第59話「お酒って、なあに?」
文字数 2,359文字
鮮やかな赤をしたワインと比較すると、濃い茶色をした液体だ。
エリンは、恐る恐る口をつけてみた。
「苦いっ!」
どうやら……
ワインの甘さをイメージしていたエリンには、刺激が強すぎたようである。
しかし口に含んでいるうちに、エール特有の芳醇な麦芽の味に慣れて来た様子だ。
「苦いけど……美味しい! 喉にしみるぅ」
エリンの言葉を聞き、見守っていたダンにも、笑顔が浮かぶ。
「ははは、良かった! ワインが葡萄なら、エールは大麦という植物から作った酒なんだ。それにしてもエリンはいける口みたいだな」
「いけるクチ?」
「ああ、酒好きって事だ」
酒好きと、ダンから言われたエリンは嬉しそうに頷く。
「うん! 最初は苦かったけど……美味しいよ、エール」
「良かった! それに今日はタチの悪い奴は居ないようだ」
「タチの悪い?」
「ああ、酒に酔っ払うと、人間の素の部分やこうしたいという欲求が強くなる。エリンみたいな女の子に、しつこく声を掛けたくなるものさ」
「しつこく声を掛ける? それってナンパ? そういえば、ダンもやったよね」
旧悪? を蒸し返されて、ダンは「しまった!」という顔をする。
「う! チャーリー達とここで飲んだ時だ……確かに……あの時は俺もタチの悪い酔っ払いだったな」
「ダンのエッチ! 飢えた狼!」
「飢えた狼って、あのな……俺はもう、ナンパなんかしないよ」
「うん! 分かってる。ダンにはエリンが居るんだものね! 他の女の子なんて必要ない!」
「そうだな、必要ない」
「うふ! エリンもダンが居るから、他の男子は全く不要。後はお酒もダンと一緒の時以外は飲まない……酔っ払うと危ないから」
エリンが店内を見渡すと、飲み食いしている客は、殆どが冒険者のようであった。
依頼を無事済ませて、ホッとひと息ついているのだろう。
男も女も皆、既に酒が回っているようだ。
凄い、大声で話している。
中には興奮して、歌っている者まで居た。
エリンは、改めて認識する。
酒を飲んで酔うとは、自分を見失う事なのだと。
周囲を見たエリンは、以前自分が酔っ払った時の事を思い出した。
あの時自分は、あっという間に眠くなり、まったくの無防備であった。
ダンだから良かったものの、もし違う男と一緒だったら……
今考えれば、ぞっとするエリンである。
自分の大事な身体を、変な男に弄ばれたら……
万が一乱暴されたら……
夫であるダンに対し、顔向け出来ない。
絶対に、乱暴した相手を殺して自分も死ぬ……
エリンは、そのような価値観を持つ女の子だった。
「酔うって……怖いな……人間が理性という鎧を脱がされ、全くの無防備になる」
ダンが、「ぽつり」と言う。
まるで、エリンの心の中を見抜くように。
「あくまで俺の私見だけど……酒には良い酒と悪い酒がある」
「良い酒と悪い酒?」
「ああ、そうだ。良い酒ってのは、明日への活力を生むための酒だ。飲むと元気になる、良い意味で切り替えが出来る……そんな酒だ」
「元気になるお酒か……エリン、分かるよ」
「うん! そして悪い酒ってのは、飲むと『悪魔』に変身する酒だな」
「悪魔?」
「ああ、酒癖が悪いともいう。理由もなく他人に絡んだり、ひとりよがりで根拠のない説教をする酒だ。やたら大声出して、うるさいのも困る」
ダンの言葉を聞いたエリンは、再び周囲を見た。
該当しそうな者が、いっぱい居そうだ。
エリンは、眉間に皺を寄せる。
「それ……エリンも嫌だ。でもさ、ダン……お酒って美味しいけど……どうして皆、酔うまで飲むの?」
「ああ、酒ってのは理性を失うと同時に、さっき言ったように良い意味で切り替えが出来るからさ。様々なつまらない、しがらみを捨てる事が出来る」
ダンはそう言うと、何故か遠い目をした。
エリンは、ダンの眼差しが同じだと思った。
今日会った冒険者ギルドのマスター、ローランドの寂しい眼差しと……
ローランドには、辛い過去があるらしい。
『しがらみ』って、もしかして辛いものなのだろうか?
エリンはつい、それを知りたくなる。
「しがらみ?」
「そう、しがらみ……俺もあるよ、何度か酔っ払った事。もう二度と戻れない、元居た世界の事を思い出した時や、ここに来て仲間になった親しい奴が依頼の最中に死んだとか聞くとね。……無性に飲みたくなる」
「そう……なんだ。辛い事を忘れる為……」
エリンだって悪魔との戦いの日々や、結果……父と一族が無残に殺された事を思い出すと辛い。
そして、虚しくなる。
ダークエルフで、たったひとり生き残ったエリン。
自分だけで生きて行く事はとても寂しく、ネガティブにもなる。
それが、エリンの『しがらみ』かもしれなかった。
ダンのお陰で、何とか前を向ける。
が、もし彼が居なかったら……
辛い事を忘れる為、自分もたくさんたくさんお酒を飲むだろうと。
そう思うと、酔っ払っていろいろな事を忘れようとする行為が、エリンには分かるような気がした。
と、その時。
「お待たせしましたぁ!」
ニーナの声が響く。
エリンが見ると、ニーナが注文した料理をいっぱい抱えて立っていた。
そして彼女と共に、やはり料理をたくさん抱えた、ダンよりガタイの良い老齢の男も立っていたのである。
「おう、ダン。よく来たな!」
先程、厨房で汗だくになって調理をしていたこの男が……