第七章 芸術祭 第一話
文字数 3,004文字
リゼットが戻った日の夕方、カミーユも解放されて店に戻ってきた。平民だった彼は冷たい牢獄に押し込められていたようだが、幸いそこまでやつれてはいなかった。
リゼットの無実が証明されたとはいえ、全ての人間がこの裁判の顛末を知っているわけではない。店への悪評は完全にはぬぐえないかに思えたが、以外にも、裁判が終わってからドレスもアクセサリーも、以前より注文が増えた。
「これは例のリゼット様の仕立屋に頼んだんですの。前にアクセサリーのアレンジを頼んだことがあったんですけれど、ドレスも色合いや柄は柔らかくて華やかで、シルエットは少し斬新で、気に入りましたわ」
「本当ですわ。わたくしもこの前お願いしたチョーカーをつけてきたんですけれど、他にはないようで、でも常識から大きく外れていなくて、素敵ですわよね」
「リゼット様が仮面舞踏会で身に着けていたドレスも素敵でしたわ。わたくしも今度はその仕立屋にお願いしようかしら」
「そういえば、ドレスもアクセサリーもリゼット様自らデザインをされているとか。仮面舞踏会では、手づから仮面をお作りになったんですって」
「まぁ。あの方そんなことができますの。下々のように手を動かすのはちょっと不思議ですけれど、デザインは素敵ですわ。センスがおありなのね」
と、令嬢たちのさざ波のようなお喋りが泊まった。茶会の会場にメリザンドが現れたからだ。
「ごきげんよう皆様。わたくしに遠慮なさらず、どうぞお続けになって」
メリザンドの顔はいくらか痩せたようだった。あの事件があったからには無理はないと、令嬢たちは愛想笑いをしてはぐらかした。
そこへ皇后がやってきた。今日はメールヴァン公爵夫人が主催した茶会で、社交界の中でも高貴な女性たちが集まっていた。もちろん皇太子妃選びとは無関係だが、令嬢たちの中には皇太子妃候補が何人か入っていた。
「メリザンド、災難でしたね、あの裁判の一件は。お父様は、馬鹿なことをしたと反省して、しばらくお屋敷にこもっているようだけれど」
「父は皆様に会わせる顔がないと、部屋に閉じこもって、屋敷の中でもあまり姿を見せませんの」
「まぁ、気の毒に。リゼット嬢に関わるからこんなことになったのです。だいたい、あの娘が身の程知らずな行動をするから、公爵もつられてあんな行動をしてしまったのでしょう。メリザンドもなんだかやつれたようだけど、何も気に病むことは無いのですよ。あなたは父親の言いつけ通りにしただけなのですから、いつも通り、堂々としていなさい。あの事件について、あなた方親子に後ろ指を指すような者がいたなら、わたくしが許しませんわ」
皇后はとことんメリザンド贔屓で、何もかも悪いのリゼットだと言わんばかりだった。そういう彼女の態度に社交界の人々は委縮していた。もともとメリザンドの名声が高かったこともあって、彼女を批判する声は消えてゆき、あの裁判はなかったことのようにされていった。
(みんな表面上はメリザンドを非難しないけれど、あの事件を本当に忘れてしまったわけじゃないわ。何より殿下の心象はかなり悪くなったはず。皇太子妃候補から外すなんておっしゃったくらいですもの。これでメリザンドは終わったも同然よ。
仮面舞踏会では仮面を別の店で作ってわたしの策略を躱したけれど、結果としてそれが仇になったわけね。ざまぁみなさい)
ローズは優雅に紅茶を啜りながら、腹の中でこんなことを考えていた。
皇后は自分の隣にメリザンドを座らせて、他の者たちも交えて歓談した。その中で、次回の交代妃選びについて触れた。
「次は芸術祭よ。本来は音楽、絵画、詩や文芸、舞踏などの名手が集い、我が国の芸術の粋を見せ、各分野で競い合い、優勝者は皇帝陛下から勲章と報奨金を受け取る。けれど今回は、令嬢たちに何かしらの芸術の才能を披露してもらい、競い合ってもらいます。もちろん、優勝すればもう皇太子妃と決まるわけではありませんが、評価は大きく上がります。なんといっても、我が国は芸術の国。何かしら芸術を身に着けるのは、立派な淑女の条件ですからね」
もう芸術祭への招待状を誰に出すかは決まっているという。
「もちろん、わたくしはルシアンの言いなりになどなっていませんからね」
皇后は扇で口元を隠しながら、メリザンドにそっと囁いた。
「お心づかい感謝いたします」
メリザンドもそっと謝意を示した。
話を聞いた令嬢たちは、何を披露するのか、互いに自ら得手とする芸術を出しあった。皇后が言う通り芸術の国なので、貴族令嬢は幼いころから家庭教師について、音楽やら何やらを習うのが当たり前であった。
「リアーヌ様はどうなさいますの? 以前セブラン様から、ピアノがお上手だと聞きましたけれど」
「お兄様ったら。ピアノはずっと習っておりますけれど、そんなに自慢できる腕ではございませんわ。わたくしは絵を描こうと思いますの。都へ来てから、どこもかしこも絵に残したい景色ばかりですから」
リアーヌは自信に満ちた笑顔で答えた。実際、ピアノは令嬢の習い事として一般的すぎて、目立てないとふんだのだろう。もちろん、彼女は絵が趣味で、芸術祭で披露できるほどの腕前であることも事実だが。
「わたくしはフルートを披露するつもりですわ。我が家は代々子供にピアノ以外にも楽器を習わせるので、幼いころから習っておりますから」
ローズも無難なピアノでなく、フルートを選んだ。
皇后は令嬢たちの言葉を機嫌よく聞いていて、最後にメリザンドに訊ねた。
「わたくしは……詩を書きますわ」
「まぁ、詩ですか。あなたはピアノはもちろんハープも演奏できるし、絵だって描けるでしょう。ルシアンと同じで詩を好むのは知っていますが、他の者と違って、明確な技巧があるわけではないから、その芸術性だけを問われる、困難な課題になるわ。審査員の評価も割れがちだし、ハープの方があなたの素晴らしさを表現できるんじゃなくて」
「いいえ。皇后陛下のおっしゃることはごもっともですが、だからこそ詩に挑戦したいんですの」
「そう。まぁ、あなたならどんなものでも、素晴らしいものを見せてくれると思いますけれどね」
珍しくメリザンドは頑固だったので、皇后はそれ以上ハープを勧めるのをやめた。
メリザンドが詩を選んだことが意外だったのは、令嬢たちも同じだった。ローズなどは、もうルシアンの好意を取り戻すことはできないと、捨て鉢になっていると、内心嘲笑していた。
(わたくしは国一番の淑女となって、末は皇后になるのだと、幼いころから育てられてきた。そしてこれまで、その期待を裏切るどころか、それ以上の成果を出して、社交界で認められ、皇后陛下にも認めらた。ずっと社交界の花として咲き誇れるように努力し続けてきたわ。気が休まる時は、夜眠りに落ちるその瞬間だけだったほどに。
それなのに、殿下はあのリゼットに目をかけて、あろうことかわたくしを非難し、側に置きたくないとすらおっしゃった。これまでお側で誰よりも親しく過ごしてきたのに、わたくしからた目を逸らすというなら、わたくしのこの思いを全てぶつけて、嫌でもその両目をわたくしに向けさせてやりますわ。殿下の好きな詩で、殿下を振り向かせて見せる)
そんな強い情念をおくびにも出さず、メリザンドは柔らかな笑顔で皇后の話に相槌をうちつつ、茶菓子を楽しみ、他の女性たちと笑いさざめいていた。
リゼットの無実が証明されたとはいえ、全ての人間がこの裁判の顛末を知っているわけではない。店への悪評は完全にはぬぐえないかに思えたが、以外にも、裁判が終わってからドレスもアクセサリーも、以前より注文が増えた。
「これは例のリゼット様の仕立屋に頼んだんですの。前にアクセサリーのアレンジを頼んだことがあったんですけれど、ドレスも色合いや柄は柔らかくて華やかで、シルエットは少し斬新で、気に入りましたわ」
「本当ですわ。わたくしもこの前お願いしたチョーカーをつけてきたんですけれど、他にはないようで、でも常識から大きく外れていなくて、素敵ですわよね」
「リゼット様が仮面舞踏会で身に着けていたドレスも素敵でしたわ。わたくしも今度はその仕立屋にお願いしようかしら」
「そういえば、ドレスもアクセサリーもリゼット様自らデザインをされているとか。仮面舞踏会では、手づから仮面をお作りになったんですって」
「まぁ。あの方そんなことができますの。下々のように手を動かすのはちょっと不思議ですけれど、デザインは素敵ですわ。センスがおありなのね」
と、令嬢たちのさざ波のようなお喋りが泊まった。茶会の会場にメリザンドが現れたからだ。
「ごきげんよう皆様。わたくしに遠慮なさらず、どうぞお続けになって」
メリザンドの顔はいくらか痩せたようだった。あの事件があったからには無理はないと、令嬢たちは愛想笑いをしてはぐらかした。
そこへ皇后がやってきた。今日はメールヴァン公爵夫人が主催した茶会で、社交界の中でも高貴な女性たちが集まっていた。もちろん皇太子妃選びとは無関係だが、令嬢たちの中には皇太子妃候補が何人か入っていた。
「メリザンド、災難でしたね、あの裁判の一件は。お父様は、馬鹿なことをしたと反省して、しばらくお屋敷にこもっているようだけれど」
「父は皆様に会わせる顔がないと、部屋に閉じこもって、屋敷の中でもあまり姿を見せませんの」
「まぁ、気の毒に。リゼット嬢に関わるからこんなことになったのです。だいたい、あの娘が身の程知らずな行動をするから、公爵もつられてあんな行動をしてしまったのでしょう。メリザンドもなんだかやつれたようだけど、何も気に病むことは無いのですよ。あなたは父親の言いつけ通りにしただけなのですから、いつも通り、堂々としていなさい。あの事件について、あなた方親子に後ろ指を指すような者がいたなら、わたくしが許しませんわ」
皇后はとことんメリザンド贔屓で、何もかも悪いのリゼットだと言わんばかりだった。そういう彼女の態度に社交界の人々は委縮していた。もともとメリザンドの名声が高かったこともあって、彼女を批判する声は消えてゆき、あの裁判はなかったことのようにされていった。
(みんな表面上はメリザンドを非難しないけれど、あの事件を本当に忘れてしまったわけじゃないわ。何より殿下の心象はかなり悪くなったはず。皇太子妃候補から外すなんておっしゃったくらいですもの。これでメリザンドは終わったも同然よ。
仮面舞踏会では仮面を別の店で作ってわたしの策略を躱したけれど、結果としてそれが仇になったわけね。ざまぁみなさい)
ローズは優雅に紅茶を啜りながら、腹の中でこんなことを考えていた。
皇后は自分の隣にメリザンドを座らせて、他の者たちも交えて歓談した。その中で、次回の交代妃選びについて触れた。
「次は芸術祭よ。本来は音楽、絵画、詩や文芸、舞踏などの名手が集い、我が国の芸術の粋を見せ、各分野で競い合い、優勝者は皇帝陛下から勲章と報奨金を受け取る。けれど今回は、令嬢たちに何かしらの芸術の才能を披露してもらい、競い合ってもらいます。もちろん、優勝すればもう皇太子妃と決まるわけではありませんが、評価は大きく上がります。なんといっても、我が国は芸術の国。何かしら芸術を身に着けるのは、立派な淑女の条件ですからね」
もう芸術祭への招待状を誰に出すかは決まっているという。
「もちろん、わたくしはルシアンの言いなりになどなっていませんからね」
皇后は扇で口元を隠しながら、メリザンドにそっと囁いた。
「お心づかい感謝いたします」
メリザンドもそっと謝意を示した。
話を聞いた令嬢たちは、何を披露するのか、互いに自ら得手とする芸術を出しあった。皇后が言う通り芸術の国なので、貴族令嬢は幼いころから家庭教師について、音楽やら何やらを習うのが当たり前であった。
「リアーヌ様はどうなさいますの? 以前セブラン様から、ピアノがお上手だと聞きましたけれど」
「お兄様ったら。ピアノはずっと習っておりますけれど、そんなに自慢できる腕ではございませんわ。わたくしは絵を描こうと思いますの。都へ来てから、どこもかしこも絵に残したい景色ばかりですから」
リアーヌは自信に満ちた笑顔で答えた。実際、ピアノは令嬢の習い事として一般的すぎて、目立てないとふんだのだろう。もちろん、彼女は絵が趣味で、芸術祭で披露できるほどの腕前であることも事実だが。
「わたくしはフルートを披露するつもりですわ。我が家は代々子供にピアノ以外にも楽器を習わせるので、幼いころから習っておりますから」
ローズも無難なピアノでなく、フルートを選んだ。
皇后は令嬢たちの言葉を機嫌よく聞いていて、最後にメリザンドに訊ねた。
「わたくしは……詩を書きますわ」
「まぁ、詩ですか。あなたはピアノはもちろんハープも演奏できるし、絵だって描けるでしょう。ルシアンと同じで詩を好むのは知っていますが、他の者と違って、明確な技巧があるわけではないから、その芸術性だけを問われる、困難な課題になるわ。審査員の評価も割れがちだし、ハープの方があなたの素晴らしさを表現できるんじゃなくて」
「いいえ。皇后陛下のおっしゃることはごもっともですが、だからこそ詩に挑戦したいんですの」
「そう。まぁ、あなたならどんなものでも、素晴らしいものを見せてくれると思いますけれどね」
珍しくメリザンドは頑固だったので、皇后はそれ以上ハープを勧めるのをやめた。
メリザンドが詩を選んだことが意外だったのは、令嬢たちも同じだった。ローズなどは、もうルシアンの好意を取り戻すことはできないと、捨て鉢になっていると、内心嘲笑していた。
(わたくしは国一番の淑女となって、末は皇后になるのだと、幼いころから育てられてきた。そしてこれまで、その期待を裏切るどころか、それ以上の成果を出して、社交界で認められ、皇后陛下にも認めらた。ずっと社交界の花として咲き誇れるように努力し続けてきたわ。気が休まる時は、夜眠りに落ちるその瞬間だけだったほどに。
それなのに、殿下はあのリゼットに目をかけて、あろうことかわたくしを非難し、側に置きたくないとすらおっしゃった。これまでお側で誰よりも親しく過ごしてきたのに、わたくしからた目を逸らすというなら、わたくしのこの思いを全てぶつけて、嫌でもその両目をわたくしに向けさせてやりますわ。殿下の好きな詩で、殿下を振り向かせて見せる)
そんな強い情念をおくびにも出さず、メリザンドは柔らかな笑顔で皇后の話に相槌をうちつつ、茶菓子を楽しみ、他の女性たちと笑いさざめいていた。