第三章 皇太子妃候補たち 第七話
文字数 2,985文字
「うーん。フリルを腰と裾の下の方だけにつけると、ボリュームのある個所にメリハリがでて良い。胸のリボンで可愛らしさが出ている。アクセサリーも絶妙なゴージャス感だし、髪飾りもちょっと見ない形だが洒落ている。羽飾りが黄ばんでいるのも、わざとそういう色に染めたように見える。いやぁ、お嬢様、素晴らしいセンスです」
最後のチェックを頼まれたシモンは、その出来栄えに唸った。
「そうかしら? 笑われない程度にはできたと思うけど」
「ご謙遜を。リゼット様はドレスのデザインの才能があります。アクセサリーもね」
そこへノエルに付き添われてシモンがやってきた。一張羅の礼服ではなく、灰色の生地に紫と紅色の紗を重ねて模様とした、洒落た衣服を身に着けている。
「ちょっと、若様、それは今度お客様にお渡しする商品ですよ」
「納品は明後日でしょう。一晩貸してもらうわ。シモン様が会場で笑われるようなことがあってはいけないわ。それによくお似合いでしょう」
「お前なぁ」
兄の文句を無視して、ノエルは二人を馬車に乗り込ませた。
「今日の舞踏会では、皇帝と皇后に選ばれた貴族たちと踊り、交流して、立ち居振る舞いが相応しいか、教養の程度を量るとのことだ」
ちなみに、この舞踏会は三代国王が敵国の侵略を退けた記念日を祝うという、建国500年の祝賀の一つでもあるので、それ以外にも多くの貴族たちが参加する。シモンも皇太子妃候補の親族として、おこぼれに預かって参加する。
(ノエルったら、最後はお兄様の衣装選びに夢中になって、手伝ってくれなかったわ)
しかし、ノエルが着飾らせるのに夢中になるのも無理はない。対面に座るシモンは実際それなりの美男子だった。
「おい。今度は他の令嬢を助けるなんて馬鹿げたことをするなよ。他の奴らの失敗はこちらのチャンスだ。油断している甘ちゃんがいたら、足を引かっけて転ばしてやれ」
こういう発言がなければ、文句なしなのだが。
舞踏会会場は鏡の間だった。シャンデリアと燭台に灯りが入り、褐色の光が白い壁と大理石の床に、着飾った人々の影を映した。豪華絢爛でありながら、どこか怪しげな雰囲気は、昼間とは大きく異なる。
会場でパメラと再会した。今日の彼女は胴と袖の上の方に薄ピンクのレースを重ねてある柔らかい黄色のドレス姿だった。今回は母親の魔改造を受けずに、本来の可憐さが引き立っていたので、心底ほっとした。
「おい、直してやると言って、ドレスを妙ちくりんにしてやったらどうだ?」
「そんな意地悪しないわよ!」
幸いパメラには聞こえていなかった。
歓談する貴族たちの間で、女性たちが集まるひときわ華やかな場所があった。見ると、あの美青年セブランに女性たちが群がっているのだった。その中に、先日ペンペン草だと馬鹿にしてきたローズの姿もあった。
「セブラン様、わたくし最近猫を飼い始めましたの。毛色の違う猫をかけ合わせて、東方の国の三色の毛並みの猫に似せた品種でしてよ。いつか、絵画に書かれていたのを見て、実際に撫でてみたいとおっしゃっていましたわよね。今度セブラン様のご自宅で集まりがありましたら、連れていきますわ。そうだわ、よろしければ我が家に遊びにおいでくださいな」
「これは有り難いお誘いだが、遠慮しておくよ。東方の三色の猫は、確かにエキゾチックで魅力的だが、この国にいないものを無理やり生み出すというのは、猫を虐めているようで、あまり良いことだと思えないね。そういう可哀そうな猫を見たいとも思わないよ」
「あら、残念ですわ。もしいらして下さったら、バラの砂糖漬け入りの紅茶をご賞味いただこうと思っていたのに。我が家の庭のバラを使って作らせたのです。いつぞやのお茶会で、バラの砂糖漬けを紅茶に入れるのがお気に入りだとおっしゃっていましたわよね」
「そうだね。気に入っているから、我が家にもバラの砂糖漬けはどっさりあるんだ。せっかく他のお宅にお邪魔するなら、いつもと違う味に出会いたいものだ」
ローズはぐいぐいモーションをかけているが、セブランはそっけない。
「セブランお兄様、今日の演奏者の楽器は全て皇室の宝で、滅多に倉庫から出てこない名器ばかりなのですって。近くで鑑賞いたしましょう」
「それは興味深いね」
周りの女性たちをすり抜けて、セブランの横に立ったのはリアーヌだった。甘い笑顔でセブランを音楽隊の方へと連れ去ってしまう。多くの女性たちもそれについていった。
ローズは一人そこに残っていた。何とはなしにそれを眺めていたリゼットの視線に気が付いて、つかつかと近づいてきた。
「あら、あなたも招待されていらしたの。皇后様には、ペンペン草が物珍しかったようですわね」
リゼットは困って苦笑いしてその場を離れようとしたが、ローズが立ちふさがった。
「ダンスが始まるまで時間がございますから、お喋りに付き合ってくださいな。
それにしても、皇太子妃選びには本当に国中から人が集まりますのね。えっと、レーブジャルダンでしたっけ? 聞いたことのないお家でしたので、驚きましたわ。タンセランという姓も初めて聞きましたけど」
どう考えてもセブランに袖にされた腹いせだ。このまま嫌味でサンドバッグにされるのは嫌だった。リゼットはシモンに助けを求めようとしたが、彼はいつの間にか離れた所で、飲み物のグラスをもって偶然令嬢にぶつかったふうを装い、化粧とドレスを台無しにしていた。
「随分な田舎から出てこられたって、一目でわかりますわ。だってそのドレス、あまり上質な生地ではありませんもの。アクセサリーは、なんだか古ぼけて曇っておいでで、おまけにゴテゴテして見かけないデザインですし。髪飾りも、近くで見るとなんだか妙な感じですわね」
この調子で嫌味が続く。前回と今日の様子からローズの性格は察したので、もういちいち落ち込まないが、彼女の気が済むまで逃れられそうになかった。
いつの間にか、リゼットの眉はハの字に下がり、口角も下がり口はへの字になった。歌舞校 の一年目、予科生が上級生から説教を食らっている時に作る表情、いわゆる予科顔 である。
宝川歌劇団の上下関係の厳しさは歌舞校の規律からきていると言っていい。予科生は彼女たちのロッカールーム以外では喋ってはいけないし、笑ってもいけない。教師や一つ上の本科生から指導されている時は、返事と謝罪の言葉以外発してはいけない。
教師も本科生も、よくそこまで指摘することがあるなというくらい予科生を叱る。特に本科生は、やれ学校の外で本科生に気が付かず挨拶をしなかったとか、寮で音を立てて引き出しを閉めたとか、重要なことから正直どうでもいいことまで、いちいち呼び出して説教をした。
説教を聞くときは、真顔ではいけない。心底申し訳なさそうな表情をしていないと、反省が足りないと説教が長引く。そこで、ハの字眉でへの字口という申し訳なさそうな表情のテンプレート、通称予科顔 を開発した。
下らない些末なことへの説教、誤解による理不尽な説教、内心でどう思っていようが、全てこの顔でやり過ごす。
予科生だったのは九年前だが、その頃の習慣は体に染みついていた。隣のパメラはおどおどと俯いているだけだったが、リゼットはローズを予科顔 でじっと見つめて、早く終わらないかな、と思っていた。すると思いがけない救世主が現れた。
最後のチェックを頼まれたシモンは、その出来栄えに唸った。
「そうかしら? 笑われない程度にはできたと思うけど」
「ご謙遜を。リゼット様はドレスのデザインの才能があります。アクセサリーもね」
そこへノエルに付き添われてシモンがやってきた。一張羅の礼服ではなく、灰色の生地に紫と紅色の紗を重ねて模様とした、洒落た衣服を身に着けている。
「ちょっと、若様、それは今度お客様にお渡しする商品ですよ」
「納品は明後日でしょう。一晩貸してもらうわ。シモン様が会場で笑われるようなことがあってはいけないわ。それによくお似合いでしょう」
「お前なぁ」
兄の文句を無視して、ノエルは二人を馬車に乗り込ませた。
「今日の舞踏会では、皇帝と皇后に選ばれた貴族たちと踊り、交流して、立ち居振る舞いが相応しいか、教養の程度を量るとのことだ」
ちなみに、この舞踏会は三代国王が敵国の侵略を退けた記念日を祝うという、建国500年の祝賀の一つでもあるので、それ以外にも多くの貴族たちが参加する。シモンも皇太子妃候補の親族として、おこぼれに預かって参加する。
(ノエルったら、最後はお兄様の衣装選びに夢中になって、手伝ってくれなかったわ)
しかし、ノエルが着飾らせるのに夢中になるのも無理はない。対面に座るシモンは実際それなりの美男子だった。
「おい。今度は他の令嬢を助けるなんて馬鹿げたことをするなよ。他の奴らの失敗はこちらのチャンスだ。油断している甘ちゃんがいたら、足を引かっけて転ばしてやれ」
こういう発言がなければ、文句なしなのだが。
舞踏会会場は鏡の間だった。シャンデリアと燭台に灯りが入り、褐色の光が白い壁と大理石の床に、着飾った人々の影を映した。豪華絢爛でありながら、どこか怪しげな雰囲気は、昼間とは大きく異なる。
会場でパメラと再会した。今日の彼女は胴と袖の上の方に薄ピンクのレースを重ねてある柔らかい黄色のドレス姿だった。今回は母親の魔改造を受けずに、本来の可憐さが引き立っていたので、心底ほっとした。
「おい、直してやると言って、ドレスを妙ちくりんにしてやったらどうだ?」
「そんな意地悪しないわよ!」
幸いパメラには聞こえていなかった。
歓談する貴族たちの間で、女性たちが集まるひときわ華やかな場所があった。見ると、あの美青年セブランに女性たちが群がっているのだった。その中に、先日ペンペン草だと馬鹿にしてきたローズの姿もあった。
「セブラン様、わたくし最近猫を飼い始めましたの。毛色の違う猫をかけ合わせて、東方の国の三色の毛並みの猫に似せた品種でしてよ。いつか、絵画に書かれていたのを見て、実際に撫でてみたいとおっしゃっていましたわよね。今度セブラン様のご自宅で集まりがありましたら、連れていきますわ。そうだわ、よろしければ我が家に遊びにおいでくださいな」
「これは有り難いお誘いだが、遠慮しておくよ。東方の三色の猫は、確かにエキゾチックで魅力的だが、この国にいないものを無理やり生み出すというのは、猫を虐めているようで、あまり良いことだと思えないね。そういう可哀そうな猫を見たいとも思わないよ」
「あら、残念ですわ。もしいらして下さったら、バラの砂糖漬け入りの紅茶をご賞味いただこうと思っていたのに。我が家の庭のバラを使って作らせたのです。いつぞやのお茶会で、バラの砂糖漬けを紅茶に入れるのがお気に入りだとおっしゃっていましたわよね」
「そうだね。気に入っているから、我が家にもバラの砂糖漬けはどっさりあるんだ。せっかく他のお宅にお邪魔するなら、いつもと違う味に出会いたいものだ」
ローズはぐいぐいモーションをかけているが、セブランはそっけない。
「セブランお兄様、今日の演奏者の楽器は全て皇室の宝で、滅多に倉庫から出てこない名器ばかりなのですって。近くで鑑賞いたしましょう」
「それは興味深いね」
周りの女性たちをすり抜けて、セブランの横に立ったのはリアーヌだった。甘い笑顔でセブランを音楽隊の方へと連れ去ってしまう。多くの女性たちもそれについていった。
ローズは一人そこに残っていた。何とはなしにそれを眺めていたリゼットの視線に気が付いて、つかつかと近づいてきた。
「あら、あなたも招待されていらしたの。皇后様には、ペンペン草が物珍しかったようですわね」
リゼットは困って苦笑いしてその場を離れようとしたが、ローズが立ちふさがった。
「ダンスが始まるまで時間がございますから、お喋りに付き合ってくださいな。
それにしても、皇太子妃選びには本当に国中から人が集まりますのね。えっと、レーブジャルダンでしたっけ? 聞いたことのないお家でしたので、驚きましたわ。タンセランという姓も初めて聞きましたけど」
どう考えてもセブランに袖にされた腹いせだ。このまま嫌味でサンドバッグにされるのは嫌だった。リゼットはシモンに助けを求めようとしたが、彼はいつの間にか離れた所で、飲み物のグラスをもって偶然令嬢にぶつかったふうを装い、化粧とドレスを台無しにしていた。
「随分な田舎から出てこられたって、一目でわかりますわ。だってそのドレス、あまり上質な生地ではありませんもの。アクセサリーは、なんだか古ぼけて曇っておいでで、おまけにゴテゴテして見かけないデザインですし。髪飾りも、近くで見るとなんだか妙な感じですわね」
この調子で嫌味が続く。前回と今日の様子からローズの性格は察したので、もういちいち落ち込まないが、彼女の気が済むまで逃れられそうになかった。
いつの間にか、リゼットの眉はハの字に下がり、口角も下がり口はへの字になった。
宝川歌劇団の上下関係の厳しさは歌舞校の規律からきていると言っていい。予科生は彼女たちのロッカールーム以外では喋ってはいけないし、笑ってもいけない。教師や一つ上の本科生から指導されている時は、返事と謝罪の言葉以外発してはいけない。
教師も本科生も、よくそこまで指摘することがあるなというくらい予科生を叱る。特に本科生は、やれ学校の外で本科生に気が付かず挨拶をしなかったとか、寮で音を立てて引き出しを閉めたとか、重要なことから正直どうでもいいことまで、いちいち呼び出して説教をした。
説教を聞くときは、真顔ではいけない。心底申し訳なさそうな表情をしていないと、反省が足りないと説教が長引く。そこで、ハの字眉でへの字口という申し訳なさそうな表情のテンプレート、通称
下らない些末なことへの説教、誤解による理不尽な説教、内心でどう思っていようが、全てこの顔でやり過ごす。
予科生だったのは九年前だが、その頃の習慣は体に染みついていた。隣のパメラはおどおどと俯いているだけだったが、リゼットはローズを