第十一章 番狂わせのからくり 第五話
文字数 2,916文字
ノエルはエストカピタールの劇場でのユーグの会話をリゼットに打ち明けた。
つまり、ユーグはルシアンを愛していて、しかし同性同士で結ばれることは許されず、まして皇太子であるルシアンにとって、素晴らしい令嬢を妻に迎える意外に幸せはないと身を引き、リゼットとルシアンが上手くいくようお膳立てしていたというのである。
「本当は、もっと早くに打ち明けるべきでしたが、聞いた当初は、殿下のお心はお嬢様に向いているのだと思っておりましたし、お嬢様が皇太子妃になるのを望んでいたものでしたから」
リゼットはコテン、と頭を窓枠に預けた。ユーグはルシアンを愛していた。逃げ出したのは、ルシアンがリゼットと結ばれるために、自らは邪魔だとでも思ったのだろう。あるいは許されぬ思いを抱いた相手に最後のダンスに誘われ、却って耐えきれなくなったのかもしれない。
そうとなると話はかわってくる。無理やり皇太子妃になったら、ノエルの言う通り、愛する二人を引き裂くことになる。事なかれ主義、お人好しのリゼットなら、失恋したからといって、二人を不幸にするやり方で地位を欲するわけがないと、ノエルもルシアンも思っていた。だからこその“らしくない”だった。
実際、リゼットは急激に、先ほどまでの自分の主張がまったく自己中心的であったと後悔し始めた。
(いいえ間違っていないわ。二人が両想いだって、男同士で結婚なんて許されないのがこの世界でしょう。だったらお飾りのお妃が必要なのは同じ。わたしがなるのに何の問題もないわよね。そうよ。わたしなら、ユーグが戻ってきて、元通り従者として殿下のお側に居続けることを許すわ。お人好しですもの、それくらいできるわ。メリザンド様だって、リアーヌだって、王女様だって、そんなこと受け入れられっこないもの)
リゼットはあくまで意固地に皇太子妃にならんとした。ノエルはリゼットの人が変わってしまったようで、戸惑い、不安になった。
「お嬢様の言う通り、殿下と従者は結ばれることはないでしょうが、でも二人の心を知っていながらまったくお飾りとして殿下の隣にいるなんて、お嬢様がお辛いでしょう。それに殿下も従者も不本意なはずですよ。それでは皆不幸になってしまいますよ。
そうまでして、皇太子妃になる必要はないのでは? シモン様のこれからも目途が立っておりますし、お屋敷の借金もなくなりましたし。それはもちろん、このうえお嬢様が皇太子妃になれば、それは喜ばしいことです。でも、それがなくても、元が取れているというかなんというか……」
「そうだったわ。あなたはお兄様のことしか考えていないものね。わたくしのことは二の次三の次、殿下とユーグの次ですものね」
言葉に含んだ棘はチクリとノエルを指した。シモンに懸想している彼女としては、ついルシアンを慕うユーグの肩を持ってしまうのだ。
「ではわたくしの気持ちはだれが考えてくれるの? わたくしは人形じゃないの。辛いとか、悲しいとか、悔しいとか、嫌だとか、感情があるのよ」
リゼットはユーグへの感情をぶちまけた。
「ずるいのよ。男か女かは関係なくユーグはずるいのよ。妃選びに参加していた令嬢たちは、すべて同じ条件で勝負していたのに、もっと前から殿下のお側についていた人が最後に選ばれるなんて、抜け駆けじゃない。わたくしたちは殿下にお気に召していただけるように努力したのに、ただ毎日仕事をしているだけで、殿下と気持ちを通わせられるんだもの。まともに頑張っていたわたくしたちって、馬鹿みたいだわ」
ポーラック邸に帰っても、リゼットはブランシュたちへの挨拶や報告もろくにせず、ノエルにずるい、ずるい、とまくしたてながら部屋へ戻った。
リゼットがようやく少し落ち着くと、シモンが部屋へ入ってきた。ノエルは全てをシモンに話した。シモンは全てを理解すると、クッションを抱えてソファに座り込んだリゼットの隣に座った。
「わたしはお前の言う通りだと思うぞ。珍しく意見が合ったな。その従者はずるい。そのくせ被害者面して逃げ出しているのだから、尚更憎たらしい。皇太子の同情を誘うつもりか? お前がお人好しだから、憐れんで皇太子を諦めると思ったか? 奸智に長けた狐みたいなやつめ。わたしは絶対お前を皇太子妃にするぞ。ここまできて欲を出さないのはむしろ愚かだ。得られるものは全て得てやる。
どうせ説得に失敗したセブランが、また訪ねてくるに決まっている。いや、あるいはこちらから出向いてもいいな。とにかくあいつを通して皇后に直接……」
シモンが具体的な作戦を練り始めたが、そういう込み入ったことを考えたくなくて、リゼットは兄を部屋から出した。ノエルも一瞬こちらを気遣ってから、シモンに続いて出て行った。
一人きりの部屋は嫌に静かだった。ずるい。とリゼットは口の中で呟いた。前世でずっと抱いていたもやもやの正体はこれだった。
同じ娘役なのに、自分はその他大勢で、他の人たちは路線。努力も実力も美貌も、それぞれ同じではないものの、極端に差があるわけではない。それなのにある人は選ばれて、ある人は選ばれない。音輝めいにスポンサーがついていて、芝居でも目立つ役をやっているのがするい。絢羽莉愛が新人公演ヒロインをするのがずるい。星華唯が男役から転向して一年にも満たず、娘役の所作もできていないのに、自分よりいい役をもらって、キラキラの衣装で前で踊っているのがずるい。
「背格好も顔もわたしと似ているえりちゃんが、歌舞校の成績はわたしより下の28番で、寝坊助ののんびり屋で、三つ編みもできないくらいぶきっちょで、お団子キャップが上手く作れなくて、それなのにトップ娘役になったのが……」
するい、とは言えなかった。親友だからなのだろうか。彼女もまた大勢いる娘役の一人なのに。前世で悩まされたモヤモヤは、親しいからという理由で消えるほど脆弱なものではないはずだ。
リゼットの目に涙が溢れてきた。気が付いてしまった、ずるいなんて馬鹿げた考えだと。わかってしまった、いつも否定しているシモンと考えが一致したということは、この感情は本当の心の叫びではないということが。
(わたしはえりちゃんが、トップ娘役にならなければよかったなんて思えない。早く辞めろとも思わないし、追い出してトップ娘役になろうなんてとても。それと同じで、ユーグさんにも、恋人と別れてどこかへ行ってしまえなんて、思えないのよ)
しかし千々に乱れた心を落ち着けるのには時間がかかった。リゼットは翌日はじっと部屋にこもって食事も摂らなかった。シモンもノエルも友人たちも心配して、もし早まっておかしなことをしていたらと、一度部屋にやってきたが、考えをまとめたいと追い出した。
その翌日、セブランがやってきた。シモンは待っていたと言わんばかりに彼を客間に通して、早速リゼットを皇太子妃にする交渉を始めようとしたが、そこへリゼットが姿を現した。リゼットは周りの労わりの言葉に応えるのもそこそこに、セブランに向かって言った。
「ユーグさんがどこへ行ったか、心当たりはありませんか?」
誰もが突然何を言いだすのかと目を丸くした。
つまり、ユーグはルシアンを愛していて、しかし同性同士で結ばれることは許されず、まして皇太子であるルシアンにとって、素晴らしい令嬢を妻に迎える意外に幸せはないと身を引き、リゼットとルシアンが上手くいくようお膳立てしていたというのである。
「本当は、もっと早くに打ち明けるべきでしたが、聞いた当初は、殿下のお心はお嬢様に向いているのだと思っておりましたし、お嬢様が皇太子妃になるのを望んでいたものでしたから」
リゼットはコテン、と頭を窓枠に預けた。ユーグはルシアンを愛していた。逃げ出したのは、ルシアンがリゼットと結ばれるために、自らは邪魔だとでも思ったのだろう。あるいは許されぬ思いを抱いた相手に最後のダンスに誘われ、却って耐えきれなくなったのかもしれない。
そうとなると話はかわってくる。無理やり皇太子妃になったら、ノエルの言う通り、愛する二人を引き裂くことになる。事なかれ主義、お人好しのリゼットなら、失恋したからといって、二人を不幸にするやり方で地位を欲するわけがないと、ノエルもルシアンも思っていた。だからこその“らしくない”だった。
実際、リゼットは急激に、先ほどまでの自分の主張がまったく自己中心的であったと後悔し始めた。
(いいえ間違っていないわ。二人が両想いだって、男同士で結婚なんて許されないのがこの世界でしょう。だったらお飾りのお妃が必要なのは同じ。わたしがなるのに何の問題もないわよね。そうよ。わたしなら、ユーグが戻ってきて、元通り従者として殿下のお側に居続けることを許すわ。お人好しですもの、それくらいできるわ。メリザンド様だって、リアーヌだって、王女様だって、そんなこと受け入れられっこないもの)
リゼットはあくまで意固地に皇太子妃にならんとした。ノエルはリゼットの人が変わってしまったようで、戸惑い、不安になった。
「お嬢様の言う通り、殿下と従者は結ばれることはないでしょうが、でも二人の心を知っていながらまったくお飾りとして殿下の隣にいるなんて、お嬢様がお辛いでしょう。それに殿下も従者も不本意なはずですよ。それでは皆不幸になってしまいますよ。
そうまでして、皇太子妃になる必要はないのでは? シモン様のこれからも目途が立っておりますし、お屋敷の借金もなくなりましたし。それはもちろん、このうえお嬢様が皇太子妃になれば、それは喜ばしいことです。でも、それがなくても、元が取れているというかなんというか……」
「そうだったわ。あなたはお兄様のことしか考えていないものね。わたくしのことは二の次三の次、殿下とユーグの次ですものね」
言葉に含んだ棘はチクリとノエルを指した。シモンに懸想している彼女としては、ついルシアンを慕うユーグの肩を持ってしまうのだ。
「ではわたくしの気持ちはだれが考えてくれるの? わたくしは人形じゃないの。辛いとか、悲しいとか、悔しいとか、嫌だとか、感情があるのよ」
リゼットはユーグへの感情をぶちまけた。
「ずるいのよ。男か女かは関係なくユーグはずるいのよ。妃選びに参加していた令嬢たちは、すべて同じ条件で勝負していたのに、もっと前から殿下のお側についていた人が最後に選ばれるなんて、抜け駆けじゃない。わたくしたちは殿下にお気に召していただけるように努力したのに、ただ毎日仕事をしているだけで、殿下と気持ちを通わせられるんだもの。まともに頑張っていたわたくしたちって、馬鹿みたいだわ」
ポーラック邸に帰っても、リゼットはブランシュたちへの挨拶や報告もろくにせず、ノエルにずるい、ずるい、とまくしたてながら部屋へ戻った。
リゼットがようやく少し落ち着くと、シモンが部屋へ入ってきた。ノエルは全てをシモンに話した。シモンは全てを理解すると、クッションを抱えてソファに座り込んだリゼットの隣に座った。
「わたしはお前の言う通りだと思うぞ。珍しく意見が合ったな。その従者はずるい。そのくせ被害者面して逃げ出しているのだから、尚更憎たらしい。皇太子の同情を誘うつもりか? お前がお人好しだから、憐れんで皇太子を諦めると思ったか? 奸智に長けた狐みたいなやつめ。わたしは絶対お前を皇太子妃にするぞ。ここまできて欲を出さないのはむしろ愚かだ。得られるものは全て得てやる。
どうせ説得に失敗したセブランが、また訪ねてくるに決まっている。いや、あるいはこちらから出向いてもいいな。とにかくあいつを通して皇后に直接……」
シモンが具体的な作戦を練り始めたが、そういう込み入ったことを考えたくなくて、リゼットは兄を部屋から出した。ノエルも一瞬こちらを気遣ってから、シモンに続いて出て行った。
一人きりの部屋は嫌に静かだった。ずるい。とリゼットは口の中で呟いた。前世でずっと抱いていたもやもやの正体はこれだった。
同じ娘役なのに、自分はその他大勢で、他の人たちは路線。努力も実力も美貌も、それぞれ同じではないものの、極端に差があるわけではない。それなのにある人は選ばれて、ある人は選ばれない。音輝めいにスポンサーがついていて、芝居でも目立つ役をやっているのがするい。絢羽莉愛が新人公演ヒロインをするのがずるい。星華唯が男役から転向して一年にも満たず、娘役の所作もできていないのに、自分よりいい役をもらって、キラキラの衣装で前で踊っているのがずるい。
「背格好も顔もわたしと似ているえりちゃんが、歌舞校の成績はわたしより下の28番で、寝坊助ののんびり屋で、三つ編みもできないくらいぶきっちょで、お団子キャップが上手く作れなくて、それなのにトップ娘役になったのが……」
するい、とは言えなかった。親友だからなのだろうか。彼女もまた大勢いる娘役の一人なのに。前世で悩まされたモヤモヤは、親しいからという理由で消えるほど脆弱なものではないはずだ。
リゼットの目に涙が溢れてきた。気が付いてしまった、ずるいなんて馬鹿げた考えだと。わかってしまった、いつも否定しているシモンと考えが一致したということは、この感情は本当の心の叫びではないということが。
(わたしはえりちゃんが、トップ娘役にならなければよかったなんて思えない。早く辞めろとも思わないし、追い出してトップ娘役になろうなんてとても。それと同じで、ユーグさんにも、恋人と別れてどこかへ行ってしまえなんて、思えないのよ)
しかし千々に乱れた心を落ち着けるのには時間がかかった。リゼットは翌日はじっと部屋にこもって食事も摂らなかった。シモンもノエルも友人たちも心配して、もし早まっておかしなことをしていたらと、一度部屋にやってきたが、考えをまとめたいと追い出した。
その翌日、セブランがやってきた。シモンは待っていたと言わんばかりに彼を客間に通して、早速リゼットを皇太子妃にする交渉を始めようとしたが、そこへリゼットが姿を現した。リゼットは周りの労わりの言葉に応えるのもそこそこに、セブランに向かって言った。
「ユーグさんがどこへ行ったか、心当たりはありませんか?」
誰もが突然何を言いだすのかと目を丸くした。