴィリヤ。
 
 早くも……宿敵のふたりは、険悪な雰囲気となっていた。
 一方、ダンは黙ってふたりを見つめている。

 エルフ貴族の誇りを傷つけられた、ヴィリヤの怒りは凄まじい。
 しかし、エリンは臆せずきっぱりと言い放つ。

「ねぇ、ダンとエリンの指示に従えないのなら……ここから地上へ戻って貰うよ」

「…………」

「さあ、どうする?」

「…………」

 ヴィリヤの脳裏には、昨夜言われたゲルダの言葉がリフレインする。

 『ダンの指示には絶対に従い、協力する事。エリンさんの言う事にもです。
 創世神様に誓って約束して下さい』

 ヴィリヤを諭す、ゲルダの目は真剣だった。
 人喰いの迷宮から、万が一ヴィリヤが生還出来ない場合は、自死するというから。
 なので、ヴィリヤは仕方なく、約束した。
 不承不承だが、創世神に誓うという最大の言葉を以て約束したのは事実である。

 迷宮に不慣れな自分が、今のようにスタンドプレーに走ったら、確かに命を落とす危険は大きい。
 すなわち……何の罪もないゲルダまで、巻き添えで死ぬ事になる。
 まず生還する……
 その為には、迷宮に慣れていそうなダンとエリンの指示に従うしかない。
 ヴィリヤは怒りを抑えながら、とうとう腹を決めた。

「わ、分かりました、今後、指示には従います。……でも」

「でも? 何?」

「この店、違法は違法じゃない。どうして止めるの?」

 なおも疑問を呈すヴィリヤに、今度はダンが言う。

「良く考えろ。本当にこの店が違法なら、王国や冒険者ギルドが絶対に黙っていない。ここは迷宮の入り口から入ってすぐの、目立つ場所なんだぞ」

「…………」

 確かに、ダンの言うとおりである。
 ……ヴィリヤはイエーラからこのアイディール王国へ来て、故国以上に法律をきっちり順守させると感じていた。
 ゲルダから、ときたま中央広場で罪人が処罰、処刑されると耳に入れられている。
 それもしょっちゅう。
 結構、容赦なく裁いているのだという感覚だ。

 「つらつら」と考えていたら、ダンが再び告げる。

「多くの物事には表と裏がある。良く、建て前と本音とも言うじゃないか?」

「…………」

 ヴィリヤは、ダンの言う事だと本当に素直に聞ける。
 それは実際にダンの知識が自分の糧となっているのと、彼が好きで尊敬しているからだ。

「万が一、どうしても必要な何かが不足したら、または緊急のけが人が出たら、地上に戻らずとも迷宮内で用が済めば助かると思わないか? 冒険者は要望を出した、だが公的な指定店はこのような場所に店を出したがらなかったんだ」

「…………」

「なので、ここの店は表向きは商品同士を物々交換——つまりトレードするか、労働で払うという建前で存続が許されている」

「表向き? 物々交換? そんな方法が!?」

 驚くヴィリヤへ、今度はエリンが言う。

「エリンも最初は何も分からなかった。だけどダンと出会っていろいろ勉強になったよ。物事って全て何か理由があるものだって」

「物事には……全て何か理由がある……」

「英雄亭の時だってそうでしょ?」

「…………」

 ヴィリヤは、思わず唇を噛んだ。
 あの時の事を思えば、すごく恥ずかしい。
 はっきり言って、最大の黒歴史だ。
 そして……また同じ失敗をするところだった。

「物事が成り立っている理由をしっかり確認してから、自分の判断を下す。その方が間違わない。急いで判断する時以外は大抵それでOKだよ」

 確かに、エリンの言う事は尤もである。
 一見違法なこの迷宮地下1階の店も、実は合法だったのだから。

 それに、少しホッとした。

 ダンの妻であるエリンも、『自分同様』社会や世間に疎いらしいのだ。
 それなのに……包み隠さず、自分へカミングアウトしてくれた。
 理由は何故か分からないが、会った時から自分を大層嫌っているみたいだから……
 こちらも、良い気持ちはしていなかったが……

 だけど!

 エリンは優しく言葉をかけてくれた。
 出会ってから初めて、胸襟を開いてくれた。
 そんな気がする。

「わ、分かったわ……」

「ゲルダ」

「へ?」

 素っ頓狂な声が出てしまった。
 自分ではない名前を呼ばれてしまったからである。

「ゲルダだろう? 今のお前は」

「……あ!」

 ヴィリヤは、思わず声が出そうになり、慌てて手で口を押えた。
 ダンの魔法で変身している事を、すっかり忘れていたのだ。

「あ、じゃね~よ」

 ダンが、悪戯っぽく笑った。
 「もっとしっかりしてくれよ」という意味も込めて……
 ヴィリヤは、叱られた子供のようにショックを受けてしまう。

「う、うん……」

 だが……
 ヴィリヤは確実に、ふたりとの距離を縮めている。

「ほら、そろそろ行くぞ」
「ゲルダ、行くよっ」

 ダンとエリンから促されたヴィリヤ。
 笑顔のふたり。
 こうなるとヴィリヤは気分が良くなり……前向きになって来る。

「は、はいっ」

 大きい声で返事をしたヴィリヤは、元気よく立ち上がったのである。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 それから……
 ダン達は地下1階の様々な店を回った。
 全て非合法の店ではあったが、何故か商品に法外な値段はついていなかった。

 エリンとヴィリヤにとっては意外だったが、これにも理由があった。
 あまりに暴利な商いをしていると、被害にあった冒険者から通報され、それこそ王国やギルドから目をつけられてしまうからである。

 実際に何度か『手入れ』があり、何人もの『悪徳業者』が処罰されていた。
 中には違法な商品を扱い、死刑になった者も居た。
 だから、商品の値付けも接客態度もいたってまともなのである。

 装備充分なダン一行であったが、わざわざ地下1階の店舗を回ったのにも理由があった。
 装備資材の買い忘れの確認は勿論、最新の情報収集である。
 特にこの市場で買い直した迷宮の地図は役に立ちそうであった。

 冒険者ギルドが制作した地図に冒険者達から得た情報が加えられ、何度も改訂されていたからだ。
 罠の有無、敵から見て死角になる隠れ場所、モンスターハウスになる可能性の高い部屋等……

 加えて、ダンは商品で買い物をした際に商店主への取材も行う。
 自分の店で買い物をしてくれた商店主は、客へ惜しみなく知っている事を伝える。

 こうして……
 ダン達は更に万全を期して、迷宮の地下2階へと降りて行った。
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登場人物紹介

☆ダン・シリウス

本作の主人公。人間族の男子。

魔法、体術ともに圧倒的な強さを誇る魔法使い。

特に火と風の魔法を得意とする。

飄々とした物言いだが、性格は冷静沈着、情に厚い部分も。但し、女性に対しては基本的に奥手。

召喚された異世界で、創世神の神託が出る度、世界へ降りかかる災いを払う役目を負わされた。

だが王都暮らしを嫌い、一旦役目を果たせば、次の神託まで、普段は山里に隠れるように住んでいる。

ある時『世界の災厄である悪魔王』を倒す仕事を請け負い、絶体絶命のピンチに陥ったエリンを、偶然に助けた。

☆エリン・ラッルッカ

地の底深く暮らす、呪われしダークエルフ族の王女。地の魔法の使い手。

突如、攻めて来た悪魔王とその眷属により、父と一族全員を殺される。

しかし、悲しみに耐え、前向きに生きると決意。

絶体絶命の危機を救ってくれたダンと共に、地上へ……

ダンの自宅へ強引に『押しかけ』た。

☆ヴィリヤ・アスピヴァーラ

エルフ族の国、イエーラから来た、アイディール王国王宮魔法使い。

水の魔法の使い手。エルフ族の長ソウェルの孫娘。

ダンを異世界から、『勇者』として召喚した。 

傲慢な振る舞いを、ある日ダンからたしなめられ、以来熱い想いを抱くようになる。

☆ニーナ

人間族の国アイディール王国王都トライアンフ在住の女子、ビストロ英雄亭に給仕担当として勤める。孤児であり、両親は居ない。双子の兄が居たが、ある迷宮で死んだらしい。

以前店で仕事中、ガラの悪い冒険者に絡まれた。だが、ダンに助けられ、彼に片思い状態である。

☆ベアトリス・アイディール

アイディール王国王女にして、創世神の巫女。

ある日突然、巫女の力を得ると共に、身体の自由を殆ど失い、更に盲目となった。

ダンに神託を与え、世界へふりかかる災厄を防ぐ。

巫女として役目を果たす事に生き甲斐を感じながら、自らの将来に対し、大きな不安を抱えている。

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