第六章 裁判 第一話
文字数 2,958文字
帰りの馬車の中で、リゼットは何度も溜息をついて、顔を覆って俯いてた。
てっきり従者のユーグだと思っていたから、かなり砕けた口調で、しかも皇太子の人となりについて好き勝手言ってしまった。無礼で品のない娘だと思われたかもしれない。
皇太子はあの静まりかえった鏡の間で、優しく微笑みかけてリゼットの手を取ってエスコートし、シモンの元まで送り届けてくれた。
「思いがけず面白い話が聞けて楽しかった。また会えるのを楽しみにしている」
去り際、掠れた声で囁いた言葉は、ずっと耳に残っている。
あのあと、カラスの仮面の男性の宣言により、仮面舞踏会は終了した。令嬢たちは未だに皇太子の正体を隠すトリックに混乱していたり、偽物を熱心に口説き落としていたことが恥ずかしかったり悔しかったり、噂で惑わした皇太子を恨んだり、幸運をつかんだリゼットに嫉妬したり、様々な感情を抱いて会場を後にした。
ブランシュとサビーナ、それにパメラはリゼットの幸運を祝福し、どういうわけで皇太子と一緒にいたのか、どんな話をしたのか質問攻めにした。その時はまだ驚きから覚めていなかったので、あまりはっきりと返事をできなかった。
特に大喜びしたのはシモンだった。
「どこへ行ったのかと思えば、皇太子を捕まえていたとはな。でかしたぞ。殿下も何やら楽しそうだったじゃないか。もしかしたら、お前を好ましく思ったのかもしれないぞ」
「そんなわけないじゃない。あの仮面はユーグさんがつけるって言っていたのに、どうして皇太子殿下がつけているわけ? それだったらもう少し丁寧作ったし、デザインだって格調高くしたのに。
真面目な方だけど人間らしいところが見られてよかったなんて、偉そうに、私ごときが何を知ってるっていうのよ。ぜったいに不愉快になられたはずだわ。もう、私のバカバカ、どうしてユーグさんじゃないって気が付かなかったのよ」
せめて少し早く気が付いていたら、ここまでの失敗は犯さなかった。穴があったら入りたいとはまさにこのこと。リゼットはずっと馬車の中でじたばたして、寝る前もベッドにうつぶせになっていつまでも身もだえていた。
さて、その皇太子ルシアンも、舞踏会を円満に終えられたわけではなかった。
皇后はルシアンとセブラン、それにユーグを自室に呼び出して叱責した。
「一体どういうことですか、これは。あなたたち二人、いえ、ユーグまで使って三人で、わざと令嬢たちを惑わしていたのですね。そのためにわざわざサルタンの仮面をかぶるという噂まで流して。
セブラン、あなたがこんな馬鹿げた真似をするとは。友としてルシアンを諌めるのが筋でしょう。
ユーグも、忠実で働きぶりが良いから安心していたのに、こんないたずらの片棒を担ぐなんて」
ユーグは素直に謝罪した。セブラン下を向いて反省していると見せかけて、横目でルシアンに目くばせした。
「母上、この計画を思いついたのはわたしです。二人は頼まれて協力したにすぎません。責めるのはおやめください。
サルタンの仮面をかぶるという噂が流れていたのに、そのままサルタンの仮面をつけていたら、正体を明かしているのと同じこと。それゆえ二人に協力してもらい、仮面を交換したのです。しかし、私がどの仮面をかぶろうと、正体を隠す仮面舞踏会では関係のないこと。母上はどうしてそこまでご立腹なのですか」
ハーブで作ったちょっとしたものの効き目は薄れてきて、ルシアンの声は元に戻りつつあった。息子に冷静に問われると、皇后は少し目を泳がせた。ルシアンはその先を続けるのを躊躇したが、それは一瞬で、すぐに強い目で切り出した。
「もしや、母上がサルタンの仮面をかぶると噂を流したのですか? メリザンドは当初藤の花の仮面をつけたユーグの側についていたとか。メリザンドに便宜を図るためだったのでは」
「とんでもない! あなたは母を疑うのですか。サルタンの仮面の噂は、わたくしも後になって知ったのですよ」
皇后は心外だと首を振った。ルシアンはちらりとセブランを見た。セブランは特に表情を変えずにいた。
「確かに今宵は故意に令嬢たちを撹乱しました。しかしそれは令嬢たちの本当の人となりを観察せんがため。母上がわたしを案じてくれているのはわかりますが、散策で申し上げた通り、未来の妻は私が選びます。ですからどうか、静かにお見守りください」
皇后もそれ以上追及はせず、三人は解放された。ルシアンは自室に戻りユーグと二人になると、心の中の疑惑を話した。
「やはりサルタンの仮面の噂はセブランが流したのだろう。リアーヌ嬢がお前にくっついていたのが証拠だ。メリザンドについては、母上がわたしを探ったにちがいない」
「皇后様がそんなことを。セブラン様まで……]
ルシアンは帽子や衣装をやや乱暴にベッドの上に放った。母親の干渉もそうだが、やはりセブランに対しては、腹立たしさや失望、悲しさがあり、つい八つ当たりしてしまった。その様子をユーグが心配そうに見ている。
「……そういえば、お前はリゼット嬢懇意の仕立屋に、仮面はかっこよくしてくれと、随分こだわって注文したそうだな。わたしがつけるから、気を使ってくれたのだろう。ありがとう。礼を言う」
自らの気持ちを切り替えるために、敢て明るい声でいった。
「お前は優しい、いい奴だ。いつも私のことを考えてくれている」
「そ、それは、殿下の従者ですから、当然です」
真正面から褒められ、ユーグは頬を赤くして、ルシアンの着替えの手伝いもそこそこに、そさくさと部屋を後にした。
令嬢たちも舞踏会を振り返って心穏やかではいられなかった。誰もが噂に惑わされ、そして皇太子の詐術に騙されて、めぼしい成果を上げられなかったのだから。
「あの噂は嘘だったなんて。それで良い目を見たのがよりによってリゼット、あのペンペン草だなんて、悔しい!」
ローズは馬車の中でハンカチを引きちぎらんばかりに握りしめて悔しがった。
リアーヌも同様に馬車の中で苛立ちを隠せなかった。セブランから皇太子の正体を聞いて、他の誰よりも優位に立つつもりが、全てが台無しになった。
「皇太子殿下はセブランお兄様が噂を流したとお気づきかしら? だとしたら、今後お兄様のお力を頼ることはできなくなってしまうわ」
そして誰よりも今日の失敗を悔やんでいたのはメリザンドだった。
「もともと皇后陛下に殿下の正体をお教えいただく手はずで、その上あんな噂が流れて、こちらには追い風だったというのに、まさかこんなことになるとは。最後のご様子からして、殿下はあのリゼットとかいう令嬢との会話を楽しんでいたようじゃないか。何とか挽回しなければならならないぞ」
馬車の中で娘と向かい合うソンルミエール公爵の表情は険しい。メリザンドも同じくらい険しい表情をしていたが、渋面でにらめっこをしていても仕方がないと思ったのか、涼しい顔を取り繕って答えた。
「今回は殿下の突拍子もない行動のおかげで失敗しましたが、次は必ず上手くやって見せますわ。それにリゼット嬢の事もご心配なく。なんとなく、あの人は警戒すべき相手だと思っていましたので、対処する準備はできておりますの」
感心する父の顔を満足げに眺めて、メリザンドは膝の上に置いた仮面をそっと撫でた。
てっきり従者のユーグだと思っていたから、かなり砕けた口調で、しかも皇太子の人となりについて好き勝手言ってしまった。無礼で品のない娘だと思われたかもしれない。
皇太子はあの静まりかえった鏡の間で、優しく微笑みかけてリゼットの手を取ってエスコートし、シモンの元まで送り届けてくれた。
「思いがけず面白い話が聞けて楽しかった。また会えるのを楽しみにしている」
去り際、掠れた声で囁いた言葉は、ずっと耳に残っている。
あのあと、カラスの仮面の男性の宣言により、仮面舞踏会は終了した。令嬢たちは未だに皇太子の正体を隠すトリックに混乱していたり、偽物を熱心に口説き落としていたことが恥ずかしかったり悔しかったり、噂で惑わした皇太子を恨んだり、幸運をつかんだリゼットに嫉妬したり、様々な感情を抱いて会場を後にした。
ブランシュとサビーナ、それにパメラはリゼットの幸運を祝福し、どういうわけで皇太子と一緒にいたのか、どんな話をしたのか質問攻めにした。その時はまだ驚きから覚めていなかったので、あまりはっきりと返事をできなかった。
特に大喜びしたのはシモンだった。
「どこへ行ったのかと思えば、皇太子を捕まえていたとはな。でかしたぞ。殿下も何やら楽しそうだったじゃないか。もしかしたら、お前を好ましく思ったのかもしれないぞ」
「そんなわけないじゃない。あの仮面はユーグさんがつけるって言っていたのに、どうして皇太子殿下がつけているわけ? それだったらもう少し丁寧作ったし、デザインだって格調高くしたのに。
真面目な方だけど人間らしいところが見られてよかったなんて、偉そうに、私ごときが何を知ってるっていうのよ。ぜったいに不愉快になられたはずだわ。もう、私のバカバカ、どうしてユーグさんじゃないって気が付かなかったのよ」
せめて少し早く気が付いていたら、ここまでの失敗は犯さなかった。穴があったら入りたいとはまさにこのこと。リゼットはずっと馬車の中でじたばたして、寝る前もベッドにうつぶせになっていつまでも身もだえていた。
さて、その皇太子ルシアンも、舞踏会を円満に終えられたわけではなかった。
皇后はルシアンとセブラン、それにユーグを自室に呼び出して叱責した。
「一体どういうことですか、これは。あなたたち二人、いえ、ユーグまで使って三人で、わざと令嬢たちを惑わしていたのですね。そのためにわざわざサルタンの仮面をかぶるという噂まで流して。
セブラン、あなたがこんな馬鹿げた真似をするとは。友としてルシアンを諌めるのが筋でしょう。
ユーグも、忠実で働きぶりが良いから安心していたのに、こんないたずらの片棒を担ぐなんて」
ユーグは素直に謝罪した。セブラン下を向いて反省していると見せかけて、横目でルシアンに目くばせした。
「母上、この計画を思いついたのはわたしです。二人は頼まれて協力したにすぎません。責めるのはおやめください。
サルタンの仮面をかぶるという噂が流れていたのに、そのままサルタンの仮面をつけていたら、正体を明かしているのと同じこと。それゆえ二人に協力してもらい、仮面を交換したのです。しかし、私がどの仮面をかぶろうと、正体を隠す仮面舞踏会では関係のないこと。母上はどうしてそこまでご立腹なのですか」
ハーブで作ったちょっとしたものの効き目は薄れてきて、ルシアンの声は元に戻りつつあった。息子に冷静に問われると、皇后は少し目を泳がせた。ルシアンはその先を続けるのを躊躇したが、それは一瞬で、すぐに強い目で切り出した。
「もしや、母上がサルタンの仮面をかぶると噂を流したのですか? メリザンドは当初藤の花の仮面をつけたユーグの側についていたとか。メリザンドに便宜を図るためだったのでは」
「とんでもない! あなたは母を疑うのですか。サルタンの仮面の噂は、わたくしも後になって知ったのですよ」
皇后は心外だと首を振った。ルシアンはちらりとセブランを見た。セブランは特に表情を変えずにいた。
「確かに今宵は故意に令嬢たちを撹乱しました。しかしそれは令嬢たちの本当の人となりを観察せんがため。母上がわたしを案じてくれているのはわかりますが、散策で申し上げた通り、未来の妻は私が選びます。ですからどうか、静かにお見守りください」
皇后もそれ以上追及はせず、三人は解放された。ルシアンは自室に戻りユーグと二人になると、心の中の疑惑を話した。
「やはりサルタンの仮面の噂はセブランが流したのだろう。リアーヌ嬢がお前にくっついていたのが証拠だ。メリザンドについては、母上がわたしを探ったにちがいない」
「皇后様がそんなことを。セブラン様まで……]
ルシアンは帽子や衣装をやや乱暴にベッドの上に放った。母親の干渉もそうだが、やはりセブランに対しては、腹立たしさや失望、悲しさがあり、つい八つ当たりしてしまった。その様子をユーグが心配そうに見ている。
「……そういえば、お前はリゼット嬢懇意の仕立屋に、仮面はかっこよくしてくれと、随分こだわって注文したそうだな。わたしがつけるから、気を使ってくれたのだろう。ありがとう。礼を言う」
自らの気持ちを切り替えるために、敢て明るい声でいった。
「お前は優しい、いい奴だ。いつも私のことを考えてくれている」
「そ、それは、殿下の従者ですから、当然です」
真正面から褒められ、ユーグは頬を赤くして、ルシアンの着替えの手伝いもそこそこに、そさくさと部屋を後にした。
令嬢たちも舞踏会を振り返って心穏やかではいられなかった。誰もが噂に惑わされ、そして皇太子の詐術に騙されて、めぼしい成果を上げられなかったのだから。
「あの噂は嘘だったなんて。それで良い目を見たのがよりによってリゼット、あのペンペン草だなんて、悔しい!」
ローズは馬車の中でハンカチを引きちぎらんばかりに握りしめて悔しがった。
リアーヌも同様に馬車の中で苛立ちを隠せなかった。セブランから皇太子の正体を聞いて、他の誰よりも優位に立つつもりが、全てが台無しになった。
「皇太子殿下はセブランお兄様が噂を流したとお気づきかしら? だとしたら、今後お兄様のお力を頼ることはできなくなってしまうわ」
そして誰よりも今日の失敗を悔やんでいたのはメリザンドだった。
「もともと皇后陛下に殿下の正体をお教えいただく手はずで、その上あんな噂が流れて、こちらには追い風だったというのに、まさかこんなことになるとは。最後のご様子からして、殿下はあのリゼットとかいう令嬢との会話を楽しんでいたようじゃないか。何とか挽回しなければならならないぞ」
馬車の中で娘と向かい合うソンルミエール公爵の表情は険しい。メリザンドも同じくらい険しい表情をしていたが、渋面でにらめっこをしていても仕方がないと思ったのか、涼しい顔を取り繕って答えた。
「今回は殿下の突拍子もない行動のおかげで失敗しましたが、次は必ず上手くやって見せますわ。それにリゼット嬢の事もご心配なく。なんとなく、あの人は警戒すべき相手だと思っていましたので、対処する準備はできておりますの」
感心する父の顔を満足げに眺めて、メリザンドは膝の上に置いた仮面をそっと撫でた。