第123話「エリンとヴィリヤ①」
文字数 2,579文字
短い気合の声と共に、ダンの剣が一閃した。
否!
正確にいえば、二度の攻撃があった。
あまりの速さに、常人の目にはそう映らない。
大蟷螂の両前足は見事に切り離され、迷宮の床へ落ちる筈だった。
その瞬間。
「ふっ」と、前足は消えてしまう。
ダンが大蟷螂のカマを『回収』したのである。
あの、空間魔法を使って作った収納の鞄へ。
こうして、戦いの目的はおおよそ達成された。
身体を動かせず、ぶるぶると身もだえる大蟷螂。
相手を一瞥したダンは、思いっきり後方へ、跳び退った。
打合せした作戦通り、『撤退』したのだ。
撤退と同時に、念話で指示も為されている。
『今だ! ケルベロス!
冥界の魔獣から、そして火の精霊達から、灼熱の炎が放射される。
ヴィリヤの魔法で身体がカチコチに強張り、エリンの魔法で足元の自由を奪われ、更に最大の武器も奪われた大蟷螂。
最早、全てを焼き尽くす猛火を避ける手立ては残されていなかった。
大蟷螂は、あっという間に消し炭となってしまったのである。
戦いは終わった……
これでダンが無事に戻って来る。
絶対に大丈夫と思いながら、見守っていたエリンとヴィリヤには一抹の不安もあった。
桁違いな勇者であっても、マスターレベルの魔法使いであっても、神ではない。
それ故、全てにおいて完全完璧ではない。
万が一……という事もある。
しかし、今回は大丈夫だった。
今迄あった不安が完全に解消され、エリンとヴィリヤは安堵の息を吐く。
待つふたりを安心させる為に、ダンが手を振っている。
笑顔で手を振っている。
エリンもヴィリヤも応え、大きく手を振り返す。
迷宮に入ってから、エリンとヴィリヤには感じている事がある。
それは自分と仲間の命の確保、生き延びるという実感。
生き延びる為には、戦いにおいて、絶対に勝ち残らねばならない。
そして……
今回も運良く勝ち、全員が怪我もなく、無事生き延びた。
生きようとする命があり、傍らに愛する人の笑顔もある。
人として、一番大切な『もの』を、エリンとヴィリヤは迷宮で学んだのである。
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大蟷螂を退けたダン達は、更に数回戦いを重ねた後、休憩に入っていた。
迷宮において休憩に適した場所はそう多くはない。
例えれば、山城を築く場所に似ている。
敵から攻められ難く、守り易い場所。
少し探して、やっと見つかった。
見通しが良い広々とした部屋の一角……
外部への通路が3つなので、何かあれば退路も確保出来る。
休むダン達の背後には強固な壁があり、前面3方だけに神経を集中すれば良い。
休憩以上に、気を遣ったのはトイレであった。
何せ、用を足す瞬間が一番無防備なのだから。
当然、迷宮にトイレなどない。
安全と思われる場所を見つけ、さっさと済ませるしかない。
魔法等で索敵をしていれば、いきなり襲われる事はないと思うだろう。
だが、いくら索敵をしていても、敵は突如現れる事もある。
転移魔法か、それに準ずる手段なのかは、不明だが……
クランの中で、ダンは平気だ。
ひとり暮らしのせいもあったが、自宅でさえ、『トイレなし』で過ごしていたから。
加えて、冒険者になってからは、何度も迷宮に潜り、慣れてもいた。
問題の女性陣であるが……
まずエリンは覚悟を決めていたし、平気だ。
以前、ダンに見守られながら、畑の片隅で用を足した事もあるから。
だから逆に、ダンに見ていて欲しいとねだった。
片や、ヴィリヤはさすがに抵抗があった。
いくら大好きなダンであってもだ。
用を足す姿など見られたくない!
……かといって、ひとりきりで用を足すのは自殺行為である。
仕方なく、同性のエリンに見ていて貰った。
それがまた皮肉な事に……エリンとヴィリヤの『距離』を大幅に縮めたのである。
3人は生身だからトイレにも行くが、睡眠もとる。
かといって安全上、全員一緒には眠れない。
ケルベロスと火蜥蜴は起きて、番をしていてくれるが……
話し合いの結果、交代で睡眠をとる事となり、先にエリンとヴィリヤが眠った。
傍らで、ダンが見守ってくれていると思うと、危険に満ちた迷宮でもぐっすり眠れたのは不思議であった。
そして今度はダンが眠る事になった。
やがてダンは眠りに落ちた……
規則正しいダンの寝息を聞いたふたりは顔を見合わせて笑う。
そしてダンを起こさないよう、ふたりで話し始める。
何となく、女ふたりで話したくなったのだ。
「ヴィリヤ……」
「何ですか、エリンさん」
話し掛けて来たエリンへ、ヴィリヤは微笑む。
気になる……
一体、何を話して来るのかと。
「さっき蟷螂を倒したダンの剣、二回、見えた?」
「いいえ……私には全く見えませんでした。凄い剣撃の速度ですね」
「そう……エリンには何とか見えたけど……あんな剣は絶対に使えない」
「…………」
ヴィリヤは思う。
自分には見えないダンの剣筋が、エリンには見えていた。
と、いう事は、エリンは相当な腕前の魔法剣士だと。
しかしエリンは、悔しそうに首を振る。
「ヴィリヤ、聞いて……エリンね……もっと強くなりたい」
「エリンさん……」
「ダンには出会った時から、いつも助けて貰っている。このままだと助けて貰ってばっかり」
「……エリンさん、私もそうです」
「だね。だから、ふたりで頑張ろう」
「エリンさん……」
「うん! クラン
ヴィリヤは勇気付けられる。
やはりエリンは前向きだ。
多分、ヴィリヤよりずっと辛い人生を送っているだろうに。
ヴィリヤは軽く息を吸い込む。
そして吐きながら、一気に言う。
告げる言葉に、勢いをつけるが如く。
「貴女を見ていると励みになります」
「え?」
驚くエリンを、ヴィリヤは真剣な眼差しで、じっと見つめていたのであった。