第116話「無言の号泣」
文字数 2,420文字
ダンの言葉は深くしっかりと、ヴィリヤの心へ刻まれた。
……その間にも、通路奥に出現したオークの群れは、こちらへ迫っている。
薄暗い迷宮の通路の奥から、オークが発する、豚が吠えるような独特の甲高い声が聞こえて来たのだ。
苦笑し、耳を指でふさぐ真似をしたダンは、素早く作戦の指示をする
『俺とケルベロスが突出する。奴らの先陣を何体か倒し、適当にあしらいながら後退する。ここまでは良いか?』
ダンに問われたふたりは、「打てば響け」と返事をする。
『了解!』
『了解っ!』
『頃合いを見て俺達は思いっきり下がり、そして左右に散る。指示を出したら今迄と全く一緒だ。俺達が誤爆しないよう、ヴィリヤの魔法でオークを氷漬けにし、エリンの魔法で粉々に砕く』
ダンから出された『課題』は、さして難しいものではない。
今迄の魔法を使った戦い方と一緒であり、発動するタイミングだけを計れば良いものだ。
『了解!』
『了解っ!』
更に、大きな声で返事をしたエリンとヴィリヤ。
彼女達がもうスタンバイしたと見て、ダンはケルベロスを促す。
『じゃあ、ケルベロス、行くぞっ』
「うおおん!」
念話と咆哮が交錯した瞬間。
ダンとケルベロスは駆け出し、凄まじい速度で、オークの群れに肉薄していたのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ダン達が出撃してから、すぐ……異変は起こった。
何だか、エリンの様子が変なのだ。
傍らに居るヴィリヤへ、怖ろしい波動が伝わって来る。
肌がピリピリするようなはっきりした負の感情……
憎悪! 怨念! そして殺気が!
「オークめぇっ! 絶対にっ! 許さないっ」
『え?』
ヴィリヤは吃驚した。
何故なら、今の声は念話ではないからだ。
エリンの口から出た、肉声なのである。
更に、口調は激しさを増して来る。
「お前らは汚らわしいっ! 名前を言うだけでも、おぞましいっ!」
小さな桜色の可愛い唇が動き、毒に染まった言葉が次々と吐き出された。
いや、言葉だけではなかった。
エリンの綺麗なダークブラウンの瞳は、ぎらぎらと燃えていた。
その激しさに、ヴィリヤは圧倒されている。
『エリン……さん』
「あいつら、殺してやる! オークなんか……この世から……抹殺してやるっ」
『ど、どうして? あ!』
「ぜ~んぶ、消えてぇ、……なくなれっ!!!」
「な…………」
ヴィリヤの身体に悪寒が走る。
自分もつい肉声が出てしまった。
エリンの殺気が急激に膨れ上がり、強大な魔力を感じたからだ。
……これはマスターレベルに到達した、高位魔法使いが行使する魔力量……
ちなみにヴィリヤはマスターレベルの魔法使いとして、水の魔法を極めている。
最大の魔法『氷河』を、使う際の魔力量も熟知している。
その究極魔法使用時と、同じくらいの魔力を感じたのだ。
「どうしてっ!? 急に?」
今迄オークと戦っていた時……
エリンの深い『哀しさ』は感じても、このように表に出した事はない。
何故、突如このようになってしまったのか?
ここでヴィリヤには思い当たる事があった。
それは……ダンである。
現在ダンは、クランの先鋒として、ケルベロスと共にオークの群れに立ち向かっている。
エリンから、暫しの間離れて……
そう、ダンこそがエリンの『リミッター』なのだ。
愛し愛されるダンが傍に居るから、エリンは平静さを保っていられる。
しかし、エリンの家族を殺した仇敵のオークが……
目の前に居る状態で、ダンが少しでも離れたら……
憎しみと殺意から、エリンの心の『たが』は簡単に外れてしまう。
そこまで考えて……ヴィリヤはハッとした。
もう、考えている暇はない。
エリンの魔力は、今にも張り裂ける寸前まで高まっていたから。
いくら魔力が高まっても、通常の魔法発動であれば問題はない。
だが、この不安定な気配は……尋常ではない精神状態は……
とんでもない、魔力暴走の気配を見せていたのである。
精神の安定と制御を失った魔法使いは……下手をすれば……
壊れてしまう……
だからヴィリヤは躊躇せず、大声で怒鳴る。
「エリンさんっ!!!」
「う~っ、殺してやる……」
駄目だ!
ヴィリヤの声は、エリンの耳へ届いていない。
ならば!
もう一度っ!
「エリンさんっ!!!」
「ううう~っ」
エリンが唸るのを聞いて、ヴィリヤは「ぎっ」と唇を噛んだ。
こうなったら!
「たあっ!」
ヴィリヤは気合を入れ、エリンへ飛びついた。
もう、必死だった。
身体を張って、興奮するエリンの『暴走』を、何とか止めようとしたのである。
その瞬間!
不思議な事に……
抱き締められたエリンと、抱き締めたヴィリヤ……
ふたりを、「そっ」と優しい風が包む……
ヴィリヤに飛びつかれたエリンは、さすがに吃驚し、我に返った。
「わ!? ヴィリヤっ! いきなり何?」
目を丸くするエリンは、先ほどまで自身が『暴走』していた事を……覚えていない。
一方、ヴィリヤは……
エリンが正気に戻った事に気付かず、まだ「ぎゅうっ」とエリンを抱きしめている。
「駄目ですっ、エリンさんっ!!!」
「何で! ヴィリヤがエリンに抱きつくのっ!? エリンを抱っこしていいのはダンとニーナだけなんだよっ」
エリンの抗議に対し、ヴィリヤは答えない。
「…………」
「もう! ヴィリヤったら! え!?」
更に詰問しようとしたエリンが……気付いた。
ヴィリヤは……エリンに抱きついたまま……無言で……
思いっきり、泣いていたのであった。