第八章 恋心 第五話
文字数 2,965文字
その後、リゼットはしばらくルーレットを続けたが、ここぞというところで大きく出ることができず、思い切ってみれば負けるという、典型的なギャンブルの弱さを露呈した。カードもやってみたが、同じような結果で、結局手持ちのコインは18枚に減った。
「いくらなんでも弱すぎるだろう。賭けは運だが、駆け引きも大事だぞ。もう少し頭を使ったらどうだ?」
シモンはついているようで、この時点で既にコインを38枚に増やしていた。見せびらかすようにコインの入った袋を持ち上げている。
「しょうがないでしょ。初めてなんだから」
「まぁいい。こればっかりは運を天に任せるしかないからな。お前の代わりにわたしがサクランボを獲得してやろう」
シモンはそういってまた賭けに戻っていった。
ルシアンも賭けに参加していたが、あまり振るわなかった。
「どの景品がほしいか、目標を定めた方がいいんじゃないか。その方が張り合いも出るだろう」
セブランに言われて、ルシアンは天幕の下の景品を眺めた。だが、これと言って獲得したいものはなかった。
「サクランボを狙わないのか? 好物だろう」
「確かに好物だが、令嬢たちが狙っているだろう。母上は令嬢たちを競わせるために一番高価な景品にしたのだろうから、それに乗るのはなんだかな」
「ではご令嬢たちのように、誰かに贈りたいと思う景品はないのか? そうだ、リゼット嬢に食べさせたいものはないのか?」
「どうしてそこで彼女の名前が出てくるんだ」
と顔をしかめる。すると人気の少ない川辺の岩に座り込むリゼットが目に入った。あまりうまくいっていないようで、項垂れている。思わず見つめていると、セブランにぐいっと背中を押された。
「ほら、ツキを取り戻すために、一旦休憩してこい」
リゼットのいる方へと親友を押しやったセブランは、周囲の令嬢たちを軽やかにルーレットに誘った。
「あら、殿下……」
ルシアンが目の前に現れて、リゼットは慌ててお辞儀をした。ルシアンも軽く頭を下げて礼を返したが、その後二人は何となく目を合わせられず、立ち尽くしていた。
「あの、コインは増やせたかな」
「いえ、そうだったら、もうちょっと明るい顔をしていますわ」
「そうだな。わたしもあまり運がなくてな」
二人はぎこちなく言葉を交わして、隣り合って岩に腰掛けた。
「何か、狙っている景品はあるのか」
との問いに、リゼットはすぐに答えられなかった。もちろん狙っているのはサクランボだが、それを言うと、彼の心を射止めんとがっついているとみられそうで、恥じらいが生まれた。
「そ、そうですわね。卵サンドとか……」
「卵サンドか。もしかして空腹なのか?」
(あれ、もしかして食いしん坊って思われた?)
恥じらいから別の景品の名前を挙げたのに、逆効果になっていないか。
「聞くところによると、令嬢たちの間では卵サンドが流行っているとか。あなたはそういう流行に左右されないと思っていたが」
「いいえ。わたくしも一応若い娘ですもの。流行に敏感なんです」
「それもそうか。あなたは服飾で新たな流行を作った人だから、人々の好みに敏感なのは当然のことだ。わたしとしたことが」
ルシアンはふと、リゼットに卵サンドを食べさせてやりたいと思った。
(そんなことをしたら、余計な噂が立つだろうか。だが差し当たって欲しい景品もないことだし、ちょうどいい。それに、これまで何くれと縁があるし、この前は非常に示唆に富む言葉をくれたことだし、礼をするのもありだろう)
最後の方はまるで自らの心に言い訳しているようだった。
二人が初々しく恥じらいながら話しているのを、ブランシュたちは物陰からそっと眺めていた。
「サビーナ、パメラ、あれこそ恋ですわ!」
「いつの間にかいい感じになっているわね、あの二人。それにしても卵サンドなんて、本音を隠しているわねリゼットは」
「きっと殿下に好物を渡すつもりだと知られるのが恥ずかしいんですのよ」
「そうね。こうなれば、わたくしたちもサクランボを狙うわよ。もし手に入ったらリゼットの景品と交換するの。リゼットの恋路を助けるのよ」
ブランシュは意気込んで拳を顔の前に突きあげた。
「ブランシュ様、あれは何でしょう?」
パメラがが反対側に目を向けると、二人の令嬢が連れ立っていた。
「あれはローズ様とリアーヌ様、犬猿の仲の二人が一緒にいるなんて、なんだか妙だわ」
ブランシュが疑った通り、二人が連れ立っているのは理由があった。
「今のでコインは86枚になりましたわ」
「順調ですわね。次はポーカーですわ。お願いしますわよ」
「当たり前ですわ。あなたこそ、指示を間違えないでくださいませね」
二人は結託してイカサマをしていたのだ。ローズがカードで賭けをしている時、リアーヌは参加せず、離れた所から周りの人間の手札を見て、それとなく合図を送ってどの手を打つべきか知らせていたのだ。
「それにしても、約束は守ってくださいませよ」
「わかっておりますわ。サクランボを手に入れたら、二人で皇太子殿下に献上する。抜け駆けなんていたしません」
こういう密約を交わしていたのである。ばれたら二人とも失格になるが、先ほどブランシュたちが訝しがったように、二人は芸術祭で互いに陥れ合っていたので、よもや協力しているとは誰も思っていない。その上、カードに細工をするとか、そういう証拠の残るイカサマではない。告発されてもしらを切りとおせば通用するのだ。
「あの二人、先ほどからカードばかりですわね。しかもローズ様ばかり。時々リアーヌ様も参加していらっしゃるようですけれど。なんだか妙ですわ」
「きっと何か悪だくみをしているに違いありませんわ。例えばリアーヌ様が他人のカードの内容をローズ様に教えているとか。お二人とも懲りないこと」
「でも、それを証明できませんから、告発することはできませんわ」
ならばと、三人は二人に近付いた。
「お二人とも、今度はルーレットをいたしましょう」
「何ですの? わたくしカードが好きなんですの。せっかく勝っていますし」
二人は迷惑そうな顔をしたが、ブランシュは図々しくまとわりつく。
「そう邪険になさらないで。芸術祭では協力した仲ではありませんか」
「あれはどうにも仕方がなかっただけですわ」
「カードでなければいけない理由でもおありかしら?」
サビーナに言われると、二人は文句を言いながらも怪しまれることを恐れて渋々ルーレットのテーブルに着いた。
ルーレットではカードのようなイカサマは通用しない。二人で集めたローズのコインは半分まで減ってしまった。
キトリィは豆ジャムのパイまであと数枚の所までコインを集めていた。このまま幸運に乗ってコインを増やそうと、ダウトに挑戦している。
キトリィが8と数字を唱えてカードを出すと、すかさずダウトの声がかかった。声の主はメリザンドだった。キトリィがカードをひっくり返すと、果たしてカードは2だった。
「わたくしにも運が向いてきましたわ」
メリザンドのコインを入れた袋はだいぶ膨らんでいた。ダウトが終わって立ち上がると、皇后が近づいてきた。
「メリザンド、そろそろどのテーブルも最後の賭けよ。ブラックジャックをしましょう」
そして皇后は彼女の耳元で何やら囁いた。メリザンドはゆったりと笑って皇后の後に続いた。
「いくらなんでも弱すぎるだろう。賭けは運だが、駆け引きも大事だぞ。もう少し頭を使ったらどうだ?」
シモンはついているようで、この時点で既にコインを38枚に増やしていた。見せびらかすようにコインの入った袋を持ち上げている。
「しょうがないでしょ。初めてなんだから」
「まぁいい。こればっかりは運を天に任せるしかないからな。お前の代わりにわたしがサクランボを獲得してやろう」
シモンはそういってまた賭けに戻っていった。
ルシアンも賭けに参加していたが、あまり振るわなかった。
「どの景品がほしいか、目標を定めた方がいいんじゃないか。その方が張り合いも出るだろう」
セブランに言われて、ルシアンは天幕の下の景品を眺めた。だが、これと言って獲得したいものはなかった。
「サクランボを狙わないのか? 好物だろう」
「確かに好物だが、令嬢たちが狙っているだろう。母上は令嬢たちを競わせるために一番高価な景品にしたのだろうから、それに乗るのはなんだかな」
「ではご令嬢たちのように、誰かに贈りたいと思う景品はないのか? そうだ、リゼット嬢に食べさせたいものはないのか?」
「どうしてそこで彼女の名前が出てくるんだ」
と顔をしかめる。すると人気の少ない川辺の岩に座り込むリゼットが目に入った。あまりうまくいっていないようで、項垂れている。思わず見つめていると、セブランにぐいっと背中を押された。
「ほら、ツキを取り戻すために、一旦休憩してこい」
リゼットのいる方へと親友を押しやったセブランは、周囲の令嬢たちを軽やかにルーレットに誘った。
「あら、殿下……」
ルシアンが目の前に現れて、リゼットは慌ててお辞儀をした。ルシアンも軽く頭を下げて礼を返したが、その後二人は何となく目を合わせられず、立ち尽くしていた。
「あの、コインは増やせたかな」
「いえ、そうだったら、もうちょっと明るい顔をしていますわ」
「そうだな。わたしもあまり運がなくてな」
二人はぎこちなく言葉を交わして、隣り合って岩に腰掛けた。
「何か、狙っている景品はあるのか」
との問いに、リゼットはすぐに答えられなかった。もちろん狙っているのはサクランボだが、それを言うと、彼の心を射止めんとがっついているとみられそうで、恥じらいが生まれた。
「そ、そうですわね。卵サンドとか……」
「卵サンドか。もしかして空腹なのか?」
(あれ、もしかして食いしん坊って思われた?)
恥じらいから別の景品の名前を挙げたのに、逆効果になっていないか。
「聞くところによると、令嬢たちの間では卵サンドが流行っているとか。あなたはそういう流行に左右されないと思っていたが」
「いいえ。わたくしも一応若い娘ですもの。流行に敏感なんです」
「それもそうか。あなたは服飾で新たな流行を作った人だから、人々の好みに敏感なのは当然のことだ。わたしとしたことが」
ルシアンはふと、リゼットに卵サンドを食べさせてやりたいと思った。
(そんなことをしたら、余計な噂が立つだろうか。だが差し当たって欲しい景品もないことだし、ちょうどいい。それに、これまで何くれと縁があるし、この前は非常に示唆に富む言葉をくれたことだし、礼をするのもありだろう)
最後の方はまるで自らの心に言い訳しているようだった。
二人が初々しく恥じらいながら話しているのを、ブランシュたちは物陰からそっと眺めていた。
「サビーナ、パメラ、あれこそ恋ですわ!」
「いつの間にかいい感じになっているわね、あの二人。それにしても卵サンドなんて、本音を隠しているわねリゼットは」
「きっと殿下に好物を渡すつもりだと知られるのが恥ずかしいんですのよ」
「そうね。こうなれば、わたくしたちもサクランボを狙うわよ。もし手に入ったらリゼットの景品と交換するの。リゼットの恋路を助けるのよ」
ブランシュは意気込んで拳を顔の前に突きあげた。
「ブランシュ様、あれは何でしょう?」
パメラがが反対側に目を向けると、二人の令嬢が連れ立っていた。
「あれはローズ様とリアーヌ様、犬猿の仲の二人が一緒にいるなんて、なんだか妙だわ」
ブランシュが疑った通り、二人が連れ立っているのは理由があった。
「今のでコインは86枚になりましたわ」
「順調ですわね。次はポーカーですわ。お願いしますわよ」
「当たり前ですわ。あなたこそ、指示を間違えないでくださいませね」
二人は結託してイカサマをしていたのだ。ローズがカードで賭けをしている時、リアーヌは参加せず、離れた所から周りの人間の手札を見て、それとなく合図を送ってどの手を打つべきか知らせていたのだ。
「それにしても、約束は守ってくださいませよ」
「わかっておりますわ。サクランボを手に入れたら、二人で皇太子殿下に献上する。抜け駆けなんていたしません」
こういう密約を交わしていたのである。ばれたら二人とも失格になるが、先ほどブランシュたちが訝しがったように、二人は芸術祭で互いに陥れ合っていたので、よもや協力しているとは誰も思っていない。その上、カードに細工をするとか、そういう証拠の残るイカサマではない。告発されてもしらを切りとおせば通用するのだ。
「あの二人、先ほどからカードばかりですわね。しかもローズ様ばかり。時々リアーヌ様も参加していらっしゃるようですけれど。なんだか妙ですわ」
「きっと何か悪だくみをしているに違いありませんわ。例えばリアーヌ様が他人のカードの内容をローズ様に教えているとか。お二人とも懲りないこと」
「でも、それを証明できませんから、告発することはできませんわ」
ならばと、三人は二人に近付いた。
「お二人とも、今度はルーレットをいたしましょう」
「何ですの? わたくしカードが好きなんですの。せっかく勝っていますし」
二人は迷惑そうな顔をしたが、ブランシュは図々しくまとわりつく。
「そう邪険になさらないで。芸術祭では協力した仲ではありませんか」
「あれはどうにも仕方がなかっただけですわ」
「カードでなければいけない理由でもおありかしら?」
サビーナに言われると、二人は文句を言いながらも怪しまれることを恐れて渋々ルーレットのテーブルに着いた。
ルーレットではカードのようなイカサマは通用しない。二人で集めたローズのコインは半分まで減ってしまった。
キトリィは豆ジャムのパイまであと数枚の所までコインを集めていた。このまま幸運に乗ってコインを増やそうと、ダウトに挑戦している。
キトリィが8と数字を唱えてカードを出すと、すかさずダウトの声がかかった。声の主はメリザンドだった。キトリィがカードをひっくり返すと、果たしてカードは2だった。
「わたくしにも運が向いてきましたわ」
メリザンドのコインを入れた袋はだいぶ膨らんでいた。ダウトが終わって立ち上がると、皇后が近づいてきた。
「メリザンド、そろそろどのテーブルも最後の賭けよ。ブラックジャックをしましょう」
そして皇后は彼女の耳元で何やら囁いた。メリザンドはゆったりと笑って皇后の後に続いた。