第五章 仮面舞踏会 第三話
文字数 3,025文字
リゼットたちが令嬢たちに囲まれて身動きが取れないでいると、後ろから高い声でリゼットを呼ぶ声がした。振り返る間もなく背中側に軽い衝撃がある。キトリィが腰に手を回して抱き着いていた。
「王女様、走ってはいけませんし、ご挨拶もなしに抱擁はいけませんよ」
アンリエットが窘めながら近づきていた。周囲の人々は皆王女にお辞儀する。リゼットもキトリィが離れるとお辞儀して、今日観劇の機会をもらえたことを感謝し、また一緒に観劇するパメラを紹介した。王女はパメラにもいい印象を持ったようで、ニコニコして元気いっぱいの挨拶をした。
そこでブランシュたちと別れて、いざ三階のボックス席へと入ったが、席に座るとキトリィが急に不機嫌になった。
「お芝居って退屈。ずーっと座っていなきゃいけないんだもの」
「まぁ、王女様はお芝居よりもダンスとか、この間の散策のような遊びを好まれますの?」
「わたしが好きなのは、サーカスごっこ! 綱渡りに空中ブランコ! 乗馬だってできるんだから。今度リゼットさんにも見せてあげるわ!」
今にも走り出さんばかりに座席で足をぶらぶらさせている。
「だ、だいぶお転婆ですわね」
リゼットは隣のアンリエットに言った。
「これでも落ち着いてきたほうですわ。もっとお小さい頃はもう、一日中走り回っているようなお子様でしたの」
アンリエットも後ろのリベール大使もやれやれと言った表情だった。
幕が開いた。形式としてはオペラで、途中でバレエや曲芸も入る豪華さだった。照明は全て蝋燭や篝火の灯りに頼っているが、盆やせり上がりなどの舞台装置もあって、思いの外見ごたえがあった。
(それにしても、この時代のバレエって随分ゆったりしてるわね。ピルエットとか派手な技がないわ。トウシューズも穿いてない)
前世は4歳からバレエを習っていた宝川歌劇の舞台女優なので、興味深く見入っていた。宝川の歌唱法はオペラとは違うが、それでも歌手の技巧や表現力には素直に感動した。
ふと横を見ると、キトリィが大あくびしていた。興味がない人には観劇などただの無駄な時間だ。ただ、これもキトリィの教育の一環ということになっているので、このまま退屈させっぱなしはよくない。
「王女様、今ぐるっと舞台が回っておりますでしょう? どういう仕組みかおわかりかしら、あそこだけお皿のようになっていて、回るようになっているんですわ。それでぐるっと回ったら、ほら、森の中から砦に変わりました」
「どうやって回しているの?」
「多分……何人もの人が下にいて、回しているんですのよ。ほら、あちらで下から人が上がってきたのも、舞台に穴が開いていて、下で台の上に乗った役者を押し上げているんですわ。押し上げるのに準備がいるので、あの人は急いで着替えてあそこにいなくちゃいけないんですの。
今女性が一人で歌っていますけれど、幕が閉まっておりますでしょう。後ろでセットを変えているんですわ。幕が開いたらきっと宮殿の中になっているはず……ほら、言った通りでしょう。それに主役は衣装を着替えていますから、女性の歌は長めにして時間稼ぎをしていたんです。主役だけじゃなくて、他にも沢山の人が出てきていますけれ、あの人たち、さっきは兵士をやっていたから、あの人たちの着替えの時間も必要だったのです」
「兵士と貴族は同じ人なの」
「ええ、いちいち別の人を雇っていたら、人数が多すぎて袖に入りきらなくなりますわ」
純粋に物語を楽しめないならと、舞台機構や演出について話してみると、キトリィは食いついてきた。前世では盆とせり上がりは全て電動になっていたが、この時代は人力だったはずだ。その他はいつの時代も変わらないだろうと、前世の記憶をフル活用した。
「リゼット様は舞台芸術に造詣が深いのですね」
とアンリエットとパメラに感心されてしまった。
第二幕もこんなふうに解説していたため、物語の内容はあまり入ってこなかった。最後は十代国主とヒロインが舞台中央のバルコニーを模したような小高いセットの上で、高らかに主題歌を歌いあげて幕が下りた。カーテンコールを五度繰り返して、ようやく人々は客席から立ち上がった。
ロビーはまたもや社交会場と化した。皆たむろして芝居の感想を言い合っていた。
「主演の歌手はとても声が良かったですわ。英雄に相応しい堂々とした風格があって、はまり役でした」
ルシアンは母親の隣で観劇していたメリザンドの感想を聞いた。彼は政務が長引いたせいで、皇帝とともに一幕が始まって少ししてから劇場に到着したのだった。
令嬢たちは歓談する振りをしてロビーにたむろしながら、ちらちらと皇太子に話しかける機会をうかがっていた。しかし彼女らが行動を起こす前に、ルシアン自らが周りの人々、特に皇太子妃選びに参加している令嬢たちに話しかけて、感想を訊ねて回った。
平素は社交の場でも生真面目で気を張っているようなところがあるのに、珍しいことだった。とはいえ令嬢たちは己を売り込む良い機会でもあるし、また麗しい皇太子を間近にできると色めき立った。
「リアーヌ嬢はどうだったかな」
「十代国王陛下と王妃殿下の愛の物語に胸が震えました。わたくしも愛する人となら、どんな困難も乗り越えてゆけると思いますわ」
「愛の物語ももちろんですが、わたくしは十代国王と宰相の友情に感動しましたわ。二人の絆は確かなものだったのに、最後はあのように悲しい別れをしなけばならないとは」
リアーヌに続いてローズが感想を話すと、ルシアンも同じ所が気に入っていたようで、思いの外話が弾んでいた。リアーヌもメリザンドも内心でローズを恨めしく、ローズの方はしてやったりと思っていた。
キトリィ一緒にロビーに出たリゼットとパメラも呼び止められた。
「やはり音楽が、特に歌手の独唱はどれも登場人物の感情が溢れ出るような旋律で、心に残っております」
リゼットは焦った。解説にかまけていて物語の本筋への感想があまりなかったのだ。パメラの次にルシアンから視線を向けられ、必死に感想をひねり出そうとした。
「そ、そうですわね。やはり迫力ですわね。盆やせりを沢山使って、舞踊やアクロバットも効果的に入れていて、重厚な歴史劇に相応しい演出でしたわ」
「リゼットさんはお芝居に詳しいのです」
キトリィが嬉々としてリゼットから聞いたことを話して聞かせた。
「まぁ、随分冷めた目で舞台をご覧になっておいでだったのね。国を守る信念や友情、愛、心を揺さぶられる瞬間が沢山ありましたのに。それを感じられないのかしら」
「観劇スタイルは人それぞれですわ。でも殿下は情緒的な視点から楽しむのお好みですわよね」
案の定、ローズとメリザンドから批判めいたことを言われた。物語の内容を楽しまず、斜に構えていると思われたかもしれない。
「でも、そうした効果も大事ですわ。例えば主人公とヒロインのデュエットに陰コーラス、つまり舞台上は二人だけで、コーラス隊は舞台裏に隠れることで、感動的でありながら静寂な二人の愛の世界を表現していました。主人公が舞台中央で盆に乗って移動している時に、宰相だけ下手に立って、二人で歌を重ねるところは、強い絆がありながらも、少しずつすれ違っていく二人の心情を現しておりました。こんなふうに、物語を効果的に見せるための仕組みを知ると、より深く味わえますわ」
リゼットは負けなかった。何が功を奏するかわからないなら、精一杯やるだけだ。
「王女様、走ってはいけませんし、ご挨拶もなしに抱擁はいけませんよ」
アンリエットが窘めながら近づきていた。周囲の人々は皆王女にお辞儀する。リゼットもキトリィが離れるとお辞儀して、今日観劇の機会をもらえたことを感謝し、また一緒に観劇するパメラを紹介した。王女はパメラにもいい印象を持ったようで、ニコニコして元気いっぱいの挨拶をした。
そこでブランシュたちと別れて、いざ三階のボックス席へと入ったが、席に座るとキトリィが急に不機嫌になった。
「お芝居って退屈。ずーっと座っていなきゃいけないんだもの」
「まぁ、王女様はお芝居よりもダンスとか、この間の散策のような遊びを好まれますの?」
「わたしが好きなのは、サーカスごっこ! 綱渡りに空中ブランコ! 乗馬だってできるんだから。今度リゼットさんにも見せてあげるわ!」
今にも走り出さんばかりに座席で足をぶらぶらさせている。
「だ、だいぶお転婆ですわね」
リゼットは隣のアンリエットに言った。
「これでも落ち着いてきたほうですわ。もっとお小さい頃はもう、一日中走り回っているようなお子様でしたの」
アンリエットも後ろのリベール大使もやれやれと言った表情だった。
幕が開いた。形式としてはオペラで、途中でバレエや曲芸も入る豪華さだった。照明は全て蝋燭や篝火の灯りに頼っているが、盆やせり上がりなどの舞台装置もあって、思いの外見ごたえがあった。
(それにしても、この時代のバレエって随分ゆったりしてるわね。ピルエットとか派手な技がないわ。トウシューズも穿いてない)
前世は4歳からバレエを習っていた宝川歌劇の舞台女優なので、興味深く見入っていた。宝川の歌唱法はオペラとは違うが、それでも歌手の技巧や表現力には素直に感動した。
ふと横を見ると、キトリィが大あくびしていた。興味がない人には観劇などただの無駄な時間だ。ただ、これもキトリィの教育の一環ということになっているので、このまま退屈させっぱなしはよくない。
「王女様、今ぐるっと舞台が回っておりますでしょう? どういう仕組みかおわかりかしら、あそこだけお皿のようになっていて、回るようになっているんですわ。それでぐるっと回ったら、ほら、森の中から砦に変わりました」
「どうやって回しているの?」
「多分……何人もの人が下にいて、回しているんですのよ。ほら、あちらで下から人が上がってきたのも、舞台に穴が開いていて、下で台の上に乗った役者を押し上げているんですわ。押し上げるのに準備がいるので、あの人は急いで着替えてあそこにいなくちゃいけないんですの。
今女性が一人で歌っていますけれど、幕が閉まっておりますでしょう。後ろでセットを変えているんですわ。幕が開いたらきっと宮殿の中になっているはず……ほら、言った通りでしょう。それに主役は衣装を着替えていますから、女性の歌は長めにして時間稼ぎをしていたんです。主役だけじゃなくて、他にも沢山の人が出てきていますけれ、あの人たち、さっきは兵士をやっていたから、あの人たちの着替えの時間も必要だったのです」
「兵士と貴族は同じ人なの」
「ええ、いちいち別の人を雇っていたら、人数が多すぎて袖に入りきらなくなりますわ」
純粋に物語を楽しめないならと、舞台機構や演出について話してみると、キトリィは食いついてきた。前世では盆とせり上がりは全て電動になっていたが、この時代は人力だったはずだ。その他はいつの時代も変わらないだろうと、前世の記憶をフル活用した。
「リゼット様は舞台芸術に造詣が深いのですね」
とアンリエットとパメラに感心されてしまった。
第二幕もこんなふうに解説していたため、物語の内容はあまり入ってこなかった。最後は十代国主とヒロインが舞台中央のバルコニーを模したような小高いセットの上で、高らかに主題歌を歌いあげて幕が下りた。カーテンコールを五度繰り返して、ようやく人々は客席から立ち上がった。
ロビーはまたもや社交会場と化した。皆たむろして芝居の感想を言い合っていた。
「主演の歌手はとても声が良かったですわ。英雄に相応しい堂々とした風格があって、はまり役でした」
ルシアンは母親の隣で観劇していたメリザンドの感想を聞いた。彼は政務が長引いたせいで、皇帝とともに一幕が始まって少ししてから劇場に到着したのだった。
令嬢たちは歓談する振りをしてロビーにたむろしながら、ちらちらと皇太子に話しかける機会をうかがっていた。しかし彼女らが行動を起こす前に、ルシアン自らが周りの人々、特に皇太子妃選びに参加している令嬢たちに話しかけて、感想を訊ねて回った。
平素は社交の場でも生真面目で気を張っているようなところがあるのに、珍しいことだった。とはいえ令嬢たちは己を売り込む良い機会でもあるし、また麗しい皇太子を間近にできると色めき立った。
「リアーヌ嬢はどうだったかな」
「十代国王陛下と王妃殿下の愛の物語に胸が震えました。わたくしも愛する人となら、どんな困難も乗り越えてゆけると思いますわ」
「愛の物語ももちろんですが、わたくしは十代国王と宰相の友情に感動しましたわ。二人の絆は確かなものだったのに、最後はあのように悲しい別れをしなけばならないとは」
リアーヌに続いてローズが感想を話すと、ルシアンも同じ所が気に入っていたようで、思いの外話が弾んでいた。リアーヌもメリザンドも内心でローズを恨めしく、ローズの方はしてやったりと思っていた。
キトリィ一緒にロビーに出たリゼットとパメラも呼び止められた。
「やはり音楽が、特に歌手の独唱はどれも登場人物の感情が溢れ出るような旋律で、心に残っております」
リゼットは焦った。解説にかまけていて物語の本筋への感想があまりなかったのだ。パメラの次にルシアンから視線を向けられ、必死に感想をひねり出そうとした。
「そ、そうですわね。やはり迫力ですわね。盆やせりを沢山使って、舞踊やアクロバットも効果的に入れていて、重厚な歴史劇に相応しい演出でしたわ」
「リゼットさんはお芝居に詳しいのです」
キトリィが嬉々としてリゼットから聞いたことを話して聞かせた。
「まぁ、随分冷めた目で舞台をご覧になっておいでだったのね。国を守る信念や友情、愛、心を揺さぶられる瞬間が沢山ありましたのに。それを感じられないのかしら」
「観劇スタイルは人それぞれですわ。でも殿下は情緒的な視点から楽しむのお好みですわよね」
案の定、ローズとメリザンドから批判めいたことを言われた。物語の内容を楽しまず、斜に構えていると思われたかもしれない。
「でも、そうした効果も大事ですわ。例えば主人公とヒロインのデュエットに陰コーラス、つまり舞台上は二人だけで、コーラス隊は舞台裏に隠れることで、感動的でありながら静寂な二人の愛の世界を表現していました。主人公が舞台中央で盆に乗って移動している時に、宰相だけ下手に立って、二人で歌を重ねるところは、強い絆がありながらも、少しずつすれ違っていく二人の心情を現しておりました。こんなふうに、物語を効果的に見せるための仕組みを知ると、より深く味わえますわ」
リゼットは負けなかった。何が功を奏するかわからないなら、精一杯やるだけだ。