第五章 仮面舞踏会 第八話
文字数 2,994文字
メリザンドとユーグの仮面を優先していたら、自分とシモンの仮面を作る時間が少なくなってしまった。おまけにブランシュの仮面はリゼットが手直ししなければならなかったし、途中で作業に飽きたキトリィのをアンリエットと一緒に仕上げねばならず、連日徹夜の上、出発ギリギリまで作業をして、何とか間に合わせることができた。他人の物に手をかけるからだとシモンから小言が飛んできたが、引き受けたからには手を抜きたくなかった。
庭園で、ブランシュはネモフィラ、パメラはタンポポ、サビーナはヒナゲシ、そしてリゼットはカスミソウを受け取り、仮面に挿した。
「皇太子殿下はトルコ石がはめ込まれたサルタンの仮面をつけるって噂は本当かしら」
「さぁ。どちらにせよ、サルタンの仮面の殿方に群がるなんて、あさましい真似はしたくなくってよ」
サビーナとブランシュが急ぎ足で鏡の間へ向かいながらそんな会話をしている。もし噂が本当なら、その仮面の男性を見つけて、どうにか会話する機会を得なければならない。
会場につくと、奥の方から手を振る人がいた。キトリィだった。
リゼットたちは、玉虫の光沢のある生地をベースに、ドレープさせたオーガンジーを重ねたドレスを着ていた。肩から手首にかけて、レースのブレードが縦一本入っていたり、胸の前には花模様のレースがV字に張り付いていたり、スカートのボリュームに対して、上半身は体の線を強調したメリハリのあるデザインになっている。
観劇した時と同様、アクセサリーは各々が準備したし、細部は一人一人違っているのだが、統一感のあるデザインなので、同じドレスを着ているキトリィのことは遠くからでもすぐにわかった。何より仮面も同じなのだ。
「わたくしたち一緒に仮面を作ったから、お互いにお互いがわかるのですね。なんだか妙な感じですわ」
「そうねパメラ。でもだからこそ協力しあえるわ。皇太子殿下の情報をつかんだら、知らせ合いましょう」
「そんなにうまくいくかしら」
そこで、時計が午後八時ちょうどを告げた。黒いカラスの仮面をつけた男性が、杖で床を叩いて、舞踏会の始まりを宣言した。楽器を奏でる楽隊も、使用人たちも、誰もが仮面をつけている。誰が誰だかわからず、どこか怪しげな光景だった。
リゼットは男性に誘われてダンスを踊った。クルクルフロアを回る。それとなく周りに目を配ると、贅を凝らしたありとあらゆる仮面が行き交う。そしてその中に、青いトルコ石の仮面を見つけた。仮面の上の方がターバンの縁のような形になっていて眉間の上からクジャクの羽が伸びている。正に異国の王のような仮面だ。
噂が正しければあれがルシアンだ。リゼットは何とか視界の端に彼をとどめながら、一曲目を終えた。
「お嬢様、少しお話ししても?」
彼のもとへ行こうとすると、貴婦人に丁寧な口調でに引き留められた。そういえば、審査員たちが散らばって、立ち居振る舞いを評価しているはずだ。先ほどダンスに誘ってきた人もこの貴婦人も審査員なのではないか。そうなると邪険にはできなくて、彼女についていくしかない。彼女と話しているうちに、サルタンの仮面を見失ってしまった。
リゼットのように流されない令嬢たちは、サルタンの仮面の男の周りに集まった。
「わたくしと踊っていただけませんこと?」
ローズは積極的に手を伸ばしてダンスに誘う。他の令嬢たちもである。あくまで優雅で淑やかな振る舞いではあるが、どこか得物を逃さんとする獣のような、ギラギラした圧力を感じさせる。仮面をつけているからか、今日は特にそれがむき出しだった。
しかし、サルタンの仮面をつけているのはセブランだった。
(何とかリーアヌに会って、ルシアンは緑の仮面をつけていると伝えなくては。噂を流して他の令嬢を騙したというのに、これでは台無しになる)
いつもなら如才なく彼女たちをあしらうことができるセブランだったが、今日はハーブで作ったちょっとした物のせいで声が上手く出せず、彼女たちの囲みから出られないでいた。
一方、メリザンドとリアーヌは藤の花の仮面の男を見つけていた。会場の端の方で、所在無さげにシャンパンを飲んでいる。
「失礼いたします。お相手をお願いしてもよろしいかしら」
メリザンドが羽のように右手を伸ばしたと同時に、リアーヌも声をかけた。二人間に火花が散る。
「わたくしに譲っていただいてもよろしかしら。次の曲は特別好きなので、是非この方と踊りたいのです」
「あら、わたくしが先にお誘いしたのよ。無作法ではなくて」
板挟みになっている藤の花の仮面の男の正体はユーグだ。彼は好きで部屋の隅にいるわけではない。身長を誤魔化すための靴が歩きにくくて、下手に動けばぼろが出そうだったのだ。もちろんダンスなど無理だ。
しゃがれた声でなんとかダンスは踊りたくないと伝えたが、二人は諦めない。
「なんだか、お声が枯れていらっしゃいますわね。あちらにはちみつ漬けのレーズンがありましたから、食べに参りましょう。喉に効くはずですわ」
「なんだか微熱があるようですわ。お休みいただく方がよろしいかと。あちらに空いている椅子がありましたわ。参りましょう。あなた、そのはちみつ漬けのレーズンを取ってきてくださるかしら」
「まぁ。わたくしメイドではなくってよ」
「あなたが見かけたというのでお願いしただけですわ。わたくしはどこにあるかわかりませんし。このお方の喉を直すためにおっしゃったのでしょう、持ってこないというのは、この方が治らなくてもいいということなのかしら」
柔らかい綿に包まれた鋭い言葉のナイフの応酬。これまでも社交界の恐ろしいやり取りは目にしたことがあるが、こんなに熾烈なものは初めてで、ユーグはすっかり気後れしてしまった。
二人がにらみ合っているところへ、真正面からずかずかと近付いて、二人の間に割って入った令嬢がいた。
「ちょっとごめん、お邪魔して申し訳ございません。そこの……んん、そちらの殿方、わたくしと一曲踊りましょう」
言葉づかいを直しながら、懸命にしなを作っているのは、仮面にヒスイカズラを挿したキトリィである。アンリエットの言いつけ通り淑女らしい振る舞いを心掛けているがぎこちないので、メリザンドもリアーヌもすぐに王女だと気が付いた。
「この方、お風邪を召していらしてお辛いそうなのです」
「そうなの? それじゃあ薬を飲まないとね。こっちへ来て」
キトリィは藤の花の仮面の男の手を引いて行った。あまりの突拍子のなさと強引さ、そして王女という身分の壁で、メリザンドたちは黙って後を追うしかなかった。
(わたしの勘ではこっちが殿下だわ。このまま捕まえておいて、最後に種明かしした時に、わたしが当てたって皆に自慢するんだから)
少々ずれた理由だが、キトリィも皇太子を狙っているのに変わりなかった。
審査員と思しき数人と踊り、会話して、ようやく自由になったリゼットは再びサルタンの仮面の男を見つけたが、相変わらず令嬢たちに囲まれていて、近寄ることすら不可能に思われた。
「何をまごまごしているんだ。行け」
とシモンに無理やり輪の中に押し込まれたが、令嬢たちの熱気とぶつかりあう輪っかのドレスにもみくちゃになった。そこへ寝不足とコルセットのせいで、軽い立ち眩みが襲ってきた。リゼットは力なく、ぽいと輪からはじき出されてしまった。
庭園で、ブランシュはネモフィラ、パメラはタンポポ、サビーナはヒナゲシ、そしてリゼットはカスミソウを受け取り、仮面に挿した。
「皇太子殿下はトルコ石がはめ込まれたサルタンの仮面をつけるって噂は本当かしら」
「さぁ。どちらにせよ、サルタンの仮面の殿方に群がるなんて、あさましい真似はしたくなくってよ」
サビーナとブランシュが急ぎ足で鏡の間へ向かいながらそんな会話をしている。もし噂が本当なら、その仮面の男性を見つけて、どうにか会話する機会を得なければならない。
会場につくと、奥の方から手を振る人がいた。キトリィだった。
リゼットたちは、玉虫の光沢のある生地をベースに、ドレープさせたオーガンジーを重ねたドレスを着ていた。肩から手首にかけて、レースのブレードが縦一本入っていたり、胸の前には花模様のレースがV字に張り付いていたり、スカートのボリュームに対して、上半身は体の線を強調したメリハリのあるデザインになっている。
観劇した時と同様、アクセサリーは各々が準備したし、細部は一人一人違っているのだが、統一感のあるデザインなので、同じドレスを着ているキトリィのことは遠くからでもすぐにわかった。何より仮面も同じなのだ。
「わたくしたち一緒に仮面を作ったから、お互いにお互いがわかるのですね。なんだか妙な感じですわ」
「そうねパメラ。でもだからこそ協力しあえるわ。皇太子殿下の情報をつかんだら、知らせ合いましょう」
「そんなにうまくいくかしら」
そこで、時計が午後八時ちょうどを告げた。黒いカラスの仮面をつけた男性が、杖で床を叩いて、舞踏会の始まりを宣言した。楽器を奏でる楽隊も、使用人たちも、誰もが仮面をつけている。誰が誰だかわからず、どこか怪しげな光景だった。
リゼットは男性に誘われてダンスを踊った。クルクルフロアを回る。それとなく周りに目を配ると、贅を凝らしたありとあらゆる仮面が行き交う。そしてその中に、青いトルコ石の仮面を見つけた。仮面の上の方がターバンの縁のような形になっていて眉間の上からクジャクの羽が伸びている。正に異国の王のような仮面だ。
噂が正しければあれがルシアンだ。リゼットは何とか視界の端に彼をとどめながら、一曲目を終えた。
「お嬢様、少しお話ししても?」
彼のもとへ行こうとすると、貴婦人に丁寧な口調でに引き留められた。そういえば、審査員たちが散らばって、立ち居振る舞いを評価しているはずだ。先ほどダンスに誘ってきた人もこの貴婦人も審査員なのではないか。そうなると邪険にはできなくて、彼女についていくしかない。彼女と話しているうちに、サルタンの仮面を見失ってしまった。
リゼットのように流されない令嬢たちは、サルタンの仮面の男の周りに集まった。
「わたくしと踊っていただけませんこと?」
ローズは積極的に手を伸ばしてダンスに誘う。他の令嬢たちもである。あくまで優雅で淑やかな振る舞いではあるが、どこか得物を逃さんとする獣のような、ギラギラした圧力を感じさせる。仮面をつけているからか、今日は特にそれがむき出しだった。
しかし、サルタンの仮面をつけているのはセブランだった。
(何とかリーアヌに会って、ルシアンは緑の仮面をつけていると伝えなくては。噂を流して他の令嬢を騙したというのに、これでは台無しになる)
いつもなら如才なく彼女たちをあしらうことができるセブランだったが、今日はハーブで作ったちょっとした物のせいで声が上手く出せず、彼女たちの囲みから出られないでいた。
一方、メリザンドとリアーヌは藤の花の仮面の男を見つけていた。会場の端の方で、所在無さげにシャンパンを飲んでいる。
「失礼いたします。お相手をお願いしてもよろしいかしら」
メリザンドが羽のように右手を伸ばしたと同時に、リアーヌも声をかけた。二人間に火花が散る。
「わたくしに譲っていただいてもよろしかしら。次の曲は特別好きなので、是非この方と踊りたいのです」
「あら、わたくしが先にお誘いしたのよ。無作法ではなくて」
板挟みになっている藤の花の仮面の男の正体はユーグだ。彼は好きで部屋の隅にいるわけではない。身長を誤魔化すための靴が歩きにくくて、下手に動けばぼろが出そうだったのだ。もちろんダンスなど無理だ。
しゃがれた声でなんとかダンスは踊りたくないと伝えたが、二人は諦めない。
「なんだか、お声が枯れていらっしゃいますわね。あちらにはちみつ漬けのレーズンがありましたから、食べに参りましょう。喉に効くはずですわ」
「なんだか微熱があるようですわ。お休みいただく方がよろしいかと。あちらに空いている椅子がありましたわ。参りましょう。あなた、そのはちみつ漬けのレーズンを取ってきてくださるかしら」
「まぁ。わたくしメイドではなくってよ」
「あなたが見かけたというのでお願いしただけですわ。わたくしはどこにあるかわかりませんし。このお方の喉を直すためにおっしゃったのでしょう、持ってこないというのは、この方が治らなくてもいいということなのかしら」
柔らかい綿に包まれた鋭い言葉のナイフの応酬。これまでも社交界の恐ろしいやり取りは目にしたことがあるが、こんなに熾烈なものは初めてで、ユーグはすっかり気後れしてしまった。
二人がにらみ合っているところへ、真正面からずかずかと近付いて、二人の間に割って入った令嬢がいた。
「ちょっとごめん、お邪魔して申し訳ございません。そこの……んん、そちらの殿方、わたくしと一曲踊りましょう」
言葉づかいを直しながら、懸命にしなを作っているのは、仮面にヒスイカズラを挿したキトリィである。アンリエットの言いつけ通り淑女らしい振る舞いを心掛けているがぎこちないので、メリザンドもリアーヌもすぐに王女だと気が付いた。
「この方、お風邪を召していらしてお辛いそうなのです」
「そうなの? それじゃあ薬を飲まないとね。こっちへ来て」
キトリィは藤の花の仮面の男の手を引いて行った。あまりの突拍子のなさと強引さ、そして王女という身分の壁で、メリザンドたちは黙って後を追うしかなかった。
(わたしの勘ではこっちが殿下だわ。このまま捕まえておいて、最後に種明かしした時に、わたしが当てたって皆に自慢するんだから)
少々ずれた理由だが、キトリィも皇太子を狙っているのに変わりなかった。
審査員と思しき数人と踊り、会話して、ようやく自由になったリゼットは再びサルタンの仮面の男を見つけたが、相変わらず令嬢たちに囲まれていて、近寄ることすら不可能に思われた。
「何をまごまごしているんだ。行け」
とシモンに無理やり輪の中に押し込まれたが、令嬢たちの熱気とぶつかりあう輪っかのドレスにもみくちゃになった。そこへ寝不足とコルセットのせいで、軽い立ち眩みが襲ってきた。リゼットは力なく、ぽいと輪からはじき出されてしまった。