第95話「エルフの反省」
文字数 3,111文字
「ふざけるなよっ!」
己の価値観しか見えないヴィリヤが、自ら踏んだ『地雷』が爆発。
英雄亭の店内に、客の怒号と殺気が充満した。
「昼間、酒を飲んで何故悪い! 俺は夜に仕事をしているんだ。英雄亭で一杯飲んでからぐっすり寝る。そしてまた仕事。よ~く聞け、エルフ。仕事への活力の為に飲んでいるんだ」
「そうだ、そうだ! 俺なんか2週間ず~っと昼夜休みなしで働いていたんだ。また今夜半から仕事だよ。今、少し飲むくらい何故悪い」
しかし、ヴィリヤも気が強い女である。
簡単には負けなかった。
「そんな事、私には関係ありません。あなた方も客なら私もお客。周りへの迷惑を考えるようにという忠告です」
時と場合によっては、正論かもしれない。
しかしこの英雄亭では、言い掛かりでしかない。
客達の、怒りのボルテージは上がって行く。
「いらね~よ、そんな忠告!」
「余計なお世話だ、馬鹿エルフ」
「何ですって! そもそも、あなた方が……」
拳を振り上げて、客へ反論しようとしたヴィリヤ。
と、その時。
言葉が、突然途切れる。
ダンが『沈黙』の魔法を使ったのである。
ヴィリヤの言葉を継ぐように、ダンが叫ぶ。
「皆さん、申し訳ない!」
大きな声で謝る調理服姿のダンに、店内の注目が集まる。
「いろいろ行き違いがある。ここは俺が謝罪するから許して欲しい」
店内には、一瞬の沈黙が訪れた……
しかし!
「ふざけるな!」
「そのエルフに土下座させろ! 御免なさい、もうアホな事は言いませんと、しっかり謝罪させるんだ」
「いくら、ダンが謝っても駄目だ!」
再び、客達の怒号が満ちる。
彼等の怒りは、収まっていないようだ。
大喧噪の中、ダンは動じていない。
深く頭を下げる。
暫し経って顔を上げると……今度はにこやかな表情で店内を見渡した。
「まあまあ、皆さん、落ち着いて! お詫びにこちらのエルフ女性から高級ワインの大樽を提供します」
興奮状態な客達の耳へ、喜ばしい提案が入る。
「えええっ!」
「提供って? タダで?」
「飲み放題って事?」
英雄亭へ来る客は、『量をたくさん』飲みたい客が殆どだ。
その為に、安い酒を何杯も飲む。
だが、無料で上質のワインが飲める?
それも好きなだけ?
客達の怒りは、何とか鎮まった。
更に、ダンの言葉が彼等の機嫌を180度変えてしまう。
「ええ、最後の一滴まで飲み干して下さい。大樽が空になるまで思う存分に飲んで下さい」
「大樽だって? うおお、やったぁ!」
「タダだぞ、徹底的に飲むぞ!」
「ワイン! ワイン!」
英雄亭の空気は、一変した。
殺伐とした雰囲気が、がらりと変わってしまったのだ。
魔法の発動により、言葉を奪われて立ち尽くすヴィリヤ。
危ない発言をして、襲われそうになった主を守ろうと立ち上がりかけたゲルダ。
「固まった」ふたりの女エルフの前で、ダン、エリン、ニーナはハイタッチしていたのである。
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英雄亭の雰囲気は元に……
否、ヴィリヤが店に入る前以上に、にぎやかになっていた。
客達は、『ヴィリヤのふるまい酒?』で、楽しく嬉しそうに楽しんでいる。
エリン、ニーナ、モーリス、そして他の従業員の少女達はてんてこ舞いだ。
ただで酒を飲めると知って、その分を食べようと料理の大量オーダーが入ったからである。
一方、ヴィリヤの言葉は……まだ戻って来ない。
怒りの収まらない、ヴィリヤの『口撃』により、引き起こされる『2次被害』を防ぐ為である。
沈黙の魔法は、まだ解除されていないのだ。
無理矢理椅子に座らされたヴィリヤは、不機嫌さを隠そうとせず、頬を栗鼠のように膨らませている。
片や、部下のゲルダの方は、さすがに事態を把握していた。
乱暴なやり方であるが、『英雄亭大爆発』を阻止する為には火元のヴィリヤを抑えるしかなかったからだ。
なので素直に礼を言う。
「ダン、ありがとう」
「いやいや、大した事ないさ。客にふるまうワインは俺が奢るよ」
「御免ね……」
「ああ、問題ない」
ダンは、感謝しきりのゲルダへウインクする。
そして、向き直って口を尖らせるヴィリヤを見つめた。
自分をみつめるダンの優しい眼差しを受けたヴィリヤは、徐々にクールダウンして行く。
「おう、ヴィリヤ。もう落ち着いたか? もしも冷静に話せるなら魔法を解くが、どうだ?」
ヴィリヤが小さく頷いたので、ダンは魔法を解いてやる。
しかしヴィリヤは気まずいのか、すぐに言葉を発する事はなかった。
「…………」
黙り込んだヴィリヤへ、ダンは優しい口調で諭す。
「ヴィリヤ、これ以上興奮しないで聞いてくれ」
「…………」
「さっき王宮で俺は言ったな? 世間はお前を中心に回ってはいないって」
「…………」
「お前以外、誰でもそれぞれ個別に事情がある。価値観も考え方もたくさんある」
ヴィリヤが、漸く反応した。
先程、ベアトリスとの謁見前にダンと交わした会話を思い出したようだ。
「たくさん?」
「ああ、そうだ。ヴィリヤ、お前、郷に入っては郷に従えって諺を知っているか?」
ヴィリヤが首を横に振ったので、ダンはゆっくり説明する。
「人間の国の王都へ来て、習慣も考え方も違う中でお前は王宮魔法使いとして頑張っている」
「…………」
「お前はこの国で暮らしてみて、エルフと人間の様々な面での違いを実感している筈だ。だが結果的には、エルフのやり方だけを通さず、ちゃんと上手くやれている」
「…………」
「郷に入っては郷に従えというのは、違う環境に居る際はその場所のやり方に合わせろという意味さ」
「…………」
「お前は王宮魔法使いとして、アイディール王家と立派に折り合いをつけている。……やれば出来る子なんだよ」
「う、うん……」
「この店も同じさ」
「同じ……なの?」
「そう、同じだ。この店は最初から酒を飲んで楽しむという目的で営業している。王国に許可を取っているから、飲む時間も量も関係ない。飲み過ぎはまずいが、そりゃ自己責任って奴だ」
「…………」
「そんな店で、酒を飲むな! なんて横暴な話だろう? お前に聞こえたかもしれないが、夜通し働いて、この店の酒で疲れを癒す人も居るからな」
「…………」
「例えば……お前が徹夜で働いてひと息つきたい。自宅でひとり、ハーブティを飲んで身体を癒したい。同じく王宮でひと晩働いた使用人が、この店に来て仲間と一杯の酒を飲んでくつろぐ……どう違いがある?」
「…………」
「確かにお前の意見も、正しい部分はある。酒の飲み方は個人の自由だけど、迷惑をかけるような、時と場所を考えた方が良いというのは正論だ」
「うん……」
「よし、納得したようだな! お前は聡明な子だよ。また勉強になったじゃないか」
「はい! 分かりました。御免なさい……ダン、そして、ありがとう!」
笑顔になったヴィリャの表情からは、完全に険が取れていた。
大好きな先生に教わる、素直な女子生徒のような趣きになっている。
もう確定!
と、ゲルダは思う。
ダンにぞっこんのヴィリヤは、一生彼から離れないだろうと。
「運命……かもね」
ゲルダはそう言うと、目の前のテーブルを指で軽く叩いたのであった。