第十四章 ジプソフィルの幸せ 第三話
文字数 2,926文字
リゼットも身の振り方を考えた。都へ出てきたのは妃選びのためであって、それが終わったからには留まる必要はない。ブランシュもポーラック卿も、いつまででもいて良いと言ってくれるが、居候を続けるのも良くない。
(やっぱり故郷へ戻るのがいいかな。そもそも最初はあそこでのんびりお気楽な貴族生活をするつもりだったのよね。今度こそのんびりするかなぁ。ブランシュたちと別れるのはちょっと寂しいけど、わざわざ部屋を借りてまで都に残るのも、お金かかるし)
寂しくなったポーラック邸で考えていると、宮殿から出仕を求める手紙が届いた。手紙の主は皇太子妃となったソフィだった。
思えば建国記念日の後、ソフィにもルシアンにも会っていなかった。改めて祝いを述べてもいいだろうと王宮へ出向くと、謁見の間にはソフィとルシアンだけでなく、皇帝夫妻もいた。
「リゼット様、こうして元の身分に戻れたのも、殿下と結ばれたのもリゼット様のおかげです。改めてお礼を申し上げます」
「わたしからも礼を言う。わたしを助け、そしてソフィを救ってくれた」
それに続いて皇帝も口を開いた。
「そなたのおかげで、過去の過ちを正すことができた。冤罪で名門一族を失ったことは我が国の過ちであり恥でもある。そなたの助力で、国の恥を雪ぎ、亡くなったフルーレトワール家の者たちの供養もできたと思うておる。余からも感謝を伝えたい」
リゼットは恐縮して感謝を受け取った。それから皇后が気まずそうに口を開いた。
「わたくしはこれまでメリザンド可愛さで、あなたにつらく当たりましたが、こうして国のために尽くし、最後は妃の座を別の者に譲ったのを見て、真に正義感と優しさと謙虚さを持った人だとわかりました。あなたさえよければ、わたくしの謝罪を受け入れてほしいのです」
「皇后陛下、勿体ないお言葉です。妃選びの時のことは、もう過ぎたことですわ。それにわたくしよりも、これからはソフィ様を気にかけてやってくださいませ」
皇后はほっとして改めてリゼットに感謝と謝罪を伝えた。
「これからはソフィをといったわね。実は今日来てもらったのは、ソフィのことであなたに頼みがあるからです」
感謝と謝罪を伝えるために呼ばれたわけではないらしい。皇后が切り出すと、ソフィが恥ずかしそうに話し始めた。
「わたしはずっと平民として生きてきましたし、男のふりをしていたので、皇太子妃に相応しい立ち居振る舞いというのが、どうしてもできなくて……」
「ええ? だって建国記念日ではとっても自然だったわよ」
「あ、あれは、ただ階段を下りるだけだったので。それにものすごく緊張していたから何とかなったんです。ノエルさんに教えてもらっただけでは、とても直らなくて」
「どうも動きががさつなのですよ。夜会服を着ても綺麗に歩けないし。そもそも言葉遣いも、もう少し上品に直さないと。そこで、リゼット嬢に皇太子妃の教育係をお願いしたいの」
「リゼット嬢であれば、ソフィも変に気を使う必要がなく適任だと思うのだが、受けてくれるか?」
つまり都に残ってソフィに仕えるということだ。アンリエットと同じように。
「皇太子妃の座を奪われて、その奪った女に仕えろなんて、皇后はまだ虐めているつもりなんじゃないのか」
シモンはポーラック邸で鼻を鳴らして言った。リゼットもアンリエットに会った時、悔しいはずだと決めつけていた。まさか自分が似たような立場になるとは思っていなかったが、あの時の彼女と同じで、悔しいという気持ちはなかった。
「考えてみれば、前世でポッと出の男の娘に追い越されていて、こっちの世界でも男装していた女の子に皇太子妃の座を奪われてるのよね。なんだか不思議ね。やっぱりわたしはいくら努力しても、その他大勢ってことなのかしらね」
星華唯 にソフィを重ねてみる。こちらへ来てからは少なくとも一度は路線に躍り出ることができたから、その点で満足しているのか、今の心の中にずるいという気持ちはなかった。
「そりゃあそうだろう。お前なんて、たまたまわたしに拾われただけの農民の小娘だったんだからな。妃選びで良いところまで進んだのが奇跡なんだ。だがな、お前が大得意な無駄な努力っていうのも、それなりに意味があるようだぞ」
リゼットはぐるりと上半身を回して、ソファの背の向こうにいるシモンを振り返った。
「そうだろう。お前がお節介を焼いたり、時間と労力を割いてやった事で、結果としてお前の周りの人間は、新しい未来へ進んだり、成長したり、大切なことに気が付いたりして、ありていに言えば幸せになった。幸せにならなかったとしても、少なくとも不幸にはなっていない。わたしはそう思っている。……なんだ、その顔は」
「お兄様がそんな素直な感じで褒めてくれるのって、初めてな気がして」
「別に褒めてないぞ。今だって、教育係の話を受けるというから、呆れているんだ。やはりお前は筋金入りのお人好しだとな」
シモンはリゼットに背を向けると、乱暴に荷物の入ったトランクを開けた。そこへノエルもやってきて、シモンの衣服を畳んでまとめ始めた。
「どうして荷物をまとめているの?」
「家に帰る」
「ええ! 財務大臣の所で働くんじゃないの?」
「それは断った。有り難い話だったが、大貴族の口利きで出世しても面白みがないからな。それに父上と母上がまた行き過ぎた慈善活動ですっからかんにならないか心配だし、まずは家と領地の財政再建をする。それから都に邸宅を構えて、そこへ居を移してから、自分の力で糸口を見つける。お前が皇太子妃の教育係になったのはいい保険だ。どうしようもなくなったら、利用させてもらう。
それからノエル。お前はわたしについて来い。これまではメイドだったが、秘書にしてやる。どうだ?」
てっきりリゼットについて都に残ると思っていたノエルは、驚くやらうれしいやらで、衣服に皺が寄るもの構わず胸に抱きしめて興奮して言った。
「いいんですか? それはもう嬉しいかぎそりですけれど、でもわたしごときに務まるか……」
「わたしの考えを誰よりもわかっているのはお前だからな。おまけに一人でごろつきと渡り合う度胸の持ち主だ。お前以上の適任者はいない」
リゼットはノエルと視線を合わせて微笑んだ。これ以上ここにいるのはお邪魔虫だと、早口で感謝の気持ちをまくしたてるノエルの声を聞きながら、リゼットはそっと部屋を出た。
(お兄様の言う通り、これで大団円、ハッピーエンドね。わたしが選んだ路は間違いじゃなかったってことかしら)
ちょっと庭を散歩してこようと、広い廊下を歩いて、玄関ホールへつながる階段を下りる。初めてポーラック邸へ来たときは、大きな階段だと圧倒されたものだった。
(でもここに残るなら、どこか家を探さなくちゃいけないわよね。それとも王宮に住み込みとかできるのかしら? アンリエット様はどうしてるのか、聞いておけばよかったわ)
などと考え事をしていたせいか、階段を一段踏み外してしまった。ずるりと後ろへ向かって倒れる。天上のシャンデリアの光が直接目に入る。そして後頭部に鈍い衝撃が走った。身に覚えのある痛みのような気がしたが、それを確かめる前に視界は真っ黒になった。
(やっぱり故郷へ戻るのがいいかな。そもそも最初はあそこでのんびりお気楽な貴族生活をするつもりだったのよね。今度こそのんびりするかなぁ。ブランシュたちと別れるのはちょっと寂しいけど、わざわざ部屋を借りてまで都に残るのも、お金かかるし)
寂しくなったポーラック邸で考えていると、宮殿から出仕を求める手紙が届いた。手紙の主は皇太子妃となったソフィだった。
思えば建国記念日の後、ソフィにもルシアンにも会っていなかった。改めて祝いを述べてもいいだろうと王宮へ出向くと、謁見の間にはソフィとルシアンだけでなく、皇帝夫妻もいた。
「リゼット様、こうして元の身分に戻れたのも、殿下と結ばれたのもリゼット様のおかげです。改めてお礼を申し上げます」
「わたしからも礼を言う。わたしを助け、そしてソフィを救ってくれた」
それに続いて皇帝も口を開いた。
「そなたのおかげで、過去の過ちを正すことができた。冤罪で名門一族を失ったことは我が国の過ちであり恥でもある。そなたの助力で、国の恥を雪ぎ、亡くなったフルーレトワール家の者たちの供養もできたと思うておる。余からも感謝を伝えたい」
リゼットは恐縮して感謝を受け取った。それから皇后が気まずそうに口を開いた。
「わたくしはこれまでメリザンド可愛さで、あなたにつらく当たりましたが、こうして国のために尽くし、最後は妃の座を別の者に譲ったのを見て、真に正義感と優しさと謙虚さを持った人だとわかりました。あなたさえよければ、わたくしの謝罪を受け入れてほしいのです」
「皇后陛下、勿体ないお言葉です。妃選びの時のことは、もう過ぎたことですわ。それにわたくしよりも、これからはソフィ様を気にかけてやってくださいませ」
皇后はほっとして改めてリゼットに感謝と謝罪を伝えた。
「これからはソフィをといったわね。実は今日来てもらったのは、ソフィのことであなたに頼みがあるからです」
感謝と謝罪を伝えるために呼ばれたわけではないらしい。皇后が切り出すと、ソフィが恥ずかしそうに話し始めた。
「わたしはずっと平民として生きてきましたし、男のふりをしていたので、皇太子妃に相応しい立ち居振る舞いというのが、どうしてもできなくて……」
「ええ? だって建国記念日ではとっても自然だったわよ」
「あ、あれは、ただ階段を下りるだけだったので。それにものすごく緊張していたから何とかなったんです。ノエルさんに教えてもらっただけでは、とても直らなくて」
「どうも動きががさつなのですよ。夜会服を着ても綺麗に歩けないし。そもそも言葉遣いも、もう少し上品に直さないと。そこで、リゼット嬢に皇太子妃の教育係をお願いしたいの」
「リゼット嬢であれば、ソフィも変に気を使う必要がなく適任だと思うのだが、受けてくれるか?」
つまり都に残ってソフィに仕えるということだ。アンリエットと同じように。
「皇太子妃の座を奪われて、その奪った女に仕えろなんて、皇后はまだ虐めているつもりなんじゃないのか」
シモンはポーラック邸で鼻を鳴らして言った。リゼットもアンリエットに会った時、悔しいはずだと決めつけていた。まさか自分が似たような立場になるとは思っていなかったが、あの時の彼女と同じで、悔しいという気持ちはなかった。
「考えてみれば、前世でポッと出の男の娘に追い越されていて、こっちの世界でも男装していた女の子に皇太子妃の座を奪われてるのよね。なんだか不思議ね。やっぱりわたしはいくら努力しても、その他大勢ってことなのかしらね」
「そりゃあそうだろう。お前なんて、たまたまわたしに拾われただけの農民の小娘だったんだからな。妃選びで良いところまで進んだのが奇跡なんだ。だがな、お前が大得意な無駄な努力っていうのも、それなりに意味があるようだぞ」
リゼットはぐるりと上半身を回して、ソファの背の向こうにいるシモンを振り返った。
「そうだろう。お前がお節介を焼いたり、時間と労力を割いてやった事で、結果としてお前の周りの人間は、新しい未来へ進んだり、成長したり、大切なことに気が付いたりして、ありていに言えば幸せになった。幸せにならなかったとしても、少なくとも不幸にはなっていない。わたしはそう思っている。……なんだ、その顔は」
「お兄様がそんな素直な感じで褒めてくれるのって、初めてな気がして」
「別に褒めてないぞ。今だって、教育係の話を受けるというから、呆れているんだ。やはりお前は筋金入りのお人好しだとな」
シモンはリゼットに背を向けると、乱暴に荷物の入ったトランクを開けた。そこへノエルもやってきて、シモンの衣服を畳んでまとめ始めた。
「どうして荷物をまとめているの?」
「家に帰る」
「ええ! 財務大臣の所で働くんじゃないの?」
「それは断った。有り難い話だったが、大貴族の口利きで出世しても面白みがないからな。それに父上と母上がまた行き過ぎた慈善活動ですっからかんにならないか心配だし、まずは家と領地の財政再建をする。それから都に邸宅を構えて、そこへ居を移してから、自分の力で糸口を見つける。お前が皇太子妃の教育係になったのはいい保険だ。どうしようもなくなったら、利用させてもらう。
それからノエル。お前はわたしについて来い。これまではメイドだったが、秘書にしてやる。どうだ?」
てっきりリゼットについて都に残ると思っていたノエルは、驚くやらうれしいやらで、衣服に皺が寄るもの構わず胸に抱きしめて興奮して言った。
「いいんですか? それはもう嬉しいかぎそりですけれど、でもわたしごときに務まるか……」
「わたしの考えを誰よりもわかっているのはお前だからな。おまけに一人でごろつきと渡り合う度胸の持ち主だ。お前以上の適任者はいない」
リゼットはノエルと視線を合わせて微笑んだ。これ以上ここにいるのはお邪魔虫だと、早口で感謝の気持ちをまくしたてるノエルの声を聞きながら、リゼットはそっと部屋を出た。
(お兄様の言う通り、これで大団円、ハッピーエンドね。わたしが選んだ路は間違いじゃなかったってことかしら)
ちょっと庭を散歩してこようと、広い廊下を歩いて、玄関ホールへつながる階段を下りる。初めてポーラック邸へ来たときは、大きな階段だと圧倒されたものだった。
(でもここに残るなら、どこか家を探さなくちゃいけないわよね。それとも王宮に住み込みとかできるのかしら? アンリエット様はどうしてるのか、聞いておけばよかったわ)
などと考え事をしていたせいか、階段を一段踏み外してしまった。ずるりと後ろへ向かって倒れる。天上のシャンデリアの光が直接目に入る。そして後頭部に鈍い衝撃が走った。身に覚えのある痛みのような気がしたが、それを確かめる前に視界は真っ黒になった。