第87話「王女の願い」
文字数 3,521文字
長年悩まされた『力仕事による腰痛』が、まるで手品のように解消されたのだ。
気が付けば、腰だけではなく体調も良いようである。
驚きのあまり、パトリシアの目がまん丸になっていた。
喉の奥が見えるくらい、口をポカンと開いていた。
パトリシアの
そのギャップがやけに面白くて、ヴィリヤはつい笑ってしまう。
「うぷぷ……」
「んまぁ! ヴィ、ヴィリヤ殿! な、何が面白いのですか?」
パトリシアは、『娘』から笑われたと知って、ヴィリヤを軽く睨んだ。
「い、いえ……別に」
「何が別にですか?」
「お~い」
惚けるヴィリヤを睨むパトリシアへ、ダンは軽く手を振った。
驚いたパトリシアがダンを見ると、何と片目を瞑っている。
剽軽な表情をするダンを見て、パトリシアも思わず吹き出してしまう
機嫌が良くなっているのは、ダンの魔法による腰痛の改善や体調良化だけが原因ではない。
礼儀知らずで野蛮な最低男だと思っていたダンの、さりげない優しさに触れたからである。
「さあて時間も無いですし、そろそろ今日の用件である謁見をお願いしたいものです。もういいかげん、ベアトリス様もお待ちかねでしょう? パトリシア様」
いきなりダンは、しっかりとした敬語を使った。
丁寧な言葉遣いを聞いたパトリシアは、満足そうに微笑む。
「ふ! 宜しい、勇者殿、合格!」
勇者殿。
これは、パトリシアのさりげない『仕返し』であった。
ダンが『勇者』と呼ばれると、凄く嫌がるのを知っているのだ。
しかしダンも、『その程度』で怒ったりはしない。
「おお、さすがに反撃されたかな?」
軽口を叩くダン、そしてパトリシアも惚ける。
「ふふふ、反撃とは? 一体何の事でしょうか?」
「うふふ」
ヴィリヤは、注意されたのにまたも笑ってしまった。
笑ったのは、ふたりのやりとりが面白いのは勿論、いがみ合う人間も簡単に理解しあえるという事実に嬉しくなったからである。
「ではヴィリヤ殿、ダン殿、すぐにベアトリス様をお連れ致します。暫しの間待つように……」
パトリシアは、「ピッ」と背筋を伸ばして優雅に一礼する。
そして、出て来た部屋……すなわちベアトリスの私室へ引っ込んだのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
控えの間に残された、ダンとヴィリヤは何となく手持ち無沙汰だ。
しかしヴィリヤは、ダンともっともっと話したかった。
当然だが、先程のように『痴話喧嘩』ではなく。
「ダン……」
「おお、何だ?」
「貴方がパトリシア様へかけた治癒魔法ですけど、凄い……魔法ですね」
「大したことないさ」
「…………貴方はやはり素晴らしいです」
「よせやい……お前が召喚した時には、俺が馬鹿だの、不細工だの言っていただろう?」
「御免なさい、本当に……私は子供でした。世の中が何も分かっていませんでした」
「じゃあ、今もまだまだ子供だろう」
「も、もう! 意地悪!」
と、その時。
木の車輪が、絨毯を噛む音がする。
これは、ベアトリスが乗った車椅子の音である。
ダンが目配せして、ふたりはいつものように跪いて出座を待った。
やがて……ベアトリスが現れる。
18歳になったばかりの、長い金髪を持つ少女はあどけない笑顔を浮かべている……
そしてダンとヴィリヤを、視力が失われた美しい碧眼の瞳で見つめていた。
切れ長の目に、すっと通った鼻筋。
薄い桜色の唇。
大人の女性になりかけた美しい少女。
ベアトリスは、兄弟でも国王の長兄ではなく、次兄の宰相フィリップに似ていた。
アイディール王国随一の貴公子と呼ばれたフィリップは、端正な顔立ちをしたイケメンなのである。
木目の風合いを生かした豪奢な車椅子を、笑顔のパトリシアがゆっくり押している。
車椅子は跪いたダン達からほんの少し離れたところで止められた。
まずは、王宮魔法使いであるヴィリヤが挨拶をする。
「ヴィリヤ・アスピヴァーラ、参りました」
続いてダン。
「ダン・シリウス参りました」
跪いたふたりから挨拶を受けたベアトリスは軽く会釈する。
「今日は良く来てくれました、ヴィリヤ、そしてダン」
「はい! 王女様にはご機嫌麗しゅう」
「お元気そうで何よりです」
「ふたりとも……今回も良くやってくれました。怖ろしい災厄を退けてくれた事を創世神様の巫女として、アイディール王国の王女として感謝し、礼を言います」
「ははっ、ありがたき幸せ」
「次回もまた全力を尽くします」
ヴィリヤは畏まり、ダンは笑顔で返した。
ベアトリスに対して敬意を持ちヴィリヤが接するのは、単に王女だからではない。
エルフも敬う、創世神の巫女だからだ。
ダン達の言葉を、厳かな表情で「ふむふむ」と聞いていたベアトリスであったが……
何と!
「というわけで、固い挨拶は……終わりね。さあて楽しく話すわよ」
一転!
いきなり砕けた、王女らしからぬ話し方になったのである。
そんなベアトリスを、侍女のパトリシアが窘める。
「ベアトリス様!」
しかしベアトリスは、『どこ吹く風』とでも言わんばかり、華麗にスルーした。
「うふふ、私が元気って言ったわね。だけど、もっともっと元気に出来る方法があるわ、ダン」
「成る程、何か、お考えですかね」
「ええ、素晴らしい方法を考えたわ」
今迄にダンはヴィリヤを伴い、数回この王女には会っていた。
いろいろと話してみると、ベアトリスはざっくばらんなやりとりを望んでいると知った。
かと言って、ダンやヴィリヤがいきなりフレンドリーな話し方をするわけにはいかない。
だからベアトリスは、自分の方から『砕けた言い方』をするのだ。
今日もまた、同じであった。
最初の挨拶だけは、形式に乗っ取った家臣としての挨拶をさせたが……
ベアトリスの方から、気さくな雰囲気で切り出したのである。
ヴィリヤは、そんなベアトリスが好きである。
同じ姫であっても、自分にはない飾らない大らかな態度が好ましい。
「ベアトリス様をもっとお元気にする、素晴らしい方法……ですか?」
首を傾げて尋ねたヴィリヤに対して、ベアトリスは悪戯っぽく笑う。
「うふふ、そう! だから、お願いがあるのよ、ヴィリヤ」
お願い?
何だろうと、ヴィリヤは思う。
だけどここは、聞き入れるしかない。
「はい、なんなりと」
「ダンと話したいから、外してくれる?」
外す?
何を?
ヴィリヤは先程のパトリシア同様、驚いて目を丸くする。
「は? ……ええっ! は、外すとは?」
「言葉通りよ。ダンと話す間、貴女はゲルダと一緒に別室で待っていてくれる?」
「ええっと!? そ、それは! し、しかしっ!」
「お願いします!」
有無を言わさない、ベアトリスの態度。
強い口調の王女に、ヴィリヤは従うしかなかった。
「はっ、はい! か、かしこまりました……」
元気なく俯くヴィリヤへ、澄まし顔のパトリシアが言う。
「ヴィリヤ殿。ではネリーを呼びますから、ゲルダ殿が待機している部屋へ案内させましょう」
ネリーというのは、パトリシアの部下である、若い王女付きの侍女である。
ヴィリヤを案内させる役目を、申し付けるのだろう。
しかし!
ベアトリスは、鋭い声で制止する。
「ちょっと待って! パトリシア、貴女もよ。他の侍女達と一緒に下がって頂戴」
「んまぁ! ベ、ベアトリス様!?」
パトリシアは、驚いてしまう。
お付きの、自分達までもが部屋を出る?
そうなったら、ベアトリスはダンとふたりきりになってしまうではないか。
高貴な王女。
加えて、嫁入り前の少女が、男とふたりきり。
パトリシアには、絶対に受け入れられない。
しかし、ベアトリスは用意周到であった。
「フィリップお兄様にちゃんと許可は取ってあります。私とダンはふたりきりで話します」
「えええっ!」
「んまぁ! そ、それは!」
兄である、宰相フィリップの許可を得ている?
ベアトリスの取り付く島もない態度に、王宮魔法使いと侍女頭は項垂れるしかなかったのだ。