第三章 皇太子妃候補たち 第六話
文字数 2,984文字
白い揃いの礼服を着た宮廷の使用人たちは、令嬢たちが去った後の鏡の間と控室を掃除していた。それをこっそりと抜け出した者がいる。細身で、卵形の顔に弧を描いた眉とそれに沿うようなアーチ形の瞼をした目が、柔和で中性的な少年だ。肩につくかつかないかで切りそろえられた金髪の毛先は遊んでいる。
彼はそのまま皇族の居所へ行き、三階の彫刻の施された大きな扉をノックした。
「殿下、ユーグでございます」
「入れ」
大きな扉を押して、体を滑り込ませるように中に入る。
蔓草模様の絨毯が敷かれ、真っ白な壁にある窓の間に、春の女神を描いた絵画がかかっている。そのすぐ横の窓枠にもたれかかっているのは、白いブラウス姿の皇太子ルシアン。その斜め前のテーブルを囲む椅子の一つに、足を組んでゆったりと腰かけているのはセブランだった。
「それで、どうだったのだ」
「つつがなく終わりました。今日の段階では、誰がどうなるかなど、予想もできません」
「まぁ、それもそうだな」
ルシアンは藤色の瞳を翳らせて、窓の下に広がる中庭へと向けた。
「君の未来の妻を選んでいるというのに、まるで他人事だな」
ルシアンは瞳を部屋へ戻し、窓から離れてセブランの対面に腰掛けた。
「他人事にもなるさ。わたしは妻など望んでいないのに、父上と母上が建国500年にかこつけて、無理やり始めたことだ」
「とは言うが、君ももういい年だし、皇太子という立場もあるのだから、そろそろ身を固めるべきだろう。他国から会ったこともない姫君がやってくるよりも、実際に選ぶことができるのだから、いくらか気が楽なんじゃないか」
「選ぶといったって、こんなに大々的に審査などしたら、誰もが選ばれたい一心で猫を被るに決まっている。それで本当にわたしが望む女性が選べるわけがない。だいたい、こんなふうに伴侶を探すなんて、なんというか、自然ではない。本当に愛する人との出会いは、こんなふうにやってくるものではないだろう」
「その自然な出会いは、これまで社交の場で何度もあったというのに、君が全てフイにしているから、皇帝陛下も皇后陛下もしびれを切らしたんじゃないか」
痛いところを突かれて、ルシアンはぐっと黙った。
「……社交界で言い寄ってくるご令嬢たちは、皇太子妃の立場がほしいのであって、わたしを見てはいない。だいたい、偉そうなことを言っているが、お前だって独身ではないか。メールヴァン公爵家の跡取りなのに」
「わたしはまだ社交界で美しいご令嬢たちとの交流を楽しみたいのさ」
親友といえど恋愛観はまったく異なる。令嬢たちからの好意を喜んで受け入れ、多くの娘と親密になるなど、生真面目なルシアンにはとても真似できなかった。
「いい加減忘れたらどうだ。彼女はもう異国の人妻だぞ」
「あの人のことはもういいんだ。わかっている。わたしはこの国の皇太子。国のために、いずれ妻を迎えなくてはいけない。いつまでも夢を見ているわけにはいかない」
ルシアンの顔が物憂げなものから、きりりとした公務の時のものに変わった。
「候補者の中から未来の皇后に相応しい者を選ぶつもりだ。だが先ほど言ったように、わたしの前ではみな取り繕うから、その本性を見抜くのは難しい。そこで、二人に頼みがある。今回の皇太子妃選びの候補者たちをこっそり監視してほしいのだ。本当に国の母としてふさわしい者が誰か、二人の意見を聞かせてほしい」
セブランと立って控えていたユーグは顔を見合わせた。方や親友の頼み、方や主の頼み。二人とも否やはなかった。
さて、翌日になり、リゼットはそわそわと狭い物置の中を行ったり来たりしていた。
「少しは落ち着いたらどうだ。情けない」
そういうシモンも、ソファの上で何度も足を組みかえたり、時計を見たり、ちょっとした物音にも腰を浮かせたりと、全く落ち着いていなかった。
自信を完全に喪失したとはいえ、やはり招待状が来るのを待ち望んでしまう。
(そういえば、歌舞校の一次の合否も、電報で知らされたんだった。デジャブだわ)
前世の記憶に思いをはせて気を紛らわせていると、正午過ぎにノエルが階段を駆け上がってきた。
「届きました、王宮からです!」
生成り色の封筒に赤茶色の封蝋。リゼットは緊張しながら封筒を開く。ノエルとシモンが左右からのぞき込んでくる。中の手紙を開くと、紙の大きさに対して少ない文章で、二日後の舞踏会へ参加するよう書いてあった。
「第一の関門は突破しましたわ」
「まぁ、わたしの教育を受けたのだから、当然だな」
ノエルもシモンも大喜びしていた。
「でも、喜んでいる場合じゃないわ。またドレスを準備しなくちゃ」
家から持ってきた子爵夫人の夜会用のドレスも、きっと流行おくれにちがいない。
リゼットは早速一階で仕事をしているシモンの所へ行った。シモンは腕まくりをして艶やかな青いドレスをトルソーに着せ付け、最後の仕上げに蔓草模様の銀のレースブレードを縫い付けているところだ。他にもお針子が三人ほどいて、布を細かいパーツに切ったり、刺しゅうを施したりしていた。
トルソーのドレスのスカートの布は随分たっぷりとしているようだった。
「やっぱり、夜会服は輪っかのドレスなのよね」
「輪っか? ああ、骨組みのあるパニエを穿きますよ。お嬢様、まさかお持ちじゃないとか? 申し訳ありませんが、店にあるパニエは貸せませんよ」
「それは持ってきているから大丈夫よ。ふぅん。夜会服なら大きめのフリルを使うのはありなのね。フリルとかリボンでボリューム感がでるのは同系色でまとまってるわね。形がシンプルなのは、ベースの色に指し色を入れる感じ。なるほどね」
リゼットは青いドレスのスカートを勝手に広げて見聞し、さらに工房の隅に置いてあったデザイン画の束を漁り、それらしきドレスを眺めた。
「あんまり仕事の邪魔をしないでほしんだが」
「良いじゃない。別にドレスを破いたわけじゃあるまいし」
ノエルは兄の文句を一蹴して、作業台の上に目をつけた。
「お嬢様、このハギレは利用できそうですよ」
「おい。勝手に使うなよ」
「なによ、どうせゴミになるんだからいいでしょう」
ハギレをもって物置に戻った二人は、早速ドレスのアレンジに取り掛かった。
子爵夫人のドレスは上品な藤色で、白と紅色と緑で細かい花模様が入っていた。幸か不幸か色あせてしまっていたので、品の良い濃淡のある布に見えた。紫色のハギレを集めてつなげ、ウエストと裾にフリルをつけた。ベルベットのリボンもあったので、大きく開いた襟ぐりに沿わせ、正面で小さく蝶結びにした。
持ってきたアクセサリーはどれもボリュームがなかったので、三粒真珠がついて、金鎖がシャンデリアのように垂れさがっているネックレスと、金細工の小さな花があしらわれたチョーカーを組み合わせて、一つのネックレスにした。丸いダイヤモンドのイヤリングにも、別のブレスレットから取った楕円の金のパーツをつけた。
髪は高い位置でまとめて、一筋毛束を垂らした。ハギレを針金に巻き付けて、お団子キャップを作る要領で曲線のモチーフを作り、前から見えるようにまとめた髪につける。生成りに変色した白い羽飾りの根元にも同じ飾りをつけ、根元のやわらかい毛が禿げているのを誤魔化した。
二日後、出発前に全てを装ってみると、いっぱしの都の貴族令嬢のように見えた。
彼はそのまま皇族の居所へ行き、三階の彫刻の施された大きな扉をノックした。
「殿下、ユーグでございます」
「入れ」
大きな扉を押して、体を滑り込ませるように中に入る。
蔓草模様の絨毯が敷かれ、真っ白な壁にある窓の間に、春の女神を描いた絵画がかかっている。そのすぐ横の窓枠にもたれかかっているのは、白いブラウス姿の皇太子ルシアン。その斜め前のテーブルを囲む椅子の一つに、足を組んでゆったりと腰かけているのはセブランだった。
「それで、どうだったのだ」
「つつがなく終わりました。今日の段階では、誰がどうなるかなど、予想もできません」
「まぁ、それもそうだな」
ルシアンは藤色の瞳を翳らせて、窓の下に広がる中庭へと向けた。
「君の未来の妻を選んでいるというのに、まるで他人事だな」
ルシアンは瞳を部屋へ戻し、窓から離れてセブランの対面に腰掛けた。
「他人事にもなるさ。わたしは妻など望んでいないのに、父上と母上が建国500年にかこつけて、無理やり始めたことだ」
「とは言うが、君ももういい年だし、皇太子という立場もあるのだから、そろそろ身を固めるべきだろう。他国から会ったこともない姫君がやってくるよりも、実際に選ぶことができるのだから、いくらか気が楽なんじゃないか」
「選ぶといったって、こんなに大々的に審査などしたら、誰もが選ばれたい一心で猫を被るに決まっている。それで本当にわたしが望む女性が選べるわけがない。だいたい、こんなふうに伴侶を探すなんて、なんというか、自然ではない。本当に愛する人との出会いは、こんなふうにやってくるものではないだろう」
「その自然な出会いは、これまで社交の場で何度もあったというのに、君が全てフイにしているから、皇帝陛下も皇后陛下もしびれを切らしたんじゃないか」
痛いところを突かれて、ルシアンはぐっと黙った。
「……社交界で言い寄ってくるご令嬢たちは、皇太子妃の立場がほしいのであって、わたしを見てはいない。だいたい、偉そうなことを言っているが、お前だって独身ではないか。メールヴァン公爵家の跡取りなのに」
「わたしはまだ社交界で美しいご令嬢たちとの交流を楽しみたいのさ」
親友といえど恋愛観はまったく異なる。令嬢たちからの好意を喜んで受け入れ、多くの娘と親密になるなど、生真面目なルシアンにはとても真似できなかった。
「いい加減忘れたらどうだ。彼女はもう異国の人妻だぞ」
「あの人のことはもういいんだ。わかっている。わたしはこの国の皇太子。国のために、いずれ妻を迎えなくてはいけない。いつまでも夢を見ているわけにはいかない」
ルシアンの顔が物憂げなものから、きりりとした公務の時のものに変わった。
「候補者の中から未来の皇后に相応しい者を選ぶつもりだ。だが先ほど言ったように、わたしの前ではみな取り繕うから、その本性を見抜くのは難しい。そこで、二人に頼みがある。今回の皇太子妃選びの候補者たちをこっそり監視してほしいのだ。本当に国の母としてふさわしい者が誰か、二人の意見を聞かせてほしい」
セブランと立って控えていたユーグは顔を見合わせた。方や親友の頼み、方や主の頼み。二人とも否やはなかった。
さて、翌日になり、リゼットはそわそわと狭い物置の中を行ったり来たりしていた。
「少しは落ち着いたらどうだ。情けない」
そういうシモンも、ソファの上で何度も足を組みかえたり、時計を見たり、ちょっとした物音にも腰を浮かせたりと、全く落ち着いていなかった。
自信を完全に喪失したとはいえ、やはり招待状が来るのを待ち望んでしまう。
(そういえば、歌舞校の一次の合否も、電報で知らされたんだった。デジャブだわ)
前世の記憶に思いをはせて気を紛らわせていると、正午過ぎにノエルが階段を駆け上がってきた。
「届きました、王宮からです!」
生成り色の封筒に赤茶色の封蝋。リゼットは緊張しながら封筒を開く。ノエルとシモンが左右からのぞき込んでくる。中の手紙を開くと、紙の大きさに対して少ない文章で、二日後の舞踏会へ参加するよう書いてあった。
「第一の関門は突破しましたわ」
「まぁ、わたしの教育を受けたのだから、当然だな」
ノエルもシモンも大喜びしていた。
「でも、喜んでいる場合じゃないわ。またドレスを準備しなくちゃ」
家から持ってきた子爵夫人の夜会用のドレスも、きっと流行おくれにちがいない。
リゼットは早速一階で仕事をしているシモンの所へ行った。シモンは腕まくりをして艶やかな青いドレスをトルソーに着せ付け、最後の仕上げに蔓草模様の銀のレースブレードを縫い付けているところだ。他にもお針子が三人ほどいて、布を細かいパーツに切ったり、刺しゅうを施したりしていた。
トルソーのドレスのスカートの布は随分たっぷりとしているようだった。
「やっぱり、夜会服は輪っかのドレスなのよね」
「輪っか? ああ、骨組みのあるパニエを穿きますよ。お嬢様、まさかお持ちじゃないとか? 申し訳ありませんが、店にあるパニエは貸せませんよ」
「それは持ってきているから大丈夫よ。ふぅん。夜会服なら大きめのフリルを使うのはありなのね。フリルとかリボンでボリューム感がでるのは同系色でまとまってるわね。形がシンプルなのは、ベースの色に指し色を入れる感じ。なるほどね」
リゼットは青いドレスのスカートを勝手に広げて見聞し、さらに工房の隅に置いてあったデザイン画の束を漁り、それらしきドレスを眺めた。
「あんまり仕事の邪魔をしないでほしんだが」
「良いじゃない。別にドレスを破いたわけじゃあるまいし」
ノエルは兄の文句を一蹴して、作業台の上に目をつけた。
「お嬢様、このハギレは利用できそうですよ」
「おい。勝手に使うなよ」
「なによ、どうせゴミになるんだからいいでしょう」
ハギレをもって物置に戻った二人は、早速ドレスのアレンジに取り掛かった。
子爵夫人のドレスは上品な藤色で、白と紅色と緑で細かい花模様が入っていた。幸か不幸か色あせてしまっていたので、品の良い濃淡のある布に見えた。紫色のハギレを集めてつなげ、ウエストと裾にフリルをつけた。ベルベットのリボンもあったので、大きく開いた襟ぐりに沿わせ、正面で小さく蝶結びにした。
持ってきたアクセサリーはどれもボリュームがなかったので、三粒真珠がついて、金鎖がシャンデリアのように垂れさがっているネックレスと、金細工の小さな花があしらわれたチョーカーを組み合わせて、一つのネックレスにした。丸いダイヤモンドのイヤリングにも、別のブレスレットから取った楕円の金のパーツをつけた。
髪は高い位置でまとめて、一筋毛束を垂らした。ハギレを針金に巻き付けて、お団子キャップを作る要領で曲線のモチーフを作り、前から見えるようにまとめた髪につける。生成りに変色した白い羽飾りの根元にも同じ飾りをつけ、根元のやわらかい毛が禿げているのを誤魔化した。
二日後、出発前に全てを装ってみると、いっぱしの都の貴族令嬢のように見えた。