第六章 裁判 第五話
文字数 2,954文字
リゼットは法院の真横にある、罪人を収監する塔の一室に閉じ込められていた。といっても、ポーラック公爵が言った通り、貴族であるし容疑も軽いから、ベッドも一人がけのソファもテーブルもある暖かい部屋だった。カミーユの仕立屋の物置より住環境が良い。
(メリザンド様がわたしを陥れるためにわざと? まさか仮面を注文したのも、このためだったってこと? そんなふうには思えないけど)
ここに至っても、リゼットはまだメリザンドを疑いきれずにいた。
ブランシュたちを引き連れて面会にやってきたシモンには、お人好しが過ぎるときつく叱られた。
「だってメリザンド様は、身分も社交界での名声も全て持っていて、皇太子妃の最有力候補でしょう? だからわたくしに手の込んだ意地悪をする必要ないじゃない」
「その通りだ。だからこそ怪しむべきなんだ。考えてみろ、顔がかぶれたといったって、それは舞踏会の翌日の話だ。お前がメリザンドを消すために仕組んだのだとしたら、皇太子妃選びのその最中に何らかの問題が起こるように仕向けたはず。だからこれはメリザンドの謀略の可能性が高い」
シモンの説明を聞いても、リゼットはどこか納得できなかった。あの美しいメリザンドがそんなことをするとは信じたくないのだ。
「わざわざ顔をかぶれさせるなんて、誰だってやりたくないでしょう。メリザンド様の顔、ぶつぶつ、ひどかったのよ。とっても痛そうだったわ。物乞いみたいな」
そこでリゼットはあることを思い出した。
「前に故郷で、物乞いが哀れっぽく見せるために、わざと顔をかぶれさせるって言っていたけど、メリザンド様の発疹はそれとそっくりだったわ。なんて言ったかしら、植物を使うようなことを言っていたけど」
「じゃあ、もしかしたら、メリザンド様もその植物を使ったのかもしれないわね」
それがわかれば希望も見えるのではないかと、ブランシュはいくらか明るい表情をした。とにかく仮面が手に入らなければ先に進めない。
「リゼット、気を強く持ってね。わたくしたちが絶対に無実を証明して見せますわ。サビーナもパメラも事情があってこられないけれど、あなたのことを思っていますから」
ブランシュは励ましの言葉と一緒に卵サンドを差し入れてくれた。それを食べると、ほっと気持ちがほぐれるようだった。無実の罪で軟禁されるというのは、思っていたより精神に堪えたのだ。
卵サンドを堪能していると、また面会を告げられた。兵士によって扉が開かれると、そきにはフードのついた長いマントの男が立っていた。誰かと問う前に、その後ろから見知った顔が現れた。
「あ、ユーグさん。じゃあ、この方は……」
「しっ! お忍びですから、大きな声を出さないように」
ユーグに窘められて、リゼットは両手で口を塞いだ。ルシアンは部屋へ入り、ソファに腰掛けてからようやくフードを取った。
「わざわざお越しくださるなんて」
「いや、気になったもので。わたしが舞踏会でユーグに作らせた仮面をつけたせいで、あなたはわたしと過ごすことになり、それでメリザンドの嫉妬を買ったのだとすれば、わたしにも責任があると思ってな」
「いいえ。殿下のせいではありません。きっとすぐに誤解が晴れますから、そんなにご心配なさらず」
恐縮しきりのリゼットの様子がおかしくて、ルシアンは少し笑顔が見えたが、すぐに顔を曇らせた。
「誤解か。あなたはメリザンドが故意にあなたを陥れたと考えないのだな」
「え、ええ。思わないというか、思いたくないというか……。だってあんなに素敵な方なんですもの。悪い人だと思いたくないのです」
「そうか。わたしもメリザンドとは幼馴染だから、少々傲慢で気の強いところはあるが、そんな狷介な娘ではないと信じたい。だが、信じてはいけないかもしれない。どうも母上はメリザンドに便宜を図ろうと、私がどの仮面をつけるのかを教えていたようだ。だから予定を変えて別の仮面をつけたことを叱られた。それを考えると、メリザンドがあなたを陥れることも十分に考えられる」
ルシアンの表情はさらに暗くなった。目下容疑をかけられているリゼットよりも暗い顔をしている。
「サルタンの仮面の噂は聞いていただろう。あれを流したのはセブランだ。わたしは当初藤の花の仮面をつけるつもりだったから、リアーヌ嬢にそのことを教えたのだろう」
「殿下のお友達なのに、そんなことを……」
ルシアンは深く溜息をついた。
「理由はわかっている。家のためだ。仕方がない。わたしとて皇太子だから、友情より立場を優先することはある。だが、それでも友情と立場をごちゃまぜにしたことはない。私情を公務に挟んだことはないし、皇太子の立場を利用して友人を押さえつけたこともない。だがあいつは、友だからこそ知り得た情報を家のために利用したのだ。それがどうしても許せない。仕方のないことだとわかっていても、受け入れることができない。もしかしたら、もうセブランとは以前のような友人には戻れないかもしれない」
リゼットは都へ来てから、セブランの他にルシアンの友人と称される人にも、名乗る人にの出会っていない。つまりセブランはルシアンにとって唯一の友人といっていい。その友人の裏切りを受け入れられない気持ちはよくわかった。だがセブランが家を蔑ろにできないことも、致し方ないことに思えた。だからこそルシアンは苦悩しているのだろう。
「でも、セブラン様とはもうこれっきりというのは、あまりにも、お寂しくございませんか」
思わず意見していた。リゼットの頭の中に、椿 えり香 こと渡邊絵里の顔が思い浮かんだ。
前世の記憶が蘇る。彼女とは同期で、寮の部屋も同室で、掃除場所も一緒。いつも一緒に過ごしていた。
不器用な渡邊絵里は、校則で決まっている、きつく編み込んでピンと尖ったお下げ髪、——海老の天ぷらのように見えるため、通称エビ天と呼ばれる。——をするのにいつも苦労していた。大原悦子はしょっちゅう代わりに編んでやっていた。歌舞校生は寮生全員で整列して登校する決まりになっていた。えっちゃんにやってもらうとピンってなるね、などと嬉しそうにしている彼女を急かして、送れないよう集合する。二人はいつも遅刻ギリギリだったが、走って寮を出る時は、二人とも笑っていた。
トイレ掃除で、便器を磨きながら戦中の軍歌のような宝川歌劇団歌とか、劇団80周年を記念して作られたエターナルドリーム宝川など、調子のいい歌を小声で口ずさんでいたが、いつの間にか二人の大合唱になって、本科生にこっぴどく叱られた。その時も予科顔でやり過ごした後、二人で笑い合っていた。
厳しい歌舞校の生活のなかで、彼女との思い出は全て心温まる思い出ばかりだ。しかし入団して夢園 さゆりと椿えり香となって、椿えり香が梅組トップ娘役となってしまってから、徐々に距離ができてしまった。後からついてきた立場が二人を隔てたのだ。
「でも、二人が育んできた友情はけして消えるものでじゃない。それぞれに立場があっても、誰より互いをよく知っていて、誰よりも信頼できる、その繋がりは断ち切れるものじゃないわ。それを無理やり断ち切ろうとするのは、辛いし、悲しいし、できないことよ」
前世の自分にい聞かせるように、リゼットは言った。
(メリザンド様がわたしを陥れるためにわざと? まさか仮面を注文したのも、このためだったってこと? そんなふうには思えないけど)
ここに至っても、リゼットはまだメリザンドを疑いきれずにいた。
ブランシュたちを引き連れて面会にやってきたシモンには、お人好しが過ぎるときつく叱られた。
「だってメリザンド様は、身分も社交界での名声も全て持っていて、皇太子妃の最有力候補でしょう? だからわたくしに手の込んだ意地悪をする必要ないじゃない」
「その通りだ。だからこそ怪しむべきなんだ。考えてみろ、顔がかぶれたといったって、それは舞踏会の翌日の話だ。お前がメリザンドを消すために仕組んだのだとしたら、皇太子妃選びのその最中に何らかの問題が起こるように仕向けたはず。だからこれはメリザンドの謀略の可能性が高い」
シモンの説明を聞いても、リゼットはどこか納得できなかった。あの美しいメリザンドがそんなことをするとは信じたくないのだ。
「わざわざ顔をかぶれさせるなんて、誰だってやりたくないでしょう。メリザンド様の顔、ぶつぶつ、ひどかったのよ。とっても痛そうだったわ。物乞いみたいな」
そこでリゼットはあることを思い出した。
「前に故郷で、物乞いが哀れっぽく見せるために、わざと顔をかぶれさせるって言っていたけど、メリザンド様の発疹はそれとそっくりだったわ。なんて言ったかしら、植物を使うようなことを言っていたけど」
「じゃあ、もしかしたら、メリザンド様もその植物を使ったのかもしれないわね」
それがわかれば希望も見えるのではないかと、ブランシュはいくらか明るい表情をした。とにかく仮面が手に入らなければ先に進めない。
「リゼット、気を強く持ってね。わたくしたちが絶対に無実を証明して見せますわ。サビーナもパメラも事情があってこられないけれど、あなたのことを思っていますから」
ブランシュは励ましの言葉と一緒に卵サンドを差し入れてくれた。それを食べると、ほっと気持ちがほぐれるようだった。無実の罪で軟禁されるというのは、思っていたより精神に堪えたのだ。
卵サンドを堪能していると、また面会を告げられた。兵士によって扉が開かれると、そきにはフードのついた長いマントの男が立っていた。誰かと問う前に、その後ろから見知った顔が現れた。
「あ、ユーグさん。じゃあ、この方は……」
「しっ! お忍びですから、大きな声を出さないように」
ユーグに窘められて、リゼットは両手で口を塞いだ。ルシアンは部屋へ入り、ソファに腰掛けてからようやくフードを取った。
「わざわざお越しくださるなんて」
「いや、気になったもので。わたしが舞踏会でユーグに作らせた仮面をつけたせいで、あなたはわたしと過ごすことになり、それでメリザンドの嫉妬を買ったのだとすれば、わたしにも責任があると思ってな」
「いいえ。殿下のせいではありません。きっとすぐに誤解が晴れますから、そんなにご心配なさらず」
恐縮しきりのリゼットの様子がおかしくて、ルシアンは少し笑顔が見えたが、すぐに顔を曇らせた。
「誤解か。あなたはメリザンドが故意にあなたを陥れたと考えないのだな」
「え、ええ。思わないというか、思いたくないというか……。だってあんなに素敵な方なんですもの。悪い人だと思いたくないのです」
「そうか。わたしもメリザンドとは幼馴染だから、少々傲慢で気の強いところはあるが、そんな狷介な娘ではないと信じたい。だが、信じてはいけないかもしれない。どうも母上はメリザンドに便宜を図ろうと、私がどの仮面をつけるのかを教えていたようだ。だから予定を変えて別の仮面をつけたことを叱られた。それを考えると、メリザンドがあなたを陥れることも十分に考えられる」
ルシアンの表情はさらに暗くなった。目下容疑をかけられているリゼットよりも暗い顔をしている。
「サルタンの仮面の噂は聞いていただろう。あれを流したのはセブランだ。わたしは当初藤の花の仮面をつけるつもりだったから、リアーヌ嬢にそのことを教えたのだろう」
「殿下のお友達なのに、そんなことを……」
ルシアンは深く溜息をついた。
「理由はわかっている。家のためだ。仕方がない。わたしとて皇太子だから、友情より立場を優先することはある。だが、それでも友情と立場をごちゃまぜにしたことはない。私情を公務に挟んだことはないし、皇太子の立場を利用して友人を押さえつけたこともない。だがあいつは、友だからこそ知り得た情報を家のために利用したのだ。それがどうしても許せない。仕方のないことだとわかっていても、受け入れることができない。もしかしたら、もうセブランとは以前のような友人には戻れないかもしれない」
リゼットは都へ来てから、セブランの他にルシアンの友人と称される人にも、名乗る人にの出会っていない。つまりセブランはルシアンにとって唯一の友人といっていい。その友人の裏切りを受け入れられない気持ちはよくわかった。だがセブランが家を蔑ろにできないことも、致し方ないことに思えた。だからこそルシアンは苦悩しているのだろう。
「でも、セブラン様とはもうこれっきりというのは、あまりにも、お寂しくございませんか」
思わず意見していた。リゼットの頭の中に、
前世の記憶が蘇る。彼女とは同期で、寮の部屋も同室で、掃除場所も一緒。いつも一緒に過ごしていた。
不器用な渡邊絵里は、校則で決まっている、きつく編み込んでピンと尖ったお下げ髪、——海老の天ぷらのように見えるため、通称エビ天と呼ばれる。——をするのにいつも苦労していた。大原悦子はしょっちゅう代わりに編んでやっていた。歌舞校生は寮生全員で整列して登校する決まりになっていた。えっちゃんにやってもらうとピンってなるね、などと嬉しそうにしている彼女を急かして、送れないよう集合する。二人はいつも遅刻ギリギリだったが、走って寮を出る時は、二人とも笑っていた。
トイレ掃除で、便器を磨きながら戦中の軍歌のような宝川歌劇団歌とか、劇団80周年を記念して作られたエターナルドリーム宝川など、調子のいい歌を小声で口ずさんでいたが、いつの間にか二人の大合唱になって、本科生にこっぴどく叱られた。その時も予科顔でやり過ごした後、二人で笑い合っていた。
厳しい歌舞校の生活のなかで、彼女との思い出は全て心温まる思い出ばかりだ。しかし入団して
「でも、二人が育んできた友情はけして消えるものでじゃない。それぞれに立場があっても、誰より互いをよく知っていて、誰よりも信頼できる、その繋がりは断ち切れるものじゃないわ。それを無理やり断ち切ろうとするのは、辛いし、悲しいし、できないことよ」
前世の自分にい聞かせるように、リゼットは言った。