第八章 恋心 第九話
文字数 2,934文字
ルシアンとの楽しいひと時はあっという間に終わってしまったが、ポーラック邸に戻ってもリゼットはどこか夢心地だった。
「尊敬して、信頼している。しかも話すのが楽しいなんて、これはもう、皇太子殿下はリゼットの事が好きなんですわ!」
「でも本当の恋人については、よく考えてみるとおっしゃっていて」
「そんなの、次に会ったときには、よく考えてみてたら、やはり君こそが本当の恋人だ、っておっしゃるに決まっているじゃない」
「質問のふりをしてお話しなったのも、照れ隠しなのではないかしら」
寝る前にネグリジェ姿で今日のことを話すと、ブランシュとパメラは枕を抱きしめたり、リゼットの肩をたたいたりして、キャーキャーいっていた。
「わたし、自惚れていいのかしら?」
「もちろんよ。考えてみたら裁判の時から殿下はリゼットの事を気にしていたから、気まぐれではなくて、段々とリゼットの事を好きになったに違いないわ。自信をもって堂々とするべきよ」
「そうよ。皇太子殿はご自身の好物よりも卵サンドを優先したのよ。リゼットのために。少なくとも他の令嬢にはそんなことをしなかったじゃない」
サビーナにまで言われて、リゼットはまた頬を赤くしていた。
「でも、サビーナは殿下に卵サンドを獲得してもらうために、イカサマの罪を被ったのよね。なんだか申し訳ないわ」
「わたしは皇太子妃選びなんて、はなから向いていなかったのよ。降りられてむしろ気が楽になったわ。お父様も、まぁ、反省したみたい」
何はともあれ、サビーナが父親の関係は修復したらしい。リゼットのために仲たがいしていたようなものだったので、リゼットはほっとした。
「パメラも、お母様と仲直りできるといいわね。あなたが歌うところを見たら、きっとお母様も考えを変えると思うわ。初日のチケットを一枚確保しておくよう、支配人に言ってあるから」
パメラは不安そうな顔をしていた。
リゼットは、劇場に通い詰めて稽古を監督したり、セットや衣装の打ち合わせをしたり、毎日忙しくしていた。
「お嬢様は大活躍ですわね。最初に都に連れてきたときには、こんなに成功するなんて思っていませんでしたわ。しかも皇太子殿下にも気に入られて。これでシモン様の野望が叶う日も近くなりましたわ」
少量の朝食を食べた後、日課にしているバレエのレッスンをしているリゼットに、ノエルは言った。シモンの希望を叶えるためではないが、皇太子に気に入られたのは嬉しかったし、もっと良く思われたいと思って、自然、レッスンにも力が入る。スタイルを維持するだけではなく、より美しく引き締めたい。
「出し物の前評判もいいみたいですわ。劇場では事前予約を始めたそうですが、既に席が埋まっているとか」
順風満帆とはまさにこのこと。順調すぎて怖いくらいだと思う余裕もなく、目の前の仕事に没頭するリゼットだった。だが、晴天は一瞬で曇天になるものだ。
「リゼット嬢のラインダンスなど、破廉恥で俗っぽくて、公序良俗に反します。国立の劇場で上演するなど、まかりなりません!」
皇后は劇場に上演禁止を申し渡した。さらに、演出家やオーケストラの指揮者、脚本家、劇場支配人などは、全員解雇された。
「ラインダンスがどうしてもだめなら、それだけ無しにするわ。それで何とか上演できないかしら」
「なんでも、ラインダンスを考えついたリゼット様の演出だから、他の部分も公序良俗に反して、国民に鑑賞させるべきものではないと、そういう理由だそうです。国一の芸術家でありながら、本当の芸術を見極められなかった方々も、国立劇場に置いておけないと。それで主だった方々がみんな解雇されたんですわ」
もちろん、パメラも劇場を追い出されてしまった。
明らかに皇后の横やりだった。社交界でもリゼットが演出する新演目は注目されていたから、突然の上演中止は驚きをもって受け止められたし、公序良俗に反するというのは建前で、本当は皇后がリゼットを気に入らず、意地悪をしているのだと囁かれた。
「皇后陛下がリゼット様をあまり好きでないのはその通りだと思いますわ。あの方は色々と斬新なところがおありで、伝統を重んじる陛下の目には、あまり良く映らないのです。
でも、国母たるお方が私情で劇場に上演禁止を求めるなんてことはありませんわ。あの踊りは芸術祭で優勝しましたけれど、破廉恥だと受け付けない方もある程度はいらっしゃいましたわよね。それだけでも、国立の劇場にかけるのは憚れるというもの。そのうえ、聞いたところによりますと、劇場で上演されるものはさらに過激な内容になっていたとか。リゼット嬢はここのところ色々と幸運が重なって、舞い上がっておしまいになったのか、行き過ぎてしまったようですわね」
と、メリザンドは社交界の集まりで吹聴した。もともとラインダンスを受け付けなかった人はそれに便乗して上演禁止を英断と讃えた。
ルシアンはあきらかな嫌がらせに憤り母に抗議した。しかし皇后は国立劇場の品位を守るためであって、個人的な感情でしたことではないと言い張った。
「皇后陛下のおっしゃることはごもっともですわ。国立劇場の演目は我が国の芸術の最高峰であるべきですから、目新しく衆目を集めるだけではなく、高尚さと伝統を重んじなければ」
その場に居合わせたメリザンドが取りなす。ルシアンは皇后の行動が彼女のためであることもわかっていた。
「メリザンド。なぜリゼット嬢の邪魔をする? 公演は妃選びとは関係ないではないか」
「なぜ、ですって。本気でお尋ねですの? あろうことか全ての元凶である殿下が」
メリザンドは白い首をそらして少し上にあるルシアンの顔を睨みつけた。ルシアンは感情的に反論しかけたが、ふと何かを思い出したように、ぐっと堪えてから、もう一度ゆっくりと話し始めた。
「君は幼いころから遊び相手としてわたしの側にいた。それは母上や父上、そしてソンルミエール家から、将来はわたしの伴侶となることを期待をされてのことだった。わたしは親戚の娘を無理やり押し付けられているようで鬱陶しかった。それで君の事もなんとなく疎んじるようになっていた。
だが今なら、わたしも君を翻弄した一人だったのだとわかる。君を疎む資格はないのだ。これまで傲慢に接していたこと、君の心情を思いやらなかったこと、謝る」
ところが、メリザンドは皇太子の謝罪を笑い飛ばした。
「謝る? でもその後にこうおっしゃるんでしょう。君と一緒になるつもりはない。わたしの心は既に別の人のものだ、と。それなら謝罪など空虚です。わたしに心からすまないと思うなら、どうするべきかおわかりになりませんこと。これまでさんざん翻弄した自覚があるなら、その責任を取ってくださいませ」
「メリザンド、わたしはリゼット嬢を妃にするつもりはない。妃選びはまだ終わっていないではないか」
「この期に及んで何をおっしゃるの。 芸術祭でわたくしの心は伝わったものと思っていましたが、思い過ごしでしたのね。殿下がそのようならば、わたくしも容赦いたしませんわ。わたくしをお忘れになったらどうなるか、思い知らせて差し上げます」
メリザンドは冷たい目でルシアンを一瞥し衣擦れの音を残して去っていった。
「尊敬して、信頼している。しかも話すのが楽しいなんて、これはもう、皇太子殿下はリゼットの事が好きなんですわ!」
「でも本当の恋人については、よく考えてみるとおっしゃっていて」
「そんなの、次に会ったときには、よく考えてみてたら、やはり君こそが本当の恋人だ、っておっしゃるに決まっているじゃない」
「質問のふりをしてお話しなったのも、照れ隠しなのではないかしら」
寝る前にネグリジェ姿で今日のことを話すと、ブランシュとパメラは枕を抱きしめたり、リゼットの肩をたたいたりして、キャーキャーいっていた。
「わたし、自惚れていいのかしら?」
「もちろんよ。考えてみたら裁判の時から殿下はリゼットの事を気にしていたから、気まぐれではなくて、段々とリゼットの事を好きになったに違いないわ。自信をもって堂々とするべきよ」
「そうよ。皇太子殿はご自身の好物よりも卵サンドを優先したのよ。リゼットのために。少なくとも他の令嬢にはそんなことをしなかったじゃない」
サビーナにまで言われて、リゼットはまた頬を赤くしていた。
「でも、サビーナは殿下に卵サンドを獲得してもらうために、イカサマの罪を被ったのよね。なんだか申し訳ないわ」
「わたしは皇太子妃選びなんて、はなから向いていなかったのよ。降りられてむしろ気が楽になったわ。お父様も、まぁ、反省したみたい」
何はともあれ、サビーナが父親の関係は修復したらしい。リゼットのために仲たがいしていたようなものだったので、リゼットはほっとした。
「パメラも、お母様と仲直りできるといいわね。あなたが歌うところを見たら、きっとお母様も考えを変えると思うわ。初日のチケットを一枚確保しておくよう、支配人に言ってあるから」
パメラは不安そうな顔をしていた。
リゼットは、劇場に通い詰めて稽古を監督したり、セットや衣装の打ち合わせをしたり、毎日忙しくしていた。
「お嬢様は大活躍ですわね。最初に都に連れてきたときには、こんなに成功するなんて思っていませんでしたわ。しかも皇太子殿下にも気に入られて。これでシモン様の野望が叶う日も近くなりましたわ」
少量の朝食を食べた後、日課にしているバレエのレッスンをしているリゼットに、ノエルは言った。シモンの希望を叶えるためではないが、皇太子に気に入られたのは嬉しかったし、もっと良く思われたいと思って、自然、レッスンにも力が入る。スタイルを維持するだけではなく、より美しく引き締めたい。
「出し物の前評判もいいみたいですわ。劇場では事前予約を始めたそうですが、既に席が埋まっているとか」
順風満帆とはまさにこのこと。順調すぎて怖いくらいだと思う余裕もなく、目の前の仕事に没頭するリゼットだった。だが、晴天は一瞬で曇天になるものだ。
「リゼット嬢のラインダンスなど、破廉恥で俗っぽくて、公序良俗に反します。国立の劇場で上演するなど、まかりなりません!」
皇后は劇場に上演禁止を申し渡した。さらに、演出家やオーケストラの指揮者、脚本家、劇場支配人などは、全員解雇された。
「ラインダンスがどうしてもだめなら、それだけ無しにするわ。それで何とか上演できないかしら」
「なんでも、ラインダンスを考えついたリゼット様の演出だから、他の部分も公序良俗に反して、国民に鑑賞させるべきものではないと、そういう理由だそうです。国一の芸術家でありながら、本当の芸術を見極められなかった方々も、国立劇場に置いておけないと。それで主だった方々がみんな解雇されたんですわ」
もちろん、パメラも劇場を追い出されてしまった。
明らかに皇后の横やりだった。社交界でもリゼットが演出する新演目は注目されていたから、突然の上演中止は驚きをもって受け止められたし、公序良俗に反するというのは建前で、本当は皇后がリゼットを気に入らず、意地悪をしているのだと囁かれた。
「皇后陛下がリゼット様をあまり好きでないのはその通りだと思いますわ。あの方は色々と斬新なところがおありで、伝統を重んじる陛下の目には、あまり良く映らないのです。
でも、国母たるお方が私情で劇場に上演禁止を求めるなんてことはありませんわ。あの踊りは芸術祭で優勝しましたけれど、破廉恥だと受け付けない方もある程度はいらっしゃいましたわよね。それだけでも、国立の劇場にかけるのは憚れるというもの。そのうえ、聞いたところによりますと、劇場で上演されるものはさらに過激な内容になっていたとか。リゼット嬢はここのところ色々と幸運が重なって、舞い上がっておしまいになったのか、行き過ぎてしまったようですわね」
と、メリザンドは社交界の集まりで吹聴した。もともとラインダンスを受け付けなかった人はそれに便乗して上演禁止を英断と讃えた。
ルシアンはあきらかな嫌がらせに憤り母に抗議した。しかし皇后は国立劇場の品位を守るためであって、個人的な感情でしたことではないと言い張った。
「皇后陛下のおっしゃることはごもっともですわ。国立劇場の演目は我が国の芸術の最高峰であるべきですから、目新しく衆目を集めるだけではなく、高尚さと伝統を重んじなければ」
その場に居合わせたメリザンドが取りなす。ルシアンは皇后の行動が彼女のためであることもわかっていた。
「メリザンド。なぜリゼット嬢の邪魔をする? 公演は妃選びとは関係ないではないか」
「なぜ、ですって。本気でお尋ねですの? あろうことか全ての元凶である殿下が」
メリザンドは白い首をそらして少し上にあるルシアンの顔を睨みつけた。ルシアンは感情的に反論しかけたが、ふと何かを思い出したように、ぐっと堪えてから、もう一度ゆっくりと話し始めた。
「君は幼いころから遊び相手としてわたしの側にいた。それは母上や父上、そしてソンルミエール家から、将来はわたしの伴侶となることを期待をされてのことだった。わたしは親戚の娘を無理やり押し付けられているようで鬱陶しかった。それで君の事もなんとなく疎んじるようになっていた。
だが今なら、わたしも君を翻弄した一人だったのだとわかる。君を疎む資格はないのだ。これまで傲慢に接していたこと、君の心情を思いやらなかったこと、謝る」
ところが、メリザンドは皇太子の謝罪を笑い飛ばした。
「謝る? でもその後にこうおっしゃるんでしょう。君と一緒になるつもりはない。わたしの心は既に別の人のものだ、と。それなら謝罪など空虚です。わたしに心からすまないと思うなら、どうするべきかおわかりになりませんこと。これまでさんざん翻弄した自覚があるなら、その責任を取ってくださいませ」
「メリザンド、わたしはリゼット嬢を妃にするつもりはない。妃選びはまだ終わっていないではないか」
「この期に及んで何をおっしゃるの。 芸術祭でわたくしの心は伝わったものと思っていましたが、思い過ごしでしたのね。殿下がそのようならば、わたくしも容赦いたしませんわ。わたくしをお忘れになったらどうなるか、思い知らせて差し上げます」
メリザンドは冷たい目でルシアンを一瞥し衣擦れの音を残して去っていった。