第三章 皇太子妃候補たち 第九話
文字数 2,988文字
リアーヌは涙を湛えた目でセブランを見た。踊っている間に髪がほどけてしまったのだろう。ダンスをやめた人々は、ある者は同情の目を向け、ある者は侮蔑と嘲笑をもってひそひそと囁き合っていた。皇帝さえも椅子から腰を浮かしてこちらの様子を伺っている。
(ちょっと恥ずかしいっていうのはわかるんだけど、泣くほど? 周りの人たちも騒然としてるけど、大げさすぎない?)
リゼットが首をひねっている間に、リアーヌはセブランの腕に縋りついた。セブランは彼女を守るように優しく肩を抱いていた。
「お兄様、どうしましょう! 皇帝陛下もいらっしゃる舞踏会で、髪がほどけるなんて。こんなみっともない姿をさらすなんて、皆様にだらしのない、下品な女だと思われたことでしょう!」
「落ち着きなさい。ヘアピンを探して髪を直しに行けばいいんだ。取り乱せば、ますます惨めになるよ」
セブランはそう慰めながら、大理石の床に目を向けて、彼女のヘアピンを探した。しかし、彼女とシモンの周辺に、それらしいものは見つからない。給仕の使用人たちがかがんで探したが、見つからなかった。
「これだけ探しても見つからないとは、盗まれたのかしら。でも宮殿にそんな手癖の悪い使用人はいないでしょうし。あるいは誰かに隠されたのか」
側にいたメリザンドが誰に話すではなく呟いた。それを聞いたリアーヌは未だに涙を湛えた目で斜め後ろにいたローズを睨みつけた。
「ローズ様ではございませんの。わたくしに恥をかかせようとしたのでしょう」
「な、何をおっしゃるの。言いがかりですわ」
「セブランお兄様がわたくしの事ばかり気にして、ローズ様に見向きもしないから、いつも怖い顔で睨んでいましたもの」
ローズは寝耳に水といった様子だが、彼女の性分を考えれば、ありえないことではないように思えた。
リアーヌによって、ローズを糾弾する空気が作られてしまった。二人の令嬢は、やった、やっていないと言い争いを始めた。リゼットはセブランと踊っていたせいで近くで顛末を見届けるはめになり、傍から見ると関係者の一人のようになってしまっていた。剣呑な雰囲気が居心地が悪い。何か言わなければいけないのかと思うが、でしゃばってより事態を悪化させたらという恐れから、やはり黙っていた方がいいとも思う。
「あ、あの。落ちたものがどなたかの足に当たって、転がっていってしまったのかもしれませんから、もう少し良く探してみたらどうでしょうか? リアーヌ様も、先に髪をお直しになっては」
いたたまれなくなって、思わず口を挟んでしまった。リアーヌとローズは怖い顔でリゼットを見た。しかしセブランがその考えを支持したため、二人も同意した。皇帝は舞踏会を中断して、ダイヤのヘアピン探しを命じた。
言い出した手前、リゼットはリアーヌと一緒に控室へ戻った。ひどく落ち込んだ様子だったので、会話の間を持たせるために、リゼットはヘアセットをさせてほしいと申し出た。
「硬くて量の多い髪をしていますので、ヘアピンだけでは弱かったのでしょうね。ひねるだけではなく、こうして少し編みこんだりするとしっかりとまりますわ。まとめる前にほぐせば、程よく柔らかな感じになりますし」
彼女の頭に引っかかっていた羽飾りをでもって、手早く髪をまとめてやると、リーアヌはいくらか元気を取り戻したようで、笑顔で礼を言った。
「ところで、ローズ様を疑っていましたけれど、はっきりとローズ様がやったところを見ましたの?」
「踊っていたから後ろは見えておりません。けれど、ローズ様がわたくしを良く思っていないのは先ほど申し上げた通りです。あの方の仕業に違いありません」
(いや、まだ誰かの意地悪だって決まったわけじゃないけど……)
前世では舞台上でかつらが脱げるとか、アクセサリーが落ちるとか、足を挙げた拍子に靴が飛んでいくとか、ハプニングはよくあった。リゼットには今回の事もただの偶然にしか思えない。
すると、控室の扉が開いた。入ってきたのは、なんとメリザンドだった。意外さとその存在感とに圧倒され、後ろにいたパメラに気が付かない程だった。
「鏡の間ではヘアピンを探している間何もできませんので、リアーヌ様の様子を見に来たのです。そしたら、パメラ様がリゼット様を探しているところへ行きあって」
メリザンドはすらすらと状況を説明すると、滑るようにドレッサーの近くの椅子に座った。
「これだけ探してもまだ見つからないなんて。大きなものではないけれど、それほど小さなものでもないでしょうに。
やはり、誰かが取ったのではないかしら。あなたは皇太子妃候補の中でも注目されていましたから、嫉妬して恥をかかせようとした人がいても、おかしくないですわ」
メリザンドまで当たり前のように人を疑っている。決めつけは良くないとリゼットが、口を挟む前に、リアーヌは強く同意した。そして、ヘアピンが鏡の間で見つかるわけがないと、捜索の結果を知るために、勇み足で広間へ戻っていった。リゼットは部屋の外まで見送ったものの、ついてゆけなくて、廊下にとどまった。
「お二人とも、ちょっと早とちりではないかしら」
「甘いぞリゼット。皇太子妃候補たちは一つの地位を巡って争う敵同士だ。他人を蹴落とすことに躊躇しない」
そこへシモンが現れた。
「まさか、お兄様がピンを取ったのではなくて?」
「馬鹿を言うな。そんなことをしたら流石に気づかれる。
リアーヌはわたしの前にセブランと踊っていたが、その時ピンは落ちなかったのだから、故意に取られた可能性が高い。どうやら有力な令嬢同士で潰し合いが始まったようだな。よし、リゼット、ことが終わるまで鏡の間に戻るな。せっかく有力候補が一人消えるのに、巻き込まれたらたまらん」
高みの見物を決め込むということだ。相変わらずの言い草に呆れていると、鏡の間の方から二人の令嬢がやってきた。
「ねぇ、そこのお二人、私たちとカード遊びをしませんこと? もちろん賭けは無しですわ。ダンスが中止になって退屈でしょう。二人だけだと張り合いがないですから、是非ご一緒に」
一人は赤毛で、水色に白と銀糸のレースがふんだんに使われた豪華なドレスに、これまたゴージャスなネックレスをつけていた。もう一人は、最初の審査でパメラのドレスを馬鹿にした、あのきつそうな令嬢だ。
「いいですね。わたしもご一緒しても? 同じく暇を持て余しております」
アリバイ作りにちょうどいいと思ったのだろう。シモンはその申し出に飛びついて、パメラとリゼットを引っ張って、二人の令嬢について行った。
二人はさっきリゼットとリアーヌが使っていたのとは違う控室に入った。赤毛の令嬢は豪華な布地の小さなバッグから、トランプを取り出した。
「あら、おくれ毛が。ねぇサビーナ、香油を持っていないこと?」
ふと鏡に映った自分のうなじを撫でて、水色のドレスの令嬢が言った。
「きっちりまとめておきなさいな。そういう詰めが甘いところ、変わらないわねブランシュ」
サビーナと呼ばれた令嬢は、呆れたような態度で自分のバッグを探った。
不意に、サビーナの手がとまった。ブランシュと一緒に、リゼットもパメラもシモンも、怪訝な顔で彼女を見つめる。ゆっくりと袋から出てきた彼女の手にあったのは香油の小瓶ではなく、ダイヤモンドが散りばめられたヘアピンだった。
(ちょっと恥ずかしいっていうのはわかるんだけど、泣くほど? 周りの人たちも騒然としてるけど、大げさすぎない?)
リゼットが首をひねっている間に、リアーヌはセブランの腕に縋りついた。セブランは彼女を守るように優しく肩を抱いていた。
「お兄様、どうしましょう! 皇帝陛下もいらっしゃる舞踏会で、髪がほどけるなんて。こんなみっともない姿をさらすなんて、皆様にだらしのない、下品な女だと思われたことでしょう!」
「落ち着きなさい。ヘアピンを探して髪を直しに行けばいいんだ。取り乱せば、ますます惨めになるよ」
セブランはそう慰めながら、大理石の床に目を向けて、彼女のヘアピンを探した。しかし、彼女とシモンの周辺に、それらしいものは見つからない。給仕の使用人たちがかがんで探したが、見つからなかった。
「これだけ探しても見つからないとは、盗まれたのかしら。でも宮殿にそんな手癖の悪い使用人はいないでしょうし。あるいは誰かに隠されたのか」
側にいたメリザンドが誰に話すではなく呟いた。それを聞いたリアーヌは未だに涙を湛えた目で斜め後ろにいたローズを睨みつけた。
「ローズ様ではございませんの。わたくしに恥をかかせようとしたのでしょう」
「な、何をおっしゃるの。言いがかりですわ」
「セブランお兄様がわたくしの事ばかり気にして、ローズ様に見向きもしないから、いつも怖い顔で睨んでいましたもの」
ローズは寝耳に水といった様子だが、彼女の性分を考えれば、ありえないことではないように思えた。
リアーヌによって、ローズを糾弾する空気が作られてしまった。二人の令嬢は、やった、やっていないと言い争いを始めた。リゼットはセブランと踊っていたせいで近くで顛末を見届けるはめになり、傍から見ると関係者の一人のようになってしまっていた。剣呑な雰囲気が居心地が悪い。何か言わなければいけないのかと思うが、でしゃばってより事態を悪化させたらという恐れから、やはり黙っていた方がいいとも思う。
「あ、あの。落ちたものがどなたかの足に当たって、転がっていってしまったのかもしれませんから、もう少し良く探してみたらどうでしょうか? リアーヌ様も、先に髪をお直しになっては」
いたたまれなくなって、思わず口を挟んでしまった。リアーヌとローズは怖い顔でリゼットを見た。しかしセブランがその考えを支持したため、二人も同意した。皇帝は舞踏会を中断して、ダイヤのヘアピン探しを命じた。
言い出した手前、リゼットはリアーヌと一緒に控室へ戻った。ひどく落ち込んだ様子だったので、会話の間を持たせるために、リゼットはヘアセットをさせてほしいと申し出た。
「硬くて量の多い髪をしていますので、ヘアピンだけでは弱かったのでしょうね。ひねるだけではなく、こうして少し編みこんだりするとしっかりとまりますわ。まとめる前にほぐせば、程よく柔らかな感じになりますし」
彼女の頭に引っかかっていた羽飾りをでもって、手早く髪をまとめてやると、リーアヌはいくらか元気を取り戻したようで、笑顔で礼を言った。
「ところで、ローズ様を疑っていましたけれど、はっきりとローズ様がやったところを見ましたの?」
「踊っていたから後ろは見えておりません。けれど、ローズ様がわたくしを良く思っていないのは先ほど申し上げた通りです。あの方の仕業に違いありません」
(いや、まだ誰かの意地悪だって決まったわけじゃないけど……)
前世では舞台上でかつらが脱げるとか、アクセサリーが落ちるとか、足を挙げた拍子に靴が飛んでいくとか、ハプニングはよくあった。リゼットには今回の事もただの偶然にしか思えない。
すると、控室の扉が開いた。入ってきたのは、なんとメリザンドだった。意外さとその存在感とに圧倒され、後ろにいたパメラに気が付かない程だった。
「鏡の間ではヘアピンを探している間何もできませんので、リアーヌ様の様子を見に来たのです。そしたら、パメラ様がリゼット様を探しているところへ行きあって」
メリザンドはすらすらと状況を説明すると、滑るようにドレッサーの近くの椅子に座った。
「これだけ探してもまだ見つからないなんて。大きなものではないけれど、それほど小さなものでもないでしょうに。
やはり、誰かが取ったのではないかしら。あなたは皇太子妃候補の中でも注目されていましたから、嫉妬して恥をかかせようとした人がいても、おかしくないですわ」
メリザンドまで当たり前のように人を疑っている。決めつけは良くないとリゼットが、口を挟む前に、リアーヌは強く同意した。そして、ヘアピンが鏡の間で見つかるわけがないと、捜索の結果を知るために、勇み足で広間へ戻っていった。リゼットは部屋の外まで見送ったものの、ついてゆけなくて、廊下にとどまった。
「お二人とも、ちょっと早とちりではないかしら」
「甘いぞリゼット。皇太子妃候補たちは一つの地位を巡って争う敵同士だ。他人を蹴落とすことに躊躇しない」
そこへシモンが現れた。
「まさか、お兄様がピンを取ったのではなくて?」
「馬鹿を言うな。そんなことをしたら流石に気づかれる。
リアーヌはわたしの前にセブランと踊っていたが、その時ピンは落ちなかったのだから、故意に取られた可能性が高い。どうやら有力な令嬢同士で潰し合いが始まったようだな。よし、リゼット、ことが終わるまで鏡の間に戻るな。せっかく有力候補が一人消えるのに、巻き込まれたらたまらん」
高みの見物を決め込むということだ。相変わらずの言い草に呆れていると、鏡の間の方から二人の令嬢がやってきた。
「ねぇ、そこのお二人、私たちとカード遊びをしませんこと? もちろん賭けは無しですわ。ダンスが中止になって退屈でしょう。二人だけだと張り合いがないですから、是非ご一緒に」
一人は赤毛で、水色に白と銀糸のレースがふんだんに使われた豪華なドレスに、これまたゴージャスなネックレスをつけていた。もう一人は、最初の審査でパメラのドレスを馬鹿にした、あのきつそうな令嬢だ。
「いいですね。わたしもご一緒しても? 同じく暇を持て余しております」
アリバイ作りにちょうどいいと思ったのだろう。シモンはその申し出に飛びついて、パメラとリゼットを引っ張って、二人の令嬢について行った。
二人はさっきリゼットとリアーヌが使っていたのとは違う控室に入った。赤毛の令嬢は豪華な布地の小さなバッグから、トランプを取り出した。
「あら、おくれ毛が。ねぇサビーナ、香油を持っていないこと?」
ふと鏡に映った自分のうなじを撫でて、水色のドレスの令嬢が言った。
「きっちりまとめておきなさいな。そういう詰めが甘いところ、変わらないわねブランシュ」
サビーナと呼ばれた令嬢は、呆れたような態度で自分のバッグを探った。
不意に、サビーナの手がとまった。ブランシュと一緒に、リゼットもパメラもシモンも、怪訝な顔で彼女を見つめる。ゆっくりと袋から出てきた彼女の手にあったのは香油の小瓶ではなく、ダイヤモンドが散りばめられたヘアピンだった。