第十二章 ざわめく社交界 第三話
文字数 2,984文字
二人は会場の外の廊下の柱の陰に隠れるように立った。まずはローズから話す。
「リゼットはつい最近までどこかへ出かけていたんです。どこへ行ったのかは突き止められませんでしたが、南の方角で、留守にしていたのは5日程度でしたから、そう遠くではないようですわ。戻ってきてからは、あまり屋敷の外へは出ていないようですが、彼女の兄とブランシュは頻繁に法院へ出入りしています。いくら父親の務める場所だからと、娘が何度も訪ねるなんておかしいですわよね。しかもリゼットの兄を連れて。きっと何かを調べているに違いありませんわ」
リアーヌは注意深く聞いていた。今度はリアーヌの番である。
「お兄様が殿下のお見舞いに行くのは、心許せる友であるからと、皇后陛下に頼まれてのことですが、パメラの歌――本人たちは音楽療法とか言っていますけれど。――あれが始まってから、花束を持っていくようになりましたの。殿下がご所望で、お苦しみを少しでも和らげてさしあげたいから、なんて言っていましたけれどね。でもその花束に、いつもラナンキュラスの花が混じっているんですの。覚えていおいでかしら。前にメリザンド様がリゼットを陥れるために、ラナンキュラスの葉を潰して顔をかぶれさせたこと。もしかしたら、殿下の発疹はその時と同じように偽装したものではなくて」
これらの情報はリゼットが何やら暗躍していることを裏付けるものだった。リアーヌは、最初こそ、今回はローズに付き合うまいと思っていたが、話を聞いて、これは裏を探る価値がありそうだと、一転ローズに協力することにした。二人は更にもう一歩踏み込んで調査しようと、ひそひそ話を続けた。
ひそひそ話は舞踏会会場の一角でも行われていた。落選した皇太子妃候補たちが額を寄せ合っている。
「皇后陛下は、殿下のご病気をおしても無理やりお妃をあてがうつもりのようよ」
「それがメリザンド様だというのでしょう。わたくしも耳にしましたわ、その噂」
「まぁ、メリザンド様は家柄も知性も美貌も兼ね備えていらっしゃるし、皇太子妃選びの勝者はあの方だと、当初は誰もが予想していましたものね」
でも、と口に出さなくとも、皆心を同じくしていた。
「だったらもう、妃選びだなんてせずに、最初からソンルミエール家に縁談を持ち掛ければよかったんですわ」
「そうですわ。審査のうえで選ばれたなら納得もできますが、結局は皇后陛下の胸一つなんて」
「期待させておいて、最初から結果は決まっていたようなものなんて。わたくしたちは早くに脱落しましたから、まだ我慢できますけれど、最後まで残った方は気持ちが収まらないはずですわ」
「ええ、まったくその通りです」
そういって現れたのはキトリィだった。令嬢たちはまさか王女が登場するとは思わず、また皇后を非難し、建国500年を祝う行事にケチをつけていたのを聞かれてしまったと、真っ青になって深いお辞儀をした。
「ご安心なさって、告げ口なんてしませんわよ」
キトリィは優しく、しかし堂々と令嬢たちに立つように促した。
「確かにわたくしは行儀見習いのために妃選びに参加いたしましたが、それでも競い合いは競い合いと、全力で全ての課題にぶつかってまいりました。それなのに皇太子殿下が男色家だったからと、誰も選ばずに全てを終えたことだけでも腹が立ちますのに、その上皇后陛下が勝負の結果は全て無視して、どなたかをその座に据えてしまおうなんて、到底受け入れられませんわ。
こんな……、このような全く公正ではない結末は、到底許されるべきではありません。わたくしは、リヴェール王女として、正式に皇后陛下に抗議するつもりですわ」
途中で普段のやんちゃな口調が出そうになったが、何とか堪えて彼女らにそう宣言した。令嬢たちは王女が共感してくれて、その上気持ちを代弁してくれるとあって、喜ばないわけはなかったし、強い後ろ盾を得たようで、これまで家族や社交界の目を憚って秘してきた思いを、表に出すようになった。
この王女の宣言は一夜でや後悔に流布したが、それによって多くの人が妃選びの番狂わせのせいで、友好国との関係にひびが入るのではないかと恐れた。
皇后のもとにもこの噂は届いた。また、令嬢たちからも皇后へ、これまでの貴族たちのものとは少し違った角度の抗議が寄せられるようになって、彼女の心労は増すばかりだった。
無論、これはキトリィが皇太子とメリザンドの婚姻を阻止するためにしたことである。思った以上の効果が出てキトリィはご満悦だったが、さらに強く牽制したかったし、元々の作戦にあったことでもあるので、ついに謁見の儀に乗り込んだ。
「キトリィ王女、あなたがご令嬢方を煽っているとききました。いま我が皇室が大変なことになっているのは、あなたもおわかりのはずです。それなのにどうしてわたくしを苦しめるようなことをするのです」
皇后は心なしかやつれていた。少し気の毒になったが、これまでリゼットにしてきた意地悪な仕打ちを思い出し、キトリィは心を鬼にして作戦を実行した。
「わたくしは皆さんを煽動しているわけではありません。勝負をしたのにその結果を反故にするような行いは公正ではないと、そういうまっとうな抗議をしているのです。幸い、同じ思いを持つ方が多く、賛同の声が上がっているのですわ。
一つわかっていただきたいのは、わたくしが選ばれなかったことを不服としているのではないということです。ただ、王女たるわたくしも参加した妃選びの結果をあまりにも蔑ろになさるのは、この国の名門のご令嬢たちへの侮辱ですし、ひいてはリヴェールへの侮辱ともなります。皇后陛下には、そのことをよくお考えになっていただきたいのです」
集まっていた貴族たちは、いよいよリヴェールとの関係が悪化してしまうのではと、不穏な顔で囁き合った。今こそと、キトリィの後ろに控えていたアンリエットは、僭越ながらと断ってから発言した。
「王女様の父君、リヴェール国王陛下が王女様をいたくお可愛がりなのは皆様ご承知かと思いますが、それはなにもお父上だけのことではないのです。兄君である王太子殿下におかれましても、末の妹を大層お可愛がりです。また一番上の姉君はプリュネ国の女王、こちらも母君の如く妹を慈しんでおられます。王太子妃様、第二王子様、第二王女様、第三王女様、第三王子様、第四王女様、皆様右に同じです。どのお方もいずれリヴェールで重要な地位を占めるか、どこかの王室に嫁がれるかするはず。王女様のことで遺恨をお持ちになったら、今後トレゾールに災いが降りかかるやも」
人々はますます不安を募らせた。皇帝もこれには表情を曇らせた。
「王女、母国やご親族の威光で皇后たるわたしを脅すとは、国賓とはいえやりすぎですよ」
「やりすぎはどっちよ、いえ、何でもございません。わたくしを選べとようきゅうしてはおりません。依怙贔屓による独断をやめてほしいと訴えているのです。それさえ約束してくださればいいのです」
既に皇太子の病という問題を抱えているのに、さらに国行く末を危うくするわけにはいかないと、皇帝は皇后に王女の言葉を聞くように促した。皇后は渋々言った。
「メリザンドを皇太子妃にするというのはただの噂ですから。もとよりそのつもりはりません」
言質を得てキトリィの作戦は大成功に終わった。
「リゼットはつい最近までどこかへ出かけていたんです。どこへ行ったのかは突き止められませんでしたが、南の方角で、留守にしていたのは5日程度でしたから、そう遠くではないようですわ。戻ってきてからは、あまり屋敷の外へは出ていないようですが、彼女の兄とブランシュは頻繁に法院へ出入りしています。いくら父親の務める場所だからと、娘が何度も訪ねるなんておかしいですわよね。しかもリゼットの兄を連れて。きっと何かを調べているに違いありませんわ」
リアーヌは注意深く聞いていた。今度はリアーヌの番である。
「お兄様が殿下のお見舞いに行くのは、心許せる友であるからと、皇后陛下に頼まれてのことですが、パメラの歌――本人たちは音楽療法とか言っていますけれど。――あれが始まってから、花束を持っていくようになりましたの。殿下がご所望で、お苦しみを少しでも和らげてさしあげたいから、なんて言っていましたけれどね。でもその花束に、いつもラナンキュラスの花が混じっているんですの。覚えていおいでかしら。前にメリザンド様がリゼットを陥れるために、ラナンキュラスの葉を潰して顔をかぶれさせたこと。もしかしたら、殿下の発疹はその時と同じように偽装したものではなくて」
これらの情報はリゼットが何やら暗躍していることを裏付けるものだった。リアーヌは、最初こそ、今回はローズに付き合うまいと思っていたが、話を聞いて、これは裏を探る価値がありそうだと、一転ローズに協力することにした。二人は更にもう一歩踏み込んで調査しようと、ひそひそ話を続けた。
ひそひそ話は舞踏会会場の一角でも行われていた。落選した皇太子妃候補たちが額を寄せ合っている。
「皇后陛下は、殿下のご病気をおしても無理やりお妃をあてがうつもりのようよ」
「それがメリザンド様だというのでしょう。わたくしも耳にしましたわ、その噂」
「まぁ、メリザンド様は家柄も知性も美貌も兼ね備えていらっしゃるし、皇太子妃選びの勝者はあの方だと、当初は誰もが予想していましたものね」
でも、と口に出さなくとも、皆心を同じくしていた。
「だったらもう、妃選びだなんてせずに、最初からソンルミエール家に縁談を持ち掛ければよかったんですわ」
「そうですわ。審査のうえで選ばれたなら納得もできますが、結局は皇后陛下の胸一つなんて」
「期待させておいて、最初から結果は決まっていたようなものなんて。わたくしたちは早くに脱落しましたから、まだ我慢できますけれど、最後まで残った方は気持ちが収まらないはずですわ」
「ええ、まったくその通りです」
そういって現れたのはキトリィだった。令嬢たちはまさか王女が登場するとは思わず、また皇后を非難し、建国500年を祝う行事にケチをつけていたのを聞かれてしまったと、真っ青になって深いお辞儀をした。
「ご安心なさって、告げ口なんてしませんわよ」
キトリィは優しく、しかし堂々と令嬢たちに立つように促した。
「確かにわたくしは行儀見習いのために妃選びに参加いたしましたが、それでも競い合いは競い合いと、全力で全ての課題にぶつかってまいりました。それなのに皇太子殿下が男色家だったからと、誰も選ばずに全てを終えたことだけでも腹が立ちますのに、その上皇后陛下が勝負の結果は全て無視して、どなたかをその座に据えてしまおうなんて、到底受け入れられませんわ。
こんな……、このような全く公正ではない結末は、到底許されるべきではありません。わたくしは、リヴェール王女として、正式に皇后陛下に抗議するつもりですわ」
途中で普段のやんちゃな口調が出そうになったが、何とか堪えて彼女らにそう宣言した。令嬢たちは王女が共感してくれて、その上気持ちを代弁してくれるとあって、喜ばないわけはなかったし、強い後ろ盾を得たようで、これまで家族や社交界の目を憚って秘してきた思いを、表に出すようになった。
この王女の宣言は一夜でや後悔に流布したが、それによって多くの人が妃選びの番狂わせのせいで、友好国との関係にひびが入るのではないかと恐れた。
皇后のもとにもこの噂は届いた。また、令嬢たちからも皇后へ、これまでの貴族たちのものとは少し違った角度の抗議が寄せられるようになって、彼女の心労は増すばかりだった。
無論、これはキトリィが皇太子とメリザンドの婚姻を阻止するためにしたことである。思った以上の効果が出てキトリィはご満悦だったが、さらに強く牽制したかったし、元々の作戦にあったことでもあるので、ついに謁見の儀に乗り込んだ。
「キトリィ王女、あなたがご令嬢方を煽っているとききました。いま我が皇室が大変なことになっているのは、あなたもおわかりのはずです。それなのにどうしてわたくしを苦しめるようなことをするのです」
皇后は心なしかやつれていた。少し気の毒になったが、これまでリゼットにしてきた意地悪な仕打ちを思い出し、キトリィは心を鬼にして作戦を実行した。
「わたくしは皆さんを煽動しているわけではありません。勝負をしたのにその結果を反故にするような行いは公正ではないと、そういうまっとうな抗議をしているのです。幸い、同じ思いを持つ方が多く、賛同の声が上がっているのですわ。
一つわかっていただきたいのは、わたくしが選ばれなかったことを不服としているのではないということです。ただ、王女たるわたくしも参加した妃選びの結果をあまりにも蔑ろになさるのは、この国の名門のご令嬢たちへの侮辱ですし、ひいてはリヴェールへの侮辱ともなります。皇后陛下には、そのことをよくお考えになっていただきたいのです」
集まっていた貴族たちは、いよいよリヴェールとの関係が悪化してしまうのではと、不穏な顔で囁き合った。今こそと、キトリィの後ろに控えていたアンリエットは、僭越ながらと断ってから発言した。
「王女様の父君、リヴェール国王陛下が王女様をいたくお可愛がりなのは皆様ご承知かと思いますが、それはなにもお父上だけのことではないのです。兄君である王太子殿下におかれましても、末の妹を大層お可愛がりです。また一番上の姉君はプリュネ国の女王、こちらも母君の如く妹を慈しんでおられます。王太子妃様、第二王子様、第二王女様、第三王女様、第三王子様、第四王女様、皆様右に同じです。どのお方もいずれリヴェールで重要な地位を占めるか、どこかの王室に嫁がれるかするはず。王女様のことで遺恨をお持ちになったら、今後トレゾールに災いが降りかかるやも」
人々はますます不安を募らせた。皇帝もこれには表情を曇らせた。
「王女、母国やご親族の威光で皇后たるわたしを脅すとは、国賓とはいえやりすぎですよ」
「やりすぎはどっちよ、いえ、何でもございません。わたくしを選べとようきゅうしてはおりません。依怙贔屓による独断をやめてほしいと訴えているのです。それさえ約束してくださればいいのです」
既に皇太子の病という問題を抱えているのに、さらに国行く末を危うくするわけにはいかないと、皇帝は皇后に王女の言葉を聞くように促した。皇后は渋々言った。
「メリザンドを皇太子妃にするというのはただの噂ですから。もとよりそのつもりはりません」
言質を得てキトリィの作戦は大成功に終わった。