第98話「ダンの予感」
文字数 2,883文字
一挙手一投足を全て!
ダンが、厨房へ入ってから少し時間が経った。
ヴィリヤは思う。
何故、『勇者』が皿洗いをするのかと。
自分と一緒に暮らせば、そんな雑用は全て使用人にやらせる。
勇者と自分には、もっと大事な仕事がある。
この世界を救うという大命が。
ヴィリヤは、更に想像する。
エルフの姫である自分と、異世界から呼び出した勇者ダンが結ばれる。
結ばれた瞬間、何かが起こる。
そんな予感がするのだ。
と、その時。
血相を変えたダンの妻のひとり——確かエリンと言った少女が厨房へ入って行った。
そしてもうひとりの妻ニーナも厨房へ入って行った。
何か、波動のざわめきを感じる。
詳しくは分からないが、何か胸騒ぎがする。
まもなく……
ダンとエリンが、慌ただしく厨房を出た。
そして、店の奥へと引っ込んだのだ。
ゲルダが、僅かに眉をひそめる。
「ヴィリヤ様……どうやら、何かあったようですね」
「ええ……どうしたのかしら?」
「私達は、すぐに動けるようにしましょう」
「分かったわ」
まもなく、ダンとエリンは出て来た。
何と!
身なりが変わっている。
着替えて、来たらしい。
ふたりともしっかり、革鎧を着こんでいたのである。
ふとゲルダは、視界の中にある人物を認めた。
ダンの、もうひとりの妻ニーナである。
厨房から出て来たニーナは、何事もなかったかのように仕事へと戻っていた。
不明な状況を確認するには彼女に聞くのが良いと、ゲルダは判断したのだ。
手を挙げたゲルダを認めて、ニーナはすぐにやって来た。
一見、給仕担当を呼ぶ客の自然な行為である。
ゲルダは開口一番。
「どうしたの?」
どうしたの? と聞かれたニーナは迷う。
何を聞かれたかは、分かっている。
エリンから聞いて、目の前の『エルフのお姫様の気持ち』も分かっている。
だから、どう答えれば良いか迷う。
「何がでしょう?」
「何がじゃないわ。ダンとエリンさんが外出するじゃない」
「ええと……ちょっと……」
つい口籠るニーナを見て、ゲルダにはピンと来た。
やはり、何かが起こっているのだ。
「ゲルダ、ダンが出てしまうわ」
「分かりました、私達も出ましょう、ヴィリヤ様」
「あ、あの……」
「ニーナさん、これで足りるわね、お釣りは要らないから」
ゲルダがテーブルの上に1枚置いたのは、ただの金貨ではない。
煌めくそれは、たった1枚が金貨100枚※(※約100万円)に相当する『王金貨』であった。
釣りが要らないなんて、さすがに多すぎる。
「ええっ、これでは頂き過ぎです!」
立ち上がって、既に走り出したヴィリヤ。
慌てる
「構わないわ! お客さんへ出したダンの奢りのワインも、これで払っておいてくれる?」
「え?」
「うふ、お酒とお料理美味しかったわ、私達、また来ます」
驚くニーナを他所に、ゲルダは悪戯っぽく笑うと、片目を瞑ったのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ダンとエリンは、急ぎ足で街中を歩いて行く。
ヴィリヤ主従も、ダン達を見失わずに済んだので、若干の距離をとって後をついて行く。
ダンとエリンは、ヴィリヤ主従が後を追って来るのを当然認識していた。
しかし今は、クラン
まずは、冒険者ギルドへ行かなくてはいけない。
先程より、ダンの歩く速度は速い。
段違いに速い。
歩くというより、走るのに近い。
傍らのエリンも、全く同じ速度で歩いていた。
一方のヴィリヤ主従。
魔法剣士であるゲルダの方が、ヴィリヤよりも遥かに身体を鍛えている。
主である事もあり、ゲルダはヴィリヤを気遣う。
先程飲んだワインも影響して、ヴィリヤは辛そうだ。
しかし英雄亭から、冒険者ギルドはさほど離れてはいない。
まもなく冒険者ギルドの建物が見えて来る。
広大な敷地の中に建つ、5階建ての大きな建物。
正面の門では、金属鎧を纏ったふたりの屈強な門番が、いつものように出入りする人間をチェックしていた。
ダンはこの前同様、無言で手を挙げると、門番達はスルーで通す。
ヴィリヤ達は一旦止められたが、冒険者ギルドにエルフの冒険者は多数登録している。
人種的に違和感がないのと同時に、ゲルダが身分証を提示する。
門番達に、王宮魔法使いとその副官を、拒む理由などありはしなかった。
確認に時間を要しなかったので、ヴィリヤとゲルダは急ぎダン達を追う。
ギルド内に入ると、ダンは係員へ何か申し入れをしていた。
ここまで来たら、直接話した方が良い。
だがヴィリヤは、臆していた。
ダン達に、ついて来たのはいいが……
これからどう行動したら良いのか、分からないのだ。
ゲルダは、ヴィリヤを可愛く思う。
主でありながら、やはり妹のように感じる。
「あ!」
ヴィリヤが声をあげたのは、ゲルダが手を強く掴んだから。
戸惑うヴィリヤを、ゲルダは「ぐいぐい」引っ張って行く。
ギルドの、職員と話しているダンへ声を掛ける。
「ダン!」
ゲルダの、声を聞いて振り向くダン。
少しだけ、笑っている。
「おう……やっぱり来たか」
「もう! この人達ったら!」
声を掛けたゲルダを、ダンは澄まして、エリンはふくれっ面で返す。
エリンの態度を見たヴィリヤも……渋面だ。
微妙な雰囲気だが、ゲルダは構わず問う。
「ダン、何かあったんでしょう? もし良かったら協力するわ」
しかし、ダンが返事をする前にエリンが大声で遮る。
「要らない! エルフの協力なんか!」
エリンの声には、苛立ちと敵意が籠っていた。
ゲルダは、大袈裟に肩を竦める。
「私達、エリンさんに……嫌われているみたいね」
ゲルダの呟き……
エリンは、その言葉にも敏感に反応する。
「当然でしょう! ダンを追いかけて、勝手に英雄亭に来て、またこんな所までついて来て! 貴女達は全く関係ないんだもの」
エリンは、怒っていた。
我慢にも限度がある。
他人の生活に入り込むエルフは、何てずうずうしいのだと思う。
「俺達には全く関係ないか……確かにエリンの言う通りだな」
「そうでしょう!」
しかしダンは、何やら思うところがあるようだ。
「だが……協力する、か……良いだろう。一緒に話を聞いて貰う」
エリンは吃驚した。
何故、無関係なエルフを、わざわざ巻き込むのかと。
「ダン!? ど、どうして?」
「エリン……今回の件は禍を転じて福と為すかもだ。そんな気がする……俺に任せてくれ」
エリンが非難の目を向ける中で、ダンは謎めいた言葉を返したのであった。