第六話 裁判 第三話
文字数 2,967文字
近衛兵たちは王宮の門まで最短距離を行くため、中庭を突っ切った。
その姿は、たまたま王宮の廊下を歩いていたルシアンの目に留まった。
「あれはリゼット嬢、なぜ近衛兵と一緒に?」
急いで一緒にいたユーグと階下へ降り、庭園へむかう。兵士たちが門を出る前に追いつくことができた。近衛兵たちはルシアンに呼び止められると、敬礼して直立した。
「お前たち、なぜリゼット嬢を罪人のように連れてゆく」
近衛兵はアンリエットに問われた時と同じように事情を説明した。
「公爵が……。しかし、リゼット嬢がそんなことをするとは考えにくい。何かの間違いではないのか」
といったものの、いくら皇太子の言葉でも、そこは法院でしっかりと決着をつけることである。
「あ、あの、殿下、ご心配なさらないで。きっとすぐ誤解がとけますから」
ここでもリゼットは心配をかけないようにと強がって見せた。ルシアンもどうすることもできず彼女を見送るしかなかった。
「リゼット様懇意の仕立屋が流行しておりましたから、娘はそこで仮面を誂えたのです。しかし、舞踏会が終わって一夜明けたら、このように」
法廷でソンルミエール公爵は、娘の帽子についたレースをまくって見せた。悲し気なメリザンドの顔、特に目の周りには痛々しい赤い発疹が浮かんでいた。裁判官も陪審員も、傍聴席の観衆からも、同情の声がおこった。
「医者に見せたところ、何かに
公爵に指さされて、リゼットは困り果てた。仮面に毒などぬっていない。だが、それを証明できない。
「わたくしは本当に何も知りません。もしかしたらわたくし、いいえ仕立屋が作った時に、糊とか生地の染料とか、お肌に合わないものがあったのかもしれませんが、わたくしたちも同じ仕立屋の仮面をつけて、なんともなかったのですから、偶然だと思うのですが」
「他の人間がなんともなかったからこそ、怪しいと言っているのです」
必死にひねり出した弁解は逆効果だったようだ。
「リゼット様、わたくしたちお友達ではありませんでしたけれど、あなたは良い方だと思っていました。それなのにこんな仕打ちをするなんて、あんまりですわ」
美しく気高いメリザンドが瞳に涙をためて訴えてくる。心動かされない者はない。陪審員や傍聴席の聴衆は彼女に同情し、リゼットは完全に悪者にされてしまった。
「まぁ、メリザンドがそんなひどい目に遭うなんて、可哀そうに。それにしてもリゼット嬢はとんでもない娘ね。わたくしなんとなく、あの娘は信用ならないと思っていたのですよ」
皇后はお気に入りのメリザンドの肩を持った。
「母上、まだリゼット嬢の仕業だと決まったわけではありません」
「ルシアン、あなたは幼馴染のメリザンドを哀れに思わないのですか? こんな時こそ、あなたが味方になってあげなくてはいけません。それに皇太子としても、悪事を働いた者に毅然とした態度をとるべきですよ」
まったく聞く耳を持たない母に、ルシアンは残念そうに首を振った。
メリザンドがこんな陳腐な嘘をつくとは思えないが、さりとてリゼットが仮面に細工をしたも考えられない。彼女は確かに一生懸命に皇太子妃選びに参加しているが、皇太子妃の座への執着はさほど強くはなさそうだ。そもそもこういう卑怯な考えを思いつきそうにも見えない。
「リゼット嬢は冤罪だと思われますか」
「そうだな。舞踏会で話して、なんというか、他の令嬢たちのような毒気がないと感じた。故意に他人に意地悪しないだろう。法院ですべて明らかになればいいが。幸い、法務大臣はリゼット嬢が仲良くしているブランシュ嬢の父親だから、彼女も孤立無援とはならないはずだ。それは少し安心できる。だが今のところ、彼女の無実を証明するものは何もないし……」
自室に戻っても、ルシアンはリゼットの身を案じていた。ユーグはその様子を見て、そっと部屋から退出した。
(殿下の心はリゼット嬢でいっぱいだ。もしかしたら殿下は、本当の恋人を見つけられたのかもしれない)
喜ぶべきことだが、素直に喜べない。むしろリゼットを買いかぶりすぎだと、皇后と同じように、理由なく彼女を悪い者だと決めつけてしまいたいような心地になった。
まるでリゼットに嫉妬しているようだった。醜い感情が己の中にあることに驚き、そして激しく嫌悪感を抱いた。
黒い感情を振り払うように、俯いて足早に廊下去ってゆく途中で、セブランに会った。
「殿下は、今は誰にのお会いになりません」
思わず乱暴に言って、身を隠すように立ち去った。セブランは様子のおかしい彼を目で追ったが、引き留めはしなかった。
(ルシアン、やはり舞踏会の仮面の噂のことに勘付いたのだろうか)
あの時、予定を変更してユーグと仮面を交換したのも、セブランを試すためだったのだろう。あからさまにぼろを出してはいないが、リアーヌに仮面が変わったことを伝えれなかったために、彼女がユーグにくっついていて、それが証となってしまった。
遠縁とはいえ、親戚であるリアーヌが皇太子妃となれば、メールヴァン家はますます安泰だ。一族はセブランがルシアンと友人であることすらも、家名のために利用できると考えたのだ。
セブランは、ルシアンとの友情を政治的に利用することに、もろ手を挙げて賛成とはいかなかったが、それが貴族社会であり、大貴族の後継ぎとして生きる上では必要であり、二つが混じりあうこともあると割り切っていた。ルシアンは至極真面目な性質だから、曖昧にして上手くやってゆけないのかもしれない。
「お兄様と殿下との仲が悪くなったら、わたくしだけでなく、メールヴァン家も困ってしまいますわ」
リアーヌは舞踏会の夜からずっとそのことを心配していた。彼女もまた一族の思惑を背負っているのだった。
「大丈夫だ。今は彼も意固地になっているが、いずれ話をする機会もあろう。それより、リゼット嬢がメリザンド嬢に訴えられたそうだな。皇后様はかなりリゼット嬢への心証を悪くしているようだ」
「そう聞いていますが、今はあんな人、どうでもいいでしょう」
「いいや。この訴訟はどこまでが本当かよくわからないだろう。リゼット嬢はそんな姑息な手を使うほど
ルシアンが私に不信感を抱いたことで、お前ほかの令嬢より少し不利になってしまったかもしれない。だが、同じタイミングでこの訴訟がおこったのだから、利用しない手はない」
「なるほど。わたくしたちにとっては幸運ということですね」
リアーヌは久しぶりに笑顔を見せた。
社交界ではこの仮面を巡る事件が面白おかしく取り上げられ、あっという間に噂は都中に広がった。特に皇太子妃候補の令嬢たちとその一族の者は、ポッと出のリゼットを妬ましく思っていたので、皇后のように、一方的にリゼットに罪があるかのように言いふらしていた。
カミーユの仕立屋も風評被害に遭ったばかりか、リゼットに協力した可能性があるとして、店主のカミーユまでも投獄されてしまった。
その姿は、たまたま王宮の廊下を歩いていたルシアンの目に留まった。
「あれはリゼット嬢、なぜ近衛兵と一緒に?」
急いで一緒にいたユーグと階下へ降り、庭園へむかう。兵士たちが門を出る前に追いつくことができた。近衛兵たちはルシアンに呼び止められると、敬礼して直立した。
「お前たち、なぜリゼット嬢を罪人のように連れてゆく」
近衛兵はアンリエットに問われた時と同じように事情を説明した。
「公爵が……。しかし、リゼット嬢がそんなことをするとは考えにくい。何かの間違いではないのか」
といったものの、いくら皇太子の言葉でも、そこは法院でしっかりと決着をつけることである。
「あ、あの、殿下、ご心配なさらないで。きっとすぐ誤解がとけますから」
ここでもリゼットは心配をかけないようにと強がって見せた。ルシアンもどうすることもできず彼女を見送るしかなかった。
「リゼット様懇意の仕立屋が流行しておりましたから、娘はそこで仮面を誂えたのです。しかし、舞踏会が終わって一夜明けたら、このように」
法廷でソンルミエール公爵は、娘の帽子についたレースをまくって見せた。悲し気なメリザンドの顔、特に目の周りには痛々しい赤い発疹が浮かんでいた。裁判官も陪審員も、傍聴席の観衆からも、同情の声がおこった。
「医者に見せたところ、何かに
かぶれ
てこうなったと。昨日まで何もなかったのに、突然このような症状が出るのは、仮面に何か毒物が塗られていたからに違いありません」公爵に指さされて、リゼットは困り果てた。仮面に毒などぬっていない。だが、それを証明できない。
「わたくしは本当に何も知りません。もしかしたらわたくし、いいえ仕立屋が作った時に、糊とか生地の染料とか、お肌に合わないものがあったのかもしれませんが、わたくしたちも同じ仕立屋の仮面をつけて、なんともなかったのですから、偶然だと思うのですが」
「他の人間がなんともなかったからこそ、怪しいと言っているのです」
必死にひねり出した弁解は逆効果だったようだ。
「リゼット様、わたくしたちお友達ではありませんでしたけれど、あなたは良い方だと思っていました。それなのにこんな仕打ちをするなんて、あんまりですわ」
美しく気高いメリザンドが瞳に涙をためて訴えてくる。心動かされない者はない。陪審員や傍聴席の聴衆は彼女に同情し、リゼットは完全に悪者にされてしまった。
「まぁ、メリザンドがそんなひどい目に遭うなんて、可哀そうに。それにしてもリゼット嬢はとんでもない娘ね。わたくしなんとなく、あの娘は信用ならないと思っていたのですよ」
皇后はお気に入りのメリザンドの肩を持った。
「母上、まだリゼット嬢の仕業だと決まったわけではありません」
「ルシアン、あなたは幼馴染のメリザンドを哀れに思わないのですか? こんな時こそ、あなたが味方になってあげなくてはいけません。それに皇太子としても、悪事を働いた者に毅然とした態度をとるべきですよ」
まったく聞く耳を持たない母に、ルシアンは残念そうに首を振った。
メリザンドがこんな陳腐な嘘をつくとは思えないが、さりとてリゼットが仮面に細工をしたも考えられない。彼女は確かに一生懸命に皇太子妃選びに参加しているが、皇太子妃の座への執着はさほど強くはなさそうだ。そもそもこういう卑怯な考えを思いつきそうにも見えない。
「リゼット嬢は冤罪だと思われますか」
「そうだな。舞踏会で話して、なんというか、他の令嬢たちのような毒気がないと感じた。故意に他人に意地悪しないだろう。法院ですべて明らかになればいいが。幸い、法務大臣はリゼット嬢が仲良くしているブランシュ嬢の父親だから、彼女も孤立無援とはならないはずだ。それは少し安心できる。だが今のところ、彼女の無実を証明するものは何もないし……」
自室に戻っても、ルシアンはリゼットの身を案じていた。ユーグはその様子を見て、そっと部屋から退出した。
(殿下の心はリゼット嬢でいっぱいだ。もしかしたら殿下は、本当の恋人を見つけられたのかもしれない)
喜ぶべきことだが、素直に喜べない。むしろリゼットを買いかぶりすぎだと、皇后と同じように、理由なく彼女を悪い者だと決めつけてしまいたいような心地になった。
まるでリゼットに嫉妬しているようだった。醜い感情が己の中にあることに驚き、そして激しく嫌悪感を抱いた。
黒い感情を振り払うように、俯いて足早に廊下去ってゆく途中で、セブランに会った。
「殿下は、今は誰にのお会いになりません」
思わず乱暴に言って、身を隠すように立ち去った。セブランは様子のおかしい彼を目で追ったが、引き留めはしなかった。
(ルシアン、やはり舞踏会の仮面の噂のことに勘付いたのだろうか)
あの時、予定を変更してユーグと仮面を交換したのも、セブランを試すためだったのだろう。あからさまにぼろを出してはいないが、リアーヌに仮面が変わったことを伝えれなかったために、彼女がユーグにくっついていて、それが証となってしまった。
遠縁とはいえ、親戚であるリアーヌが皇太子妃となれば、メールヴァン家はますます安泰だ。一族はセブランがルシアンと友人であることすらも、家名のために利用できると考えたのだ。
セブランは、ルシアンとの友情を政治的に利用することに、もろ手を挙げて賛成とはいかなかったが、それが貴族社会であり、大貴族の後継ぎとして生きる上では必要であり、二つが混じりあうこともあると割り切っていた。ルシアンは至極真面目な性質だから、曖昧にして上手くやってゆけないのかもしれない。
「お兄様と殿下との仲が悪くなったら、わたくしだけでなく、メールヴァン家も困ってしまいますわ」
リアーヌは舞踏会の夜からずっとそのことを心配していた。彼女もまた一族の思惑を背負っているのだった。
「大丈夫だ。今は彼も意固地になっているが、いずれ話をする機会もあろう。それより、リゼット嬢がメリザンド嬢に訴えられたそうだな。皇后様はかなりリゼット嬢への心証を悪くしているようだ」
「そう聞いていますが、今はあんな人、どうでもいいでしょう」
「いいや。この訴訟はどこまでが本当かよくわからないだろう。リゼット嬢はそんな姑息な手を使うほど
すれて
いなさそうだ。もしかしたらメリザンド嬢のでっち上げかもしれない。その場合、メリザンド嬢は評判を落とすだろう。何にせよ疑い疑われのごたごただから、二人とも無傷でいられまい。ルシアンが私に不信感を抱いたことで、お前ほかの令嬢より少し不利になってしまったかもしれない。だが、同じタイミングでこの訴訟がおこったのだから、利用しない手はない」
「なるほど。わたくしたちにとっては幸運ということですね」
リアーヌは久しぶりに笑顔を見せた。
社交界ではこの仮面を巡る事件が面白おかしく取り上げられ、あっという間に噂は都中に広がった。特に皇太子妃候補の令嬢たちとその一族の者は、ポッと出のリゼットを妬ましく思っていたので、皇后のように、一方的にリゼットに罪があるかのように言いふらしていた。
カミーユの仕立屋も風評被害に遭ったばかりか、リゼットに協力した可能性があるとして、店主のカミーユまでも投獄されてしまった。