第八章 恋心 第一話
文字数 2,873文字
工房へ戻って、リゼットは徹夜で過ごした三日間を取り返すように眠った。前世では初日前に徹夜しても公演があるために十分な休息が取れなかったが、この世界ではそれも許される。
翌日の夕方まで眠って過ごし、翌日もゆっくり起きてのんびりしていると、キトリィから迎賓館へ招待があった。添えられたアンリエットの手紙によれば、芸術祭を乗り越えたお祝い、つまりは打ち上げということらしかった。
誘いは七人全員に出したというが、リアーヌとローズからは断りの手紙が来たそうだ。あの二人はリゼットたちと親しくするつもりはないようだ。
「それにしても、ブランシュの馬車の踏み台が壊れたのも、王女様の楽器を乗せた荷車の車輪が外れたのも、誰かの仕業だったのかしら」
卵サンドを頬張りながらリゼットは言った。
「踏み台の釘が抜かれていたそうですが、あの日教会に来ていた人は多かったですから、誰の仕業か突き止められていないそうです。王女様の荷車も、きっと運び込む前日の車軸を弱らせたのだと思いますが、こちらも下手人は突き止められておりません」
アンリエットの話では、ルシアンは準備期間からそれとなく目を光らせていたそうだが、この二つの事件については、真相を突き止められていないそうだ。
「まさかと思って問い詰めましたけど、その二つの件はお父様のしたことではないようですわ。それにしてもリゼットの大事な衣装とトウシューズを壊すなんて、わたくし心底お父様を軽蔑しました。だから、しばらく家を出ることにしましたの」
サビーナはブランシュの屋敷に家出しているのだという。それはこんなに大きなポーラック邸には部屋が余っているだろうが。
「家出なんて! そこまでしなくてもいいんじゃない?」
「こうでもしなくては、お父様は心から悔い改めることはないわよ」
そこへ、メイドが来客を告げた。アンリエットが通すように言うと、どやどやと、芸術祭の審査員たちが入ってきた。
「ここにおいででしたかリゼット嬢、それに他の皆様も。わたくしは国立劇場の座付き演出家です。芸術祭でのリゼット嬢の出し物は素晴らしかった。音楽、ダンス、衣装、全てが斬新で、華やかで、芸術的でした。あの出し物のような演目をかけたら、大繁盛間違いなし。トレゾールの国民にもきっとうけるはず。つきましては、是非リゼット嬢に総合演出監督として、新演目の立ち上げに携わってほしいのです」
口ひげの男性がリゼットの手を取って饒舌に語った。
「急にそんなこと言われても……。わたしは本来出演者というか、踊る専門というか……」
すると、首が長くて細い女性がずいっと迫ってきた。
「踊りについて、是非我がバレエ団の団員に稽古をつけてほしいのです。あの足を上げるダンスは、我々バレエ団の団員が踊ったら、もっと素晴らしいものになりますわ」
「わたくしは作曲家ですが、あの楽曲を是非新演目でも使いたい。楽曲をそのまま提供していただくことは可能ですかな?」
「あたくしは衣装デザイナーですが、あの衣装、ボディラインがはっきりと出ていて女性の美しさを強調し、しかし嫌らしくならず適度に華やかさがあり、まさに新たなモードの先駆け。衣装デザインを頼まれていただきたい。それとも噂の仕立屋に依頼するのが早いでしょうか?」
劇場の偉い人たちに迫られてリゼットはもみくちゃになった。ブランシュやサビーナがひとまず落ち着かせようと思っても、誰もかれも興奮していて、人の話を聞かない。
パメラは劇場の支配人に捕まっていた。
「あなたの歌声は素晴らしい。是非劇場で歌うべきです。もちろん、今のあなたにはレッスンが必要ですが、我が劇場は最高の教師と環境を準備することをお約束しますよ」
また、筋骨隆々とした曲芸師はキトリィに話しかけていた。
「王女様のアクロバットはプロ級でしたね。ぜひ劇場で我らとコラボレーションしましょう。トレゾールとリヴェールの友好事業ということで」
「それはなりません!」
流石にそれはアンリエットが阻んだ。
「皆さん落ち着いてくださいな。わたくしはただの子爵令嬢なのです。何の芸術の才能もないんですのよ。芸術祭のはまぐれというか、そもそもわたくしが一から考えたわけではないし……」
「またまたぁ、ご謙遜を」
リゼットが断ろうとしても、彼らはしつこく食い下がってくる。
「良いじゃありませんの。せっかくリゼットの才能が評価されているんですから、やってみたらいいですわ」
「ブランシュ、わたくし一応皇太子妃候補なんだけど」
「でも、この後は芸術祭のように準備が必要な審査はないはずだし、両立できないこともないわ」
「それに新しい演目の評判が良ければ、社交界の人たちもリゼットに一目置くんじゃないかしら。なんてったって、トレゾールの人間は芸術を愛しているから」
意外にもサビーナまで賛成するので、リゼットは困った。とりあえず返事は三日待ってほしいと伝えて彼らには帰ってもらった。
「そんなこと絶対だめだ。断ってこい。妃選びに集中できなくなるだろうが」
シモンはもちろん反対した。
招魂たくましいカミーユは、衣装制作の仕事も手がけられるかもしれないとわかると、引き受けるべきだと強く勧めた。
「確かに妃選びが疎かになるのはいけませんけれど、サビーナ様がおっしゃったような効果があるかもしれませんし、思い切ってやってみるのがいいかもしれません」
ノエルは意外にも賛成の立場だった。
「お前まで馬鹿なことを言うな。劇場の演目を監督する令嬢がどこにいる」
「でもシモン様、お嬢様はこれまで普通とは違うところを見せて成功してきました。今回の芸術祭がいい例ですわ。だから貴族のご令嬢らしくないことでも思い切ってやってみた方がいいのかもしれませんわ。その方が、皇太子妃の座に近づき、シモン様のお望みもかなうかもしれません」
「そんなことがあってたまるか。もういい、好きにしろ」
シモンは癇癪を起して物置を出て行ってしまった。
最初は断るつもりでいたが、サビーナやノエルの言う通り、妃選びにいい影響があるならやる価値はあると思うし、これまで多大な協力をしてくれたカミーユに酬いるためにも、引き受けた方がいいかもしれないと、気持ちが揺らいだ。
(でも、令嬢らしくはないのよね。わたし結局芸術祭でもあんなことして、淑女らしい一面を見せることができなかったわ。やっぱり型破りな行動は変に思われてしまうんじゃないかしら)
ルシアンにどう思われるか。リゼットはそのことを気にしていた。芸術祭の最後に言葉を交わした時には、自分の心の中の思いを理解してくれたこと、それを身につまされるなどと言って、自分にも関係のあることとして受け止めてくれたことが嬉しかった。それにあの言葉が社交辞令でないのなら、何やらルシアンの悩みを解決することにも繋がったらしく、役に立てたようでもあった。
(いっそご相談できればいいんだけど)
皇太子においそれと会うことはできない。そのことに不覚にも寂しさを覚えて、リゼットはソファのひじ掛けに頬杖をついた。
翌日の夕方まで眠って過ごし、翌日もゆっくり起きてのんびりしていると、キトリィから迎賓館へ招待があった。添えられたアンリエットの手紙によれば、芸術祭を乗り越えたお祝い、つまりは打ち上げということらしかった。
誘いは七人全員に出したというが、リアーヌとローズからは断りの手紙が来たそうだ。あの二人はリゼットたちと親しくするつもりはないようだ。
「それにしても、ブランシュの馬車の踏み台が壊れたのも、王女様の楽器を乗せた荷車の車輪が外れたのも、誰かの仕業だったのかしら」
卵サンドを頬張りながらリゼットは言った。
「踏み台の釘が抜かれていたそうですが、あの日教会に来ていた人は多かったですから、誰の仕業か突き止められていないそうです。王女様の荷車も、きっと運び込む前日の車軸を弱らせたのだと思いますが、こちらも下手人は突き止められておりません」
アンリエットの話では、ルシアンは準備期間からそれとなく目を光らせていたそうだが、この二つの事件については、真相を突き止められていないそうだ。
「まさかと思って問い詰めましたけど、その二つの件はお父様のしたことではないようですわ。それにしてもリゼットの大事な衣装とトウシューズを壊すなんて、わたくし心底お父様を軽蔑しました。だから、しばらく家を出ることにしましたの」
サビーナはブランシュの屋敷に家出しているのだという。それはこんなに大きなポーラック邸には部屋が余っているだろうが。
「家出なんて! そこまでしなくてもいいんじゃない?」
「こうでもしなくては、お父様は心から悔い改めることはないわよ」
そこへ、メイドが来客を告げた。アンリエットが通すように言うと、どやどやと、芸術祭の審査員たちが入ってきた。
「ここにおいででしたかリゼット嬢、それに他の皆様も。わたくしは国立劇場の座付き演出家です。芸術祭でのリゼット嬢の出し物は素晴らしかった。音楽、ダンス、衣装、全てが斬新で、華やかで、芸術的でした。あの出し物のような演目をかけたら、大繁盛間違いなし。トレゾールの国民にもきっとうけるはず。つきましては、是非リゼット嬢に総合演出監督として、新演目の立ち上げに携わってほしいのです」
口ひげの男性がリゼットの手を取って饒舌に語った。
「急にそんなこと言われても……。わたしは本来出演者というか、踊る専門というか……」
すると、首が長くて細い女性がずいっと迫ってきた。
「踊りについて、是非我がバレエ団の団員に稽古をつけてほしいのです。あの足を上げるダンスは、我々バレエ団の団員が踊ったら、もっと素晴らしいものになりますわ」
「わたくしは作曲家ですが、あの楽曲を是非新演目でも使いたい。楽曲をそのまま提供していただくことは可能ですかな?」
「あたくしは衣装デザイナーですが、あの衣装、ボディラインがはっきりと出ていて女性の美しさを強調し、しかし嫌らしくならず適度に華やかさがあり、まさに新たなモードの先駆け。衣装デザインを頼まれていただきたい。それとも噂の仕立屋に依頼するのが早いでしょうか?」
劇場の偉い人たちに迫られてリゼットはもみくちゃになった。ブランシュやサビーナがひとまず落ち着かせようと思っても、誰もかれも興奮していて、人の話を聞かない。
パメラは劇場の支配人に捕まっていた。
「あなたの歌声は素晴らしい。是非劇場で歌うべきです。もちろん、今のあなたにはレッスンが必要ですが、我が劇場は最高の教師と環境を準備することをお約束しますよ」
また、筋骨隆々とした曲芸師はキトリィに話しかけていた。
「王女様のアクロバットはプロ級でしたね。ぜひ劇場で我らとコラボレーションしましょう。トレゾールとリヴェールの友好事業ということで」
「それはなりません!」
流石にそれはアンリエットが阻んだ。
「皆さん落ち着いてくださいな。わたくしはただの子爵令嬢なのです。何の芸術の才能もないんですのよ。芸術祭のはまぐれというか、そもそもわたくしが一から考えたわけではないし……」
「またまたぁ、ご謙遜を」
リゼットが断ろうとしても、彼らはしつこく食い下がってくる。
「良いじゃありませんの。せっかくリゼットの才能が評価されているんですから、やってみたらいいですわ」
「ブランシュ、わたくし一応皇太子妃候補なんだけど」
「でも、この後は芸術祭のように準備が必要な審査はないはずだし、両立できないこともないわ」
「それに新しい演目の評判が良ければ、社交界の人たちもリゼットに一目置くんじゃないかしら。なんてったって、トレゾールの人間は芸術を愛しているから」
意外にもサビーナまで賛成するので、リゼットは困った。とりあえず返事は三日待ってほしいと伝えて彼らには帰ってもらった。
「そんなこと絶対だめだ。断ってこい。妃選びに集中できなくなるだろうが」
シモンはもちろん反対した。
招魂たくましいカミーユは、衣装制作の仕事も手がけられるかもしれないとわかると、引き受けるべきだと強く勧めた。
「確かに妃選びが疎かになるのはいけませんけれど、サビーナ様がおっしゃったような効果があるかもしれませんし、思い切ってやってみるのがいいかもしれません」
ノエルは意外にも賛成の立場だった。
「お前まで馬鹿なことを言うな。劇場の演目を監督する令嬢がどこにいる」
「でもシモン様、お嬢様はこれまで普通とは違うところを見せて成功してきました。今回の芸術祭がいい例ですわ。だから貴族のご令嬢らしくないことでも思い切ってやってみた方がいいのかもしれませんわ。その方が、皇太子妃の座に近づき、シモン様のお望みもかなうかもしれません」
「そんなことがあってたまるか。もういい、好きにしろ」
シモンは癇癪を起して物置を出て行ってしまった。
最初は断るつもりでいたが、サビーナやノエルの言う通り、妃選びにいい影響があるならやる価値はあると思うし、これまで多大な協力をしてくれたカミーユに酬いるためにも、引き受けた方がいいかもしれないと、気持ちが揺らいだ。
(でも、令嬢らしくはないのよね。わたし結局芸術祭でもあんなことして、淑女らしい一面を見せることができなかったわ。やっぱり型破りな行動は変に思われてしまうんじゃないかしら)
ルシアンにどう思われるか。リゼットはそのことを気にしていた。芸術祭の最後に言葉を交わした時には、自分の心の中の思いを理解してくれたこと、それを身につまされるなどと言って、自分にも関係のあることとして受け止めてくれたことが嬉しかった。それにあの言葉が社交辞令でないのなら、何やらルシアンの悩みを解決することにも繋がったらしく、役に立てたようでもあった。
(いっそご相談できればいいんだけど)
皇太子においそれと会うことはできない。そのことに不覚にも寂しさを覚えて、リゼットはソファのひじ掛けに頬杖をついた。