第八章 恋心 第十話
文字数 2,977文字
劇場の仕事がなくなって、リゼットはポーラック邸で手持無沙汰に過ごしていた。もちろんパメラも。
二人は貴族なので仕事がなくても生きていけるのだが、劇場の人々は仕事を失っては生きていけない。解雇されなかった団員たちも、公演がなくなってしまっては喰いっぱぐれだ。皇后へ不満を漏らす者もあれば、リゼットを糾弾する者もあった。
「わたしのせいでみんなに迷惑をかけてしまったわ」
「そんなことはありませんわ。団員たちはリゼット様の演目に期待していました。初日に向けて意気込んでいましたのよ」
パメラに慰められても、リゼットの溜息は絶えなかった。
「いくら皇后陛下でもやりすぎですわ。劇場の人々を路頭に迷わせるなんて、いつも国民を慈しむとおっしゃっているのに、やっていることがまったく逆ではありませんか。
こうなったら意地でも『ラディアント トレゾール』を上演しましょう。それで客席を埋めて、皇后陛下にこの演目が新しい芸術だと認めさせてやりましょう」
ブランシュは椅子から立ち上がって息巻いた。
「でも、どうやって? 劇場は封鎖されてしまったわ」
「トレゾールに劇場が一つだけだとお思い? 他の劇場で上演すればよいのです。国立劇場は国の劇場ですから皇后陛下が口を出せるんですわ。でも他の劇場ならないも言えません。
我が家の領地エストカピタールに大きな劇場がありますの。我が家はそこのパトロンですから、支配人に頼んで上演させてもらいましょう」
流石は金持ち。劇場一つ好きにできてしまうようだ。
ブランシュは早速劇場の人間や団員たちのリストを作り、旅行するための馬車の手配を始めた。
善は急げと夜遅くまで起きている孫娘が心配になって、ポーラック卿は様子を見に来た。
「ちょっと待っててくださいませ。全員泊まれるほど別荘は広くありませんから、宿屋の手配をしなくては」
宿屋も領主であるポーラック家の人間であれば融通してくれるところがいくつかある。領地の権利書や懇意にしている店などのリストを見ながら、打診できそうな店を探す。手紙を書いて明日の早朝に届けさせるのだ。
「お前がこんなにてきぱきと使用人を監督し、あれこれ手配できるなんてのぉ。リゼット嬢のおかげで、お前の新しい一面が見れたようじゃな」
「おじい様、わたくしこの家に生まれて、何不自由ない暮らしをさせてもらってきましたけれど、頭を使って何か考えるなんてしたことはなかったし、自分で動き回るなんてこともありませんでした。でもリゼットと一緒に、サビーナを助けるために演技をしてみたり、仮面を作ったり、ラインダンスをしたり、自ら頭と体を使って何かするというのが、とても楽しかったんですの。だから今回も、わたくしがやってみるんですわ。
それに我が家にはお金があるでしょう。それをドレスや靴やアクセサリーにしてしまうよりも、もっと有意義な使い方があると思いましたの。サビーナはこの前のカジノでリゼットへの友情のために、皇后陛下とメリザンド様のイカサマを利用して、自ら罪を被るまでしたんです。わたくしも友情のために、リゼットの出し物をできる限り援助するつもりですわ」
ポーラック卿は孫の肩を優しくたたいて、勝手知ったる領地のことを教えて手助けしてやった。
ブランシュの素早い手配によって、六日後には『ラディアント トレゾール』に関わる全ての人間がエストカピタールにへ大移動することになった。いつものポーラック家の馬車だけではなく、団員たちのために何台も馬車を手配し、衣装や小道具、大道具を運ぶための荷車の手配もぬかりなかった。馬車の行列は朝早くに国立劇場の前から大通りを堂々と通過して、一路エストカピタールを目指した。
エストカピタールは首都エスカリエから三日で到着する地方都市だった。多くの外国船が寄港する港町から首都への通過地点にあることもあって、商業も盛んで都に注ぐ規模の都市だった。郊外に足を延ばせば温泉があるため、貴族の別荘も多かった。
ポーッラク家の別荘は、首都の邸宅よりは小さいとはいえ、それでも立派だった。正直リゼットの故郷の屋敷などあばら屋に見えるくらいだった。
夕方に到着して荷ほどきもそこそこに、劇場支配人や演出家とともにエストカピタールの劇場に向かった。
あらかじめブランシュが手紙を出していたから、劇場の主だった人々は既に集まっていた。互いにあいさつを交わして、ブランシュが事の顛末を説明した。
「ポーッラク公爵家は我が劇場一のパトロンですし、国立劇場の方々を襲った悲劇も、同じ芸術に携わる者として無念さはよく理解できますから、願いを聞き届けたいのはやまやまです。
しかし、我らの次の芝居を取りやめるというのは、受け入れられません。ちょうど避暑のシーズンになりますから、我らとしても稼ぎ時で、気合を入れて用意しているところなのです。そこへみなさんがやってきて、劇場を使わせろというのは我々にとっては酷です」
と、いくらポーラック家の力を使っても無理を通せないようだった。
「あなたたちが休演する間の団員たちのお給料なんかは、我が家が保証します」
「ブランシュお嬢様、お金だけの問題ではないのです」
歌手も踊り子もお客を楽しませようと思って準備してきたのだから、お金をもらえれば舞台に立たなくてもいいとはならない。
国立劇場側が言葉を尽くしたのだが、エストカピタール劇場の承諾を得られなかった。
「こちらの劇場の人たちに納得してもらうためにどうすべきか、作戦を考えなくてはね」
別荘に戻る道すがら、ブランシュはそういった。しかし別荘へ帰ると、ノエルがブランシュの使用人たちと、皇太子妃選びの招待状をもって待ち構えていた。
「お嬢様、大変でございます。次の妃選びの招待状が届きましたが、そのお茶会は七月二日の正午に始め、遅れた者は即座に失格になると書いてありますの」
「ええ? 七月二日って、三日後じゃない。っていうか、今日はもう夜だから、二日後?」
リゼットは指を折って数えた。都までは三日かかった。明日の朝出発したとして、間に合わない。
「次の妃選びは避暑地で開催されるはずではなかったかしら。急にお茶会が挟まれたのだとしたら、これも皇后陛下がリゼットを失格にするために仕組んだことだわ」
「この招待状も、お嬢様たちが出発した日に届けられたものだとか。わざと間に合わない日を狙って届けたのではないでしょうか」
サビーナの推理を聞けば、ノエルの疑いももっともだ。
とにかく、リゼットは急いで首都エスカリエへ戻らなくてはいけない。だが、エストカピタール劇場の人々を納得させるための方策も考えなければならない。
「リゼットは急いで戻ってちょうだい。劇場の事はわたくしたちが何とかしますわ」
「待って、わたくしはもう失格しているからいいけれど、あなたはまだ資格があるじゃない」
「サビーナ、わたくしは最初から賑やかしなのだから、失格でもいいのよ。それよりも、二人でリゼットの出し物を上演するため奔走する方が有意義よ」
ブランシュは親友の親切心を笑顔で受け取り、しかしそれを振り切るように右手の拳を胸の前に掲げた。
ブランシュは道中、そして茶会で何があるかわからないので、シモンとパメラに同行を頼み、すぐに馬車を手配して真夜中に二人を送り出した。
二人は貴族なので仕事がなくても生きていけるのだが、劇場の人々は仕事を失っては生きていけない。解雇されなかった団員たちも、公演がなくなってしまっては喰いっぱぐれだ。皇后へ不満を漏らす者もあれば、リゼットを糾弾する者もあった。
「わたしのせいでみんなに迷惑をかけてしまったわ」
「そんなことはありませんわ。団員たちはリゼット様の演目に期待していました。初日に向けて意気込んでいましたのよ」
パメラに慰められても、リゼットの溜息は絶えなかった。
「いくら皇后陛下でもやりすぎですわ。劇場の人々を路頭に迷わせるなんて、いつも国民を慈しむとおっしゃっているのに、やっていることがまったく逆ではありませんか。
こうなったら意地でも『ラディアント トレゾール』を上演しましょう。それで客席を埋めて、皇后陛下にこの演目が新しい芸術だと認めさせてやりましょう」
ブランシュは椅子から立ち上がって息巻いた。
「でも、どうやって? 劇場は封鎖されてしまったわ」
「トレゾールに劇場が一つだけだとお思い? 他の劇場で上演すればよいのです。国立劇場は国の劇場ですから皇后陛下が口を出せるんですわ。でも他の劇場ならないも言えません。
我が家の領地エストカピタールに大きな劇場がありますの。我が家はそこのパトロンですから、支配人に頼んで上演させてもらいましょう」
流石は金持ち。劇場一つ好きにできてしまうようだ。
ブランシュは早速劇場の人間や団員たちのリストを作り、旅行するための馬車の手配を始めた。
善は急げと夜遅くまで起きている孫娘が心配になって、ポーラック卿は様子を見に来た。
「ちょっと待っててくださいませ。全員泊まれるほど別荘は広くありませんから、宿屋の手配をしなくては」
宿屋も領主であるポーラック家の人間であれば融通してくれるところがいくつかある。領地の権利書や懇意にしている店などのリストを見ながら、打診できそうな店を探す。手紙を書いて明日の早朝に届けさせるのだ。
「お前がこんなにてきぱきと使用人を監督し、あれこれ手配できるなんてのぉ。リゼット嬢のおかげで、お前の新しい一面が見れたようじゃな」
「おじい様、わたくしこの家に生まれて、何不自由ない暮らしをさせてもらってきましたけれど、頭を使って何か考えるなんてしたことはなかったし、自分で動き回るなんてこともありませんでした。でもリゼットと一緒に、サビーナを助けるために演技をしてみたり、仮面を作ったり、ラインダンスをしたり、自ら頭と体を使って何かするというのが、とても楽しかったんですの。だから今回も、わたくしがやってみるんですわ。
それに我が家にはお金があるでしょう。それをドレスや靴やアクセサリーにしてしまうよりも、もっと有意義な使い方があると思いましたの。サビーナはこの前のカジノでリゼットへの友情のために、皇后陛下とメリザンド様のイカサマを利用して、自ら罪を被るまでしたんです。わたくしも友情のために、リゼットの出し物をできる限り援助するつもりですわ」
ポーラック卿は孫の肩を優しくたたいて、勝手知ったる領地のことを教えて手助けしてやった。
ブランシュの素早い手配によって、六日後には『ラディアント トレゾール』に関わる全ての人間がエストカピタールにへ大移動することになった。いつものポーラック家の馬車だけではなく、団員たちのために何台も馬車を手配し、衣装や小道具、大道具を運ぶための荷車の手配もぬかりなかった。馬車の行列は朝早くに国立劇場の前から大通りを堂々と通過して、一路エストカピタールを目指した。
エストカピタールは首都エスカリエから三日で到着する地方都市だった。多くの外国船が寄港する港町から首都への通過地点にあることもあって、商業も盛んで都に注ぐ規模の都市だった。郊外に足を延ばせば温泉があるため、貴族の別荘も多かった。
ポーッラク家の別荘は、首都の邸宅よりは小さいとはいえ、それでも立派だった。正直リゼットの故郷の屋敷などあばら屋に見えるくらいだった。
夕方に到着して荷ほどきもそこそこに、劇場支配人や演出家とともにエストカピタールの劇場に向かった。
あらかじめブランシュが手紙を出していたから、劇場の主だった人々は既に集まっていた。互いにあいさつを交わして、ブランシュが事の顛末を説明した。
「ポーッラク公爵家は我が劇場一のパトロンですし、国立劇場の方々を襲った悲劇も、同じ芸術に携わる者として無念さはよく理解できますから、願いを聞き届けたいのはやまやまです。
しかし、我らの次の芝居を取りやめるというのは、受け入れられません。ちょうど避暑のシーズンになりますから、我らとしても稼ぎ時で、気合を入れて用意しているところなのです。そこへみなさんがやってきて、劇場を使わせろというのは我々にとっては酷です」
と、いくらポーラック家の力を使っても無理を通せないようだった。
「あなたたちが休演する間の団員たちのお給料なんかは、我が家が保証します」
「ブランシュお嬢様、お金だけの問題ではないのです」
歌手も踊り子もお客を楽しませようと思って準備してきたのだから、お金をもらえれば舞台に立たなくてもいいとはならない。
国立劇場側が言葉を尽くしたのだが、エストカピタール劇場の承諾を得られなかった。
「こちらの劇場の人たちに納得してもらうためにどうすべきか、作戦を考えなくてはね」
別荘に戻る道すがら、ブランシュはそういった。しかし別荘へ帰ると、ノエルがブランシュの使用人たちと、皇太子妃選びの招待状をもって待ち構えていた。
「お嬢様、大変でございます。次の妃選びの招待状が届きましたが、そのお茶会は七月二日の正午に始め、遅れた者は即座に失格になると書いてありますの」
「ええ? 七月二日って、三日後じゃない。っていうか、今日はもう夜だから、二日後?」
リゼットは指を折って数えた。都までは三日かかった。明日の朝出発したとして、間に合わない。
「次の妃選びは避暑地で開催されるはずではなかったかしら。急にお茶会が挟まれたのだとしたら、これも皇后陛下がリゼットを失格にするために仕組んだことだわ」
「この招待状も、お嬢様たちが出発した日に届けられたものだとか。わざと間に合わない日を狙って届けたのではないでしょうか」
サビーナの推理を聞けば、ノエルの疑いももっともだ。
とにかく、リゼットは急いで首都エスカリエへ戻らなくてはいけない。だが、エストカピタール劇場の人々を納得させるための方策も考えなければならない。
「リゼットは急いで戻ってちょうだい。劇場の事はわたくしたちが何とかしますわ」
「待って、わたくしはもう失格しているからいいけれど、あなたはまだ資格があるじゃない」
「サビーナ、わたくしは最初から賑やかしなのだから、失格でもいいのよ。それよりも、二人でリゼットの出し物を上演するため奔走する方が有意義よ」
ブランシュは親友の親切心を笑顔で受け取り、しかしそれを振り切るように右手の拳を胸の前に掲げた。
ブランシュは道中、そして茶会で何があるかわからないので、シモンとパメラに同行を頼み、すぐに馬車を手配して真夜中に二人を送り出した。