第三章 皇太子妃候補たち 第八話
文字数 2,997文字
「ローズ様、意地悪はそれくらいにしてさしあげなさいな。この方、今にも泣きだしそうですわよ」
玲瓏な声はメリザンドのものだった。赤い紗のフリルが幾重にも重なったスカートで、袖は控えめなパフスリーブ、胸元の黒いベルベットのラインがアクセントになっている。そしてその中心に、宝石をちりばめた星型のブローチが輝いていた。
気が付くと、近くにいた人々は、一様にリゼットに同情の視線を投げかけていた。すると目ざとくシモンが戻ってくる。
「妹よ、何を悲しんでいるんだ? ああ、たかが子爵家の娘が身の程知らずだと罵られたのか。可哀そうに。不甲斐ないこの兄のせいで、お前に惨めな思いをさせてしまったのだな」
大仰にリゼットの肩を抱いて涙ぐむふりをする。それにつられて人々の同情の視線が強くなった。
「な、なんですの。まるでわたくしがこの方を泣かせたような」
「わたくしにはそう見えましたわ。みなさまも、同じではありませんか」
リゼットは予科顔 でいただけであって、泣いていたわけではない。しかし周囲の人々はメリザンドに賛同した。ローズは非難がましい視線に耐えられず、逃げるように一度控えの間に引っ込んでしまった。
「あの令嬢の性悪なところが晒されたな。でかしたぞ」
人々が去ってしまうと、シモンはリゼットを褒めた。
(性悪って、お兄様もたいがいでしょうよ。
それにしても、助けてくれたのよね、メリザンド様。綺麗なうえに優しいなんて、素敵だわ)
そのメリザンドは顔見知りの貴族たちに挨拶をして回っていた。その途中で、別の貴族と談笑する父親と目が合う。滑るように人々の間を抜けて、会話を切り上げた父親の傍へ寄る。
「向うでひと騒ぎしていたようだが」
「何でもございません。ローズ様が暴走していたので、ちょっと苦言を呈しただけですわ。あの人もお馬鹿さんです。やる気満々なのに空回りしては浅はかに八つ当たり。自分の名を貶めるとわからないはずはないのに」
「あまり余計なことをして、厄介事に巻き込まれてはならんぞ。お前なら何もしなくても勝てるはずなのだから」
ソンルミエール公爵は腕を組み愛娘に忠告した。だが、メリザンドはふと微笑みを消して小さく首を振った。
「いいえ。幼いころからルシアン殿下の側に身を置き、皇帝陛下と皇后陛下からお心をかけていただいてきたというのに、皇太子妃選びなんて催しが開かれてしまった時点で、わたくしは負けたのです。漫然と参加しているだけでは勝てません。この上は、どんな手を使ってでも、皇太子妃の座を手に入れるつもりですわ。でもご安心なさって。わたくしはお馬鹿さんではありませんから」
将来は皇后にと育てられてきたのだから、年頃になれば自然と皇太子との縁談が持ち上がるものだと思っていた。実際、皇帝夫妻は内心でメリザンドを嫁にと望んでいる。
(ルシアン殿下、あなたがどんなに拒んでも、その隣に相応しいのはこのわたくし。最後には、そのあるべき現実を受け入れていただきますわ)
やがて、皇帝夫妻が広間に姿を現した。皇帝は金の肩章と一つ一つ意匠が異なるブローチが七つもついた豪華な軍服を着て、ダルメシアンの毛皮がついた赤いマントを引きずっている。金の豊かな髭が顎を覆っており、その紫の瞳は、何もかもを見通しているかのような、柔らかくも強い光を湛えている。
初めて本物の国主を見たリゼットは、その威厳に満ちた姿に感動した。
「皆の者、今宵は古の英雄を讃える舞踏会だが、皇太子妃選びの審査も兼ねておる。あらかじめ決められた男たちはご苦労だが、令嬢たちと踊り、その資質を見極めてくれ。それでは、音楽を!」
その言葉を合図に、楽隊が楽器を奏で始める。男性たちは周りの女性を誘って、広間の真ん中でダンスが始まった。
女性は男性から誘われるの待つのがマナーだ。リゼットは目だけを動かして、誰かから誘いを受けることを期待したが、誰も声をかけてくれなかった。隣のパメラも同じかと思われたが、曲が始まってしばらくしてから、一人の青年に誘われて行ってしまった。
シモンは舌打ちすると、リゼットの手を取ってダンスに加わった。不意の出来事だったが、リゼットはすぐに順応して淀みないステップを踏んだ。
リゼットのダンスは舞台仕込みだし、ここ最近はバレエの基礎レッスンを続けていたので、姿勢も身のこなしも洗練されて見えた。シモンは完全にリードされている格好だったが、男役を立てる娘役の習性に助けられ、立派な社交界の一員に見えるよう引き立てられていた。
目ざとい人々、特に令嬢たちの審査を頼まれている者たちは、リゼットとシモンのカップルに注目した。
(この前ローズがつっかかっていた令嬢だな。あの時はどうとも思わなかったが、なかなか見所があるじゃないか)
リアーヌと踊りながら、それとなく令嬢たちを観察していたセブランも、リゼットを目で追っていた。すると不意にペアになってるシモンと視線があった。程なくして曲が終わるというところで、リゼットとシモンのカップルが近づいてきて、リアーヌにぶつかった。リアーヌは小さな悲鳴を上げてよろけた。
「申し訳ありません。つい夢中になってしまって。お怪我はありませんでしたか?」
シモンは慌てて無礼を詫び、リアーヌを労わった。
「平気ですわ」
「それは良かった。丁度曲が終わりましたね。よろしければ、次のワルツのお相手をしていただけませんか? あ、もしかして無粋な申し出でしょうか」
シモンはセブランをちらりと見て言った。
「構わないよ。この娘は親戚で、妹のようなものだ。それに皇太子妃候補なのだよ。レーブジャルダン嬢も同じではなかったかな」
「わたしはリゼットの兄なのです。どうです、次の曲は互いに妹を交換して踊ってみませんか」
「面白い。リアーヌ、踊っておいで」
セブランはそっとリアーヌをシモンの方へ導くと、流れるようにリゼットの手を取った。
皆の注目を集めるセブランと踊ることになって焦るリゼットに、シモンは目配せをして、気障にリアーヌを連れて離れてしまった。こうするために、わざとリアーヌにぶつかったのだ。
「リゼット嬢はどちらから出てこられたのかな」
麗しいセブランの顔が目の前にあって見惚れていると、不意に尋ねられた。きっと彼のような人は、令嬢の審査を任されているに違いない。受け答えは慎重にしなくては。とはいえ嘘をつくのも良くない。出身地は素直に答えた。
「そのわりには、あか抜けて美しかったから、自然と目で追ってしまったよ」
「まぁ、わたくしなんてここへ集まった方々に比べたら……」
「そうかな? その装いも、少し個性的だがとても洒落ているし、何より足取りが軽やかで優雅だ。今だってこんなに心地よく踊れたことはないほどだよ」
文字どおりの社交辞令だとわかっていても、甘い声でこんな褒められては、自然と頬が赤くなってしまう。周囲から羨望と嫉妬のまなざしを感じるのも、さもありなんだった。
クルクルとフロアを踊っていると、シモンとリアーヌのペアに近づいた。彼らもそれなりに楽しそうにしている。だが、くるりとターンして振り返った次の瞬間、リゼットの目にはフロアの真ん中で立ち尽くす二人が映った。
リアーヌは恥ずかしそうに目を泳がせながら、片手で頭を押さえていた。先ほどまでダイヤのヘアピンでまとめられていた髪が解けて肩に垂れていた。
玲瓏な声はメリザンドのものだった。赤い紗のフリルが幾重にも重なったスカートで、袖は控えめなパフスリーブ、胸元の黒いベルベットのラインがアクセントになっている。そしてその中心に、宝石をちりばめた星型のブローチが輝いていた。
気が付くと、近くにいた人々は、一様にリゼットに同情の視線を投げかけていた。すると目ざとくシモンが戻ってくる。
「妹よ、何を悲しんでいるんだ? ああ、たかが子爵家の娘が身の程知らずだと罵られたのか。可哀そうに。不甲斐ないこの兄のせいで、お前に惨めな思いをさせてしまったのだな」
大仰にリゼットの肩を抱いて涙ぐむふりをする。それにつられて人々の同情の視線が強くなった。
「な、なんですの。まるでわたくしがこの方を泣かせたような」
「わたくしにはそう見えましたわ。みなさまも、同じではありませんか」
リゼットは
「あの令嬢の性悪なところが晒されたな。でかしたぞ」
人々が去ってしまうと、シモンはリゼットを褒めた。
(性悪って、お兄様もたいがいでしょうよ。
それにしても、助けてくれたのよね、メリザンド様。綺麗なうえに優しいなんて、素敵だわ)
そのメリザンドは顔見知りの貴族たちに挨拶をして回っていた。その途中で、別の貴族と談笑する父親と目が合う。滑るように人々の間を抜けて、会話を切り上げた父親の傍へ寄る。
「向うでひと騒ぎしていたようだが」
「何でもございません。ローズ様が暴走していたので、ちょっと苦言を呈しただけですわ。あの人もお馬鹿さんです。やる気満々なのに空回りしては浅はかに八つ当たり。自分の名を貶めるとわからないはずはないのに」
「あまり余計なことをして、厄介事に巻き込まれてはならんぞ。お前なら何もしなくても勝てるはずなのだから」
ソンルミエール公爵は腕を組み愛娘に忠告した。だが、メリザンドはふと微笑みを消して小さく首を振った。
「いいえ。幼いころからルシアン殿下の側に身を置き、皇帝陛下と皇后陛下からお心をかけていただいてきたというのに、皇太子妃選びなんて催しが開かれてしまった時点で、わたくしは負けたのです。漫然と参加しているだけでは勝てません。この上は、どんな手を使ってでも、皇太子妃の座を手に入れるつもりですわ。でもご安心なさって。わたくしはお馬鹿さんではありませんから」
将来は皇后にと育てられてきたのだから、年頃になれば自然と皇太子との縁談が持ち上がるものだと思っていた。実際、皇帝夫妻は内心でメリザンドを嫁にと望んでいる。
(ルシアン殿下、あなたがどんなに拒んでも、その隣に相応しいのはこのわたくし。最後には、そのあるべき現実を受け入れていただきますわ)
やがて、皇帝夫妻が広間に姿を現した。皇帝は金の肩章と一つ一つ意匠が異なるブローチが七つもついた豪華な軍服を着て、ダルメシアンの毛皮がついた赤いマントを引きずっている。金の豊かな髭が顎を覆っており、その紫の瞳は、何もかもを見通しているかのような、柔らかくも強い光を湛えている。
初めて本物の国主を見たリゼットは、その威厳に満ちた姿に感動した。
「皆の者、今宵は古の英雄を讃える舞踏会だが、皇太子妃選びの審査も兼ねておる。あらかじめ決められた男たちはご苦労だが、令嬢たちと踊り、その資質を見極めてくれ。それでは、音楽を!」
その言葉を合図に、楽隊が楽器を奏で始める。男性たちは周りの女性を誘って、広間の真ん中でダンスが始まった。
女性は男性から誘われるの待つのがマナーだ。リゼットは目だけを動かして、誰かから誘いを受けることを期待したが、誰も声をかけてくれなかった。隣のパメラも同じかと思われたが、曲が始まってしばらくしてから、一人の青年に誘われて行ってしまった。
シモンは舌打ちすると、リゼットの手を取ってダンスに加わった。不意の出来事だったが、リゼットはすぐに順応して淀みないステップを踏んだ。
リゼットのダンスは舞台仕込みだし、ここ最近はバレエの基礎レッスンを続けていたので、姿勢も身のこなしも洗練されて見えた。シモンは完全にリードされている格好だったが、男役を立てる娘役の習性に助けられ、立派な社交界の一員に見えるよう引き立てられていた。
目ざとい人々、特に令嬢たちの審査を頼まれている者たちは、リゼットとシモンのカップルに注目した。
(この前ローズがつっかかっていた令嬢だな。あの時はどうとも思わなかったが、なかなか見所があるじゃないか)
リアーヌと踊りながら、それとなく令嬢たちを観察していたセブランも、リゼットを目で追っていた。すると不意にペアになってるシモンと視線があった。程なくして曲が終わるというところで、リゼットとシモンのカップルが近づいてきて、リアーヌにぶつかった。リアーヌは小さな悲鳴を上げてよろけた。
「申し訳ありません。つい夢中になってしまって。お怪我はありませんでしたか?」
シモンは慌てて無礼を詫び、リアーヌを労わった。
「平気ですわ」
「それは良かった。丁度曲が終わりましたね。よろしければ、次のワルツのお相手をしていただけませんか? あ、もしかして無粋な申し出でしょうか」
シモンはセブランをちらりと見て言った。
「構わないよ。この娘は親戚で、妹のようなものだ。それに皇太子妃候補なのだよ。レーブジャルダン嬢も同じではなかったかな」
「わたしはリゼットの兄なのです。どうです、次の曲は互いに妹を交換して踊ってみませんか」
「面白い。リアーヌ、踊っておいで」
セブランはそっとリアーヌをシモンの方へ導くと、流れるようにリゼットの手を取った。
皆の注目を集めるセブランと踊ることになって焦るリゼットに、シモンは目配せをして、気障にリアーヌを連れて離れてしまった。こうするために、わざとリアーヌにぶつかったのだ。
「リゼット嬢はどちらから出てこられたのかな」
麗しいセブランの顔が目の前にあって見惚れていると、不意に尋ねられた。きっと彼のような人は、令嬢の審査を任されているに違いない。受け答えは慎重にしなくては。とはいえ嘘をつくのも良くない。出身地は素直に答えた。
「そのわりには、あか抜けて美しかったから、自然と目で追ってしまったよ」
「まぁ、わたくしなんてここへ集まった方々に比べたら……」
「そうかな? その装いも、少し個性的だがとても洒落ているし、何より足取りが軽やかで優雅だ。今だってこんなに心地よく踊れたことはないほどだよ」
文字どおりの社交辞令だとわかっていても、甘い声でこんな褒められては、自然と頬が赤くなってしまう。周囲から羨望と嫉妬のまなざしを感じるのも、さもありなんだった。
クルクルとフロアを踊っていると、シモンとリアーヌのペアに近づいた。彼らもそれなりに楽しそうにしている。だが、くるりとターンして振り返った次の瞬間、リゼットの目にはフロアの真ん中で立ち尽くす二人が映った。
リアーヌは恥ずかしそうに目を泳がせながら、片手で頭を押さえていた。先ほどまでダイヤのヘアピンでまとめられていた髪が解けて肩に垂れていた。