第五章 仮面舞踏会 第四話
文字数 2,968文字
少し早口だったせいか、ルシアンは少し目を瞬いてリゼットを見つめ、何か納得したように一つ頷いた。
「なるほど、確かに。もしデュエット中にコーラス隊が後ろにずらっと並んでいたら興ざめしたかもしれない。国王役と宰相役が一緒に立っていたら、すれ違いが起きていることがわかりにくく、その後の展開が唐突に感じたかもしれない。
わたしはいつも芝居を見て感動していたが、その感動がどう作られているかには着目してこなかった。優れた舞台芸術は、冷静な視点でどうすれば観客に伝えられるか考えられているんだな。
てっきり舞台も詩と同じだと思っていた。詩人は自らの感情の高ぶりを迸るように筆を走らせると聞く。舞台もそういうものだと。だが緻密に計算された上に成り立っているということか」
「あ、いえ。でも気持ちの高ぶりというのもありますわよ。役者は特に。それでなくては愛の歌なんて歌えませんわ。演出家にしても、やはりこの主題を観客に伝えたいという熱意が根底にあるのです。それにまぁ、物語の内容に感動するのが普通です。わたくしのような観かたはちょっと、特殊なんですわ」
着替え中だとかセット転換だとかは同業者の視点であり一種の職業病でもある。純粋に楽しめるならそれが一番なのだ。だが、皇太子はリゼットの視点に興味を持ったようで、その後もあれこれ聞いてきた。
「詳しく訊くと面白いですわ。次はそうやって観劇するのもようございますわね、殿下」
リアーヌはすぐにとろけるような笑顔でルシアンに迎合した。メリザンドとローズは先ほど否定したばかりなので、ここで手のひらを反すのは難しい。
「殿下、お話がはずんでいるようですが、あちらに劇場の支配人と演出家が出てきたようです。一言感想を差し上げてはいかがか。演出についても、詳しい話が聞けるかもしれませんし」
セブランがやってきて、ルシアンを誘った。ルシアンは話を切り上げて、セブランについていった。このままではリゼットの独壇場だったので、メリザンドもローズもリアーヌもセブランに感謝した。
リゼットはというと、思いがけず皇太子と会話らしい会話をしてしまい、少々のぼせていた。何が功を奏するかわからないからこそ、今回はリゼットの舞台人の視点が役に立った。
ふと後ろを振り返ると、少し後ろから微笑んで見守っていたアンリエットと目が合った。彼女に励まされた通り、報われないかもしれないと諦めずに一歩踏み込めたからこそだ。リゼットは彼女に微笑み返した。
「それはようございましたね。これからはもう少し積極的に、皇太子殿下に話しかけるのです」
帰りの馬車の中で、ノエルとシモンにそのことを報告すると、ノエルは手を叩いて喜んだが、シモンはどこか不機嫌なままだった。またリゼットの常識と離れた視点が役に立ったことに納得できないのだろう。
「お兄様はどうでした? 芝居は」
「寝ていたから知らん」
ノエルが言うには、シモンは開始早々船を漕ぎ始めて、隣に座っていたノエルにもたれてきたそうだ。
(それでノエルはご機嫌なわけね)
リゼットの成功を喜んでいるわけではなかった。
「皇太子と話すといったって、次は難しいぞ。なにせ仮面舞踏会だからな」
「仮面舞踏会?」
「そうだ。トレゾール皇室が主催する仮面舞踏会。春、夏、秋、冬と季節に一回ずつ開催される。春の舞踏会を皇太子妃選びの審査に使うことになっている」
「毎年四回もやるの? 仮面舞踏会大好きなのね」
「そういう慣例なんだ。それよりも問題なのは、仮面をつけていては、誰が誰だかわからないことだ。皇太子を見つけて交流するのは至難の業だぞ」
顔が見えないといっても、声や背格好、衣服の豪華さや仮面で自然とわかるのではないか。
「年に四回もあるのだから、貴族であれば仮面は複数持っている。皇太子もそうで、どれをつけるかは当日までわからない。身分を示す勲章や紋章も身に着けることは禁止されている」
「そうなると、かなりわかりずらいわね。殿下と特別親しいわけではないから、背格好や声で特定するのも無理そう。
でもちょっと待って、それじゃあ、わたしたちをどうやって審査するの?」
リゼットの疑問には招待状が答えてくれた。
「皇太子妃候補は、招待状に割り振られた花を会場に入る前に受け取り、仮面につける。お父様が言うには、審査員も審査するべき令嬢の目印の花が割り振られているんですって。ただし、どの花が誰なのかは審査員も知らないの。もちろんわたくしたちも誰が審査員かわからないのよ」
ブランシュが自分宛の招待状を読みながら言った。
「まぁ、みんな皇太子殿下を探すでしょうね。最後に仮面を取って正体を明かすのが慣例だから、楽しく会話したり踊ったりして、仮面を取った時に殿下かめんの側にいられたら、強い印象を与えることになるもの。なんだか享楽的で、わたくし好きではないけれど」
サビーナはそういって紅茶を一口飲んだ。
「正体を見破るのね、面白そう!」
キトリィが歓声を上げた。リゼットたちはキトリィに招かれて、王宮の迎賓館にいた。
「王女様、遊びでははないのですから、おしとやかな振る舞いをしなくてはいけませんよ」
アンリエットが優しく言い聞かせてから、四人の方を見た。
「今日皆さまをお招きしたのは、実は王女様の仮面について相談したかったのです。リヴェールで仮面舞踏会というのは、サビーナ様がおっしゃったような、遊び好きのための享楽という位置づけで、王室が主催することはありませんし、王国貴族も参加することは少ないのです。ですから王女様は仮面を持っていません。どこで仮面を作ればいいか、ここはという工房はございますでしょうか」
仮面舞踏会大好きな国なので、豪華な装飾を施した仮面を制作する工房がいくつもある。リゼットもパメラも仮面舞踏会など初めてなので作る必要がある。
(でもブランシュはお金持ちだしサビーナも歴とした貴族だから、同じところで頼んだらきっと値が張るわよね)
と心配していると、ブランシュが妙に自信ありげな笑顔を浮かべた。
「それはもちろん、カミーユの工房ですわ」
「えっ? ちょっと待って、仮面を扱っているかどうか知らないのだけれど」
「大丈夫ですわ。仕立屋やアクセサリー工房で仮面を作っているところもあります。わたくしたち、ドレスもカミーユの仕立屋にお願いするでしょう。ですから仮面もお願いすればいいのですわ。リゼット、仮面のデザインにも挑戦してみるのよ!」
「ええ、それはちょっと、無茶ぶりすぎよ……」
しかもブランシュたちのドレスも作る前提で話が進んでいる。
「リゼットさんのお店がいい。この前のドレス、とっても可愛かったもの」
キトリィはその気になってしまった。
「実際、それが良いかもしれませんわ。どこの令嬢も気合を入れて仮面を新調しますから、そうなると王女様にお勧めできるような有名な工房は、もうオーダーがいっぱいで、新たに受け付けてくれないかもしれません」
工房も当然キャパシティがある。脱落者がいたとしても、まだまだ多くの令嬢が残っている今、工房は大忙しになっているだろう。カミーユの工房にキャパシティがあるかどうかはわからないのだが。
「それでは、リゼット様懇意の店にお願いしますわ」
リゼットは断り切れず、承諾するしかなかった。
「なるほど、確かに。もしデュエット中にコーラス隊が後ろにずらっと並んでいたら興ざめしたかもしれない。国王役と宰相役が一緒に立っていたら、すれ違いが起きていることがわかりにくく、その後の展開が唐突に感じたかもしれない。
わたしはいつも芝居を見て感動していたが、その感動がどう作られているかには着目してこなかった。優れた舞台芸術は、冷静な視点でどうすれば観客に伝えられるか考えられているんだな。
てっきり舞台も詩と同じだと思っていた。詩人は自らの感情の高ぶりを迸るように筆を走らせると聞く。舞台もそういうものだと。だが緻密に計算された上に成り立っているということか」
「あ、いえ。でも気持ちの高ぶりというのもありますわよ。役者は特に。それでなくては愛の歌なんて歌えませんわ。演出家にしても、やはりこの主題を観客に伝えたいという熱意が根底にあるのです。それにまぁ、物語の内容に感動するのが普通です。わたくしのような観かたはちょっと、特殊なんですわ」
着替え中だとかセット転換だとかは同業者の視点であり一種の職業病でもある。純粋に楽しめるならそれが一番なのだ。だが、皇太子はリゼットの視点に興味を持ったようで、その後もあれこれ聞いてきた。
「詳しく訊くと面白いですわ。次はそうやって観劇するのもようございますわね、殿下」
リアーヌはすぐにとろけるような笑顔でルシアンに迎合した。メリザンドとローズは先ほど否定したばかりなので、ここで手のひらを反すのは難しい。
「殿下、お話がはずんでいるようですが、あちらに劇場の支配人と演出家が出てきたようです。一言感想を差し上げてはいかがか。演出についても、詳しい話が聞けるかもしれませんし」
セブランがやってきて、ルシアンを誘った。ルシアンは話を切り上げて、セブランについていった。このままではリゼットの独壇場だったので、メリザンドもローズもリアーヌもセブランに感謝した。
リゼットはというと、思いがけず皇太子と会話らしい会話をしてしまい、少々のぼせていた。何が功を奏するかわからないからこそ、今回はリゼットの舞台人の視点が役に立った。
ふと後ろを振り返ると、少し後ろから微笑んで見守っていたアンリエットと目が合った。彼女に励まされた通り、報われないかもしれないと諦めずに一歩踏み込めたからこそだ。リゼットは彼女に微笑み返した。
「それはようございましたね。これからはもう少し積極的に、皇太子殿下に話しかけるのです」
帰りの馬車の中で、ノエルとシモンにそのことを報告すると、ノエルは手を叩いて喜んだが、シモンはどこか不機嫌なままだった。またリゼットの常識と離れた視点が役に立ったことに納得できないのだろう。
「お兄様はどうでした? 芝居は」
「寝ていたから知らん」
ノエルが言うには、シモンは開始早々船を漕ぎ始めて、隣に座っていたノエルにもたれてきたそうだ。
(それでノエルはご機嫌なわけね)
リゼットの成功を喜んでいるわけではなかった。
「皇太子と話すといったって、次は難しいぞ。なにせ仮面舞踏会だからな」
「仮面舞踏会?」
「そうだ。トレゾール皇室が主催する仮面舞踏会。春、夏、秋、冬と季節に一回ずつ開催される。春の舞踏会を皇太子妃選びの審査に使うことになっている」
「毎年四回もやるの? 仮面舞踏会大好きなのね」
「そういう慣例なんだ。それよりも問題なのは、仮面をつけていては、誰が誰だかわからないことだ。皇太子を見つけて交流するのは至難の業だぞ」
顔が見えないといっても、声や背格好、衣服の豪華さや仮面で自然とわかるのではないか。
「年に四回もあるのだから、貴族であれば仮面は複数持っている。皇太子もそうで、どれをつけるかは当日までわからない。身分を示す勲章や紋章も身に着けることは禁止されている」
「そうなると、かなりわかりずらいわね。殿下と特別親しいわけではないから、背格好や声で特定するのも無理そう。
でもちょっと待って、それじゃあ、わたしたちをどうやって審査するの?」
リゼットの疑問には招待状が答えてくれた。
「皇太子妃候補は、招待状に割り振られた花を会場に入る前に受け取り、仮面につける。お父様が言うには、審査員も審査するべき令嬢の目印の花が割り振られているんですって。ただし、どの花が誰なのかは審査員も知らないの。もちろんわたくしたちも誰が審査員かわからないのよ」
ブランシュが自分宛の招待状を読みながら言った。
「まぁ、みんな皇太子殿下を探すでしょうね。最後に仮面を取って正体を明かすのが慣例だから、楽しく会話したり踊ったりして、仮面を取った時に殿下かめんの側にいられたら、強い印象を与えることになるもの。なんだか享楽的で、わたくし好きではないけれど」
サビーナはそういって紅茶を一口飲んだ。
「正体を見破るのね、面白そう!」
キトリィが歓声を上げた。リゼットたちはキトリィに招かれて、王宮の迎賓館にいた。
「王女様、遊びでははないのですから、おしとやかな振る舞いをしなくてはいけませんよ」
アンリエットが優しく言い聞かせてから、四人の方を見た。
「今日皆さまをお招きしたのは、実は王女様の仮面について相談したかったのです。リヴェールで仮面舞踏会というのは、サビーナ様がおっしゃったような、遊び好きのための享楽という位置づけで、王室が主催することはありませんし、王国貴族も参加することは少ないのです。ですから王女様は仮面を持っていません。どこで仮面を作ればいいか、ここはという工房はございますでしょうか」
仮面舞踏会大好きな国なので、豪華な装飾を施した仮面を制作する工房がいくつもある。リゼットもパメラも仮面舞踏会など初めてなので作る必要がある。
(でもブランシュはお金持ちだしサビーナも歴とした貴族だから、同じところで頼んだらきっと値が張るわよね)
と心配していると、ブランシュが妙に自信ありげな笑顔を浮かべた。
「それはもちろん、カミーユの工房ですわ」
「えっ? ちょっと待って、仮面を扱っているかどうか知らないのだけれど」
「大丈夫ですわ。仕立屋やアクセサリー工房で仮面を作っているところもあります。わたくしたち、ドレスもカミーユの仕立屋にお願いするでしょう。ですから仮面もお願いすればいいのですわ。リゼット、仮面のデザインにも挑戦してみるのよ!」
「ええ、それはちょっと、無茶ぶりすぎよ……」
しかもブランシュたちのドレスも作る前提で話が進んでいる。
「リゼットさんのお店がいい。この前のドレス、とっても可愛かったもの」
キトリィはその気になってしまった。
「実際、それが良いかもしれませんわ。どこの令嬢も気合を入れて仮面を新調しますから、そうなると王女様にお勧めできるような有名な工房は、もうオーダーがいっぱいで、新たに受け付けてくれないかもしれません」
工房も当然キャパシティがある。脱落者がいたとしても、まだまだ多くの令嬢が残っている今、工房は大忙しになっているだろう。カミーユの工房にキャパシティがあるかどうかはわからないのだが。
「それでは、リゼット様懇意の店にお願いしますわ」
リゼットは断り切れず、承諾するしかなかった。