第92話「追いかけるエルフ」
文字数 2,458文字
石畳が敷かれた、円形の広大なエリアである。
広場からは放射線上に道が延び、その先には様々な街区へと行けるようになっていた。
街に見られるのは人間が殆どだが、エルフ、ドワーフも含め……多くの人々で溢れていた。
広場には毎日市が立ち、様々な店が並び雑多なものが売られている。
資金不足で店を出せない者は、行商人として声を嗄らし、商品の売り込みに必死だ。
「ダーン!!!」
その中央広場に、いきなり響き渡る声。
「何事か?」と人々が振り返れば、紺青色の
若いエルフの女。
とても美しい、育ちの良さそうな女。
さらさらな肩までの金髪。
尖った小さな耳が、「ちょこん」と髪の間から覗いている。
鼻筋が通った端麗な顔立ちには、美しい菫色の瞳が煌めいていた。
肌は、抜けるように白い。
女エルフは……ヴィリヤ・アスピヴァーラである。
ヴィリヤの視線の先には、長身痩躯な
刈り上げてさっぱりした黒髪、黒い瞳を持つ20歳くらいの若い人間族の男だ。
男は……ダン・シリウスである。
大声で呼ばれても、ダンは足を止めない。
「ダーン! ダーン! ダーン!」
ヴィリヤは、再び叫んだ。
しかしダンは、まるで何も聞こえないように歩みを止めない。
「もう!」
悔しそうに叫ぶと、ヴィリヤは改めて走り出した。
エルフ族は他種族に比べて、けして逞しいとはいえない。
肉体的に瞬発力には優れているが、人間やドワーフ族の耐久力や持続力には著しく劣る。
戦士ではない、ヴィリヤのような魔法使いなら尚更だ。
馬車から降りたヴィリヤは、今居る場所まで走って来て、息が切れる寸前であった。
しかし、そんな事に構ってなどいられない。
ダンの歩みは速いが、ヴィリヤに追いかけられて必要以上に速度を上げたりはしなかった。
「はぁはぁはぁはぁ……」
————とうとうヴィリヤは、ダンに追いついた。
ここまで来て遂に、ダンの歩みが止まった。
振り返る。
本当に困ったような表情をしていた。
しかし、ヴィリヤに相手の気持ちを考える余裕はない。
生まれて初めて感じる、身を焦がすような感情をぶつけるしかない。
「はぁはぁ、ダ……ン! わ、私……はぁはぁ……付いて……行きます……よ!」
「…………」
「ずっと!」
「…………」
ヴィリヤの懇願に対して、ダンは相変わらず無言であった。
ただ、ゆっくりと首を横に振っただけである。
そして、「くるり」と踵を返すと、先程まで向かっていた方向に歩き出した。
しかし、歩む速度は先程とは全く違っている。
ゆっくりと……そうまるで亀のような歩みだ。
これなら……
体力がなくなりそうな、今のヴィリヤにも充分付いていける。
嬉々としたヴィリヤが、また歩き出そうとした時、「ポン」と肩が叩かれた。
誰かと思い振り返ると……ヴィリヤと同じくエルフの若い女である。
栗毛の
理知的な顔立ちの中に、目立つのは切れ長の目。
ヴィリヤの部下、ゲルダ・ボータスであった。
「ヴィリヤ様……私は、貴女の副官……ずっと、お供致します」
同行を告げたゲルダの顔は、可愛い妹を助けようとする姉のような慈愛に溢れていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ヴィリヤとゲルダは、ダンから少し離れてついて行く。
暫し歩いた後、ダンは中央広場から遠くない一軒の店へ入って行った。
それも全く躊躇せず。
ヴィリヤが見れば、2階建てで古ぼけた木造建築の店だ。
「英雄亭?」
ヴィリヤが見た通り店の看板には、思い切り下手くそな字で『英雄亭』と書いてあった。
看板は丸太を割って、その表面に焼印を押した武骨な造りである。
「何、このお店?」
エルフの貴族であるヴィリヤは、王都の街中で食事などしない。
当然、このような冒険者や庶民向けの
というか、このような店の存在自体も知らなかった。
店の入り口は大きく開け放たれており、「わあわあ」と喧騒が洩れている。
片やゲルダは、ヴィリヤよりは王都の事情に通じていた。
「確か、食事をする店だと思いますよ」
ゲルダの言葉を聞いて、ヴィリヤは再び英雄亭を眺めた。
普段ヴィリヤは主に屋敷で食事を摂り、昼食だけは王宮で摂る。
こんな店で食べるなど、全くピンと来なかった。
一体、どのような食事が出るのだろう?
まるで想像もつかない。
だから、思わず聞いてしまう。
「ゲルダ……そうなの?」
「はい、このようなお店は冒険者達が好みます。お酒も一緒に楽しめる店です。ダンがここへ来たという事は、何か店と関りがあるのでしょう」
ゲルダの説明を聞いて、何となくヴィリヤは納得した。
勇者ダンを、一人前の冒険者に育てたあげたのは自分だと自負している。
しかし実際にヴィリヤが行ったのは、屋敷の中で、他のエルフの魔法使い達とダンへ魔法を教授。
冒険者ギルドに赴いて、ダンの冒険者登録手続きをしたに過ぎない。
その後ヴィリヤは、ダンの行動を自由にさせた。
王都から離れた、フィリップの直轄地でひとり暮らしのOKを出してそのままだ。
加えて、この王都でダンが、どのような生活をしているのかまでは把握していないのである。
「ダンに? ……そう、確かにそうね。ゲルダの言う通りだわ」
「はい! ここに立っていても仕方がありません。店へ入りましょう、ヴィリヤ様」
「ええ、分かりました。……入りましょう、ゲルダ」
こうして……
ヴィリヤとゲルダの主従は、英雄亭へと足を踏み入れたのである。