第十二章 ざわめく社交界 第五話
文字数 2,889文字
リゼットの仲間たちはそれぞれが与えられた任務をこなし、数日後の夜にポーラック邸に集まった。
まずはパメラが報告した。
「殿下の仮病は今のところばれておりません。ただ、医者の中には奇妙だと勘づいているのか、診察の時に妙な顔をしている者もいるとか。殿下はもし嘘が露見したなら、もう買収するしかないとおっしゃっています」
医者の中には前から王宮に仕えている者もいる。そういう医者は皇帝夫妻への忠誠心が高いため、金品による口止めは効果がないかもしれない。
「それなら、もっと別の病にかかったように見せかけるしかないわね。殿下には申し訳ないけれど、もう少しお芝居を続けてもらうしかないわ」
キトリィが皇后にメリザンドを皇太子妃に選ばないと言わしめたのは誰もが知るところだった。しかし得意げなキトリィの隣で、アンリエットは憂慮した。
「メリザンド様ご本人が、このまま引き下がるとは思えません。かといって、あの方も一人の令嬢であることに変わりはございませんから、できることなど何もないと思われます。それでも、わたくしたちの想像の及ばないことを考え出すかもしれません」
メリザンドの動きにも注意しなくてはいけない。
「要注意と言えば、例の二人はどうなりましたの?」
ブランシュはサビーナに訊ねた。彼女は必ず嗅ぎまわって何か仕掛けてくるであろう二人を監視し、こちらの邪魔をさせない役目を引き受けていた。
あの日二人を法院の前から連れ去ったあと、自宅でサビーナはこう話した。
「お二人がお疑いの通り殿下は仮病です。というより、天然痘まがいの病だけが仮病なのであって、男色の方はまったく治る見込みはないのですけれど」
ローズもリアーヌも、出された茶菓子に手をつけもせずに、疑わしい目でサビーナを見ていた。サビーナは構わずに続けた。
「あなたたちも、もう見当がついているだろうから言いますけれど、リゼットは皇太子妃への野望を捨てたわけではないのよ。殿下の男色が治らなかったとして、結局は皇太子妃は必要。だからリゼットは従者を連れ戻して殿下とよろしくやってもらうよう取り計らう代わりに、自分が皇太子妃になるつもりなの。もちろん結婚した後も、殿下が他の男に現を抜かすのには目をつぶるということでね」
「まぁ、おぞましい。ひょっとしたらそうかもしれないと思っていたけれど、まさか本当だったとは。リゼットのたくましさには頭が下がりますわねぇ」
リアーヌは苦いものでも口に入れたように顔をしかめた。
「でも、そんなことをわたくしたちに打ち明けてよろしいの? 地位欲しさに男色に目をつむる、そんな取引めいたことをして皇太子妃になるなんて。わたくしたちが言いふらしたら、非難の的になりますわよ。せっかく社交界に認められていたのに、ここで人々の心が離れたら、皇太子妃になるものもなれませんわよ」
ローズはサビーナの腹を探ろうとした。サビーナはふふん、と笑って、勿体つけて口を開いた。
「あなたちなんて、わたくしちっとも怖くないのよ。昼食会でくしゃみの出る薬を料理に混ぜたのはローズ、あなたでしょう。リゼットに眠り薬を嗅がせたのはリアーヌ、あなたよね。どちらも王女様から聞いたわ。
リゼットが皇太子妃の座を手にいれるまであと一息なの。そこで邪魔が入ったら嫌だわ。だから二人とも、余計なことはせず、大人しく見ていてほしいのよ。もし変なことをしたら、王女様が全てを話してしまうわよ。王女様のお言葉の影響力はよくごぞんじよね? あの方のお友達をひどい目に遭わせようとした、なんてことになれば、社交界で後ろ指を指されるだけでなく、国際問題にまで発展しかねないのよ」
脅されて二人は悔しさに唇をかみしめた。サビーナは同じ話を執拗に繰り返して、散々脅かした後、二人を解放した。
だが、脅しにやすやすと屈する二人ではない。むしろ皇太子に振られた現場を見て、鳴りを潜めていたリゼットへの敵愾心が刺激され、リゼットを引きずり降ろしてやろうという悪意が湧き出てきた。
「サビーナが言ったこと、どこまで信じられるかしら。ただ、状況からしてもリゼットの思惑はさっきの話通りだと思いますわ」
「だったら、その行方知れずの従者をわたくしたちで探さないこと? 先に見つけてしまえば、リゼットは殿下との約束が守れず皇太子妃にはなれませんわ。それに結局、この事件の中心にいるのはその従者なのだから、彼を見つければリゼットの企みの全てがわかるというものよ」
二人は顔を見合わせてにやりと微笑んだ。だが、この悪だくみもサビーナはお見通しだった。
「あの二人だから、ソフィをさがそうとするばずね。行方知れずと言っておいたから、きっと都以外を探すはずよ。そうやって見当違いの事に夢中になってくれれば、手間がかからなくて楽よ」
「敢て裏を読ませて厄介払いしたってことね」
皆サビーナの手腕に感心した。
そして肝心のブランシュとシモンの調査である。
「ソンルミエール家は13年前のさらに4年前に、国に治めるべき領地の租税の一部を横領していたことを告発されていたわ。告発者は中産階級の平民だったのだけれど、その人物はフルーレトワール家と繋がりがあって、告発の差異に後ろ盾になったみたい。横領はごく一部であったし、ソンルミエール公爵本人はあずかり知らぬことだったので、大きな罰はなしで裁判は終わったのだけれど、その後皇帝陛下が税制についてより厳しく取り締まるようになったのよ。
軽微とはいえ横領を犯したからと、一時は皇帝陛下がソンルミエール家と距離を置いていたらしいわ。それで、代わりに気に入られたのはフルーレトワール侯爵だったというわけ。それを逆恨みしたと考えるのが妥当ね」
「だが、恨みを晴らすためだったと決定づける証拠はない。やはり偽造文書を作った人間を探し出すしかない」
「でも、見当もつかないのにどうやって探すの?」
リゼットが尋ねると、シモンは少しだけ考えた後、覚悟を決めたように言った。
「わたしがソンルミエール家の領地へ行く。フルーレトワール一族を暗殺した奴も、偽装文書を作った奴も、リゼットの出自を嗅ぎまわっていた奴らと同じで、どうせ領地で金で囲って組織したならず者に違いない。都より足が付きにくいことだしな。もし偽造文書を作った奴がいなかったとしても、刺客たちに接触できれば糸口が見つかる」
「だけど、当てもないのに」
「当てがないなら探せばいい。この前だって、街道で待ち伏せて接触できたではないか。現地で探して回るさ。ソンルミエール家の人間の振りをして、おびき出してもいい」
「それでも、お兄様は顔が知られているし……」
「なんだ、お前はいやに突っかかるな」
「だって危ないと思って。お兄様は戦えないじゃない」
シモンは溜息をついた。
「そうだ。だがそうでもしなければ先に進まないだろう。自らの足と使い、時間も命さえもかけて、炎の中へ飛び込まなければならない局面だ」
あのシモンが自ら危険に身を投じるとは。しかもうまくいく保証はないのに。それだけこの事件の真相を暴くことに懸けているのだろう。
まずはパメラが報告した。
「殿下の仮病は今のところばれておりません。ただ、医者の中には奇妙だと勘づいているのか、診察の時に妙な顔をしている者もいるとか。殿下はもし嘘が露見したなら、もう買収するしかないとおっしゃっています」
医者の中には前から王宮に仕えている者もいる。そういう医者は皇帝夫妻への忠誠心が高いため、金品による口止めは効果がないかもしれない。
「それなら、もっと別の病にかかったように見せかけるしかないわね。殿下には申し訳ないけれど、もう少しお芝居を続けてもらうしかないわ」
キトリィが皇后にメリザンドを皇太子妃に選ばないと言わしめたのは誰もが知るところだった。しかし得意げなキトリィの隣で、アンリエットは憂慮した。
「メリザンド様ご本人が、このまま引き下がるとは思えません。かといって、あの方も一人の令嬢であることに変わりはございませんから、できることなど何もないと思われます。それでも、わたくしたちの想像の及ばないことを考え出すかもしれません」
メリザンドの動きにも注意しなくてはいけない。
「要注意と言えば、例の二人はどうなりましたの?」
ブランシュはサビーナに訊ねた。彼女は必ず嗅ぎまわって何か仕掛けてくるであろう二人を監視し、こちらの邪魔をさせない役目を引き受けていた。
あの日二人を法院の前から連れ去ったあと、自宅でサビーナはこう話した。
「お二人がお疑いの通り殿下は仮病です。というより、天然痘まがいの病だけが仮病なのであって、男色の方はまったく治る見込みはないのですけれど」
ローズもリアーヌも、出された茶菓子に手をつけもせずに、疑わしい目でサビーナを見ていた。サビーナは構わずに続けた。
「あなたたちも、もう見当がついているだろうから言いますけれど、リゼットは皇太子妃への野望を捨てたわけではないのよ。殿下の男色が治らなかったとして、結局は皇太子妃は必要。だからリゼットは従者を連れ戻して殿下とよろしくやってもらうよう取り計らう代わりに、自分が皇太子妃になるつもりなの。もちろん結婚した後も、殿下が他の男に現を抜かすのには目をつぶるということでね」
「まぁ、おぞましい。ひょっとしたらそうかもしれないと思っていたけれど、まさか本当だったとは。リゼットのたくましさには頭が下がりますわねぇ」
リアーヌは苦いものでも口に入れたように顔をしかめた。
「でも、そんなことをわたくしたちに打ち明けてよろしいの? 地位欲しさに男色に目をつむる、そんな取引めいたことをして皇太子妃になるなんて。わたくしたちが言いふらしたら、非難の的になりますわよ。せっかく社交界に認められていたのに、ここで人々の心が離れたら、皇太子妃になるものもなれませんわよ」
ローズはサビーナの腹を探ろうとした。サビーナはふふん、と笑って、勿体つけて口を開いた。
「あなたちなんて、わたくしちっとも怖くないのよ。昼食会でくしゃみの出る薬を料理に混ぜたのはローズ、あなたでしょう。リゼットに眠り薬を嗅がせたのはリアーヌ、あなたよね。どちらも王女様から聞いたわ。
リゼットが皇太子妃の座を手にいれるまであと一息なの。そこで邪魔が入ったら嫌だわ。だから二人とも、余計なことはせず、大人しく見ていてほしいのよ。もし変なことをしたら、王女様が全てを話してしまうわよ。王女様のお言葉の影響力はよくごぞんじよね? あの方のお友達をひどい目に遭わせようとした、なんてことになれば、社交界で後ろ指を指されるだけでなく、国際問題にまで発展しかねないのよ」
脅されて二人は悔しさに唇をかみしめた。サビーナは同じ話を執拗に繰り返して、散々脅かした後、二人を解放した。
だが、脅しにやすやすと屈する二人ではない。むしろ皇太子に振られた現場を見て、鳴りを潜めていたリゼットへの敵愾心が刺激され、リゼットを引きずり降ろしてやろうという悪意が湧き出てきた。
「サビーナが言ったこと、どこまで信じられるかしら。ただ、状況からしてもリゼットの思惑はさっきの話通りだと思いますわ」
「だったら、その行方知れずの従者をわたくしたちで探さないこと? 先に見つけてしまえば、リゼットは殿下との約束が守れず皇太子妃にはなれませんわ。それに結局、この事件の中心にいるのはその従者なのだから、彼を見つければリゼットの企みの全てがわかるというものよ」
二人は顔を見合わせてにやりと微笑んだ。だが、この悪だくみもサビーナはお見通しだった。
「あの二人だから、ソフィをさがそうとするばずね。行方知れずと言っておいたから、きっと都以外を探すはずよ。そうやって見当違いの事に夢中になってくれれば、手間がかからなくて楽よ」
「敢て裏を読ませて厄介払いしたってことね」
皆サビーナの手腕に感心した。
そして肝心のブランシュとシモンの調査である。
「ソンルミエール家は13年前のさらに4年前に、国に治めるべき領地の租税の一部を横領していたことを告発されていたわ。告発者は中産階級の平民だったのだけれど、その人物はフルーレトワール家と繋がりがあって、告発の差異に後ろ盾になったみたい。横領はごく一部であったし、ソンルミエール公爵本人はあずかり知らぬことだったので、大きな罰はなしで裁判は終わったのだけれど、その後皇帝陛下が税制についてより厳しく取り締まるようになったのよ。
軽微とはいえ横領を犯したからと、一時は皇帝陛下がソンルミエール家と距離を置いていたらしいわ。それで、代わりに気に入られたのはフルーレトワール侯爵だったというわけ。それを逆恨みしたと考えるのが妥当ね」
「だが、恨みを晴らすためだったと決定づける証拠はない。やはり偽造文書を作った人間を探し出すしかない」
「でも、見当もつかないのにどうやって探すの?」
リゼットが尋ねると、シモンは少しだけ考えた後、覚悟を決めたように言った。
「わたしがソンルミエール家の領地へ行く。フルーレトワール一族を暗殺した奴も、偽装文書を作った奴も、リゼットの出自を嗅ぎまわっていた奴らと同じで、どうせ領地で金で囲って組織したならず者に違いない。都より足が付きにくいことだしな。もし偽造文書を作った奴がいなかったとしても、刺客たちに接触できれば糸口が見つかる」
「だけど、当てもないのに」
「当てがないなら探せばいい。この前だって、街道で待ち伏せて接触できたではないか。現地で探して回るさ。ソンルミエール家の人間の振りをして、おびき出してもいい」
「それでも、お兄様は顔が知られているし……」
「なんだ、お前はいやに突っかかるな」
「だって危ないと思って。お兄様は戦えないじゃない」
シモンは溜息をついた。
「そうだ。だがそうでもしなければ先に進まないだろう。自らの足と使い、時間も命さえもかけて、炎の中へ飛び込まなければならない局面だ」
あのシモンが自ら危険に身を投じるとは。しかもうまくいく保証はないのに。それだけこの事件の真相を暴くことに懸けているのだろう。