第六章 裁判 第七話
文字数 3,005文字
数日間の猶予はあっという間に過ぎた。社交界で噂の的となっていた裁判の判決が本日下るとあって、傍聴席に入りきらないくらい多くの人が法院に殺到した。
ブランシュたちの調べた結果、残念ながらカミーユの店の周辺地図にも、メリザンドの屋敷の周辺地図にも、ラナンキュラスがあったことを示す印が沢山ついた。
ただ、カミーユの店の周辺は、他と比べてやや少なく、逆にメリザンドの屋敷の周辺は多かった。
「我々が集めたこの分布図からわかるように、やろうと思えば誰でもラナンキュラスを手に入れられたのです。つまりリゼットだけを疑うことはできません」
シモンは何とか無罪を勝ち取ろうと力説したが、完全な詭弁であって、誰も真面目に受け取らなかった。
「そもそも、リゼットは前日まで徹夜していました。なぜそうなったかというと、仮面を作るのに忙しかったからです。カミーユの店の仮面は、全てリゼットの手作りなのです。キトリィ王女様を始め、皇太子殿下まで合計八人の仮面を舞踏会までに作成しなければならなかったのです。それはここにいるブランシュ嬢が証言してくださいます。自分の仮面を当日出発前に仕上げたるありさまだったのに、ラナンキュラスの花を摘んでくる暇はありませんでした」
とうとうリゼットが仮面を作っていたことまで持ち出した。
「リゼット嬢が作ったというなら、尚更細工をした疑いが強まるのでは」
仮面の枚数を盛った甲斐なく、陪審員に一蹴されてしまった。メリザンドは父親の隣で余裕の笑みを浮かべている。
(お兄様、頑張ってよ!)
リゼットは被告人席でシモンに念を送っていたが、シモンの用意した弁護は次々論破されてしまう。
「徹夜していたことはブランシュ嬢が知っているとおっしゃるが、ブランシュ嬢はリゼット嬢と懇意にしているではありませんか。そんな証言信用できますかな」
「まぁ、わたくしは法務大臣の娘ですわよ。嘘偽りは申しません」
「そうおっしゃられても……」
陪審員たちは取り合わない。
「じゃあ、私の言うことならどうなの」
と傍聴席からキトリィが立ち上がって叫んだ。そのまま裁判官の前に飛び出す。
「リゼットさんが徹夜で作業して、花を摘みに行く暇がなかったことは、わたし、リヴェール第五王女キトリィが証明するわ。どう? これでも疑うなら、それはリヴェール王家を疑うのと同じことよ」
これもキトリィの贔屓目と言われたら終りだが、王家の威光は多少効果があったようで、陪審員たちの言葉はごにょごにょ尻すぼみになった。
「それから、こちらはもう一人証人を呼んでいるのよ」
キトリィが手招きすると、傍聴席から見覚えのあるフードを被った人影が立ち上がり、裁判官の前へやってきた。
(あれは、もしかして……)
リゼットの予想通り、フードを取ったその姿は紛れもなく皇太子ルシアンであった。傍聴席はどよめき、陪審員たちも驚いて居住まいを正した。メリザンドも目を見開いている。
「実は今回の事件について思うところがあって、正式に証人として出廷を申し込んでいた。ただ皇太子が出廷となると、既に衆目を集めているこの裁判が、悪い意味で注目を強めてしまうと思い、今日まで秘していた次第だ」
ルシアンは用意していたラナンキュラスの葉を取り出すと、千切って腕まくりをした腕の内側に擂りつけた。少ししてから腕は赤くなり、ぷつぷつと発疹ができた。
「このようにラナンキュラスの葉はかぶれを引き起こし、発疹を生じさせる。しかもこのようにすぐに効果が出る。
と、なると、おかしいところがある。公爵はメリザンドの顔がかぶれたのは舞踏会の翌日だと言っていたな。ラナンキュラスの葉のせいなら、仮面をつけてすぐ、舞踏会の最中に異変が生じるはずだ。舞踏会から帰った晩は何事もなかったというのは、辻褄が合わない。
また、ラナンキュラスの汁は乾いてしまっては効果がない。だからメリザンドが今仮面をつけたとして、もう同じ症状は出ないはず。リゼット嬢が仮面を渡したのは舞踏会の一日前だとか。だとしたら、毒を縫ったとしてすでに乾いてしまっているはずだ」
メリザンドとソンルミエール公爵はサッと顔色を青くした。ルシアンの弁護は説得力があり、陪審員と傍聴席の聴衆を納得させた。
「証言によれば、リゼット嬢がラナンキュラスの葉を使ったとしても、かぶれを引き起こすことはない。つまり裁判当日の原告の顔のかぶれは、被告人の仕業ではないということになる。
では、一体誰が原告の顔をかぶれさせ、被告を誣告したのか」
裁判官がメリザンドたちに向かって言った。こうなると、メリザンドが自らやったとしか考えられない。聴衆も陪審員も一転してメリザンドへ好奇と追及の視線を向けた。
メリザンドが答えかねていると、ソンルミエール公爵が娘を後ろに庇って前に出た。
「裁判官殿、全てはわたしの企みです。仮面舞踏会でリゼット嬢が殿下とお近づきになったため、このままでは娘が皇太子妃に選ばれないと焦り、リゼット嬢を陥れようとしたのです。娘には嘘をつくように言い含めました。娘は父親に逆らうことができず、嘘の証言をしたのです」
あくまでメリザンドが行ったことではないと主張した。仮面を提出した時の彼女の態度を知っているシモンたちからしたら、とんでもない詭弁だったが、それも演技していただけと言い張られてしまえば、それ以上追及できない。
「公爵は仮面舞踏会のあとでリゼット嬢を陥れようと考えたのだな。ではメリザンドがリゼット嬢が懇意にしている店で仮面を作ったことについては、どう説明する。わたしには最初からメリザンドがリゼット嬢を陥れようとしていたとしか考えられないが」
ルシアンは鋭くメリザンドを追求した。
「殿下、わたくしがそんなひどい女だとお思いなのですか。わたくしはただ、近頃流行している店で仮面を作れたらと思っただけです。殿下とて、あの店で仮面を作っていたではありませんか」
目に涙をためて、わなわなと震えて反論する。その姿さえも美しく、人々は同情の念を禁じえなかった。
「仮面を作ったのは偶然だとしても、父親の陰謀に加担したのは事実だ。そのような卑怯なやり方で他の候補を蹴落とすような人間を、わたしは妃として迎えたくない。次の招待状を君に出すことはないだろう」
聴衆はどよめいた。皇太子妃に一番近いと目され、社交界での評判も高いメリザンドが脱落するとは。しかも皇太子妃選びの催しとは別の所で。
「殿下、それはあんまりでございます。幼いころからお側で育ったわたくしを、冷酷に切り捨てるというのですか」
メリザンドの悲痛な叫びに同調する聴衆も少なからずいた。
(そりゃそうよね。本当ならメリザンド様がお妃になっていたはずって、誰もが思っていたんだもの。本人も国一番の淑女と認められるよう努力してきたんでしょうに、どこの馬の骨ともわからないわたしなんかと殿下が仲良くしていたら、腹も立つし、やるせなくなるわよね)
被害者であるはずなのに、リゼットはメリザンドの心情に共感し、強く批判する気が起きなかった。キラキラの衣装を着て前で踊る下級生たちを見つめる前世の自分も、彼女と同じ感情を胸の奥に押し込めていた。まして、メリザンドはいわばキラキラ衣装で踊っている側の人だ。それを差し置いてその他大勢が一足飛びに抜擢されたとしたら、悔しさ虚しさも、夢園 さゆりのそれ以上だろう。
ブランシュたちの調べた結果、残念ながらカミーユの店の周辺地図にも、メリザンドの屋敷の周辺地図にも、ラナンキュラスがあったことを示す印が沢山ついた。
ただ、カミーユの店の周辺は、他と比べてやや少なく、逆にメリザンドの屋敷の周辺は多かった。
「我々が集めたこの分布図からわかるように、やろうと思えば誰でもラナンキュラスを手に入れられたのです。つまりリゼットだけを疑うことはできません」
シモンは何とか無罪を勝ち取ろうと力説したが、完全な詭弁であって、誰も真面目に受け取らなかった。
「そもそも、リゼットは前日まで徹夜していました。なぜそうなったかというと、仮面を作るのに忙しかったからです。カミーユの店の仮面は、全てリゼットの手作りなのです。キトリィ王女様を始め、皇太子殿下まで合計八人の仮面を舞踏会までに作成しなければならなかったのです。それはここにいるブランシュ嬢が証言してくださいます。自分の仮面を当日出発前に仕上げたるありさまだったのに、ラナンキュラスの花を摘んでくる暇はありませんでした」
とうとうリゼットが仮面を作っていたことまで持ち出した。
「リゼット嬢が作ったというなら、尚更細工をした疑いが強まるのでは」
仮面の枚数を盛った甲斐なく、陪審員に一蹴されてしまった。メリザンドは父親の隣で余裕の笑みを浮かべている。
(お兄様、頑張ってよ!)
リゼットは被告人席でシモンに念を送っていたが、シモンの用意した弁護は次々論破されてしまう。
「徹夜していたことはブランシュ嬢が知っているとおっしゃるが、ブランシュ嬢はリゼット嬢と懇意にしているではありませんか。そんな証言信用できますかな」
「まぁ、わたくしは法務大臣の娘ですわよ。嘘偽りは申しません」
「そうおっしゃられても……」
陪審員たちは取り合わない。
「じゃあ、私の言うことならどうなの」
と傍聴席からキトリィが立ち上がって叫んだ。そのまま裁判官の前に飛び出す。
「リゼットさんが徹夜で作業して、花を摘みに行く暇がなかったことは、わたし、リヴェール第五王女キトリィが証明するわ。どう? これでも疑うなら、それはリヴェール王家を疑うのと同じことよ」
これもキトリィの贔屓目と言われたら終りだが、王家の威光は多少効果があったようで、陪審員たちの言葉はごにょごにょ尻すぼみになった。
「それから、こちらはもう一人証人を呼んでいるのよ」
キトリィが手招きすると、傍聴席から見覚えのあるフードを被った人影が立ち上がり、裁判官の前へやってきた。
(あれは、もしかして……)
リゼットの予想通り、フードを取ったその姿は紛れもなく皇太子ルシアンであった。傍聴席はどよめき、陪審員たちも驚いて居住まいを正した。メリザンドも目を見開いている。
「実は今回の事件について思うところがあって、正式に証人として出廷を申し込んでいた。ただ皇太子が出廷となると、既に衆目を集めているこの裁判が、悪い意味で注目を強めてしまうと思い、今日まで秘していた次第だ」
ルシアンは用意していたラナンキュラスの葉を取り出すと、千切って腕まくりをした腕の内側に擂りつけた。少ししてから腕は赤くなり、ぷつぷつと発疹ができた。
「このようにラナンキュラスの葉はかぶれを引き起こし、発疹を生じさせる。しかもこのようにすぐに効果が出る。
と、なると、おかしいところがある。公爵はメリザンドの顔がかぶれたのは舞踏会の翌日だと言っていたな。ラナンキュラスの葉のせいなら、仮面をつけてすぐ、舞踏会の最中に異変が生じるはずだ。舞踏会から帰った晩は何事もなかったというのは、辻褄が合わない。
また、ラナンキュラスの汁は乾いてしまっては効果がない。だからメリザンドが今仮面をつけたとして、もう同じ症状は出ないはず。リゼット嬢が仮面を渡したのは舞踏会の一日前だとか。だとしたら、毒を縫ったとしてすでに乾いてしまっているはずだ」
メリザンドとソンルミエール公爵はサッと顔色を青くした。ルシアンの弁護は説得力があり、陪審員と傍聴席の聴衆を納得させた。
「証言によれば、リゼット嬢がラナンキュラスの葉を使ったとしても、かぶれを引き起こすことはない。つまり裁判当日の原告の顔のかぶれは、被告人の仕業ではないということになる。
では、一体誰が原告の顔をかぶれさせ、被告を誣告したのか」
裁判官がメリザンドたちに向かって言った。こうなると、メリザンドが自らやったとしか考えられない。聴衆も陪審員も一転してメリザンドへ好奇と追及の視線を向けた。
メリザンドが答えかねていると、ソンルミエール公爵が娘を後ろに庇って前に出た。
「裁判官殿、全てはわたしの企みです。仮面舞踏会でリゼット嬢が殿下とお近づきになったため、このままでは娘が皇太子妃に選ばれないと焦り、リゼット嬢を陥れようとしたのです。娘には嘘をつくように言い含めました。娘は父親に逆らうことができず、嘘の証言をしたのです」
あくまでメリザンドが行ったことではないと主張した。仮面を提出した時の彼女の態度を知っているシモンたちからしたら、とんでもない詭弁だったが、それも演技していただけと言い張られてしまえば、それ以上追及できない。
「公爵は仮面舞踏会のあとでリゼット嬢を陥れようと考えたのだな。ではメリザンドがリゼット嬢が懇意にしている店で仮面を作ったことについては、どう説明する。わたしには最初からメリザンドがリゼット嬢を陥れようとしていたとしか考えられないが」
ルシアンは鋭くメリザンドを追求した。
「殿下、わたくしがそんなひどい女だとお思いなのですか。わたくしはただ、近頃流行している店で仮面を作れたらと思っただけです。殿下とて、あの店で仮面を作っていたではありませんか」
目に涙をためて、わなわなと震えて反論する。その姿さえも美しく、人々は同情の念を禁じえなかった。
「仮面を作ったのは偶然だとしても、父親の陰謀に加担したのは事実だ。そのような卑怯なやり方で他の候補を蹴落とすような人間を、わたしは妃として迎えたくない。次の招待状を君に出すことはないだろう」
聴衆はどよめいた。皇太子妃に一番近いと目され、社交界での評判も高いメリザンドが脱落するとは。しかも皇太子妃選びの催しとは別の所で。
「殿下、それはあんまりでございます。幼いころからお側で育ったわたくしを、冷酷に切り捨てるというのですか」
メリザンドの悲痛な叫びに同調する聴衆も少なからずいた。
(そりゃそうよね。本当ならメリザンド様がお妃になっていたはずって、誰もが思っていたんだもの。本人も国一番の淑女と認められるよう努力してきたんでしょうに、どこの馬の骨ともわからないわたしなんかと殿下が仲良くしていたら、腹も立つし、やるせなくなるわよね)
被害者であるはずなのに、リゼットはメリザンドの心情に共感し、強く批判する気が起きなかった。キラキラの衣装を着て前で踊る下級生たちを見つめる前世の自分も、彼女と同じ感情を胸の奥に押し込めていた。まして、メリザンドはいわばキラキラ衣装で踊っている側の人だ。それを差し置いてその他大勢が一足飛びに抜擢されたとしたら、悔しさ虚しさも、