第十一章 番狂わせのからくり 第八話
文字数 2,952文字
その頃、首都エストカピタールでは、ソンルミエール家を始め、妃選びに参加した貴族たちが、皇帝夫妻にひっきりなしに抗議していた。
「皇太子殿下が男色家だったとは、それだけであるまじきことですが、それよりもまず、男色家であったのに皇太子妃選びを強行したなら、我々を侮っております」
「そのとおり。最後に誰も選ばないなど、娘たちを馬鹿にしております。ひいては我らをも馬鹿にしているとしか思えませんな」
「それで、この後どうするおつもりなのか。結局どなたが皇太子妃に? そもそも殿下の男色は治る見込みがおありなのか。ほかならぬ皇太子殿下のこと、治療の進捗を我らに知らせる義務がおありではないかな」
こういうことを時には上奏文で、時には直接訴えられ、夫妻は何も具体的なことを答えられず、ただただ疲弊するばかりだった。
メリザンドは疲れ切って自室で休む皇后にすり寄った。
「貴族たちの不満は日に日に募るばかり。令嬢たちも社交の場で同じような恨み言をとなえておりますわ。殿下の治療も、いつまでも続けているわけにはいかないでしょう。もう、誰かを皇太子妃と定め、ルシアン様にも執務に戻っていただき、幕引きを図るのがよろしいかと」
「けれど、誰を選ぶというのです」
「殿下が男色家ということは、国内外に顔向けできないとんでもない恥ですわ。これは一時の気の迷いで、治療によって快癒したと、そう表明しなければなりません。そして妃となる人間は、その秘密を守れる人間である必要があります。もちろん、身分も社交界の名声も申し分ない令嬢でなければなりません。
陛下、あの番狂わせの夜に、わたくしに申し訳ないとおっしゃってくださいましたよね。ならば、わたくしをご指名ください。ルシアン様の秘密を守るなどわけないことですわ。わたくしならば、幼いころから殿下の側にいましたし、社交界の人々から認められています。貴族たちも文句をさしはさむ余地はありません」
皇后としても、かねてよりメリザンドを気に入っていたわけだから、おかしくなった息子を預けるのにこれほど信頼できる令嬢はいないと喜んだ。ただ、一人では決めかねると、一度皇帝と話し合うことにした。
一方のリゼットたちは、ソフィを連れてエストカピタールへ戻る途中だった。
「13年前の事件には怪しいところが沢山ある。まず山賊だ。護送される罪人を襲っても実入りは少ないはずなのに、わざわざ襲いに来た。家令の話では、人を殺すだけ殺して、金目の物を物色する様子がなかった。護衛もあっさり逃げたところを見ると、彼らも山賊もきっと陰謀の首謀者に雇われたに違いない。
全てが陰謀だとしたら、最初に送られた武器というのが仕込みだったのだろう。皇室の命令を騙って、首謀者が用意したものだろう。だとすればその時に軍事と外交を担当していたのは誰だ」
「家令の話だと、ソンルミエール公爵だったと……」
シモンの問いにユーグもといソフィは小さく答えた。
「ということは、つまりメリザンド様のお父様がやったということ?」
「まだ証拠がないが、家令の話が本当だとしたら、そういうことになる」
リゼットは驚いた。あの美しく気高いメリザンドの背後にそんな恐ろしい陰謀があったとは。
(もちろん、メリザンド様がやったことじゃないわ。13年前なんてまだ子供だったもの)
とはいえ、この陰謀が暴かれたら、一族の人間であるメリザンドも何かしら罰を受けることになるだろう。ソフィは家令の助けがなければ殺されていたのだから。逆の場合も同じだと言えばそれまでだが、親の罪を何も知らない子供が背負うのは哀れだ。
「この陰謀を暴くのなら、ソンルミエール家が皇室の名を騙って武器を入手し、フルーレトワール家の領地へやった証拠をつかむのが手っ取り早い。勝手に皇室の名前を使ったのだから、却ってエテスポワール家が反逆罪になるぞ」
「そうですわね。シモン様、冴えていらっしゃいます!」
ノエルに褒められてシモンは鼻を鳴らして足を組んだ。
「厄介事に首を突っ込むつもりはなかった。こんなやつを連れ戻したりしなければ、リゼットは皇太子妃になれたかもしれないっていうのに。だがもう仕方ない。お人好しの妹を持ったわたしの運命だ。やるとなったらとことんやって、過去の不正を暴いた手柄をもらうとするさ」
リゼットは苦笑いして兄に感謝した。
「リゼット様がわたしに協力してくださるなんて、申し訳ない。だって、あなたのお気持ちを想うと……」
村を出てからこのかた、ソフィはずっとリゼットに憚っていた。確かに胸の内は複雑で、ようやく気持にけりをつけたばかりだった。それでそんなことを言われると、こちらまで居心地が悪い。リゼットはソフィに言った。
「そりゃあ、本当はあなたを助けるのには抵抗もあるわ。わたくたちからしたら、あなたってとてもずるく見えるもの。妃選びに参加せず、皇太子さまのお心を射止めたんだから。
でも、あなたが都で仕事を探して殿下のお側に仕えたのは偶然だったのよね。それをずるいと責めても、何にもならないわ。
考えてみれば、妃選びだって最初から不公平だったわ。ブランシュはお金持ちだったし、リアーヌはセブラン様のサポートがあったし、メリザンド様なんて、殿下の幼馴染なうえに皇后陛下がついていたわ。でも皆がそれぞれの立場に生まれついたのは偶然でしょう。わたくしも、レーブジャルダン家の養女にしてもらったのも偶然だし、こうして最後まで残れたのも偶然だったわ」
前世でも同じだ。同じ娘役でも、誰が路線で誰がその他大勢になるかを分けるのは、結局偶然だ。実力か美貌か金かコネか、何であれそれらは偶然によって手にはいるものだ。大川悦子が歌舞校に入学できたのも、運によるところが大きい。誰もが努力しているが、最後には優劣が付く。突き詰めればそれはもはや運という名の偶然なのだ。自らの力だけで望む物を勝ち得たなど、とんでもない思い上がりだ。
「結局誰もが偶然で出来上がった舞台で踊っているのよ。それでわたくしの思いが届かなかったのも、また偶然なの。それは受け入れなきゃ。それを曲げてまで自分の欲しいものを手にいれるっていうのは、却ってずるいでしょう。だからその申し訳ない顔はやめて。あなたには何も後ろ暗いことなんてないのよ」
「リゼット様、ありがとうございます」
ソフィの目にはまた涙が光ったが、それをすぐに指で拭って、笑顔を見せた。
二日で都へ到着したのはいいが、従者としてソフィを王宮へ戻せば、皇帝夫妻に呼び出されて、あれこれ面倒なことになりそうだし、かといって馬鹿正直にすべてを話しても、ソンルミエール家に消されるかもしれない。ひとまずどこかに匿って、今後のことを考える必要がある。
ノエルがうってつけのところがあると、元カミーユの工房を提案した。カミーユの店がポーラック家御用達の店と合併してから、あそこはシモンの自宅兼個人工房になっていて、人の出入りは少ないらしい。
「使用人も多く貴族のお屋敷の多い区画にあるポーラック邸では、万が一ソフィ様の存在が知られてしまうかもしれませんもの」
それがいいと、まず先にカミーユの家によってソフィとノエルをおろし、シモンとリゼットはポーラック邸へ戻っていった。
「皇太子殿下が男色家だったとは、それだけであるまじきことですが、それよりもまず、男色家であったのに皇太子妃選びを強行したなら、我々を侮っております」
「そのとおり。最後に誰も選ばないなど、娘たちを馬鹿にしております。ひいては我らをも馬鹿にしているとしか思えませんな」
「それで、この後どうするおつもりなのか。結局どなたが皇太子妃に? そもそも殿下の男色は治る見込みがおありなのか。ほかならぬ皇太子殿下のこと、治療の進捗を我らに知らせる義務がおありではないかな」
こういうことを時には上奏文で、時には直接訴えられ、夫妻は何も具体的なことを答えられず、ただただ疲弊するばかりだった。
メリザンドは疲れ切って自室で休む皇后にすり寄った。
「貴族たちの不満は日に日に募るばかり。令嬢たちも社交の場で同じような恨み言をとなえておりますわ。殿下の治療も、いつまでも続けているわけにはいかないでしょう。もう、誰かを皇太子妃と定め、ルシアン様にも執務に戻っていただき、幕引きを図るのがよろしいかと」
「けれど、誰を選ぶというのです」
「殿下が男色家ということは、国内外に顔向けできないとんでもない恥ですわ。これは一時の気の迷いで、治療によって快癒したと、そう表明しなければなりません。そして妃となる人間は、その秘密を守れる人間である必要があります。もちろん、身分も社交界の名声も申し分ない令嬢でなければなりません。
陛下、あの番狂わせの夜に、わたくしに申し訳ないとおっしゃってくださいましたよね。ならば、わたくしをご指名ください。ルシアン様の秘密を守るなどわけないことですわ。わたくしならば、幼いころから殿下の側にいましたし、社交界の人々から認められています。貴族たちも文句をさしはさむ余地はありません」
皇后としても、かねてよりメリザンドを気に入っていたわけだから、おかしくなった息子を預けるのにこれほど信頼できる令嬢はいないと喜んだ。ただ、一人では決めかねると、一度皇帝と話し合うことにした。
一方のリゼットたちは、ソフィを連れてエストカピタールへ戻る途中だった。
「13年前の事件には怪しいところが沢山ある。まず山賊だ。護送される罪人を襲っても実入りは少ないはずなのに、わざわざ襲いに来た。家令の話では、人を殺すだけ殺して、金目の物を物色する様子がなかった。護衛もあっさり逃げたところを見ると、彼らも山賊もきっと陰謀の首謀者に雇われたに違いない。
全てが陰謀だとしたら、最初に送られた武器というのが仕込みだったのだろう。皇室の命令を騙って、首謀者が用意したものだろう。だとすればその時に軍事と外交を担当していたのは誰だ」
「家令の話だと、ソンルミエール公爵だったと……」
シモンの問いにユーグもといソフィは小さく答えた。
「ということは、つまりメリザンド様のお父様がやったということ?」
「まだ証拠がないが、家令の話が本当だとしたら、そういうことになる」
リゼットは驚いた。あの美しく気高いメリザンドの背後にそんな恐ろしい陰謀があったとは。
(もちろん、メリザンド様がやったことじゃないわ。13年前なんてまだ子供だったもの)
とはいえ、この陰謀が暴かれたら、一族の人間であるメリザンドも何かしら罰を受けることになるだろう。ソフィは家令の助けがなければ殺されていたのだから。逆の場合も同じだと言えばそれまでだが、親の罪を何も知らない子供が背負うのは哀れだ。
「この陰謀を暴くのなら、ソンルミエール家が皇室の名を騙って武器を入手し、フルーレトワール家の領地へやった証拠をつかむのが手っ取り早い。勝手に皇室の名前を使ったのだから、却ってエテスポワール家が反逆罪になるぞ」
「そうですわね。シモン様、冴えていらっしゃいます!」
ノエルに褒められてシモンは鼻を鳴らして足を組んだ。
「厄介事に首を突っ込むつもりはなかった。こんなやつを連れ戻したりしなければ、リゼットは皇太子妃になれたかもしれないっていうのに。だがもう仕方ない。お人好しの妹を持ったわたしの運命だ。やるとなったらとことんやって、過去の不正を暴いた手柄をもらうとするさ」
リゼットは苦笑いして兄に感謝した。
「リゼット様がわたしに協力してくださるなんて、申し訳ない。だって、あなたのお気持ちを想うと……」
村を出てからこのかた、ソフィはずっとリゼットに憚っていた。確かに胸の内は複雑で、ようやく気持にけりをつけたばかりだった。それでそんなことを言われると、こちらまで居心地が悪い。リゼットはソフィに言った。
「そりゃあ、本当はあなたを助けるのには抵抗もあるわ。わたくたちからしたら、あなたってとてもずるく見えるもの。妃選びに参加せず、皇太子さまのお心を射止めたんだから。
でも、あなたが都で仕事を探して殿下のお側に仕えたのは偶然だったのよね。それをずるいと責めても、何にもならないわ。
考えてみれば、妃選びだって最初から不公平だったわ。ブランシュはお金持ちだったし、リアーヌはセブラン様のサポートがあったし、メリザンド様なんて、殿下の幼馴染なうえに皇后陛下がついていたわ。でも皆がそれぞれの立場に生まれついたのは偶然でしょう。わたくしも、レーブジャルダン家の養女にしてもらったのも偶然だし、こうして最後まで残れたのも偶然だったわ」
前世でも同じだ。同じ娘役でも、誰が路線で誰がその他大勢になるかを分けるのは、結局偶然だ。実力か美貌か金かコネか、何であれそれらは偶然によって手にはいるものだ。大川悦子が歌舞校に入学できたのも、運によるところが大きい。誰もが努力しているが、最後には優劣が付く。突き詰めればそれはもはや運という名の偶然なのだ。自らの力だけで望む物を勝ち得たなど、とんでもない思い上がりだ。
「結局誰もが偶然で出来上がった舞台で踊っているのよ。それでわたくしの思いが届かなかったのも、また偶然なの。それは受け入れなきゃ。それを曲げてまで自分の欲しいものを手にいれるっていうのは、却ってずるいでしょう。だからその申し訳ない顔はやめて。あなたには何も後ろ暗いことなんてないのよ」
「リゼット様、ありがとうございます」
ソフィの目にはまた涙が光ったが、それをすぐに指で拭って、笑顔を見せた。
二日で都へ到着したのはいいが、従者としてソフィを王宮へ戻せば、皇帝夫妻に呼び出されて、あれこれ面倒なことになりそうだし、かといって馬鹿正直にすべてを話しても、ソンルミエール家に消されるかもしれない。ひとまずどこかに匿って、今後のことを考える必要がある。
ノエルがうってつけのところがあると、元カミーユの工房を提案した。カミーユの店がポーラック家御用達の店と合併してから、あそこはシモンの自宅兼個人工房になっていて、人の出入りは少ないらしい。
「使用人も多く貴族のお屋敷の多い区画にあるポーラック邸では、万が一ソフィ様の存在が知られてしまうかもしれませんもの」
それがいいと、まず先にカミーユの家によってソフィとノエルをおろし、シモンとリゼットはポーラック邸へ戻っていった。