第六章 裁判 第二話
文字数 2,974文字
翌日目覚めても、リゼットはまた昨夜のことを思いだしては恥ずかしがっていた。
(いい加減もう忘れよう。皇太子殿下が不躾だと思ったなら、次回の招待状はこないのだし、もし招待状がきたなら、気にしていないって事なんだから)
招待状が来なかったとしたら困るはずだが、それを忘れるくらい、ルシアンにどう思われたかが気にかかった。
「リゼット様、お元気がないようだわ。昨日はあんなに上手くいったというのに」
王女に招かれてお茶をしている最中も、溜息ばかりのリゼットを見てパメラは心配していた。しかしブランシュはしたり顔で優雅にティーカップを持ち、こう断定した。
「パメラ、あれこそ恋ですわ!」
「あっそう」
サビーナは呆れているが、ブランシュはリゼットの様子は恋煩いなのだと力説した。
「昨日のことを何度も思い返して溜息をついているということは、つまり殿下を思い出して悩んでいるということ。殿下に気に入っていただけたか、殿下に変に思われなかったか、殿下はどんな表情をしていらしたか、どんなお言葉をかけてくださったか、そんなふうに頭の中が殿下でいっぱいなのは、つまり殿下に恋をしているということなのよ」
やや暴論だが、リゼットの頭の中がルシアンでいっぱいになっているのは事実だった。
「仮面を取った後、殿下に不機嫌なご様子は見られなかったですし、もしかして、殿下はリゼット様の事を気に入ったのではないかしら」
「だとしたら、この上なく喜ばしいことよ」
ブランシュは大喜びしたが、すぐに笑顔をひっこめた。考えてみれば、サビーナもパメラも、自分などより真剣に妃選びに参加しているのだった。
「何をいまさら遠慮しているの。わたくしはだめで元々と思っていたのよ。リゼットが殿下とお近づきになったからと、悔しがったり焦ったりはしないわ」
サビーナは何でもないというふうにクッキーを一口齧っていた。ただ、彼女の父親は妃選びにかなり熱心だった。昨日の仮面舞踏会で友人が幸運をつかんだとなれば、何か言われているのかもしれなかった。
パメラはパメラで、母親からなぜ皇太子を見つけられなかったのかと詰られたし、リゼットが皇太子と近しくなったなら、それを利用して皇太子にすり寄れと、耳にたこができるほど言い聞かされた。
「わたくしも、ここまでお世話になったリゼット様に嫉妬したりはいたしませんわ。それに、もしリゼット様が皇太子妃となるなら、これほどふさわしい方はいないと思いますわ」
パメラからしてみれば、リゼットは令嬢らしい所作を身に着け、教養も申し分ないのだが、ドレスを直したり仮面を作ったり、何より好敵手であるはずの周りの令嬢の危機を助けたりして、普通の社交界の令嬢とは少し違っていた。ただその違いは悪いものではなく、稀有で尊いものに感じられ、新しい社交界の花と呼んで差支えないのではと思っていた。
「同感ですわ。リゼットは、なんというか、新しい淑女ですわよね」
ブランシュもその点は同感のようだった。当のリゼットは、皇太子を当てられなかったと残念がるキトリィの話を聞きながら、卵サンドを齧っていた。
「それにしても、サルタンの仮面の噂はいったい何だったのかしら」
「きっと、皆さんが仮面舞踏会へ期待をする中で、どこからともなく生まれたのではないかしら」
二人はあくまで自然発生したものだと考えているようだったが、サビーナは違った。
「王女様のお話だと、メリザンド様とリーアヌ様が、藤の花の仮面の男の側にずっとついていたというじゃない。あのお二人だってサルタンの仮面の噂を聞いていたでしょうに、そちらには目もくれずというのは、ちょっとおかしい気がするわ。噂に惑わされずに皇太子殿下を探していたというならまだしも、ずっと一人にくっついていたとなると」
「じゃあ、あのお二人のどちらかが噂を流したというの?」
「メリザンド様は殿下の幼馴染でしょう。どんな仮面をお持ちなのかご存じだったと思うわ。それにリアーヌ様はセブラン様から当日の殿下の仮面を聞いたとも考えられるし」
「そんなずるいやり方をなさるでしょうか? お二人ともそんなこと必要はなさそうですのに」
「とはいっても、結局皇太子妃に選ばれるのは一人ですから、有力な好敵手を早めに排除してしまいたいと考えるのかもしれませんわ。こうして競い合いになってしまったので、社交界でそれとなく足を引っ張り合うより、思い切ったことをするご令嬢が多いのかもしれませんね」
物騒な話を聞かされても、アンリエットはゆったりと落ち着いていた。
「全ては憶測の域を出ませんから、声高にお二方を糾弾することはできませんわ。皆様はそういう卑怯なやり方に負けないようになさって。この先、残ろうと脱落しようと、誰にも恥じるところが無いよう、正々堂々となさってくださいね」
その言葉が終わって、アンリエットがメイドに新しい茶を申付けた。畏まったメイドが扉を開ける前に、やや乱暴に扉が開かれた。
見ると、近衛兵の一団がずらりと並んでおり、そのうち数人が部屋に入ってくる。のんびりとしたお茶の時間が一変物々しくなった。
「リゼット・ド・レーブジャルダン子爵令嬢がこちらにおいでと聞き及びました。法廷から出廷要請が出ました。ご同行願います」
いきなり名前を呼ばれてリゼットは訳が分からず返事もできなかった。兵士たちは無遠慮に踏み込んでくる。
「お待ちなさい。こちらはリヴェールの第五王女様が逗留する建物です。無暗に騒がしくするものではありませんよ。
法廷と言いましたか。一体誰が、何の罪でリゼット様を呼び出しているのというのです。まずその点を詳らかになさい」
アンリエットがリゼットを守るようにその前に立ちふさがった。兵士は一礼し、ひとまず無礼を詫びてから、詳しい事情を語った。
「ソンルミエール公爵が、ご息女メリザンド嬢の顔を傷つけた罪で、リゼット嬢の出廷を求めています。メリザンド嬢は昨日、リゼット嬢懇意の工房で作った仮面をつけて舞踏会に参加しましたが、その後顔に発疹ができたそうです。公爵はリゼット嬢が仮面に何か毒物を塗りつけたのではないかと疑い、法院に訴え出たのです」
「メリザンド様の顔が? 仮面のせいで?」
もちろん、リゼットには全く身に覚えのないことだった。
「そんなこと、リゼットに限ってありえませんわ。何かの間違いです」
「それは法廷で証言なさってください。我々は法院からの指令を受けてここへ来たまで。リゼット嬢がご同行くだされば、手荒な真似はいたしません」
近衛兵たちは当然腰にサーベルを下げている。いくら何でも抜くことはないだろうが、武器を持った相手に悠長に構えていられるほど、リゼットは図太くない。
隣のキトリィは、リゼットの腕にしがみついて兵士たちを睨んでいた。怖がってもいるようだが、一方でリゼットを守ろうとしてくれているのだろう。
「王女様、お手をお放しください。きっと何かの間違いですけれど、行って話をしないことには、誤解も解けませんわ。大丈夫、何とかなりますわ」
キトリィを安心させようと笑顔を見せて、リゼットは立ち上がった。上手く笑えていたかどうかはわからない。
先導する近衛兵の後ろについて、リゼットは迎賓館を出た。部屋に残された者たちは、おろおろしてそれを見送るしかなかった。
(いい加減もう忘れよう。皇太子殿下が不躾だと思ったなら、次回の招待状はこないのだし、もし招待状がきたなら、気にしていないって事なんだから)
招待状が来なかったとしたら困るはずだが、それを忘れるくらい、ルシアンにどう思われたかが気にかかった。
「リゼット様、お元気がないようだわ。昨日はあんなに上手くいったというのに」
王女に招かれてお茶をしている最中も、溜息ばかりのリゼットを見てパメラは心配していた。しかしブランシュはしたり顔で優雅にティーカップを持ち、こう断定した。
「パメラ、あれこそ恋ですわ!」
「あっそう」
サビーナは呆れているが、ブランシュはリゼットの様子は恋煩いなのだと力説した。
「昨日のことを何度も思い返して溜息をついているということは、つまり殿下を思い出して悩んでいるということ。殿下に気に入っていただけたか、殿下に変に思われなかったか、殿下はどんな表情をしていらしたか、どんなお言葉をかけてくださったか、そんなふうに頭の中が殿下でいっぱいなのは、つまり殿下に恋をしているということなのよ」
やや暴論だが、リゼットの頭の中がルシアンでいっぱいになっているのは事実だった。
「仮面を取った後、殿下に不機嫌なご様子は見られなかったですし、もしかして、殿下はリゼット様の事を気に入ったのではないかしら」
「だとしたら、この上なく喜ばしいことよ」
ブランシュは大喜びしたが、すぐに笑顔をひっこめた。考えてみれば、サビーナもパメラも、自分などより真剣に妃選びに参加しているのだった。
「何をいまさら遠慮しているの。わたくしはだめで元々と思っていたのよ。リゼットが殿下とお近づきになったからと、悔しがったり焦ったりはしないわ」
サビーナは何でもないというふうにクッキーを一口齧っていた。ただ、彼女の父親は妃選びにかなり熱心だった。昨日の仮面舞踏会で友人が幸運をつかんだとなれば、何か言われているのかもしれなかった。
パメラはパメラで、母親からなぜ皇太子を見つけられなかったのかと詰られたし、リゼットが皇太子と近しくなったなら、それを利用して皇太子にすり寄れと、耳にたこができるほど言い聞かされた。
「わたくしも、ここまでお世話になったリゼット様に嫉妬したりはいたしませんわ。それに、もしリゼット様が皇太子妃となるなら、これほどふさわしい方はいないと思いますわ」
パメラからしてみれば、リゼットは令嬢らしい所作を身に着け、教養も申し分ないのだが、ドレスを直したり仮面を作ったり、何より好敵手であるはずの周りの令嬢の危機を助けたりして、普通の社交界の令嬢とは少し違っていた。ただその違いは悪いものではなく、稀有で尊いものに感じられ、新しい社交界の花と呼んで差支えないのではと思っていた。
「同感ですわ。リゼットは、なんというか、新しい淑女ですわよね」
ブランシュもその点は同感のようだった。当のリゼットは、皇太子を当てられなかったと残念がるキトリィの話を聞きながら、卵サンドを齧っていた。
「それにしても、サルタンの仮面の噂はいったい何だったのかしら」
「きっと、皆さんが仮面舞踏会へ期待をする中で、どこからともなく生まれたのではないかしら」
二人はあくまで自然発生したものだと考えているようだったが、サビーナは違った。
「王女様のお話だと、メリザンド様とリーアヌ様が、藤の花の仮面の男の側にずっとついていたというじゃない。あのお二人だってサルタンの仮面の噂を聞いていたでしょうに、そちらには目もくれずというのは、ちょっとおかしい気がするわ。噂に惑わされずに皇太子殿下を探していたというならまだしも、ずっと一人にくっついていたとなると」
「じゃあ、あのお二人のどちらかが噂を流したというの?」
「メリザンド様は殿下の幼馴染でしょう。どんな仮面をお持ちなのかご存じだったと思うわ。それにリアーヌ様はセブラン様から当日の殿下の仮面を聞いたとも考えられるし」
「そんなずるいやり方をなさるでしょうか? お二人ともそんなこと必要はなさそうですのに」
「とはいっても、結局皇太子妃に選ばれるのは一人ですから、有力な好敵手を早めに排除してしまいたいと考えるのかもしれませんわ。こうして競い合いになってしまったので、社交界でそれとなく足を引っ張り合うより、思い切ったことをするご令嬢が多いのかもしれませんね」
物騒な話を聞かされても、アンリエットはゆったりと落ち着いていた。
「全ては憶測の域を出ませんから、声高にお二方を糾弾することはできませんわ。皆様はそういう卑怯なやり方に負けないようになさって。この先、残ろうと脱落しようと、誰にも恥じるところが無いよう、正々堂々となさってくださいね」
その言葉が終わって、アンリエットがメイドに新しい茶を申付けた。畏まったメイドが扉を開ける前に、やや乱暴に扉が開かれた。
見ると、近衛兵の一団がずらりと並んでおり、そのうち数人が部屋に入ってくる。のんびりとしたお茶の時間が一変物々しくなった。
「リゼット・ド・レーブジャルダン子爵令嬢がこちらにおいでと聞き及びました。法廷から出廷要請が出ました。ご同行願います」
いきなり名前を呼ばれてリゼットは訳が分からず返事もできなかった。兵士たちは無遠慮に踏み込んでくる。
「お待ちなさい。こちらはリヴェールの第五王女様が逗留する建物です。無暗に騒がしくするものではありませんよ。
法廷と言いましたか。一体誰が、何の罪でリゼット様を呼び出しているのというのです。まずその点を詳らかになさい」
アンリエットがリゼットを守るようにその前に立ちふさがった。兵士は一礼し、ひとまず無礼を詫びてから、詳しい事情を語った。
「ソンルミエール公爵が、ご息女メリザンド嬢の顔を傷つけた罪で、リゼット嬢の出廷を求めています。メリザンド嬢は昨日、リゼット嬢懇意の工房で作った仮面をつけて舞踏会に参加しましたが、その後顔に発疹ができたそうです。公爵はリゼット嬢が仮面に何か毒物を塗りつけたのではないかと疑い、法院に訴え出たのです」
「メリザンド様の顔が? 仮面のせいで?」
もちろん、リゼットには全く身に覚えのないことだった。
「そんなこと、リゼットに限ってありえませんわ。何かの間違いです」
「それは法廷で証言なさってください。我々は法院からの指令を受けてここへ来たまで。リゼット嬢がご同行くだされば、手荒な真似はいたしません」
近衛兵たちは当然腰にサーベルを下げている。いくら何でも抜くことはないだろうが、武器を持った相手に悠長に構えていられるほど、リゼットは図太くない。
隣のキトリィは、リゼットの腕にしがみついて兵士たちを睨んでいた。怖がってもいるようだが、一方でリゼットを守ろうとしてくれているのだろう。
「王女様、お手をお放しください。きっと何かの間違いですけれど、行って話をしないことには、誤解も解けませんわ。大丈夫、何とかなりますわ」
キトリィを安心させようと笑顔を見せて、リゼットは立ち上がった。上手く笑えていたかどうかはわからない。
先導する近衛兵の後ろについて、リゼットは迎賓館を出た。部屋に残された者たちは、おろおろしてそれを見送るしかなかった。