第110話「ふたりで課題を」
文字数 2,565文字
一体どこの、誰が設置したのかは不明だが、魔導灯があちこちに備え付けられていた。
ちなみに魔導灯とは、魔力により生み出される灯りを、半永久的に保つ魔道具だ。
迷宮初心者にとっては、大変重宝し、ありがたいものである。
真っ暗闇の中で探索をする際、松明などを使わずに済むからだ。
その魔導灯が、ダン達と迷宮の古びた石壁を淡く照らす中……
鼻を「ひくひく」させながら先頭を歩くのは、ダンが召喚した冥界の魔獣ケルベロスである。
現在ケルベロスは、冥界に居る時の真の姿を見せてはいない。
ダンの家に居るのと同様、真っ白な普通の犬に擬態していた。
だが風貌は段違いにワイルドであり、普通の可愛い犬というよりはどちらかというと獰猛な狼に近い。
「ううううう」
いきなり、ケルベロスが唸る。
しかし、魔導灯が照らす前方には何もいない。
どうやら、少し離れた位置に居る敵をキャッチしたようである。
3人のうち、索敵に長けたダン、気配読みに長けたエリンも既に敵を認識していた。
しかし表層という場所柄、たいした敵ではないらしく、ダンもエリンも慌てた素振りは見せない。
やがて、ダンが敵の正体を見抜くが……苦笑した。
念話で、エリンとヴィリヤへ伝える。
『ふむ、これは……スライムだな』
『スライムって、何? この弱い気配が、そうなの? 旦那様』
先程からエリンは、ダンに対し、旦那様と呼ぶ事を徹底している。
今回の迷宮探索では、ヴィリヤと折り合うように言われて従っているものの……
自分はれっきとしたダンの妻である、その厳然たる事実を改めて強調する、せめてもの抵抗といえる行為なのだ。
『ああ……そうか、エリンはスライムを知らないのか』
思わずつぶやいたダンの言葉を聞き、ヴィリヤは驚く。
『え? そうなの?』
ヴィリヤは違和感を覚える。
そもそも……
スライムはこの世界のどこででも見られる、最弱な魔物のひとつである。
ゼリーのような身体を持つこの魔物は、とてもありふれた存在であり、人間でもエルフでもどんな種族の子供でも知っているくらいだ。
先程聞いた話によれば……
エリンは先日、冒険者ギルドの認定試験を受け、ランクDに認定されているという。
中堅以上の冒険者と言い切って良い。
そんな実力者がスライムを知らない?
一体、どこの出身なのか?
ダンと会うまで、エリンは一体どんな暮らしをしていて、何と戦う経験をしたのか?
考えても考えても……分からない。
思い浮かばない。
ヴィリヤはもう、本人へ聞かずにはいられない。
『エ、エリンさん、貴女って、本当にスライムを知らないの?』
『うん、知らない!』
『…………』
きっぱり言い切られてしまった……
絶対おかしい、納得がいかない。
訝し気な表情で、黙り込んだヴィリヤへ、ダンは言う。
『多分……エリンの育った土地には……スライムが居ないんだろう』
彼の目を見ても、嘘を言っているようには思えない。
と、いうか……
ヴィリヤは、ダンが真実を述べていると信じたい。
『え? ダン、冗談でしょ? そんな場所って、この世界に存在するの?』
『いや、ヴィリヤ、俺が言ったのは冗談じゃないぞ。確かに存在する』
ダンが言った事は、確かに冗談ではない。
エリンの居た地下世界には、スライムが居なかったと聞いているからだ。
そして地上のダンの家へ来てからは、たまたまだが、未だにスライムとは遭遇していない。
ヴィリヤは思う。
ダンの口ぶりからすると、エリンがどこでどう暮らして来たか知っていると。
そこがもしも、スライムの居ない世界であるならば、一体どのような場所なのだろう?
知りたい、知りたい……ぜひ知りたいっ!
元々ヴィリヤは、ヘビーな知りたがり屋なのだ。
『ダン、教えて! ど、どこ?』
だがヴィリヤの願いはあっさり却下された。
『それは、内緒だ。ヴィリヤが、もう少しエリンと仲良くなったら、ちゃんと教えてやるさ』
『ええっ、そ、そんなぁ! 意地悪!』
残念がるヴィリヤ。
これは……意地悪ではないというか、ダンの希望する夢でもある。
エリンとヴィリヤがこの探索を通じて、心を許し合える仲になれば……
創世神教の熱心な信者であったニーナが、エリンを受け入れてくれたように……
宿敵であるエルフのヴィリヤも、エリンを受け入れてくれるかもしれない。
いや、絶対に受け入れてくれる!
ダンは旧き言い伝えなどより、ヴィリヤの知的さと聡明さを信じたいと願っていたのだ。
しかしこの問題はデリケートだ。
……焦りは禁物だろう。
絶対、慎重に行かねばならない。
そんな思いを込めて、ダンは言う。
『ははははは、お前達がお互いの事をもっと良く知れば、クランの連携も上手く行く』
『…………』
『…………』
黙って見つめ合うエリンとヴィリヤ。
表情はお互いに複雑だ。
エリンは、相手が宿敵のエルフとはいえ……
忌まわしい言い伝えが大きな誤りだと認識され、払拭されて欲しいと願う。
片やヴィリヤは……人間に擬態したエリンの正体を知らない……
エリンはダンの妻……その『玉座』に対する羨望だけがある。
嫉妬が、大きく心を染めている。
と、その時。
「うおおん!」
犬……否、ケルベロスが大きく鳴いた。
先ほど察知した敵が、クランへ接近したのを告げたのだろう。
『丁度良い。エリンとヴィリヤ、いい機会だ。冒険者としての課題を与える』
『え? 旦那様、課題?』
『ダン、課題って何?』
『うん! ふたりきりで敵を掃討してくれ。魔法でも体術でも良い。考え、相談して連携するんだ』
『え? だ、旦那様!』
『ダン!? 私達だけで?』
吃驚して、大きく目を見開いたエリンとヴィリヤ。
『…………』
ダンは無言でふたりを見つめると、肯定する返事の代わりに、大きく頷いたのであった。