第九章 エストカピタールにて 第六話
文字数 2,924文字
シモンが考えた宿泊セットツアーのチケットは全日程売り切れた。しかしそれは上流階級の人間向けの一番良い席ばかりだった。
「宣伝のおかげで、貴族以外でも観たいという人が、申し込みに来ているそうですわ」
『ラディアント トレゾール』の主題歌の中毒性は侮れない。聞いた人々の頭から離れないメロディは、彼らをエストカピタールへと誘った。
「それなら、安い席もそれなりの宿屋をつけて売ればいいじゃないか」
シモンはまた座席表と日程表を引っ張り出して、席を割り振った。これも少々高めの値段だったが、そうまでして観たい客には吹っ掛けても問題ないのだと、何でもないような顔をして言っていた。
「そういえば、国立劇場のチケットの予約は売り切れていたよな。その名簿はあるか? あったら名簿にある人間は何割か安い値段で販売しろ。そうすれば向うで予約していた奴らを釣れるからな。
貴族連中の中には、こちらの演目を一度見たらポルトシュバルへ向かったり、他の避暑地へ移動するつもりの人間もいるらしい。一度こちらに集めた人間を逃してはだめだ。だから帰りの馬車についてはシーズンの後半に固定して、もし早く帰りたい場合は、別料金を払うようにしておけ。しかも近衛隊の護衛なしだ。予想以上にこちらへ来る客が多くて、手配できる馬車も荷馬車も足りないのだと言い訳すればいい。金持ちがここに留まることになれば、周辺の食堂も酒場も儲かって大助かりだろう。
安い席はこの地の人間に売ってしまえばいいさ。皇后は破廉恥で下品な出し物だと言いふらしてきたから、子供や老人にも安いチケットを振る舞って、沢山呼んでやれ。老若男女誰でも見られる健全な演目だとアピールするんだ。それに子供が来るなら親も来ざるを得ないし、足腰の弱い老人には付き添いがいるから、客を増やせるぞ」
「でも、そんなにチケットを安売りして、大丈夫なの?」
「平気さ。友好事業になったから補助金が出るんだ。それに大貴族ポーラック公爵家がついている。だいたい、わたしがそういう金勘定をおざなりにすると思うか? 割高にしたチケットでちゃんと帳尻が合うようにしてある」
「流石シモン様! 毎日満員御礼だったとなれば、社交界でもお嬢様の名声は高まり、いずれは皇后陛下もお嬢様を認めざるを得なくなりますわ。シモン様の才能と努力が実る時も近いです」
ノエルは手放しでシモンを褒めそやした。商売とは卑怯な権謀術数に通じるところがある。だからシモンはこうもポンポンと良いアイディアを思いつくのだろう。それが良いことだとは思えないが、本人とノエルが満足しているので、まぁいいか、とリゼットは劇場の執務室を出た。
「君の兄君は商才があるようだな」
いきなりルシアンに出くわしてリゼットは大きな声を出して驚いてしまった。
「殿下、どうしてここに?」
「いや、ブランシュ嬢から執務室へ来るように連絡があったと、ユーグに言われてきたのだ。観客の護衛の件で話したいことがあると。だがここにはいないようだな」
リゼットの記憶だと、ブランシュは町で酒場や食堂の関係者を集めて、シモンの提案通り観劇した者に何か得点をつける施策の相談をしていたはずだ。劇場へ来ることになったのだろうか。
すると、ユーグがこちらへ向かって早足でやってきた。
「殿下、ブランシュ様が見つかりました。こちらです。リゼット嬢もご一緒でしたか。それならばちょうどいい。ブランシュ嬢はあなたにも話を聞いてほしいと言っていたので、ついてきていただけますか」
リゼットが疑問を挟む間もなく、ユーグは二人を先導して、執務室のある階から階段を下りて行った。舞台に繋がる階へ降りると、パメラの歌声が聞こえた。
「パメラ嬢は、もう皇太子妃選びに出る必要はないな。劇場が彼女のいるべき場所になったから」
「ええ。盗賊に襲われたせいで失格になってしまって、悪いことをしたなって思っていたんですけれど、彼女は才能があるので、歌手として成功しますわ、きっと」
「あれは君のせいではないから、気に病むことは無いのに」
「でも、わたくしと一緒にいたから、ああなってしまったのですもの」
ユーグは奈落へと続く地下へ降りた。地下にも人がいて、セットを組み立てたり、小道具や衣装を持ってせわしなく動き回っていた。
「ブランシュがここに来るかしら? ねぇユーグさん、本当に彼女はここに来てほしいと言ったの?」
リゼットが尋ねると同時にユーグは物置と思しき小さな扉を開けて、ブランシュに声をかけた。
「いらっしゃいました。さぁ、どうぞ」
と、二人は半ば押し込まれるように部屋に入った。
部屋の中には古びた緞帳や机や椅子、張りぼての壁などが乱雑に押し込まれていた。
「ブランシュ? どこにいるの?」
リゼットが大道具の影を覗き込んだところで、ぱたりと扉が閉まった。
「あれぇ? 扉が開かないなぁ。もしかして古くて壊れているのかも。人を呼んできますので、少々お待ちを」
それだけ言って、パタパタとユーグの足音が遠ざかっていった。ルシアンが扉を押しても、びくともしなかった。
「ブランシュ嬢はいないし、こんな所に閉じ込めて何のつもりだ。すまないな。多分いたずらだ。彼は時々こういう妙な振る舞いをするんだ。最近は多い気がするが」
ルシアンはぼやいたが、リゼットは直感した。あの可愛い従者が二人きりになる機会をくれたのだと。
「お気になさらず。きっとあの人も殿下のことを思ってのことですわ」
「わたしを思って?」
ルシアンは少しの間首をかしげていた。
「そういえば、あいつはいつもわたしのことを考えてくれるな。いや、従者だから当たり前か。でも昔私についていた者や他の宮廷の使用人とは違っている。出かける前だが、あいつといると、気を張らなくていいし、気持ちが暖かくなる。まるであなたが言っていた本当の恋人のようだと話していたんだ。不思議だな。男相手にこういう感情を抱くとは。セブラン曰く、それはつまり友情ということだったが」
(殿下はわたしの言葉を覚えていて、こんなに真剣に受け取ってくださったのね)
リゼットは頬を染めて答えた。
「わたくしが思いますに、深い愛情は性別も立場も超越するものです。彼はずっと殿下のお側にいるから、親愛の情を持っていて、殿下の幸せを心から願っているのですわ。わたくしは殿下と出会ってまだ数か月ですけれど、そういう崇高な深い愛情を育みたいと思っていますの」
ルシアンはリゼットの言葉を吟味した、
(そうなのか。愛は立場も性別を超えるのか。ということは、本当の恋人が男ということもあるのか?)
「では、本当の恋人がどんな人間であっても愛せるのだろうか。例えば、そうだ。わたしが皇太子でなかったとして、町の浮浪者だったり、婚姻を禁じられている司教だったり、あるいはとても醜くても?」
「本当の恋人ならば、魂で結ばれているのです。魂で結ばれているなら、どんな立場でどんな姿でも、惹かれ合う運命です。わたくしは殿下がどんなお姿でも、愛することができますわ」
ルシアンの思考が明後日の方向に向かっていることも知らず、リゼットは熱に浮かされて、芝居の台詞のような愛の定義を口走っていた。
「宣伝のおかげで、貴族以外でも観たいという人が、申し込みに来ているそうですわ」
『ラディアント トレゾール』の主題歌の中毒性は侮れない。聞いた人々の頭から離れないメロディは、彼らをエストカピタールへと誘った。
「それなら、安い席もそれなりの宿屋をつけて売ればいいじゃないか」
シモンはまた座席表と日程表を引っ張り出して、席を割り振った。これも少々高めの値段だったが、そうまでして観たい客には吹っ掛けても問題ないのだと、何でもないような顔をして言っていた。
「そういえば、国立劇場のチケットの予約は売り切れていたよな。その名簿はあるか? あったら名簿にある人間は何割か安い値段で販売しろ。そうすれば向うで予約していた奴らを釣れるからな。
貴族連中の中には、こちらの演目を一度見たらポルトシュバルへ向かったり、他の避暑地へ移動するつもりの人間もいるらしい。一度こちらに集めた人間を逃してはだめだ。だから帰りの馬車についてはシーズンの後半に固定して、もし早く帰りたい場合は、別料金を払うようにしておけ。しかも近衛隊の護衛なしだ。予想以上にこちらへ来る客が多くて、手配できる馬車も荷馬車も足りないのだと言い訳すればいい。金持ちがここに留まることになれば、周辺の食堂も酒場も儲かって大助かりだろう。
安い席はこの地の人間に売ってしまえばいいさ。皇后は破廉恥で下品な出し物だと言いふらしてきたから、子供や老人にも安いチケットを振る舞って、沢山呼んでやれ。老若男女誰でも見られる健全な演目だとアピールするんだ。それに子供が来るなら親も来ざるを得ないし、足腰の弱い老人には付き添いがいるから、客を増やせるぞ」
「でも、そんなにチケットを安売りして、大丈夫なの?」
「平気さ。友好事業になったから補助金が出るんだ。それに大貴族ポーラック公爵家がついている。だいたい、わたしがそういう金勘定をおざなりにすると思うか? 割高にしたチケットでちゃんと帳尻が合うようにしてある」
「流石シモン様! 毎日満員御礼だったとなれば、社交界でもお嬢様の名声は高まり、いずれは皇后陛下もお嬢様を認めざるを得なくなりますわ。シモン様の才能と努力が実る時も近いです」
ノエルは手放しでシモンを褒めそやした。商売とは卑怯な権謀術数に通じるところがある。だからシモンはこうもポンポンと良いアイディアを思いつくのだろう。それが良いことだとは思えないが、本人とノエルが満足しているので、まぁいいか、とリゼットは劇場の執務室を出た。
「君の兄君は商才があるようだな」
いきなりルシアンに出くわしてリゼットは大きな声を出して驚いてしまった。
「殿下、どうしてここに?」
「いや、ブランシュ嬢から執務室へ来るように連絡があったと、ユーグに言われてきたのだ。観客の護衛の件で話したいことがあると。だがここにはいないようだな」
リゼットの記憶だと、ブランシュは町で酒場や食堂の関係者を集めて、シモンの提案通り観劇した者に何か得点をつける施策の相談をしていたはずだ。劇場へ来ることになったのだろうか。
すると、ユーグがこちらへ向かって早足でやってきた。
「殿下、ブランシュ様が見つかりました。こちらです。リゼット嬢もご一緒でしたか。それならばちょうどいい。ブランシュ嬢はあなたにも話を聞いてほしいと言っていたので、ついてきていただけますか」
リゼットが疑問を挟む間もなく、ユーグは二人を先導して、執務室のある階から階段を下りて行った。舞台に繋がる階へ降りると、パメラの歌声が聞こえた。
「パメラ嬢は、もう皇太子妃選びに出る必要はないな。劇場が彼女のいるべき場所になったから」
「ええ。盗賊に襲われたせいで失格になってしまって、悪いことをしたなって思っていたんですけれど、彼女は才能があるので、歌手として成功しますわ、きっと」
「あれは君のせいではないから、気に病むことは無いのに」
「でも、わたくしと一緒にいたから、ああなってしまったのですもの」
ユーグは奈落へと続く地下へ降りた。地下にも人がいて、セットを組み立てたり、小道具や衣装を持ってせわしなく動き回っていた。
「ブランシュがここに来るかしら? ねぇユーグさん、本当に彼女はここに来てほしいと言ったの?」
リゼットが尋ねると同時にユーグは物置と思しき小さな扉を開けて、ブランシュに声をかけた。
「いらっしゃいました。さぁ、どうぞ」
と、二人は半ば押し込まれるように部屋に入った。
部屋の中には古びた緞帳や机や椅子、張りぼての壁などが乱雑に押し込まれていた。
「ブランシュ? どこにいるの?」
リゼットが大道具の影を覗き込んだところで、ぱたりと扉が閉まった。
「あれぇ? 扉が開かないなぁ。もしかして古くて壊れているのかも。人を呼んできますので、少々お待ちを」
それだけ言って、パタパタとユーグの足音が遠ざかっていった。ルシアンが扉を押しても、びくともしなかった。
「ブランシュ嬢はいないし、こんな所に閉じ込めて何のつもりだ。すまないな。多分いたずらだ。彼は時々こういう妙な振る舞いをするんだ。最近は多い気がするが」
ルシアンはぼやいたが、リゼットは直感した。あの可愛い従者が二人きりになる機会をくれたのだと。
「お気になさらず。きっとあの人も殿下のことを思ってのことですわ」
「わたしを思って?」
ルシアンは少しの間首をかしげていた。
「そういえば、あいつはいつもわたしのことを考えてくれるな。いや、従者だから当たり前か。でも昔私についていた者や他の宮廷の使用人とは違っている。出かける前だが、あいつといると、気を張らなくていいし、気持ちが暖かくなる。まるであなたが言っていた本当の恋人のようだと話していたんだ。不思議だな。男相手にこういう感情を抱くとは。セブラン曰く、それはつまり友情ということだったが」
(殿下はわたしの言葉を覚えていて、こんなに真剣に受け取ってくださったのね)
リゼットは頬を染めて答えた。
「わたくしが思いますに、深い愛情は性別も立場も超越するものです。彼はずっと殿下のお側にいるから、親愛の情を持っていて、殿下の幸せを心から願っているのですわ。わたくしは殿下と出会ってまだ数か月ですけれど、そういう崇高な深い愛情を育みたいと思っていますの」
ルシアンはリゼットの言葉を吟味した、
(そうなのか。愛は立場も性別を超えるのか。ということは、本当の恋人が男ということもあるのか?)
「では、本当の恋人がどんな人間であっても愛せるのだろうか。例えば、そうだ。わたしが皇太子でなかったとして、町の浮浪者だったり、婚姻を禁じられている司教だったり、あるいはとても醜くても?」
「本当の恋人ならば、魂で結ばれているのです。魂で結ばれているなら、どんな立場でどんな姿でも、惹かれ合う運命です。わたくしは殿下がどんなお姿でも、愛することができますわ」
ルシアンの思考が明後日の方向に向かっていることも知らず、リゼットは熱に浮かされて、芝居の台詞のような愛の定義を口走っていた。