第十章 最後のダンス 第四話
文字数 2,911文字
「リゼット嬢を呼び出しなさい。それから審査員の方々も。こんな不逞な文章を書いたことを問いただします」
ルシアンがあっけに取られている間に、あっという間に場所は皇后の謁見に使われる部屋に移り、審査員の貴族たちとリゼットが集められた。リゼットは今日も品よく愛らしく装っていた。とてもあんなに口汚い罵り言葉をしたためたようには見えない。
「リゼット嬢、この手紙はいったい何です。わたくしと皇太子を侮辱して。皇太子も所詮盛りのついたケダモノのような好色な男、ちょっと太腿を見せたら鼻の下を伸ばしてわたくしの言いなり。古臭い考えで頭が凝り固まった皇后は一人寂しくポルトシュパルで時代遅れの音楽鑑賞、口うるさいくそ姑が、いい気味だ。皇帝陛下のことまで、ふんぞり返って椅子に座っているだけのぼんくらなんて、反逆罪に相当する罵詈雑言。こんな手紙を両親に送るつもりでいたなんて。でも却ってよかったわ。あなたの本性がわかりましたからね」
審査員たちも回し読みして顔をしかめた。リゼットは何が何だかわからず、ルシアンに助けを求めた。
「母上、お怒りになる前にリゼット嬢に話を聞きましょう。これまでの彼女の振る舞いを思い返せば、こんな文章を書くような心根の悪い娘ではないとお分かりのはず」
「どうせ猫を被ってわたくしたちを騙していたのでしょう」
皇后はこれ幸いとリゼットを糾弾した。審査員たちは皇后の言葉になびく者半分、ルシアンの意見に頷く者半分だった。
「本当にわたくしはそのような手紙を書いておりません。そうだわ、両親への手紙を間違えて提出したとおっしゃいましたね。でしたら、提出予定の感想文が両親のもとへ送られていないとおかしいですわ。どうかご存分にお調べになってください」
「ふん、そんなもの、あなたが捨ててしまっていたら見つかるわけがないでしょう。腹の中で皇室を侮辱し、嘲笑っているようなとんでもない悪女は、皇太子妃はおろか、この宮殿に足を踏み入れることも許されません。同じ部屋にいるだけでも虫唾が走るわ。リゼット嬢はここで失格とし、今後一切宮殿への出入りを禁じます。いいえそれだけでは足りないわ。この都エスカリエを永久追放とします」
皇后は怖い顔で言い渡した。
(リゼット嬢が失格? 都を追放? そうなったらわたしはユーグとのことを相談できなくなってしまう)
ルシアンは力強く皇后の前へ出た。
「それはなりません母上。リゼット嬢がこのような文章を書くはずはない。わたしは彼女を信じています。彼女を失格とすることも追放することも、断固拒否します」
審査員たちはおお、と小さく声を上げた。皇太子はそれほどまでにリゼットを好いているのかと。
「こんな悪女を信じるなんて。ではあなたはリゼット嬢が書いていないと証明できるのですか」
「できます」
「どうやって?」
勢いで反論したものの、何の用意もなかったルシアンは、ぐっと言葉に詰まった。だがここで引いては母の意見が通ってしまう。奥歯を噛みしめて動揺を隠し、必死で頭脳を回転させた。
「そ、それは。そうだ文字です。文字がリゼット嬢のものではない。わたしはエストカピタールでリゼット嬢から手紙をもらいました。その手紙の文字と、この罵詈雑言を書きつくした文字は、全く違う」
ルシアンは使用人に命じて、私室から手紙を持ってこさせた。そして皇后の前で二つの文字を比べて見せた。審査員たちも二つの手紙を見比べた。手紙を見られることを気にしている場合ではないものの、リゼットは恥ずかしかった。
「……確かに。少し、いや、結構違いますな」
ポーラック公爵がぽつりと言った。それくらい、二つの文章の文字の癖は違っていた。
「そ、そんなの、誰かに書かせたのかもしれませんよ。リゼット嬢はお友達が多いですからね」
「少なくとも娘の文字とも違います。では、サビーナ嬢とパメラ嬢、それにシモン殿、それからリゼット嬢付きの召使いを呼び出して、文字を書かせてみたらどうでしょうか」
「おお、公爵の言う通りだ。それに、令嬢たちの感想文とも照らし合わせてみよう。もし誰かがリゼット嬢を陥れんとしたなら、犯人がわかる」
一方、手紙を差し替えたローズとリアーヌは、裏工作の首尾を確かめるため、謁見室の扉に耳をつけて、中の話し声を聞いていた。
「そんなことされたら、わたくしが書いたとばれてしまいますわ」
「まぁ、それは困ったわ。どうしましょうね」
ローズに手紙を書かせておいてよかった。リアーヌは素早く扉の前から走り去った。
「まさか逃げる気なの?」
ローズは当然追いかけようとしたが、リアーヌが彼女のドレスのリボンをそっとドアノブにひっかけておいたので、派手につんのめった。
「もう、この腹黒女! 許しませんわよ!」
この叫びは部屋の中にも聞こえた。扉を開けるとローズがすっころんでいたので、どうしてここにいるのか問いただした。ローズは往生際悪くあれこれ言い訳していたが、その間にルシアンがローズの感想文と罵詈雑言の手紙の文字が同じだと発見してしまったので、居直って全てを白状した。
「ええ、わたくしがリゼットの感想文をその手紙にすり替えましたわ。殿下がリゼットばかりを構って妃選びなど形骸化しているんですもの」
それにしても、嘘とは言えこんなに汚い言葉をしたためるとは、審査員たちはローズの性根を疑い、顔をしかめた。皇后はリゼットを失格にする機会を失ったことが惜しくて天を仰いだ。
「ローズ様、芸術祭の時に、今後はずるいやり方はなしだと約束したではありませんか」
リゼットもさすがに今回ばかりはローズを責めた。だがローズはまったく悪びれなかった。
こうなってしまっては、ローズを失格にするしかない。皇后はローズに次回の招待状を出さないと申し渡した。ローズは追い出されるように部屋から退出した。
「母上、証拠もなくリゼット嬢を疑ったのですから、謝罪してください」
皇太子が皇后たる母親に謝罪を求めるなど、滅多にないことだった。審査員たちは皇太子がこんなにリゼットが大切にしていることに驚いた。
「殿下、あのようなひどい言葉を見たら、皇后陛下といえど、お怒りのあまり冷静さを失うのは無理もないことですわ。こうして誤解も解けたことですし、これで良しとしましょう。この上に皇后陛下から謝られたら、わたくしが困りますわ」
リゼットとしても、ルシアンが断固として自分を信じてくれたこと、皇太后に謝罪を求めてくれたことで、十分に心が満たされていた。
ルシアンはリゼットの寛大さに感心した。そして、このように心が広いから、世間一般には認められない自分の恋にも建設的な意見をくれるのだと、おかしな方向に納得していた。
騒動が収まったので、審査員たちも加わって審査を続行した。リゼットに関しては、もともと課題の演目を手掛けた側であったし、ローズの謀略の被害者でもあるから、作文の吟味はなしで、次回の昼食会に招待することになった。
ひと騒ぎあったために長引いてしまい、ルシアンはその日の予定を一つ取り消さざるを得なくなり、中途半端に時間が空いてしまった。そこで、ユーグの様子を見に行った。
ルシアンがあっけに取られている間に、あっという間に場所は皇后の謁見に使われる部屋に移り、審査員の貴族たちとリゼットが集められた。リゼットは今日も品よく愛らしく装っていた。とてもあんなに口汚い罵り言葉をしたためたようには見えない。
「リゼット嬢、この手紙はいったい何です。わたくしと皇太子を侮辱して。皇太子も所詮盛りのついたケダモノのような好色な男、ちょっと太腿を見せたら鼻の下を伸ばしてわたくしの言いなり。古臭い考えで頭が凝り固まった皇后は一人寂しくポルトシュパルで時代遅れの音楽鑑賞、口うるさいくそ姑が、いい気味だ。皇帝陛下のことまで、ふんぞり返って椅子に座っているだけのぼんくらなんて、反逆罪に相当する罵詈雑言。こんな手紙を両親に送るつもりでいたなんて。でも却ってよかったわ。あなたの本性がわかりましたからね」
審査員たちも回し読みして顔をしかめた。リゼットは何が何だかわからず、ルシアンに助けを求めた。
「母上、お怒りになる前にリゼット嬢に話を聞きましょう。これまでの彼女の振る舞いを思い返せば、こんな文章を書くような心根の悪い娘ではないとお分かりのはず」
「どうせ猫を被ってわたくしたちを騙していたのでしょう」
皇后はこれ幸いとリゼットを糾弾した。審査員たちは皇后の言葉になびく者半分、ルシアンの意見に頷く者半分だった。
「本当にわたくしはそのような手紙を書いておりません。そうだわ、両親への手紙を間違えて提出したとおっしゃいましたね。でしたら、提出予定の感想文が両親のもとへ送られていないとおかしいですわ。どうかご存分にお調べになってください」
「ふん、そんなもの、あなたが捨ててしまっていたら見つかるわけがないでしょう。腹の中で皇室を侮辱し、嘲笑っているようなとんでもない悪女は、皇太子妃はおろか、この宮殿に足を踏み入れることも許されません。同じ部屋にいるだけでも虫唾が走るわ。リゼット嬢はここで失格とし、今後一切宮殿への出入りを禁じます。いいえそれだけでは足りないわ。この都エスカリエを永久追放とします」
皇后は怖い顔で言い渡した。
(リゼット嬢が失格? 都を追放? そうなったらわたしはユーグとのことを相談できなくなってしまう)
ルシアンは力強く皇后の前へ出た。
「それはなりません母上。リゼット嬢がこのような文章を書くはずはない。わたしは彼女を信じています。彼女を失格とすることも追放することも、断固拒否します」
審査員たちはおお、と小さく声を上げた。皇太子はそれほどまでにリゼットを好いているのかと。
「こんな悪女を信じるなんて。ではあなたはリゼット嬢が書いていないと証明できるのですか」
「できます」
「どうやって?」
勢いで反論したものの、何の用意もなかったルシアンは、ぐっと言葉に詰まった。だがここで引いては母の意見が通ってしまう。奥歯を噛みしめて動揺を隠し、必死で頭脳を回転させた。
「そ、それは。そうだ文字です。文字がリゼット嬢のものではない。わたしはエストカピタールでリゼット嬢から手紙をもらいました。その手紙の文字と、この罵詈雑言を書きつくした文字は、全く違う」
ルシアンは使用人に命じて、私室から手紙を持ってこさせた。そして皇后の前で二つの文字を比べて見せた。審査員たちも二つの手紙を見比べた。手紙を見られることを気にしている場合ではないものの、リゼットは恥ずかしかった。
「……確かに。少し、いや、結構違いますな」
ポーラック公爵がぽつりと言った。それくらい、二つの文章の文字の癖は違っていた。
「そ、そんなの、誰かに書かせたのかもしれませんよ。リゼット嬢はお友達が多いですからね」
「少なくとも娘の文字とも違います。では、サビーナ嬢とパメラ嬢、それにシモン殿、それからリゼット嬢付きの召使いを呼び出して、文字を書かせてみたらどうでしょうか」
「おお、公爵の言う通りだ。それに、令嬢たちの感想文とも照らし合わせてみよう。もし誰かがリゼット嬢を陥れんとしたなら、犯人がわかる」
一方、手紙を差し替えたローズとリアーヌは、裏工作の首尾を確かめるため、謁見室の扉に耳をつけて、中の話し声を聞いていた。
「そんなことされたら、わたくしが書いたとばれてしまいますわ」
「まぁ、それは困ったわ。どうしましょうね」
ローズに手紙を書かせておいてよかった。リアーヌは素早く扉の前から走り去った。
「まさか逃げる気なの?」
ローズは当然追いかけようとしたが、リアーヌが彼女のドレスのリボンをそっとドアノブにひっかけておいたので、派手につんのめった。
「もう、この腹黒女! 許しませんわよ!」
この叫びは部屋の中にも聞こえた。扉を開けるとローズがすっころんでいたので、どうしてここにいるのか問いただした。ローズは往生際悪くあれこれ言い訳していたが、その間にルシアンがローズの感想文と罵詈雑言の手紙の文字が同じだと発見してしまったので、居直って全てを白状した。
「ええ、わたくしがリゼットの感想文をその手紙にすり替えましたわ。殿下がリゼットばかりを構って妃選びなど形骸化しているんですもの」
それにしても、嘘とは言えこんなに汚い言葉をしたためるとは、審査員たちはローズの性根を疑い、顔をしかめた。皇后はリゼットを失格にする機会を失ったことが惜しくて天を仰いだ。
「ローズ様、芸術祭の時に、今後はずるいやり方はなしだと約束したではありませんか」
リゼットもさすがに今回ばかりはローズを責めた。だがローズはまったく悪びれなかった。
こうなってしまっては、ローズを失格にするしかない。皇后はローズに次回の招待状を出さないと申し渡した。ローズは追い出されるように部屋から退出した。
「母上、証拠もなくリゼット嬢を疑ったのですから、謝罪してください」
皇太子が皇后たる母親に謝罪を求めるなど、滅多にないことだった。審査員たちは皇太子がこんなにリゼットが大切にしていることに驚いた。
「殿下、あのようなひどい言葉を見たら、皇后陛下といえど、お怒りのあまり冷静さを失うのは無理もないことですわ。こうして誤解も解けたことですし、これで良しとしましょう。この上に皇后陛下から謝られたら、わたくしが困りますわ」
リゼットとしても、ルシアンが断固として自分を信じてくれたこと、皇太后に謝罪を求めてくれたことで、十分に心が満たされていた。
ルシアンはリゼットの寛大さに感心した。そして、このように心が広いから、世間一般には認められない自分の恋にも建設的な意見をくれるのだと、おかしな方向に納得していた。
騒動が収まったので、審査員たちも加わって審査を続行した。リゼットに関しては、もともと課題の演目を手掛けた側であったし、ローズの謀略の被害者でもあるから、作文の吟味はなしで、次回の昼食会に招待することになった。
ひと騒ぎあったために長引いてしまい、ルシアンはその日の予定を一つ取り消さざるを得なくなり、中途半端に時間が空いてしまった。そこで、ユーグの様子を見に行った。