第10話「いきなり、お泊り①」
文字数 3,184文字
呆然とするエリン。
山々に囲まれた、雑木林があちこちに点在する、草原の中にぽつんと建つ一軒家。
それほど高くない柵に囲まれた敷地の中で、相変わらず犬が嬉しそうに吠え、ニワトリがにぎやかに鳴いている。
周囲に、人家は全く無い。
当然、人の気配も無い。
まるで、世間から隔絶されたような家であった。
ダンは、念を押すように言う。
「さっき言ったぞ。俺は勇者じゃないし、つつましく静かに暮らしているって」
「…………」
黙り込んだエリンへ、ダンは問う。
「お前は、王族なんだろう? エリン」
「うん……」
「だったら、こんな狭い家で暮らす、地味な暮らしは辛い筈だ」
「…………」
狭い家での質素な暮らしなど、これまでダークエルフの姫として、豪奢な暮らしをして来たエリンには我慢出来ないだろう。
ダンはそう考えたので、エリンへ話を切り出す。
「だが俺は約束を守る。お前をここで暫くの間、面倒をみよう、それと考えている事もある」
考えている事?
ダンが考えている事?
何だろうと、エリンは気になった。
「考えている事?」
「そうだ、俺はこう考えている。エリン、お前は自分が最後のダークエルフだって言ったけれど、どこかにお前達とは別のダークエルフの一族が存在するかもしれない」
「エリンとは別の、ダークエルフの一族が……どこかに」
「そうさ、お前達エルフは同族同士で結ばれるのが一番良いんだ。俺なんかじゃなく、お前にぴったりなイケメンが待っているかもしれないじゃないか」
ダンは徐々に、エリンに対して情が湧いていた。
エリンはとても可愛くて、素敵な女の子だから。
凄く泣き虫で、とても甘ったれで、少し蓮っ葉だけど……素直だし明るい。
何とか、幸せになって欲しいと思っている。
寿命が違い過ぎる人間の自分より、同族と結ばれた方が良い。
長い時を共有し、幸せに生きた方が良い。
だから『新たな出会い』の為に、自ら離れる事を打診したのだ。
エリンはというと、先程からダンの言葉を繰り返している。
「エリンにぴったりの……イケメン」
この家で一緒に暮らすより、同族同士で結ばれる方がエリンの幸せだと告げると、ダンは少し虚しくなる。
何故だろう?
ダンは、自問自答する。
しかし、最初から自分はその考えだった筈だ。
そんな『もやもや』を振り払うかのように、ダンは言う。
「さあ、話は終わりだ。早く風呂に入ろうぜ。俺が沸かしてやるから、お前が先に入れ」
「…………」
エリンが、またもや黙り込んでしまっている。
何かを深く、考えているようだ。
「どうした、エリン? 俺もお前も汗と泥塗れだ、早く風呂に入ろうぜ。さっぱりするぞ」
ダンがエリンに入浴を促した、その瞬間。
「あううう~、やだやだやだ~っ」
エリーが駄々っ子のように手足をバタバタさせたのである。
「おいおいおい、いきなり、どうしたよ」
「やなの~っ、エリンがダンと離れてどこかへ行くなんて~っ、わあああああん!」
エリンは、ダンに抱きついた。
ダークエルフの自分を、敢えて突き放す。
それはダンの優しさであり、自分の幸せの為だと、エリンは無理やり考えようとしたらしい。
ダンは優しい。
エリンに優しい。
エリンが一番幸せになる事を、いつも考えてくれている……筈。
だからダンの言う通り、彼と離れて違うダークエルフの一族を探す……
それがエリンの一番の幸せ……そう考えた……
だけど……ダメだった。
エリンはダンと離れると考えただけで、辛くて堪らないのだ。
「エリン……」
「エリンは一緒に居たいのぉ、ダンのお嫁さんになりたいのぉ! ここに置いてよぉ! わああああああん」
エリンの顔は、酷い事になっていた。
泣き崩れて、くちゃくちゃになっていた。
涙と鼻水に塗れていた。
もう……ウソ泣きなんかじゃない。
ダンを失うなんて、考えられない。
エリンは、心の底から悲しくて泣いていた。
「エリン……」
「わうわうわう~」
縋りつき、号泣するエリンをそっと抱きしめたダン。
地平線に沈もうとする燃えるような夕日が、抱き合うふたりを真っ赤に染めていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
カポーン!
湯を汲むのに使った木桶を、エリンが床に置くと音がやけに響く。
全裸になったエリンの肢体は、見事な曲線で造られており、まるで芸術品だ。
やや褐色の健康な肌はとても張りがあって、お湯をあっさりと弾く。
「へぇ~、これがダンの家のお風呂なんだ? 結構広いね、造りだけでいえばダークエルフの地下温泉にも負けないよ」
エリンが感心して言う。
大きな岩をくりぬいて造った湯船は、小さな家に不似合いなほど大きかった。
おとな5人が、一度に入れるくらいの広さである。
床も、石が綺麗に敷き詰められていた。
「そ、そうか? 俺、風呂が好きだから一生懸命造ったよ……」
ダンの声が、同じ風呂場から聞こえる。
そう、何とふたりは一緒に風呂に入っているのだ。
「ところで、ダンは何でそんな隅っこに居るの?」
エリンが言った通り、ダンは広い湯船の端っこに身を縮めて入っていた。
照れ臭そうに、エリンへ背中を向けている。
「恥ずかしいだろう、普通は」
ダンは、エリンから一緒に風呂に入ろうと言われ、最初は頑として断った。
しかしまた泣かれてしまい、仕方なしにOKしたのである。
「恥ずかしいの? 何で?」
不思議そうに聞くエリンへ、ダンは背中を向けたまま答える。
「何でって……今日、初めて会った男と女がふたりっきりで風呂に入るんだ、そう思わないか?」
「思わないよ! エリンは恥ずかしくなんかない、だってエリンはダンのお嫁さんなんだもん」
「お、お嫁って!? お前なぁ……」
「嫌……なの?」
ダンが困ったように口籠ると、エリンの声のトーンが落ちた。
また泣かれてしまうと、慌てたダンは否定する。
「い、嫌じゃねぇけどさ」
「なら、良いじゃない。エリンだって他の男の子なら絶対に嫌だけど……ダンなら! ダンだけは良いんだもん」
エリンはそう言い切ると、ダンへ近づいて思いっきり抱きつく。
「ばちゃん」とお湯が跳ね、しなやかなエリンの身体が、ダンに覆い被さった。
エリンの、すべすべつるんとした素肌の感触が、ダンを更に慌てさせた。
「わわわっ」
ダンは驚いていた。
エリンの大胆な行動と、そして……
「おいおいおい、エリン……お、俺の背中に! むむむ、胸が、お前の胸が! あああ、当たっているぞ」
ダンの指摘にも、エリンは全く慌てない。
それどころか……
「うふふ、でもさっきもダンは触った、エリンの胸を」
「はぁ!?」
「エリンを抱っこして大空を飛んでいる時に触ったよ、胸」
エリンの爆弾発言がさく裂し、ダンはさっきから防戦一方だ。
「ば、馬鹿! それは不可抗力だろう? 触ったんじゃない、抱えている時にたまたま触れたんだ」
「でも良いじゃない、エリンは嬉しいから。それに褒めてくれたわ、巨乳って!」
「うっわ! は~、俺、エリンをあんな綽名で呼ばなきゃ良かったよ」
溜息を吐くダンを見て、エリンは豪快に笑い飛ばす。
「あははははっ、もう遅いよ。さあ、出よう、エリンがダンを洗ってあげるから」
「え? 洗う?」
「うふふ、出るよ」
驚くダンの手を掴んで、エリンは「にっこり」と笑ったのであった。