第十三章 愛の成就へ 第六話

文字数 3,024文字

 ノエルは一人宿屋へ戻った。シモンの身が心配だったが、彼を救えるのは自分しかいないのだと、何度も深呼吸して気持ちを落ち着け、まずはリゼットに状況を知らせる手紙を書いた。その後シモンを助ける方法を考えた。

(ソンルミエール公爵が刺客たちを始末するというのは、わたしを逃がすための嘘。でもそれだけじゃないわ。シモン様はあいつらを都へおびき寄せて証人にするつもりなのよ。だから嘘を信じさせなくてはいけない。シモン様が五日以内に手紙が来るはずと言っていた。では手紙を届けなくては。どうやって?)

 ノエルは一晩一睡もせずに考えた後、翌日一人で裏路地を訪れ、シモンと訪れた店とは別の酒場へ足を踏み入れた。

 小奇麗な娘に好奇と欲の混じ利あった視線が向けられる。ノエルは下腹に力を入れてそれを無視し、一直線に店主の元へ向かい、テーブルの上に金の入った袋を置いた。

「人を雇いたいの。報酬は見てのとおりよ」

 店主は鼻を鳴らした。小娘一人が人を雇いたいなど、普通は相手にすることはない。何ならそのまま攫って娼婦の仲間入りさせてやるくらいだ。しかし報酬の入った袋は見るからに重そうで、身なりからしてそれなりの家の侍女か何かのようだったので、店主は慎重になった。

「姉ちゃん一人でこんな所へ来るなんざ命知らずだな。金さえ出せば何とかなるほど、世の中甘くねぇんだぜ」

「あらそう。ならいいわ。他を当たるから」

 ノエルはそっけなく袋を持って店を出てゆこうとした。店主は引き留める。

「まぁ、話くらいは聞いてやるよ。一体どういう用件だい?」

「わたしは人を雇いたいと言ったの。それ以上あなたに話すことはないわ」

 ノエルは高飛車な態度を崩さなかった。ハッタリでいいから、身も心も強い、ただ者ではないように見せなければ。多くを語らず、いかにも大きな思惑があるかのように思わせる。

「肝っ玉が太い男が一人必要なの。紹介してくれないなら他所を当たるわ」

 店主は小さく舌打ちしたが、最後は報酬を取って、一人の男を手配してくれた。ノエルはその男を連れて宿屋へ戻ると、男にまた金を渡してこう言い含めた。

「あなたには芝居をしてもらうわ。ここにある衣服に着替えて、ソンルミエール公爵家の使いに成りすましてちょうだい。そして明日、いいえ明後日ね。ある場所へ行ってこう言うのよ……」

 すぐに使いが来ては刺客たちが却って怪しむかもしれない。ノエルは男に口上を仕込んだ。男はうんざりした顔をしていたが、ノエルが持ってきた資金を全てつぎ込み、その上貸したシモンの衣服もそっくり渡してやると言うと、ただ指定された場所で台詞をいうだけでこんなに儲かるとはと、この仕事に当たった幸運を喜び、余計なことを考えずにノエルに従うようになった。


 シモンは例の酒場の二階で、椅子に縛り付けられていた。常に刺客が三人で見張っている。

「本当に来るのか?」

「どうだかな。全部こいつが言っただけだからな」

 彼らはやはりシモンの言葉を信じ切れないようだ。

(頼むぞノエル。どうにかして手紙を届けてくれ)

 路地の入口でわざとこの酒場の事を話したのはノエルに手紙をここへ届けさせるためだった。どういうやり方をするかは彼女の裁量だ。愚かな娘ではないが頭脳派というわけではない。何よりただのメイドだ。この急ごしらえの策略をどこまで理解し、実現のために動けるかはわからなかった。

 締め切った窓の隙間から細く差し込む光の強さとその角度で、大体の時刻が推定できる。この日も朝から光の線は角度を変えて部屋の床を照らしていた。この日ももう正午を越えた。ノエルはまだ手紙を手配できていないのだろうか。

(いや。それでいい。あまりにも早いと奴らは疑う)

 ただ、シモンも焦らないではない。もしノエルが失敗したらきっと殺される。

 時折刺客同士が軽口をたたき合う以外に、まったく物音がしない。ずっと座ったままでいるのも、なかなか辛いものがある。シモンは蝋燭の火に炙られているような心地だった。

 日が少し傾き、色が濃くなる直前、一階の方で話声が聞こえた。刺客の一人は階段の側へ行って聞き耳を立てた。シモンも、自らの呼吸の音さえも邪魔だと言わんばかりに耳を澄ませた。

 一階にやってきたのは貴族の従者らしい男だった。店主が誰だと訊ねると、男は店主に近づいてこう伝えた。

「ソンルミエール公爵様より伝言だ。刺客団は11月8日の真夜中12時に屋敷へ来るように。全員で揃って。以上だ」

「公爵様からの手紙は? 何か証は無いのか」

 店主が警戒して訊ねると、男はむっとして答えた。

「これは火急かつ極秘の任務である。手紙などを使っては、万が一露見した時どう言い訳するのだ。公爵様の使いを疑うとは、公爵様へ歯向かうのと同じだぞ」

 店主はそれ以上言わなかった。そこで男は再度伝言の内容を伝えると、風のように去っていった。

 店主が二階に上がってきて、刺客たちと何やら話していた。その後数人が店を出てゆき、程なくして頭目以下全員が店に集った。

「手紙を寄越さなかった。これは露見することを強く警戒している証拠だ。そして11月8日というのは丁度2週間後、火急というわりにはずいぶん先だ。やはりお前の言う通り、公爵は我々を消すつもりなのか」

 頭目はシモンに訊ねた。シモンは鼻で笑って答えた。

「わたしは五日の間に知らせが来ると言った。知らせの内容をどうとるかは、お前たち次第だ」

 頭目は大いに疑いを深めた。そしてついにシモンの言うことを信じ、彼の縄を解き、他の使用人たちも解放してくれた。


 一方のノエルは役目を終えた男を連れて宿屋の部屋に入った。

「よくやったわ。約束通り報酬を渡すから、そこに座っていなさい」

 男はホクホクして木の椅子に座った。このあたりを仕切っているのはソンルミエール公爵家の刺客団だから、あの酒屋に入れと言われた時は恐ろしくて渋ったが、さらに報酬を上乗せすると言われて、何とかやり遂げたのだった。

 ノエルは男の後ろに置いたトランクを開けて、その中から報酬を取り出すふりをして、ロープを取り出した。そして男がちょっと油断したすきに頭からすっぽりローブをかけてぎゅっと縛り上げてしまった。男は抜け出そうと暴れる。ノエルは一世一代の力を出して男をぐるぐる巻きにした。

「これでシモン様は解放されるはず。どうかそうでありますように!」

 男を見張りつつシモンの無事を祈った。真夜中を迎えた頃、部屋の戸を叩く音がした。開けてみるとシモンと使用人たちだった。

「成功だ、でかしたぞ。よくわたしの策略を理解したな」

 ノエルはシモンが戻ってきた上に、手放しで褒めてくれたので飛び上がらんばかりに大喜びした。

「シモン様のお考えが私にわからないはずがありません。手紙だと、公爵からという目印をつけているはずだから、嘘が見破られると思い、敢て伝言をさせました。成功するかは賭けでしたけれど」

 まずは縛った男を宿屋の外へ運び出し森の中の洞窟に隠した。刺客団が都へ向かって出発したら、彼を斡旋した酒場の店主に知らせが届き、助けてもらえるよう手配しておいた。それから事の首尾をリゼットに報告するために手紙を書き、翌朝宿屋の人間に託した。それと入れ違いにリゼットから手紙が来た。前回のノエルの報せを受けてだったので、まずシモンを案ずる内容があり、その後に選挙の事が書いてあった。

 シモンもノエルも驚いてその部分を何度も読み返した。 
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登場人物紹介

リゼット・ド・レーブジャルダン

トレゾールの田舎クルベットノンの子爵令嬢。

前世は宝川歌劇団の娘役・夢園さゆり(本名は大原悦子)

シモン・ド・レーブジャルダン

リゼットの兄。子爵令息。

パメラ・ド・タンセラン

皇太子妃候補の男爵令嬢。

ブランシュ・ド・ポーラック

皇太子妃候補の公爵令嬢。

サビーナ・ド・エテスポワール

皇太子妃候補の伯爵令嬢。

ローズ・ド・エタミーヌ

皇太子妃候補の伯爵令嬢。

リアーヌ・ド・ブリュム

皇太子妃候補の伯爵令嬢。セブランの遠縁の親戚。

メリザンド・ド・ソンルミエール

皇太子妃候補の公爵令嬢。皇太子の幼馴染。

ルシアン・ド・グリシーヌ

皇太子。

セブラン・ド・メールヴァン

公爵令息。皇太子ルシアンの親友。リアーヌの遠縁の親戚。

ユーグ

皇太子つきの侍従。

キトリィ・ド・グリュザンデム

皇太子妃候補。リヴェールの第五王女。

アンリエット・ド・リュンヌ

キトリィの教育係の侯爵夫人。婚前はトレゾールの貴族令嬢だった。

ノエル

リゼットの侍女。

カミーユ

ノエルの兄。仕立屋。

皇帝

トレゾールの現皇帝。ルシアンの父。

皇后

トレゾールの現皇后。ルシアンの母。

ポーラック卿

ブランシュの祖父。

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