第120話「価値観」
文字数 2,978文字
ヴィリヤの怒りは凄まじかった。
今迄、ダンにも見せた事がないものだ。
このように……誰にでも逆鱗は存在する。
逆鱗とは、竜の顎の下にある逆さに生えた鱗である。
ここでいう竜は伝説の神獣。
普段は大人しい性格で、人に害を為す事はないらしい。
しかし!
81枚ある鱗の中で、逆鱗に触れるのだけは禁物なのである。
もし触れれば、竜は激怒し、触れた者を容赦なく殺すというのだ。
エリンの逆鱗は……
一族を惨殺した悪魔と、オークを始めとしたその眷属。
そして、ヴィリヤの逆鱗は……
敬愛する祖父と自分の拠り所である旧き家……
それを貶められた……
謎めいた存在から、ふたつの大切な宝物を貶められたから。
「あいつ、殺すっ!! ぶち殺すっ!!!」
ヴィリヤの怒声が、迷宮に響き渡る。
ダンはエリンを見た。
先程の『約束』を履行するよう促したのである。
ダンとエリンが交わした約束……
それは我を失ったエリンを助けたヴィリヤが、辛くなった時に……
逆にエリンが支えてやるというものだ。
だが、エリンは首を横に振った。
とても辛そうな表情である。
首を振ったのは、「これだけは、出来ない」という意思表示だ。
悔しそうに、歯を噛み締めている。
ダンは知っている。
エリンは真っすぐ過ぎる性格で、約束はしっかり守る。
しかし、『これ』だけは駄目だ。
今のヴィリヤを支える為には、エルフの一族を認めなくてはならない。
素晴らしいと、称えなくてはならない。
ダークエルフがエルフを「認め、称える」など……出来ない。
ダンは微笑み、頷く。
これまでの経緯から、エリンが拒否したのは、仕方がないと思ったのだ。
エリンが、エルフ――アールヴ一族全体を受け入れる為には……
納得させる理由が、もっともっと必要である。
ヴィリヤひとりの献身くらいでは、全然足りないのだ。
こうなったら……
エリンに代わって、ダンがヴィリヤをなだめ落ち着かせるしかない。
そのヴィリヤは悔し泣きをし、地団駄まで踏んでいた。
「ダンっ! 悔しいよう! 腹が立つよう!」
「そうだな、ヴィリヤ」
「そうよっ! お祖父様は私の誇りなのよっ! 日々、皆の為に働いてるっ、ろくに寝ないで働いていらっしゃるのっ!」
「…………」
「アールヴの為にっ! そして人間の為にもっ! お祖父様はっ! み、身を粉にして働いていらっしゃるわっ!」
「…………」
「それを知りもしないでっ! あいつに、何が分かるというのっ!!!」
ヴィリヤが、ひときわ大きく叫んだ瞬間。
「済まない」
届いた謝罪の声。
ハッとしたヴィリヤが見れば、ダンが頭を下げていた。
傍らのエリンも、吃驚して見守っている。
「え? ダンが? 何故謝るの?」
戸惑うヴィリヤが尋ねると、
「いや、俺もお前の祖父がどのような方か、知らないからな」
ダンが祖父を知らない?
そんな!
ヴィリヤは、ダンへ何度も話した筈だ。
祖父ヴェルネリ・アスピヴァーラの素晴らしさを。
アールヴ史上、最強と謳われる英雄の事を。
「ええっ!? だ、だって話したでしょ、私からっ!」
「ああ、お前からは聞いた。だが実際に会った事はない」
「う…………」
……ダンの言う通りだ。
確かに祖父とダンは会った事がない。
いつか引き合わせようとは思っていたが……
「だから、この迷宮の探索が終わったら、会おう。そしてお前の祖父と話そう」
「そ、それって…………」
「お前が誇りにする祖父。アールヴのソウェルに、俺は会ってみたくなったからだ」
「…………」
ダンが祖父ヴェルネリと会う。
一族の長ソウェルと会う……
もしかしたら……何かが起こる。
ヴィリヤは、そんな予感がした。
期待、そして不安……
そう思ったヴィリヤが見れば、ダンの表情は……変わらない。
淡々と話している。
「会えば、俺は俺の見方をして判断もする。お前の祖父に対する認識が出来るだろう」
「ダンの見方、判断……認識」
「お前が祖父を敬愛するのと、全く同じにならないかもしれないが……少なくとも今よりは理解が出来る筈だ」
「…………」
確かに、論より証拠……
祖父に会わせたい!
ヴィリヤがそう思った瞬間。
ダンが一転、悪戯っぽく笑う。
「うん! 多分、悪い人じゃない……俺の勘がそう言っている」
「多分? 悪い人じゃないって!? 酷い! お祖父様は優しいし、素晴らしい人なのよっ!」
「ははは、期待しているよ」
「もう何よっ!」
ヴィリヤは拗ねながら、嬉しい。
やはりダンと話すのは楽しい。
大好きなダンと、もっともっと話していたい。
謎の存在により損なわれた機嫌は、もう完全に直っていた。
ここでまた、ダンが真面目な顔付きとなる。
「ヴィリヤ」
「何?」
「物事はな、いろいろな人が見ると、違った趣きになる場合がある。そうなると違った考え方が生じて来る。それが価値観の違いに繋がる」
「…………」
ダンはまた何かを教えてくれそうだ。
ヴィリヤの表情も真剣になる。
「例えれば……そうだな、狼と兎なんてどうだ?」
「狼と兎?」
何だろう?
唐突に?
ヴィリヤは、怪訝な眼差しを投げる。
対してダンは、
「おお、そうだ。狼から見れば兎は単なる食料、つまりは餌。逆に兎から見れば狼は怖ろしい敵」
「ええ、そうね。兎は増えすぎると困るけど……可愛いわ」
「狼はどうだ?」
「狼は怖ろしいわ……群れで襲って来る……下手をすれば殺されるわ。私は大丈夫だけど……」
そう……
狼は怖ろしい肉食獣だ。
だがマスターレベルの魔法使いならば、単なる獣。
所詮、敵ではない。
「そうだな、俺もヴィリヤと同じだ。しかし狼を強さの象徴として称える者も居る。彼等から見たら、狼は神か英雄に等しい。俺達と見方が全然違う」
「……そ、そうかもしれない」
「ならば、分かるだろう? さっきのあいつも一緒さ」
「え? だ、だって……」
納得がいかない!
何故狼と兎の話と、さっきの『あいつ』が同じなのだろう?
そんなヴィリヤの疑問に、ダンは答えてくれる。
「同じさ。多分、あいつにはあいつのアールヴに対する見方がある。俺は奴がそう考える根拠が知りたい。それがこの迷宮の謎を解明する事に繋がると思う」
「迷宮の謎を解明……もうひとりのソウェルが居るって事も?」
「ああ、冒険者達の失踪にも絡んで来るだろう……絶対にそうだ」
「分かったわ……私も、知りたい……ダンが知りたい事は私も知りたい」
ダンを見て、うっとりするヴィリヤ。
そんなヴィリヤを見て……
エリンは複雑な感情が湧き上がる。
ダンの話が、迷宮探索の鍵になると納得しながら……
妻として、ヴィリヤに対する嫉妬、そして……
ダンがアールヴの長に会ったら、果たしてどうなるのか?
という、大きな不安が混在していたのである。