第三章 皇太子妃候補たち 第十話
文字数 3,026文字
これこそは、今舞踏会を中止して大捜索しているヘアピンではないか。
「そ、それはサビーナ様のヘアピンですわよね? だってサビーナ様のお荷物から出てきたんですもの」
「いいえ。わたくしこんなものは持ってきていません」
サビーナは困惑しきっていた。ダイヤモンドのヘアピンが、自分の荷物から出てきたのだから。
「サビーナではありません。事件が起きる前からここへ来るまで、わたくしと一緒にいましたもの。それに、これがリアーヌ様のヘアピンと決まったわけではありませんわ。他の方のものが、間違って紛れたのかもしれませんし」
皆が心に浮かべた疑惑を読み取って、ブランシュは友人を庇った。
「ええ、ええ、そうですわ。それに、もし取ったのなら、わたくしたちに見せたりしませんもの、ね」
リゼットが同意を求めると、パメラはうんうんと首を縦に振ったが、シモンは何やら思案顔で目を背けた。
「……きっとこれは、リーアヌ様のヘアピンですわ。誰かが取って、わたくしのバッグの中に隠したのです。わたくしを犯人にするために。
リアーヌ様のヘアピンであれ、他の誰かのものであれ、わたくしが泥棒ということに変わりはありませんわ。人の物を盗むような心の悪い娘は、国一番の淑女とは呼べない。どうやら、わたくしは次の集まりには呼ばれないようね。そればかりか、きっと罰を受けることになりますわ」
サビーナはすっかり諦めてしまったようで、肩を落として首を振った。
(濡れ衣を着せられて退場だなんて、そんなのあり? 心が悪いのは陥れた人間でしょうよ。誰か知らないけど)
リゼットと同じ気持だったのだろう、ブランシュはサビーナの手を取って立ち上がった。
「あなたを泥棒になんてしないわ! あなたの潔白はわたくしたちが証明するわ。とにかく、このヘアピンをもって皇帝陛下に正直に申し上げましょう。それで、真犯人を見つけるのよ」
広間には誰かが故意にヘアピンを取ったと思いこむリアーヌとメリザンドがいるし、自分の疑いを晴らしたいローズもいる。ヘアピンを手にのこのこ戻ったら、即座に犯人扱いされてしまうだろう。わたくし
「あ、あの。下手に弁明したら、却って不利になるのでは。それよりも、別の方法を考えましょう」
と言ってはみたものの、いい方法が思いついているわけではなかった。ちらりとシモンの方を見るが、助け舟を出してくれない。ブランシュとパメラは期待のこもった目で見つめてくる。背中に冷や汗をかきながら、リゼットは苦肉の策をひねり出した。
鏡の間ではヘアピンは見つからなかった。
「あくまでわたくしを疑うというなら、わたくしがどこかにヘアピンを隠していないか、お調べになればよろしいわ!」
ローズは強く主張した。皇帝も皇后もセブランも、ここまで言うのであればと、多少彼女への疑いを解いたが、リアーヌは依然として彼女の仕業だと主張した。
「陛下、もうこうなっては、ここに集ったすべての人の持ち物を、一度調べてみるしかないようですわね。皆さまに嫌疑をかけるようで心苦しいですが、そうでもしなければ犯人がわかりませんわ」
メリザンドが皇帝に提案した。皇帝もそうするほかはないと思っていたようで、使用人たちに命じて来賓を男女それぞれに分けて、控室で調べるように取り計らおうとした。当然、疑われるのは心外だと気色ばむ者もいた。
「まずは皇太子妃選びに集まった令嬢たちを調べては? リアーヌ嬢を辱めることが目的なら、犯人は候補者の誰かでしょうから」
ということになり、皇后が女官を集めて令嬢たちを控室に集めようとしたところで、ガシャンと何かが割れる音がした。
皆が目を向けると、軽食と飲み物が置かれたテーブルの隣で、リゼットがテーブルクロスを巻き込んで派手に転んでいた。テーブルの上の物はひっくり返り、グラスや皿は床に落ちてしまった。
「ごめんなさぁい。わたくし、ちょっと目が回ってぇ……、待っている間、お酒を飲みすぎてしまったようですわ~」
リゼットは立ち上がろうとするも、すぐにバランスを崩して、輪っかのドレスに埋もれるように後ろに倒れこんだ。急いで使用人たちが割れた食器や散乱した食べ物を片付けようとする。その中の一人だったユーグは、割れたワイングラスの破片の中に、光るものを見つけた。
「ありました」
ユーグはヘアピンを拾い上げると、素早くクロスを取り出し、水滴と細かいガラスの破片を拭きとり、リアーヌに見せた。
「……確かに、これはわたくしのものです」
鏡の間は驚きと安堵、そして疑惑のざわめきに包まれた。見つかったのは良かったが、あれだけ探して見つからなかった物が、どうして出てきたのだろう。
「そういえば、このテーブルはわたくしとリアーヌ様が踊っていた場所と近いですね。きっと回った拍子にピンが飛んで、ワイングラスの中に入ってしまったのでは? 当時は音楽も鳴っていましたから、音がしても気が付かないでしょうし。どうりで床を探しても見つからないわけです」
酔っぱらって倒れたリゼットを後ろから抱きかかえたシモンが言った。
そんな偶然があるだろうか。
(誰かがピンを抜いた後、咄嗟にグラスの中に入れて隠したとも考えられる。それをひっくり返したリゼット嬢は……。いや、怪しい動きをしていなかったのはわたしが知っているし、リアーヌの髪を直しに行ったから、ピンを隠す暇はなかった。彼女の線は薄いな)
セブランは密かに思案していたが、誰の企みか、まったく見当がつかなかった。
そこで、時計がボーンと鳴った。鏡の間の壮麗な柱時計の針が、当初の終了予定時間を指していた。
「もうこんな時間! ヘアピンも見つかって、全ては偶然だったとわかったのはいいけれど、わたくしたち、審査のためにまだ夜会を続けますの? ちょっと気分が乗りませんわ」
ブランシュの大きな独り言に同調する令嬢は多かった。令嬢以外の貴族たちもだ。皇帝も同じ気持ちだったのだろう。今日はお開きと宣言すると、侍従たちを引き連れて退出した。
(せっかくローズを皇太子妃候補から外せるチャンスだったのに。まさかあんな所から見つかるなんて)
リアーヌはほっとした表情の下で悔しがった。
(今から証拠もなしに人を疑ったリアーヌとメリザンドを糾弾しようと思ったのに、夜会はもうお終いなんて)
ローズは強く輪っかのドレスを押さえる手を強く握った。
(サビーナに罪を着せて排除し、ローズに濡れ衣を着せようとしたリアーヌと、皆から疑われるような品性のローズの印象を悪くして、できれば排除してやろうと思っていたのに。サビーナが気が付いたのかしら。でもピンを見つけるきっかけを作ったのは、あのリゼットとかいう娘。どういうからくりかしら。何にせよ、全て台無しになったわ)
メリザンドは父親の後ろについて鏡の間を後にしながら、ちらりとリゼットを見やった。
集まった貴族たちが多少顔をしかめるくらい、リゼットの酔っぱらいの演技は完璧だった。果ては皇后までが、退出する前にわざわざ言葉をかけてくれたほどだ
「みっともなく酔っぱらった姿なんか見せて、皇后さまも呆れてらしたわ。わたしに次回の招待状は来ないかも」
宮殿を出て馬車に乗り込み、やっと演技をやめることができると、リゼットはぐったりと脱力してそうこぼした。
「そ、それはサビーナ様のヘアピンですわよね? だってサビーナ様のお荷物から出てきたんですもの」
「いいえ。わたくしこんなものは持ってきていません」
サビーナは困惑しきっていた。ダイヤモンドのヘアピンが、自分の荷物から出てきたのだから。
「サビーナではありません。事件が起きる前からここへ来るまで、わたくしと一緒にいましたもの。それに、これがリアーヌ様のヘアピンと決まったわけではありませんわ。他の方のものが、間違って紛れたのかもしれませんし」
皆が心に浮かべた疑惑を読み取って、ブランシュは友人を庇った。
「ええ、ええ、そうですわ。それに、もし取ったのなら、わたくしたちに見せたりしませんもの、ね」
リゼットが同意を求めると、パメラはうんうんと首を縦に振ったが、シモンは何やら思案顔で目を背けた。
「……きっとこれは、リーアヌ様のヘアピンですわ。誰かが取って、わたくしのバッグの中に隠したのです。わたくしを犯人にするために。
リアーヌ様のヘアピンであれ、他の誰かのものであれ、わたくしが泥棒ということに変わりはありませんわ。人の物を盗むような心の悪い娘は、国一番の淑女とは呼べない。どうやら、わたくしは次の集まりには呼ばれないようね。そればかりか、きっと罰を受けることになりますわ」
サビーナはすっかり諦めてしまったようで、肩を落として首を振った。
(濡れ衣を着せられて退場だなんて、そんなのあり? 心が悪いのは陥れた人間でしょうよ。誰か知らないけど)
リゼットと同じ気持だったのだろう、ブランシュはサビーナの手を取って立ち上がった。
「あなたを泥棒になんてしないわ! あなたの潔白はわたくしたちが証明するわ。とにかく、このヘアピンをもって皇帝陛下に正直に申し上げましょう。それで、真犯人を見つけるのよ」
広間には誰かが故意にヘアピンを取ったと思いこむリアーヌとメリザンドがいるし、自分の疑いを晴らしたいローズもいる。ヘアピンを手にのこのこ戻ったら、即座に犯人扱いされてしまうだろう。わたくし
たち
、なんてブランシュに一括りにされてしまったリゼットは、この状況をどう乗り切るか、危機感を持って考えざるを得なかった。だ「あ、あの。下手に弁明したら、却って不利になるのでは。それよりも、別の方法を考えましょう」
と言ってはみたものの、いい方法が思いついているわけではなかった。ちらりとシモンの方を見るが、助け舟を出してくれない。ブランシュとパメラは期待のこもった目で見つめてくる。背中に冷や汗をかきながら、リゼットは苦肉の策をひねり出した。
鏡の間ではヘアピンは見つからなかった。
「あくまでわたくしを疑うというなら、わたくしがどこかにヘアピンを隠していないか、お調べになればよろしいわ!」
ローズは強く主張した。皇帝も皇后もセブランも、ここまで言うのであればと、多少彼女への疑いを解いたが、リアーヌは依然として彼女の仕業だと主張した。
「陛下、もうこうなっては、ここに集ったすべての人の持ち物を、一度調べてみるしかないようですわね。皆さまに嫌疑をかけるようで心苦しいですが、そうでもしなければ犯人がわかりませんわ」
メリザンドが皇帝に提案した。皇帝もそうするほかはないと思っていたようで、使用人たちに命じて来賓を男女それぞれに分けて、控室で調べるように取り計らおうとした。当然、疑われるのは心外だと気色ばむ者もいた。
「まずは皇太子妃選びに集まった令嬢たちを調べては? リアーヌ嬢を辱めることが目的なら、犯人は候補者の誰かでしょうから」
ということになり、皇后が女官を集めて令嬢たちを控室に集めようとしたところで、ガシャンと何かが割れる音がした。
皆が目を向けると、軽食と飲み物が置かれたテーブルの隣で、リゼットがテーブルクロスを巻き込んで派手に転んでいた。テーブルの上の物はひっくり返り、グラスや皿は床に落ちてしまった。
「ごめんなさぁい。わたくし、ちょっと目が回ってぇ……、待っている間、お酒を飲みすぎてしまったようですわ~」
リゼットは立ち上がろうとするも、すぐにバランスを崩して、輪っかのドレスに埋もれるように後ろに倒れこんだ。急いで使用人たちが割れた食器や散乱した食べ物を片付けようとする。その中の一人だったユーグは、割れたワイングラスの破片の中に、光るものを見つけた。
「ありました」
ユーグはヘアピンを拾い上げると、素早くクロスを取り出し、水滴と細かいガラスの破片を拭きとり、リアーヌに見せた。
「……確かに、これはわたくしのものです」
鏡の間は驚きと安堵、そして疑惑のざわめきに包まれた。見つかったのは良かったが、あれだけ探して見つからなかった物が、どうして出てきたのだろう。
「そういえば、このテーブルはわたくしとリアーヌ様が踊っていた場所と近いですね。きっと回った拍子にピンが飛んで、ワイングラスの中に入ってしまったのでは? 当時は音楽も鳴っていましたから、音がしても気が付かないでしょうし。どうりで床を探しても見つからないわけです」
酔っぱらって倒れたリゼットを後ろから抱きかかえたシモンが言った。
そんな偶然があるだろうか。
(誰かがピンを抜いた後、咄嗟にグラスの中に入れて隠したとも考えられる。それをひっくり返したリゼット嬢は……。いや、怪しい動きをしていなかったのはわたしが知っているし、リアーヌの髪を直しに行ったから、ピンを隠す暇はなかった。彼女の線は薄いな)
セブランは密かに思案していたが、誰の企みか、まったく見当がつかなかった。
そこで、時計がボーンと鳴った。鏡の間の壮麗な柱時計の針が、当初の終了予定時間を指していた。
「もうこんな時間! ヘアピンも見つかって、全ては偶然だったとわかったのはいいけれど、わたくしたち、審査のためにまだ夜会を続けますの? ちょっと気分が乗りませんわ」
ブランシュの大きな独り言に同調する令嬢は多かった。令嬢以外の貴族たちもだ。皇帝も同じ気持ちだったのだろう。今日はお開きと宣言すると、侍従たちを引き連れて退出した。
(せっかくローズを皇太子妃候補から外せるチャンスだったのに。まさかあんな所から見つかるなんて)
リアーヌはほっとした表情の下で悔しがった。
(今から証拠もなしに人を疑ったリアーヌとメリザンドを糾弾しようと思ったのに、夜会はもうお終いなんて)
ローズは強く輪っかのドレスを押さえる手を強く握った。
(サビーナに罪を着せて排除し、ローズに濡れ衣を着せようとしたリアーヌと、皆から疑われるような品性のローズの印象を悪くして、できれば排除してやろうと思っていたのに。サビーナが気が付いたのかしら。でもピンを見つけるきっかけを作ったのは、あのリゼットとかいう娘。どういうからくりかしら。何にせよ、全て台無しになったわ)
メリザンドは父親の後ろについて鏡の間を後にしながら、ちらりとリゼットを見やった。
集まった貴族たちが多少顔をしかめるくらい、リゼットの酔っぱらいの演技は完璧だった。果ては皇后までが、退出する前にわざわざ言葉をかけてくれたほどだ
「みっともなく酔っぱらった姿なんか見せて、皇后さまも呆れてらしたわ。わたしに次回の招待状は来ないかも」
宮殿を出て馬車に乗り込み、やっと演技をやめることができると、リゼットはぐったりと脱力してそうこぼした。