第十章 最後のダンス 第三話
文字数 2,965文字
屋敷に帰ると、丁度メールヴァン夫人の音楽の集まりがあった。これは願ったりかなったりだと、終わりの時間を見計らって、ローズを呼び止めて部屋に招いた。
「リゼットの感想文を差し替えてしまうですって?」
「ええ。殿下の執務室に感想文が置いてありますの。それを皇太子殿下や皇后陛下を貶めた内容の文章に取り換えてしまうのです。故郷の両親へあてた手紙を間違えて提出したとでもしましょうかしら。
内容は、そうですわね。ちょっと足を見せたら虜になって、皇太子殿下はまったく色ボケで篭絡するのは訳もなかった、とか。皇后陛下は一人寂しくポルトシュパルで古臭い音楽音楽会、古狸にはぴったりの光景だ、とか。殿下も皇后陛下もこんな文章を見たら、これこそリゼットの本性だと、失望して失格にせざるをえませんわ」
「なるほど。これでリゼットもおしまいね」
二人は今夜メイドのふりをして皇太子の執務室に忍び込むことにした。差し替える文章はローズが書き、リアーヌはメイドの衣装を用意する、王宮の裏手で落ち合うと、馬車の中でメイドの衣装に着替えた。着ていたドレスは袋に入れて、王宮の塀の向こうへ投げ入れ、ちょっとした植え込みの陰に隠した。そして皇后の使いで外出していたと嘘をついて、裏門を通り抜けた。全てが終わったら投げ入れたドレスに着替えて令嬢の姿に戻り、皇后に呼ばれて今から帰るのだと、堂々と出てゆく寸法である。
二人はさも雑用を頼まれていますという顔をして、ルシアンの執務室へと向かう。もう少しでたどり着くというところで、リアーヌは突然立ち止った。
「誰か来ますわ。足音が聞こえます」
「ええ? 何も聞こえませんけれど」
「いけませんわ、見つかってしまいます。わたくしが行って引き留めるなりなんなりしますから、あなたは急いで執務室へ行ってください。終わったら最初に話した通り、ドレスを隠したところで落ち合いますわよ」
早口でいうと、リアーヌはさっさと来た道を引き返してしまった。ローズは急いで執務室へ向かった。
リアーヌは曲がり角の向こう側に隠れていて、顔を出してローズがいなくなったのを確認すると、嫌な笑みを浮かべて、ゆうゆうと廊下を歩いていった。手紙も書かせて、実行役もやらせて、万が一露見しても自分に疑いが向かないように仕向けたが、こうも上手くゆくとは。
その頃、ユーグは洗濯が済んだルシアンの寝具を持って歩いていた。これを棚に戻しておけば今日の仕事はお終いだ。
すると、メイドが廊下を曲がって歩いて行くのが見えた。
(あのメイド、なぜ皇族の居室とは反対方向から来たのだろう。この時間の仕事といったら、公の空間ではなく、居室のほうの仕事に限られるのに)
何やら胸騒ぎがして、ユーグはそのメイドを追いかけた。
今度は本当に誰かにつけられていると気が付いたリアーヌは走りだした。
いよいよ怪しいとユーグは追いかけた。だが手に持った寝具が邪魔で早く走れず、メイドとの距離はぐんぐん離れていく。とうとう角を曲がったところで見失ってしまった。
どこへ行ったのかとあたりを見回していると、今度はフードを被った人影が廊下の向こう側を通り過ぎた。もしや先ほどのメイドと関係があるやもと、こんどは人影の後を追っていった。
人影はそのまま王宮の行政文章を管理する部屋の前へたどり着いた。すると、彼女の到来を待っていたかのように、ソンルミエール公爵が柱の陰から現れた。人影はメリザンドだった。
「貴族の名簿を調べてみたが、レーブジャルダン家の系譜にリゼットの名はなかった。エストカピタールの夜会見た両親とリゼットが似ていないから妙だと思ったが、探ってみれば疑惑は真実だったということだ。あの娘はレーブジャルダン家の血を引いていない」
「養女ということですのね。ですが、それだけでは決定的な傷にはなりえません。もし別の貴族の家から迎えられたのだとしたら、腐っても貴族ですから、騒ぎ立てても無駄になりますわ」
「手の者をクルベットノンへやった。今日の報告によると、レーブジャルダン子爵夫妻は慈善活動狂いだとか。孤児院へも多額の寄付をしているらしい。もし貧しい子どをも憐れんで引き取ったのだとしたら、リゼットは平民ということになる」
「貧しい娘が身分を偽り皇太子妃になろうとしていたなんて、国始まって以来の大スキャンダルですわ。それはそれで、建国500年に相応しいですけれど。平民だという報告が待ち遠しいですわ」
メリザンドは誰憚ることなく高笑いした。ユーグは柱の陰で息を殺して二人の話を聞いていた。
(リゼット嬢の出自に疑惑が? もしかして平民かもしれないだって!)
二人が去ってしまってから、ユーグはようやく柱の陰から離れた。
(もしリゼット嬢が平民だとしたら、皇太子妃になんてなれっこないだろう。貴族と平民は結ばれない。世間の人々も決して歓迎しないだろう。わたしだって、リゼット嬢は良い娘だと思っていたが、身分を偽っていたなら話は別だ。いくら他が良くても、身分が違って、世間から祝福されないなら、殿下にとっても不幸じゃないか)
ユーグはゆっくりと寝具を棚に戻しおわると、ふと、だらりと両手を下げて立ち尽くした。
(わたしはリゼット嬢が皇太子妃になれなければいいと思っているのか? メリザンド様と同じように、その身分が平民であることを望んでいるのか? リゼット嬢に嫉妬して、いなくなればいいと思うなんて、ひどい人間だ、わたしは)
ユーグは強い自己嫌悪に襲われ、棚に手をついて体を支えた。ただ心の中にはリゼットが出自で皇太子妃候補の資格を失うことへの期待が確かにあった。打ち消そうとしても、それは先ほど聞いたメリザンドの高笑いとともに蘇ってくる。
ユーグはその日はまったく眠れず、翌朝隈を作ってルシアンの前に出た。いつになく顔色の悪い従者をルシアンは大層心配し、すぐに部屋に戻って休むように言いつけた。
「いいえ、いつも通り殿下のお側におります」
(体調が思わしくないのに、無理をしてでも私の側を離れたくないとは)
ルシアンはこれもユーグの愛の深さだと内心感激したが、やっと見つけた本当の恋人を苦しめるわけにはいかないと、他の使用人に命じて無理やり部屋に戻した。
その日は次の審査に招待する令嬢を選考する日だった。ルシアンは封筒の山を持って、皇后の待つ部屋へ向かった。
「実は最近少し多忙でして、まだ全て読んでいないのです。あと数人ですから、先に読んでもよろしいでしょうか」
「随意になさい」
皇后は不機嫌を隠さずに答えた。ルシアンは苦笑いして残りの封筒に手を伸ばした。そして最後にリゼットの封筒を開け、二つ折りにされた紙を開いた。
「こ、これは一体?」
一行目に目を通して、ルシアンは思わず声を上げた。皇后は怪訝な顔をしてルシアンの後ろから文章を覗き込んだ。そこにはローズ渾身の皇帝一家を貶める罵詈雑言が並んでいた。
「まぁ、何ですこの見るに堪えない言葉の数々は。品性のかけらもない上に悪辣でひねくれた性根を露呈しているような。一体誰の感想です」
憤慨した皇后はルシアンから手紙をふんだくって、文末の署名をたしかめた。そこにはリゼットの名前があったので、これはちょうどいいと、大仰に腹を立てて、使用人たちを呼びつけた。
「リゼットの感想文を差し替えてしまうですって?」
「ええ。殿下の執務室に感想文が置いてありますの。それを皇太子殿下や皇后陛下を貶めた内容の文章に取り換えてしまうのです。故郷の両親へあてた手紙を間違えて提出したとでもしましょうかしら。
内容は、そうですわね。ちょっと足を見せたら虜になって、皇太子殿下はまったく色ボケで篭絡するのは訳もなかった、とか。皇后陛下は一人寂しくポルトシュパルで古臭い音楽音楽会、古狸にはぴったりの光景だ、とか。殿下も皇后陛下もこんな文章を見たら、これこそリゼットの本性だと、失望して失格にせざるをえませんわ」
「なるほど。これでリゼットもおしまいね」
二人は今夜メイドのふりをして皇太子の執務室に忍び込むことにした。差し替える文章はローズが書き、リアーヌはメイドの衣装を用意する、王宮の裏手で落ち合うと、馬車の中でメイドの衣装に着替えた。着ていたドレスは袋に入れて、王宮の塀の向こうへ投げ入れ、ちょっとした植え込みの陰に隠した。そして皇后の使いで外出していたと嘘をついて、裏門を通り抜けた。全てが終わったら投げ入れたドレスに着替えて令嬢の姿に戻り、皇后に呼ばれて今から帰るのだと、堂々と出てゆく寸法である。
二人はさも雑用を頼まれていますという顔をして、ルシアンの執務室へと向かう。もう少しでたどり着くというところで、リアーヌは突然立ち止った。
「誰か来ますわ。足音が聞こえます」
「ええ? 何も聞こえませんけれど」
「いけませんわ、見つかってしまいます。わたくしが行って引き留めるなりなんなりしますから、あなたは急いで執務室へ行ってください。終わったら最初に話した通り、ドレスを隠したところで落ち合いますわよ」
早口でいうと、リアーヌはさっさと来た道を引き返してしまった。ローズは急いで執務室へ向かった。
リアーヌは曲がり角の向こう側に隠れていて、顔を出してローズがいなくなったのを確認すると、嫌な笑みを浮かべて、ゆうゆうと廊下を歩いていった。手紙も書かせて、実行役もやらせて、万が一露見しても自分に疑いが向かないように仕向けたが、こうも上手くゆくとは。
その頃、ユーグは洗濯が済んだルシアンの寝具を持って歩いていた。これを棚に戻しておけば今日の仕事はお終いだ。
すると、メイドが廊下を曲がって歩いて行くのが見えた。
(あのメイド、なぜ皇族の居室とは反対方向から来たのだろう。この時間の仕事といったら、公の空間ではなく、居室のほうの仕事に限られるのに)
何やら胸騒ぎがして、ユーグはそのメイドを追いかけた。
今度は本当に誰かにつけられていると気が付いたリアーヌは走りだした。
いよいよ怪しいとユーグは追いかけた。だが手に持った寝具が邪魔で早く走れず、メイドとの距離はぐんぐん離れていく。とうとう角を曲がったところで見失ってしまった。
どこへ行ったのかとあたりを見回していると、今度はフードを被った人影が廊下の向こう側を通り過ぎた。もしや先ほどのメイドと関係があるやもと、こんどは人影の後を追っていった。
人影はそのまま王宮の行政文章を管理する部屋の前へたどり着いた。すると、彼女の到来を待っていたかのように、ソンルミエール公爵が柱の陰から現れた。人影はメリザンドだった。
「貴族の名簿を調べてみたが、レーブジャルダン家の系譜にリゼットの名はなかった。エストカピタールの夜会見た両親とリゼットが似ていないから妙だと思ったが、探ってみれば疑惑は真実だったということだ。あの娘はレーブジャルダン家の血を引いていない」
「養女ということですのね。ですが、それだけでは決定的な傷にはなりえません。もし別の貴族の家から迎えられたのだとしたら、腐っても貴族ですから、騒ぎ立てても無駄になりますわ」
「手の者をクルベットノンへやった。今日の報告によると、レーブジャルダン子爵夫妻は慈善活動狂いだとか。孤児院へも多額の寄付をしているらしい。もし貧しい子どをも憐れんで引き取ったのだとしたら、リゼットは平民ということになる」
「貧しい娘が身分を偽り皇太子妃になろうとしていたなんて、国始まって以来の大スキャンダルですわ。それはそれで、建国500年に相応しいですけれど。平民だという報告が待ち遠しいですわ」
メリザンドは誰憚ることなく高笑いした。ユーグは柱の陰で息を殺して二人の話を聞いていた。
(リゼット嬢の出自に疑惑が? もしかして平民かもしれないだって!)
二人が去ってしまってから、ユーグはようやく柱の陰から離れた。
(もしリゼット嬢が平民だとしたら、皇太子妃になんてなれっこないだろう。貴族と平民は結ばれない。世間の人々も決して歓迎しないだろう。わたしだって、リゼット嬢は良い娘だと思っていたが、身分を偽っていたなら話は別だ。いくら他が良くても、身分が違って、世間から祝福されないなら、殿下にとっても不幸じゃないか)
ユーグはゆっくりと寝具を棚に戻しおわると、ふと、だらりと両手を下げて立ち尽くした。
(わたしはリゼット嬢が皇太子妃になれなければいいと思っているのか? メリザンド様と同じように、その身分が平民であることを望んでいるのか? リゼット嬢に嫉妬して、いなくなればいいと思うなんて、ひどい人間だ、わたしは)
ユーグは強い自己嫌悪に襲われ、棚に手をついて体を支えた。ただ心の中にはリゼットが出自で皇太子妃候補の資格を失うことへの期待が確かにあった。打ち消そうとしても、それは先ほど聞いたメリザンドの高笑いとともに蘇ってくる。
ユーグはその日はまったく眠れず、翌朝隈を作ってルシアンの前に出た。いつになく顔色の悪い従者をルシアンは大層心配し、すぐに部屋に戻って休むように言いつけた。
「いいえ、いつも通り殿下のお側におります」
(体調が思わしくないのに、無理をしてでも私の側を離れたくないとは)
ルシアンはこれもユーグの愛の深さだと内心感激したが、やっと見つけた本当の恋人を苦しめるわけにはいかないと、他の使用人に命じて無理やり部屋に戻した。
その日は次の審査に招待する令嬢を選考する日だった。ルシアンは封筒の山を持って、皇后の待つ部屋へ向かった。
「実は最近少し多忙でして、まだ全て読んでいないのです。あと数人ですから、先に読んでもよろしいでしょうか」
「随意になさい」
皇后は不機嫌を隠さずに答えた。ルシアンは苦笑いして残りの封筒に手を伸ばした。そして最後にリゼットの封筒を開け、二つ折りにされた紙を開いた。
「こ、これは一体?」
一行目に目を通して、ルシアンは思わず声を上げた。皇后は怪訝な顔をしてルシアンの後ろから文章を覗き込んだ。そこにはローズ渾身の皇帝一家を貶める罵詈雑言が並んでいた。
「まぁ、何ですこの見るに堪えない言葉の数々は。品性のかけらもない上に悪辣でひねくれた性根を露呈しているような。一体誰の感想です」
憤慨した皇后はルシアンから手紙をふんだくって、文末の署名をたしかめた。そこにはリゼットの名前があったので、これはちょうどいいと、大仰に腹を立てて、使用人たちを呼びつけた。