第117話「今度は私が……」

文字数 3,176文字

 後方から感じる、憎しみに満ちた黒い波動と、迷走しそうになっている膨大な魔力の高まり……
 だが、波動はいつの間にか消え、魔力は暴走せず、徐々に治まって行った。
 そして、いつもの……エリンとヴィリヤに……
 ダンには馴染のある、ふたりの気配に戻っている。

 ……ダンは、今起こった一部始終を知っていた。
 悪魔王アスモデウスの手先となり、ダークエルフの一族を殺したオーク共に対する激しい怒りと憎しみから……
 エリンが暴走しかけて、ヴィリヤが必死に止めてくれた事を。
 
 ダンは、エリンから聞いていたのだ……
 数に任せて襲って来た、オーク共が行ったおぞましい殺戮を……
 何と……
 オーク共はダークエルフの女性を犯して殺し、挙句の果てに死体をも犯して、喰らったという……
 もしエリンに『異変』が起きたなら……
 ダンは、オークの群れをケルベロスに任せ、自分が戻るつもりであった。

 だが、不要であった。
 ヴィリヤは、ダンの願いを聞いてくれた。
 聞くどころか、一生懸命頑張ってくれた。

 オークとの戦いに赴いたダンは、それまで厳しい表情をしていたが、「ふっ」と和らぐ。
 ヴィリヤが、エリンを「救ってくれた」事が凄く嬉しい。

 ありがとう、ヴィリヤ……
 本当に良くやってくれた。

 「きゅっ!」
 ダンは軽く唇を噛み締めた。
 急ぎ、念話を送る。

『ケルベロス! 急だけど、予定変更だ。俺達で……敵を殲滅する』

 うおおん!

 ダンの呼び掛けに対し、「全く問題ない!」とばかり、冥界の魔獣が短く吠える。
 「にやり」と笑うダン。
 どうやら咆哮には、返事だけではなく、違う意思も込められていたようだ。

『成る程! お前はそう来るか? じゃあ俺は先に、こう行くぜ』

 ダンはケルベロスへ意思を伝え、魂に軽く力を込める。
 体内魔力が、あっという間に高まって行くのが分かる。
 否、魔力だけではない、傍らで見守る、何者かの『憤怒』も感じる。

「分かっている!」というようにダンが頷く。

『世界の女、全てを犯し喰らおうとする腐れ外道めが。高貴なる空気界王、オリエンスの怒りを存分に受けてみよ』

 ダンの魔力が更に高まる。
 さあ、魔法の発動だ。

(ショット)!』

 ダンの手から「どひゅっ!」と音を立て、一陣の風が放たれた。
 見た目は、大した事のない風だ。
 戦い慣れしたオーク達は、そんな魔法風を怖れてはいない。

 しかし!

 急にダン以外の魔力が発生し、巨大に膨れあがる。
 放たれたダンの爽風は、正体不明の魔力と合わさると、激しく激しく渦を巻き、巨大な竜巻となる。

 竜巻は凄まじい速度で到達し、再びダン達を襲おうとしたオーク共を、すっぽり呑み込んだ。

 ぎゃあああああああああああああああっ!!!!!

 風にまかれたオーク共は生きたまま、全身を容赦なく、無残に切り刻まれて行く。
 そして!
 ダンが風の魔法を放ってから、ひと呼吸。

 今度は、ケルベロスが思いっきり口を開く。
 まるで顔の殆どが、口のようになっていた。
 その口の中……
 鋭い牙が生え、長い舌が踊る真っ赤な空洞に、小さな炎が灯っている。

 かあああああああああっ!!!

 ケルベロスの口から、細く長く紅蓮の炎が放たれる。
 「ごう」と音を立てて、伸びる炎は竜巻に乗り、巨大な火柱となった。
 舞っている、破砕したオーク共の残骸に燃え移る。

 もうこれで、お終いだ。
 「ばちばち」と音を立てて、少し前までオークだったものが燃え盛る。
 あっという間に、塵となった。

 一瞬の出来事。
 ダンとケルベロスは数分もかからず、オークの群れを消滅させていた。

 オーク共が死に、ダンの傍らに居る者の感情が変わっている。
 深い悲しみと、安どの喜びを伝えて来た。

 再び、ダンは頷く。
 否、深く頭を下げていた。

『オリエンス……お前もエリンを労り、ヴィリヤを好きになってくれたのか……ありがとう』

 ダンが静かに、念話でそう言った時。
 先ほど、エリンとヴィリヤを包んだ穏やかな風が……
 彼の頬を「そっ」と撫でたのである。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

『ダン……ヴィリヤが……』

 ダンとケルベロスが戻った時、エリンは困惑していた。

 戦いはとうに終わったというのに……
 ヴィリヤはエリンを抱きしめたまま、まだ泣いていたのだ。

 泣きじゃくるヴィリヤを見た、ダンの顔が優しくなる。
 エリンにだけ念話で告げて来た。

『エリン、悪いが少しだけ……そのままにしておいてやれ』

『うん、分かった……でも、ごめんね……エリンのせいで……作戦、失敗しちゃった』

 さすがにエリンは認識していた。
 自分が暴走しかけたのをヴィリヤが懸命に止めてくれた事。
 そして『作戦』が台無しになった事を……

 しかし、ダンは首を横に振る。

『全然構わん。予定は所詮未定さ、全く不確実なものなんだ』

『…………』

 無言で項垂れる、エリン。
 彼女の頭を「ポン」と軽く叩くダン。

 そんな事より、ダンは伝えたい事がある。
 とても大事な真実を。

『それより、エリン。……これがヴィリヤの素だ……彼女の本当の姿なんだ』

 今、エリンに抱きつき、泣いているのが、本当のヴィリヤ……
 エリンの心の中で、ダンの言葉がリフレインされていた。

『…………』

『お前の本質も、ヴィリヤの本質も俺は知っている』

『…………』

『ダークエルフとエルフ……種族なんか関係なく、お前達はお互いに正面から向き合え、慈しめ合える……いつかそんな日が来ると、俺は信じている』

 ダンの言葉も気持ちも分かる。
 エリンにだって分かる。
 誤解していた……
 ヴィリヤは、とても良い子だった。
 我を失ったエリンを、しっかり守ってくれた。
 嘘偽りなく、己の身体を張って。

 しかし長年、エリンにしみついた種族間の確執は簡単には消えない。
 それは……ヴィリヤも多分同じであろう。

『…………エリンには分からない』

 果たして……エリンが正体を明かし、ヴィリヤと分かり合えたとしても……
 ダークエルフとエルフ、全体の間柄は……どうなるのだろう?
 エリンは自問自答したが、答えは出ない。

 悩むエリンに、ダンが助け舟を出してくれる。

『いいさ、焦るな。駄目だったら、駄目でも良い』

『……分かった。でもダン、ひとつだけ、はっきりしてる』

『ほう、何がはっきりした?』

『うん! 今度はね、エリンがヴィリヤを守る! とっても大事なクランの同志……なんだもの』

 エリンの言う通りかもしれない。
 ダンはそう思う。
 不確定な未来の行く末で悩むより、目の前の確かな絆を信じた方が良い。

『そうか! 偉いぞ、エリン。ならば今度、ヴィリヤが辛い思いをした時に……お前が支えてやれば良い』

『だねっ! そうするっ! 絶対にそうするっ! エリンはヴィリヤを守るよっ!』

『じゃあ……エリン……今度はお前から、ぎゅっとしてやれ』

『うん! 分かった』

 ダンの言う事は分かる。
 今のエリンは、一方的に抱かれただけ。
 ヴィリヤを、抱いてはいなかったのだから。

 なのでエリンは、手を「そっ」とヴィリヤの背中へ伸ばす。

「!?」

 ぴくり!
 エリンに優しく抱き締められ、ヴィリヤの身体が反応した。
 驚いて、閉じていた目を大きく見開いたヴィリヤが……エリンを見る。

「え?」

 ヴィリヤは更に、驚いてしまった。
 目を閉じて自分を抱くエリンは、慈母のような微笑みを浮かべていたのである。
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登場人物紹介

☆ダン・シリウス

本作の主人公。人間族の男子。

魔法、体術ともに圧倒的な強さを誇る魔法使い。

特に火と風の魔法を得意とする。

飄々とした物言いだが、性格は冷静沈着、情に厚い部分も。但し、女性に対しては基本的に奥手。

召喚された異世界で、創世神の神託が出る度、世界へ降りかかる災いを払う役目を負わされた。

だが王都暮らしを嫌い、一旦役目を果たせば、次の神託まで、普段は山里に隠れるように住んでいる。

ある時『世界の災厄である悪魔王』を倒す仕事を請け負い、絶体絶命のピンチに陥ったエリンを、偶然に助けた。

☆エリン・ラッルッカ

地の底深く暮らす、呪われしダークエルフ族の王女。地の魔法の使い手。

突如、攻めて来た悪魔王とその眷属により、父と一族全員を殺される。

しかし、悲しみに耐え、前向きに生きると決意。

絶体絶命の危機を救ってくれたダンと共に、地上へ……

ダンの自宅へ強引に『押しかけ』た。

☆ヴィリヤ・アスピヴァーラ

エルフ族の国、イエーラから来た、アイディール王国王宮魔法使い。

水の魔法の使い手。エルフ族の長ソウェルの孫娘。

ダンを異世界から、『勇者』として召喚した。 

傲慢な振る舞いを、ある日ダンからたしなめられ、以来熱い想いを抱くようになる。

☆ニーナ

人間族の国アイディール王国王都トライアンフ在住の女子、ビストロ英雄亭に給仕担当として勤める。孤児であり、両親は居ない。双子の兄が居たが、ある迷宮で死んだらしい。

以前店で仕事中、ガラの悪い冒険者に絡まれた。だが、ダンに助けられ、彼に片思い状態である。

☆ベアトリス・アイディール

アイディール王国王女にして、創世神の巫女。

ある日突然、巫女の力を得ると共に、身体の自由を殆ど失い、更に盲目となった。

ダンに神託を与え、世界へふりかかる災厄を防ぐ。

巫女として役目を果たす事に生き甲斐を感じながら、自らの将来に対し、大きな不安を抱えている。

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