第十四章 ジプソフィルの幸せ 第一話
文字数 3,038文字
投票所として使われていた広間には貴族が集結していた。候補者のメリザンドは、投票箱が置いてあった階段の前のあたりに堂々と立っていた。
「あら、リゼット嬢はどちらですの? 姿が見えませんわ」
「もしや、開票が怖くて出てこられないのでは?」
「いやいや、そんな意気地なしではないでしょう。何か事情があって、遅れているのでは?」
「この大事な日に遅刻とは、胆が太いですな」
好き勝手に囁き合う貴族たち。ブランシュは思わず反論しそうになったが、言わせておけとサビーナに止められた。
やがて皇帝夫妻が現れた。人々の視線はその後ろに続くルシアンに集まった。長い間臥せっていた割には色つやも良く足どりもしっかりしている。本当にすっかり元通りになったのだと、誰もが安堵した。
皇帝が階段の左側にしつらえられた玉座に座ると、人々は一斉にお辞儀をして迎えた。
「それでは選挙の結果を発表する。昨日投票を締め切った後、票は王宮の一室で厳密な管理の元、不正の無いように集計した」
皇帝がいかに公正な集計であったかを強調したあと、使用人が前に出て、紙に書いた結果を読み上げ始めた。
「投票数は647票。うち無効票は62票。これは白紙、候補以外の氏名が記入されていた、氏名の記入間違い、絵や記号が書かれていたものです。
そしてメリザンド・ド・ソンルミエール公爵令嬢と、リゼット・ド・レーブジャルダン子爵令嬢、両候補の獲得票数は……」
会場中が息をのんでその数が読み上げられるのを聞いた。
「メリザンド嬢289票、リゼット嬢296票。投票の結果皇太子妃に選出されたのは、リゼット・ド・レーブシャルダン嬢です」
リゼット支持者は喜びの声を上げ、メリザンド支持者は落胆の声を上げた。
「やったわ。リゼットの勝ちよ!」
「7票差なんて、僅差だわ」
「でも7票でもリゼット様が多く票を集めたのですよ」
ブランシュたちは小声でささやき合った。もし屋敷に居たら手を取りあって喜んでいた事だろう。側にいたポーラック卿もうんうんと何度も頷いている。王女も満面の笑みでアンリエットを振り返った。アンリエットもほっとし手胸に手を当てていた。
一方、ソンルミエール公爵は渋面で額に手を当てた。まさかここまで接戦になるとは思っていなかった。7票など無効票の中の氏名のスペル間違いを集計したら覆るような差である。これはもう運が悪かったとしか言いようがない。
メリザンドは愕然としていた。神に見放されたこともそうだが、こうもリゼットに迫られるとは思っていなかったのだ。少なくとも100票は差をつけて勝つつもりだった。田舎の平民上がりの娘と互角だったということが、彼女の誇りを傷つけた。そして幼いころから用意されていた皇太子妃の座に手が届かなかったことが悔しくて、この結末を恨んだ。
皇后もリゼットを皇太子妃に迎えねばらないことに落胆し、玉座の上で投げやりな態度を隠そうともしなかった。皇帝はそれに気が付いていないのか、会場に向かって呼びかけた。
「リゼット嬢は前へ出なさい。リゼット嬢はどこだ?」
人々はあたりを見回してリゼットを探す。すると、広間の奥から声が聞こえた。声のしたほうを見ると、階段の上にリゼットが立っていた。
優美な曲線を描く大きな白い階段の真ん中を、リゼットは静かに降りてきた。中ほどで一度立ち止り、階下の友人たちを見る。三人とも笑顔を向けている。それから広間の入り口に目をやると、シモンとノエルが扉にぴたりと張り付くように立っていた。準備はすべて整った。リゼットはまた階段をゆっくり下りて、玉座の前まで出ると、優雅に膝を追ってお辞儀した。
「皇帝陛下、皇后陛下、皇太子殿下、そしてご臨席の皆様。この度の投票の結果によって、わたくしが皇太子妃と決まりましたこと、身に余る光栄と存じます」
リゼットは再度お辞儀をした。
「ですが、この栄光は謹んで辞退申し上げます。わたくしよりも皇太子妃に相応しい令嬢がいるからです」
辞退の言葉にざわつく人々。リゼットは彼らを鎮めるように、高らかに階段の上に呼び掛けた。
「ソフィ」
すると、柱の陰からソフィが現れて、緊張しながら、しかしゆっくりと階段を下りてきた。彼女は首から胸元まで繊細なレースがあしらわれたサーモンピンクのドレスを身にまとい、金色の花の中心に真珠が埋め込まれたイヤリングをしている。髪は肩までの長さしかなかったので、編み込みのハーフアップにして小さなシニョンにし、そこにピンク色のリボンを飾った。頬はバラ色のチークを入れ、柔らかいピンク色の口紅を引き、瑞々しさが際立つようにしてある。誰もが清楚で可憐な、しかし初めて見る令嬢に釘付けになっていた。
「あ、あれはユーグではないの?」
皇后は彼女を穴が開くほど見つめてやっと気が付いた。リゼットは下りてきたソフィの両肩に手を添えて、人々に紹介した。
「こちらはソフィ・ド・フルーレトワール侯爵令嬢です。13年前、幽閉先へ護送中に一族を殺されましたが、家令と奇跡的に生き延び、身分を隠して生きてきたのです」
フルーレトワール家の名前が出ると、またどよめきが起こった。ソンルミエール公爵は驚き、そして嫌な予感がして、ひときわ大きな声で皇帝へ訴えた。
「フルーレトワール家といえば国家反逆罪に問われた一族ですぞ。なぜその娘がこんな所に現れるのですか」
ルシアンはその一言を待っていたとばかりに入口へ合図を送った。シモンとノエルが扉を開くと、近衛隊が刺客たちを引き立てて入ってきた。
「13年前の事件は全て冤罪だったのだ。この者たちはある者に命じられて、フルーレトワール家の領地に皇帝の依頼と嘘をついて武器弾薬を運び込み、敵国の親書を偽造し、濡れ衣を着せたのです。
さぁ、お前たちにフルーレトワール侯爵を陥れろと命じたのはだれか、ここで白状しろ」
刺客の頭目は貴族たち見つめる中でソンルミエール公爵に助けを求めた。だが、ここまで来てはもう誤魔化しは効かないと観念して、遂に主の名を答えた。
「ソンルミエール公爵が、フルーレトワール侯爵を陥れたと!」
貴族たちは驚愕した。皇帝も玉座から腰を浮かせた。シモンは青ざめるソンルミエール公爵の前に立って更に追求した。
「この者たちはソンルミエール家に仕える刺客。13年前の事件以外にも、公爵家のあらゆる汚れ仕事を請け負ってきた。公爵、刺客たちは既に皇太子殿下の手に渡りました。調べれば余罪も含めてすべてが明らかになります。この上言い逃れは見苦しいですぞ」
公爵は何とか活路を見出そうとしたが、皇帝と貴族たちの追及の目に耐えきれず、遂に全てを告白した。
「奴らが税金の横領を告発しなければ。我が家にとって必要な財だったというのに。おまけに我が娘メリザンドがいるというのに、娘を陛下に売り込もうとするとは。あのままでは我が家門は傾く一方だったのだ」
「だから濡れ衣を着せて排除したのか。しかも追放では飽き足らず命まで奪うとは。極悪非道の行いだ。わたしはこの国の皇太子として、13年前の事件を再度調査し、フルーレトワール家の濡れ衣を晴らす。そしてしかるべき罰を罪を犯した者に加える」
ルシアンは決然と言い放った。ソンルミエール公爵は近衛隊に身柄を拘束された。メリザンドは打ちひしがれてその場に崩れ落ちた。好きに動かせる影の存在がいるのは薄々知っていたが、父が敵対する一族を皆殺しにしていたなど、まったくあずかり知らぬことだったのだ。
「あら、リゼット嬢はどちらですの? 姿が見えませんわ」
「もしや、開票が怖くて出てこられないのでは?」
「いやいや、そんな意気地なしではないでしょう。何か事情があって、遅れているのでは?」
「この大事な日に遅刻とは、胆が太いですな」
好き勝手に囁き合う貴族たち。ブランシュは思わず反論しそうになったが、言わせておけとサビーナに止められた。
やがて皇帝夫妻が現れた。人々の視線はその後ろに続くルシアンに集まった。長い間臥せっていた割には色つやも良く足どりもしっかりしている。本当にすっかり元通りになったのだと、誰もが安堵した。
皇帝が階段の左側にしつらえられた玉座に座ると、人々は一斉にお辞儀をして迎えた。
「それでは選挙の結果を発表する。昨日投票を締め切った後、票は王宮の一室で厳密な管理の元、不正の無いように集計した」
皇帝がいかに公正な集計であったかを強調したあと、使用人が前に出て、紙に書いた結果を読み上げ始めた。
「投票数は647票。うち無効票は62票。これは白紙、候補以外の氏名が記入されていた、氏名の記入間違い、絵や記号が書かれていたものです。
そしてメリザンド・ド・ソンルミエール公爵令嬢と、リゼット・ド・レーブジャルダン子爵令嬢、両候補の獲得票数は……」
会場中が息をのんでその数が読み上げられるのを聞いた。
「メリザンド嬢289票、リゼット嬢296票。投票の結果皇太子妃に選出されたのは、リゼット・ド・レーブシャルダン嬢です」
リゼット支持者は喜びの声を上げ、メリザンド支持者は落胆の声を上げた。
「やったわ。リゼットの勝ちよ!」
「7票差なんて、僅差だわ」
「でも7票でもリゼット様が多く票を集めたのですよ」
ブランシュたちは小声でささやき合った。もし屋敷に居たら手を取りあって喜んでいた事だろう。側にいたポーラック卿もうんうんと何度も頷いている。王女も満面の笑みでアンリエットを振り返った。アンリエットもほっとし手胸に手を当てていた。
一方、ソンルミエール公爵は渋面で額に手を当てた。まさかここまで接戦になるとは思っていなかった。7票など無効票の中の氏名のスペル間違いを集計したら覆るような差である。これはもう運が悪かったとしか言いようがない。
メリザンドは愕然としていた。神に見放されたこともそうだが、こうもリゼットに迫られるとは思っていなかったのだ。少なくとも100票は差をつけて勝つつもりだった。田舎の平民上がりの娘と互角だったということが、彼女の誇りを傷つけた。そして幼いころから用意されていた皇太子妃の座に手が届かなかったことが悔しくて、この結末を恨んだ。
皇后もリゼットを皇太子妃に迎えねばらないことに落胆し、玉座の上で投げやりな態度を隠そうともしなかった。皇帝はそれに気が付いていないのか、会場に向かって呼びかけた。
「リゼット嬢は前へ出なさい。リゼット嬢はどこだ?」
人々はあたりを見回してリゼットを探す。すると、広間の奥から声が聞こえた。声のしたほうを見ると、階段の上にリゼットが立っていた。
優美な曲線を描く大きな白い階段の真ん中を、リゼットは静かに降りてきた。中ほどで一度立ち止り、階下の友人たちを見る。三人とも笑顔を向けている。それから広間の入り口に目をやると、シモンとノエルが扉にぴたりと張り付くように立っていた。準備はすべて整った。リゼットはまた階段をゆっくり下りて、玉座の前まで出ると、優雅に膝を追ってお辞儀した。
「皇帝陛下、皇后陛下、皇太子殿下、そしてご臨席の皆様。この度の投票の結果によって、わたくしが皇太子妃と決まりましたこと、身に余る光栄と存じます」
リゼットは再度お辞儀をした。
「ですが、この栄光は謹んで辞退申し上げます。わたくしよりも皇太子妃に相応しい令嬢がいるからです」
辞退の言葉にざわつく人々。リゼットは彼らを鎮めるように、高らかに階段の上に呼び掛けた。
「ソフィ」
すると、柱の陰からソフィが現れて、緊張しながら、しかしゆっくりと階段を下りてきた。彼女は首から胸元まで繊細なレースがあしらわれたサーモンピンクのドレスを身にまとい、金色の花の中心に真珠が埋め込まれたイヤリングをしている。髪は肩までの長さしかなかったので、編み込みのハーフアップにして小さなシニョンにし、そこにピンク色のリボンを飾った。頬はバラ色のチークを入れ、柔らかいピンク色の口紅を引き、瑞々しさが際立つようにしてある。誰もが清楚で可憐な、しかし初めて見る令嬢に釘付けになっていた。
「あ、あれはユーグではないの?」
皇后は彼女を穴が開くほど見つめてやっと気が付いた。リゼットは下りてきたソフィの両肩に手を添えて、人々に紹介した。
「こちらはソフィ・ド・フルーレトワール侯爵令嬢です。13年前、幽閉先へ護送中に一族を殺されましたが、家令と奇跡的に生き延び、身分を隠して生きてきたのです」
フルーレトワール家の名前が出ると、またどよめきが起こった。ソンルミエール公爵は驚き、そして嫌な予感がして、ひときわ大きな声で皇帝へ訴えた。
「フルーレトワール家といえば国家反逆罪に問われた一族ですぞ。なぜその娘がこんな所に現れるのですか」
ルシアンはその一言を待っていたとばかりに入口へ合図を送った。シモンとノエルが扉を開くと、近衛隊が刺客たちを引き立てて入ってきた。
「13年前の事件は全て冤罪だったのだ。この者たちはある者に命じられて、フルーレトワール家の領地に皇帝の依頼と嘘をついて武器弾薬を運び込み、敵国の親書を偽造し、濡れ衣を着せたのです。
さぁ、お前たちにフルーレトワール侯爵を陥れろと命じたのはだれか、ここで白状しろ」
刺客の頭目は貴族たち見つめる中でソンルミエール公爵に助けを求めた。だが、ここまで来てはもう誤魔化しは効かないと観念して、遂に主の名を答えた。
「ソンルミエール公爵が、フルーレトワール侯爵を陥れたと!」
貴族たちは驚愕した。皇帝も玉座から腰を浮かせた。シモンは青ざめるソンルミエール公爵の前に立って更に追求した。
「この者たちはソンルミエール家に仕える刺客。13年前の事件以外にも、公爵家のあらゆる汚れ仕事を請け負ってきた。公爵、刺客たちは既に皇太子殿下の手に渡りました。調べれば余罪も含めてすべてが明らかになります。この上言い逃れは見苦しいですぞ」
公爵は何とか活路を見出そうとしたが、皇帝と貴族たちの追及の目に耐えきれず、遂に全てを告白した。
「奴らが税金の横領を告発しなければ。我が家にとって必要な財だったというのに。おまけに我が娘メリザンドがいるというのに、娘を陛下に売り込もうとするとは。あのままでは我が家門は傾く一方だったのだ」
「だから濡れ衣を着せて排除したのか。しかも追放では飽き足らず命まで奪うとは。極悪非道の行いだ。わたしはこの国の皇太子として、13年前の事件を再度調査し、フルーレトワール家の濡れ衣を晴らす。そしてしかるべき罰を罪を犯した者に加える」
ルシアンは決然と言い放った。ソンルミエール公爵は近衛隊に身柄を拘束された。メリザンドは打ちひしがれてその場に崩れ落ちた。好きに動かせる影の存在がいるのは薄々知っていたが、父が敵対する一族を皆殺しにしていたなど、まったくあずかり知らぬことだったのだ。