第四章 思わぬライバル 第四話
文字数 3,016文字
どういうわけか知らないが、とにかく幸運だ。
「良うございました。神様はシモン様をお見捨てにならなかったんですわ」
ノエルはリゼットを着替えさせながら、シモンの幸運を神に感謝した。
(でも良かった。ブランシュのネックレスも渡せるわ。脱落していたら、のこのこお屋敷を訪ねるのは惨めだもの)
王宮からの使いが来るまでの間、気を紛らわすためにリゼットはブランシュのブレスレットのアレンジに没頭していた。こういう作業は、ペンチで鎖を切ったり、開いたり、繋げて閉じたりするのだが、宝石が散りばめられていて、しかも子供用の小ささとなると、万が一傷でもつけたらと恐ろしくて、とても工具は使えなかった。
そこで、太めのリボンに縫い付けてチョーカーにすることを思いついた。水色のサテンのリボンに、宝石の花が散りばめられた、爽やかで可憐なチョーカーが完成した。
「今回は間違っても騒動に巻き込まれないようになさいませ。せっかく首の皮一枚つながったのですから、この機会を無駄にしてはいけませんわ。シモン様の前途のために」
ノエルはぐいぐいとコルセットの紐を締めながら言った
「本当にノエルはシモン兄様が好きね」
「す、好きだなんてそんな。平民のわたしが大それたこと……」
そもそもシモンの出世のためにリゼットは皇太子妃候補になったのだから、リゼットの幸運はすなはちシモンの幸運といえる。そうだとしてもノエルのシモンへの忠誠と献身はかなりのものである。
「お兄様のどこが好きなの、顔?」
「顔だけではありません。博学で臨機応変、怜悧で決断力と行動力がある素晴らしい方ですわ。それなのに不遇をかこっているから、わたくしでも助けになるなら、どんなことでもいたしますわ」
シモンはノエルの気持ちを知っているのか。知っているとしたら、彼女はいいように利用されているだけではないか。王宮へ向かう馬車の中で心配になったが、これこそ首を突っ込むべきではない厄介事だと思って、とりあえず考えないことにした。
今日の会場は中庭に面した広間であった。令嬢たちは前と同じように広間の近くの別の部屋に集められた。
部屋にはパメラの姿もあった。リゼットが呼ばれるか気になっていたようで、姿を見ると安堵の溜息をついていた。サビーナとブランシュもおり、リゼットが残っていた野を喜んだ。
リゼットは例のチョーカーをブランシュに渡した。ブランシュは大喜びして、目の高さまで掲げて、窓から差し込む光に当てて見惚れた。
「今日のお洋服に合っていますわ」
「そうね。ではこれをつけましょう」
パメラの提案を受けて、ブランシュは控えめな細い鎖のネックレスを外して、チョーカーをつけた。
ブランシュのはしゃぎように、数人の令嬢が集まってきた。ブランシュは彼女らにチョーカーを自慢し、カミーユの仕立屋に頼んだものだと話した。
「こんなに素晴らしい出来なら、他にもお願いしたいわ」
「わたくしも、こんなチョーカーがほしいですわ」
「わたくしも、ぜひ」
素人の工作なのに、職人の商品だと誤解が広がっているようだが、最早訂正は叶わない。もし他の令嬢たちまでリメイクを依頼してきたら、舞台稽古前のようにアクセサリー作りに追われることになる。
(いや。他の人たちは社交辞令で褒めているのであって、本気じゃないわよ)
そう思い込むことで、リゼットはうんざりする寸前で踏みとどまっていた。
リゼットの周りにできた令嬢たちの輪は、扉の側に控えるユーグの目にも入っていた。
(リゼット嬢、セブラン様は否定していたが、夜会の一件については、何か関係しているに違いない。他人を陥れたのか、誰かを庇ったのか。いずれにせよ悪意の人間かどうか見極めなくては。皇太子殿下のために)
昼食会の会場には、部屋の形に添うように、長机が長方形に配置されていた。庭に面した壁は一面ガラス張りの押戸で埋め尽くされ、たっぷりと下陽の光が、対面の壁にある神々の姿を描いた巨大な絵画を照らしていた。その下に暖炉があったが、当然火はくべられていない。扉の対面の壁には、初代皇帝の肖像画がかけられていた。
使用人は令嬢一人一人を決まった席に案内した。リゼットは押戸側の中心から少し扉よりに案内された。バラの地紋の入った白いテーブルクロスの上に、同じ生地のナプキンと輝く銀のカラトリ―が並んでいる。水を張った小さな器に、庭園に咲いているようなバラやガーベラ、パンジーが浮かべられ、食卓に花を添えていた。
令嬢たちは小声でお喋りしていたが、部屋の奥の扉が開くと、一斉にお喋りをやめて立ち上がった。皇后を先頭に審査に関わる貴族たちが入場し、順番に初代国王の肖像画のある壁の方の席に着く。最後に現れたのは、ブルーグレーの軍服に身を包んだ若い男性だ。皇后の隣の席に立つ。彼こそが、皇太子ルシアンであった。
金の肩章も凛々しく、レモンイエローのサッシュベルトが爽やかで、春のうららかな気候にぴったりだった。隣の皇后より頭半分ほど背が高く、机に邪魔されてもわかるくらい、股下が長かった。その上顔が小さい超絶スタイルだ。
金髪をすっきりと撫でつけているので、その整った容貌がはっきりとわかる。きりりと直線的な眉に高い鼻梁、引き締まった薄い唇、直線的な輪郭。なによりリセットが目を奪われたのはその瞳だ。二重瞼の下に光る色はアメシストのような紫だった。
青や緑の瞳であればありえるが、紫というのは見たことがない。やはりこの世界は、どこか現実とはかけ離れたところがあるのだろう。
皇太子が両手を広げて着席の合図をすると、先に皇后たちが、やや遅れて令嬢たちが着席した。使用人たちが料理を運ぶ準備をし出した。いよいよ食事会の始まりだ。
「今日は良い天気でよかったわ。すっかり暖かくなりましたからね」
「そうですね。このごろはすっかり暖かくなって、天候まで建国500年を祝っているようです」
皇后の言葉に応える皇太子の声は思ったより低く、豊かに潤っていた。
「庭の花が見事だけれど、今日集まった令嬢たちも、花のように美しいわ」
「“花の顔 蝶を惑わし 風になびくは花びらの衣 乙女がおこした春の嵐は この世の幸福と祝福に満ちている” といったところでしょうか」
壁画の壁側、審査の貴族たちに一番近いところに座ったメリザンドが、流れるように言葉を発した。
「まさに。それはジャルジェの詩ね」
「乙女の美貌を花に喩えた作品なので、ふと頭に浮かびました。皇太子殿下も同じでは? お小さいころからジャルジェの詩をお好みでしたわよね」
「わたしはそれよりも、“田園の川辺”を思い出した“謡い 笑い 春の日の下 青春の輝き放つ 川辺の乙女よ”」
「まぁ、 幼いころから詩をお好みなんて、風雅で教養の深いこと、流石は皇太子殿下、素晴らしいですわ」
リアーヌがメリザンドの三つ隣の席で、うっとりとした表情で言った。側に座っていた令嬢たちも追随した。
「他に詩の一節が頭に浮かんだ令嬢はいるだろうか。サビーナ嬢は?」
と、皇太子はリゼットと同じ側の少し離れた所にいたサビーナに話を振った。
「強いて言うならモリエールの“蜜と棘”ですわ。甘い匂いに誘われると、棘に刺されてしまうというのは、今日殿下がお気をつけになるべきことかと」
「なるほど。ただ愛でるだけの美しい花々ではないと。面白い発想だ」
そうやってルシアンは適当に令嬢たちに話を振っていった。
「良うございました。神様はシモン様をお見捨てにならなかったんですわ」
ノエルはリゼットを着替えさせながら、シモンの幸運を神に感謝した。
(でも良かった。ブランシュのネックレスも渡せるわ。脱落していたら、のこのこお屋敷を訪ねるのは惨めだもの)
王宮からの使いが来るまでの間、気を紛らわすためにリゼットはブランシュのブレスレットのアレンジに没頭していた。こういう作業は、ペンチで鎖を切ったり、開いたり、繋げて閉じたりするのだが、宝石が散りばめられていて、しかも子供用の小ささとなると、万が一傷でもつけたらと恐ろしくて、とても工具は使えなかった。
そこで、太めのリボンに縫い付けてチョーカーにすることを思いついた。水色のサテンのリボンに、宝石の花が散りばめられた、爽やかで可憐なチョーカーが完成した。
「今回は間違っても騒動に巻き込まれないようになさいませ。せっかく首の皮一枚つながったのですから、この機会を無駄にしてはいけませんわ。シモン様の前途のために」
ノエルはぐいぐいとコルセットの紐を締めながら言った
「本当にノエルはシモン兄様が好きね」
「す、好きだなんてそんな。平民のわたしが大それたこと……」
そもそもシモンの出世のためにリゼットは皇太子妃候補になったのだから、リゼットの幸運はすなはちシモンの幸運といえる。そうだとしてもノエルのシモンへの忠誠と献身はかなりのものである。
「お兄様のどこが好きなの、顔?」
「顔だけではありません。博学で臨機応変、怜悧で決断力と行動力がある素晴らしい方ですわ。それなのに不遇をかこっているから、わたくしでも助けになるなら、どんなことでもいたしますわ」
シモンはノエルの気持ちを知っているのか。知っているとしたら、彼女はいいように利用されているだけではないか。王宮へ向かう馬車の中で心配になったが、これこそ首を突っ込むべきではない厄介事だと思って、とりあえず考えないことにした。
今日の会場は中庭に面した広間であった。令嬢たちは前と同じように広間の近くの別の部屋に集められた。
部屋にはパメラの姿もあった。リゼットが呼ばれるか気になっていたようで、姿を見ると安堵の溜息をついていた。サビーナとブランシュもおり、リゼットが残っていた野を喜んだ。
リゼットは例のチョーカーをブランシュに渡した。ブランシュは大喜びして、目の高さまで掲げて、窓から差し込む光に当てて見惚れた。
「今日のお洋服に合っていますわ」
「そうね。ではこれをつけましょう」
パメラの提案を受けて、ブランシュは控えめな細い鎖のネックレスを外して、チョーカーをつけた。
ブランシュのはしゃぎように、数人の令嬢が集まってきた。ブランシュは彼女らにチョーカーを自慢し、カミーユの仕立屋に頼んだものだと話した。
「こんなに素晴らしい出来なら、他にもお願いしたいわ」
「わたくしも、こんなチョーカーがほしいですわ」
「わたくしも、ぜひ」
素人の工作なのに、職人の商品だと誤解が広がっているようだが、最早訂正は叶わない。もし他の令嬢たちまでリメイクを依頼してきたら、舞台稽古前のようにアクセサリー作りに追われることになる。
(いや。他の人たちは社交辞令で褒めているのであって、本気じゃないわよ)
そう思い込むことで、リゼットはうんざりする寸前で踏みとどまっていた。
リゼットの周りにできた令嬢たちの輪は、扉の側に控えるユーグの目にも入っていた。
(リゼット嬢、セブラン様は否定していたが、夜会の一件については、何か関係しているに違いない。他人を陥れたのか、誰かを庇ったのか。いずれにせよ悪意の人間かどうか見極めなくては。皇太子殿下のために)
昼食会の会場には、部屋の形に添うように、長机が長方形に配置されていた。庭に面した壁は一面ガラス張りの押戸で埋め尽くされ、たっぷりと下陽の光が、対面の壁にある神々の姿を描いた巨大な絵画を照らしていた。その下に暖炉があったが、当然火はくべられていない。扉の対面の壁には、初代皇帝の肖像画がかけられていた。
使用人は令嬢一人一人を決まった席に案内した。リゼットは押戸側の中心から少し扉よりに案内された。バラの地紋の入った白いテーブルクロスの上に、同じ生地のナプキンと輝く銀のカラトリ―が並んでいる。水を張った小さな器に、庭園に咲いているようなバラやガーベラ、パンジーが浮かべられ、食卓に花を添えていた。
令嬢たちは小声でお喋りしていたが、部屋の奥の扉が開くと、一斉にお喋りをやめて立ち上がった。皇后を先頭に審査に関わる貴族たちが入場し、順番に初代国王の肖像画のある壁の方の席に着く。最後に現れたのは、ブルーグレーの軍服に身を包んだ若い男性だ。皇后の隣の席に立つ。彼こそが、皇太子ルシアンであった。
金の肩章も凛々しく、レモンイエローのサッシュベルトが爽やかで、春のうららかな気候にぴったりだった。隣の皇后より頭半分ほど背が高く、机に邪魔されてもわかるくらい、股下が長かった。その上顔が小さい超絶スタイルだ。
金髪をすっきりと撫でつけているので、その整った容貌がはっきりとわかる。きりりと直線的な眉に高い鼻梁、引き締まった薄い唇、直線的な輪郭。なによりリセットが目を奪われたのはその瞳だ。二重瞼の下に光る色はアメシストのような紫だった。
青や緑の瞳であればありえるが、紫というのは見たことがない。やはりこの世界は、どこか現実とはかけ離れたところがあるのだろう。
皇太子が両手を広げて着席の合図をすると、先に皇后たちが、やや遅れて令嬢たちが着席した。使用人たちが料理を運ぶ準備をし出した。いよいよ食事会の始まりだ。
「今日は良い天気でよかったわ。すっかり暖かくなりましたからね」
「そうですね。このごろはすっかり暖かくなって、天候まで建国500年を祝っているようです」
皇后の言葉に応える皇太子の声は思ったより低く、豊かに潤っていた。
「庭の花が見事だけれど、今日集まった令嬢たちも、花のように美しいわ」
「“花の
壁画の壁側、審査の貴族たちに一番近いところに座ったメリザンドが、流れるように言葉を発した。
「まさに。それはジャルジェの詩ね」
「乙女の美貌を花に喩えた作品なので、ふと頭に浮かびました。皇太子殿下も同じでは? お小さいころからジャルジェの詩をお好みでしたわよね」
「わたしはそれよりも、“田園の川辺”を思い出した“謡い 笑い 春の日の下 青春の輝き放つ 川辺の乙女よ”」
「まぁ、 幼いころから詩をお好みなんて、風雅で教養の深いこと、流石は皇太子殿下、素晴らしいですわ」
リアーヌがメリザンドの三つ隣の席で、うっとりとした表情で言った。側に座っていた令嬢たちも追随した。
「他に詩の一節が頭に浮かんだ令嬢はいるだろうか。サビーナ嬢は?」
と、皇太子はリゼットと同じ側の少し離れた所にいたサビーナに話を振った。
「強いて言うならモリエールの“蜜と棘”ですわ。甘い匂いに誘われると、棘に刺されてしまうというのは、今日殿下がお気をつけになるべきことかと」
「なるほど。ただ愛でるだけの美しい花々ではないと。面白い発想だ」
そうやってルシアンは適当に令嬢たちに話を振っていった。