第二章 レーブジャルダン家 第八話
文字数 2,977文字
「お兄様は、あまり慈善活動が好きじゃないのかしら」
「そうだな。孤児院どころか、町で物乞いにあっても、一銭も恵んだことがない。わたしたちが領民のために税金を引き下げることにも反対する。まぁ、シモンにはシモンの考えがあるのだろうが、もう少し思いやりの心を持ってほしいものだ。リゼットのことでは、あいつにも少しはそういう気持ちが芽生えたのかと見直したのだが……」
「わたくしのことで?」
「だから、あなたがシモンの言いなりになってしまったら、優しい心失ってしまいそうで、それが不安でならないの」
子爵夫人はリゼットの膝の上の手に、レースの手袋をした手を重ねた。
「大丈夫ですわ、お父様、お母様。わたくしもお二人のように、貧しい人々のためになることをしたいと思っています」
両親と同じようにノブレスオブリージュをして、あんなふうにダンスをして、そうやって気楽に、適度に貴族の義務を果たして生きていくのが、理想的に感じられた。
一方、慈善活動嫌いだと謗られているシモンは、書斎で不機嫌に足を組んで、ずっと考えこんでいた。彼を不機嫌にさせているのは妹リゼットである。
(記憶を失ったのは幸いと、一から社交界一の淑女に仕立てるつもりだったのに、父上と母上が余計なことを言ったから、教養を身に着けるのも行儀見習いもしたくないなんて、怠けたわがままを言い出して。これでは計画が台無しだ)
ノエルがティーセットをもってやってきた。茶を淹れながらシモンの懸案事項について話す。
「お嬢様のこと、このままではいけません。もう時間があまりないのですから。
もういっそ、旦那様に計画を打ち明けてしまわれては? もちろん多少は誤魔化しも入れてですが……。でも必要性がわかれば、旦那様もシモン様のなさることに口出ししないはずです」
「馬鹿なことを。打ち明けたら、父上のことだから、可愛い娘を利用するような真似はできない、だのなんだのと、もちまえのお優しさを発揮して止めるに違いない。多少嘘を交えてごまかしてもな」
「それはそうかもしれませんが……」
「わかっている。もう時間がないのだ。何としても言うことを聞かせる。あいつは今日孤児院へ行ったのだったよな。ならちょうどいい。子供たちを使って……」
そこまで口に出したところで、外から馬蹄と車輪の音が聞こえた。子爵夫妻とリゼットが戻ってきたようだ。ノエルはシモンの目くばせを受けて、すぐに下へ降りてリゼットを迎えた。
「馬車に揺られてお疲れでしょう。先にお部屋ですこしお休みなさいませ」
ノエルは巧みにリゼットを部屋へ誘導すると、着ていたマントを受け取りクローゼットへ入れたり、かいがいしく世話をした。リゼットはというと、久しぶりのダンスで楽しくなったからか、すっかり安心しているようだった。
そこへシモンがやってきた。
「お、お兄様、何かご用?」
「ご用? ではないだろう。返ってきたなら座学の続きをするぞ」
「それについては、出かける前にはっきりと申し上げたはずよ。わたくし、そういうのはもうやりたくないのよ。無理強いなさるなら、お父様にいいつけますから」
扉の方へ向かったが、その前にノエルが素早く扉の前に立ちふさがった。
「お前が承諾するまで逃がさないからな。どうしても嫌だというなら、孤児院への支援を全て打ち切ってやる。あの子供たちは貴族やブルジョワの屋敷か、医師の採掘場に出も売り飛ばされることになるだろうな」
「な、何ですって?」
いきなり卑劣な脅しを始めたシモンにリゼットは驚き呆れた。そうまでして自分を教育したいのだろうか。
「お兄様って、本当に冷たい人なのね。子供たちを脅しの道具に使うなんて。優しさも思いやりのかけらもない。お父様とお母様を少しは見習ったら?」
「見習うだと? 優しさも思いやりも、見習うどころか反面教師にすべき悪癖だ。そんな甘いことを言っていたら、この世界では生きていけない。持てる者が持たざる者に施すなんて、お人好しの間抜けの生き方だ」
「それは流石にひどくない? 優しいことは悪いことじゃないでしょう。私はお父様とお母様を尊敬しているわ。私も同じように生きたいと思ってる。どうしてあなたはそんな荒んだ心になったの?」
すると、窓の外からまた馬蹄と車輪の音が聞こえた。シモンは窓枠へ寄って外を確認すると、にんまりと笑った。
「ちょうどいい。ではこれからお前が尊敬している父上と母上の所業がどういう結末を生んだか見せてやろう。それでもまだ尊敬しているなんて抜かせるかな」
シモンはリゼットの腕をつかんで強引に扉の方へ引っ張った。ノエルがすぐに鍵を開けて部屋の扉を開ける。閉じ込めると言った舌の根の乾かないうちに、すぐに外に連れ出そうとする。苛立ったリゼットが抗議する前に、乱暴に扉をたたく音がした。
シモンに引っ張られて階段の中腹まで来ると、玄関が開いて、体の大きい髭を生やした男が、家令と何やら言い争っている。
「早いところレーブジャルダン子爵様を出してくれ。こっちも暇じゃないんでね」
「旦那様は今お取込み中でして……」
「じゃあ、そのお取込みが終わるまで待たせてもらうぜ」
男は無遠慮に広間に入って、壁際にあるソファにどかりと腰を下ろした。すぐに自室にいた子爵と夫人が出てきて、リゼットとシモンの横を通り過ぎて階段を下っていった。男の声が大きかったので、二階の掃除をしていたメイドたちも、厨房のコックも広間の方へやってきて、騒ぎを見物していた。
「何の用だ。支払いならこの前済ませただろう」
「ああ、済ませたな。一年前の夏の分な。俺はそれから今日までの分を取り立てに来たんだよ」
「え? 取り立て? 借金ってこと?」
小声でシモンに訊ねたが、彼は何も答えず、広間をよく見ていろというように、その肩をぐいっと押した。リゼットが視線を戻すと二人の会話は再会した。
「待ってくれなんて言葉は聞き飽きたぜ。まったく立派な貴族様が借金まみれなんて笑わせる。さっさと宝石でも何でも売って、返してもらえないもんかね」
「宝石なんて、もう我が家には残っていないのよ」
「じゃあ、その金鎖のネックレスは何だい」
男は子爵夫人に近づいてネックレスを引っ張った。子爵が止めに入ったが、突き飛ばされて、二人して絨毯の上に倒れた。
「それもこれも子爵様の自業自得ですぜ。領民たちに泣きつかれて借金やらなんやらを肩代わりして、そのくせ寄付だのなんだのも続けて、首が回らなくなってるんだからな。おんぼろ屋敷に住んで、貧しい食事に甘んじて、着たきり雀で、貧乏子爵様って笑われてもまだ懲りなんだからお笑いだぜ。お大事な領民たちも、子爵様はちょっと泣きつけばすぐに金をくれるって、舐めきってるっていうのによ」
男の笑い声が屋敷中に響いた。子爵は何とか立ち上がって、男に来月必ず返すからと懇願した。男はそれでも暴言を吐いて金品を要求したが、本当に何も出そうにないとわかると、腹立ちまぎれに壁際に飾ってあった花瓶を叩き落とした。
「今度出し渋るようだったら、屋敷の中の物を頂戴しますからな」
男が乱暴に扉を閉めて出てゆくと、すぐに馬車の去る音が聞こえた。
「このお屋敷ももう終わりかもね」
「新しい勤め先を探そうかしら」
割れた花瓶を片付けに、隣を横切ったメイドが小声でそんなことを話していた。
「そうだな。孤児院どころか、町で物乞いにあっても、一銭も恵んだことがない。わたしたちが領民のために税金を引き下げることにも反対する。まぁ、シモンにはシモンの考えがあるのだろうが、もう少し思いやりの心を持ってほしいものだ。リゼットのことでは、あいつにも少しはそういう気持ちが芽生えたのかと見直したのだが……」
「わたくしのことで?」
「だから、あなたがシモンの言いなりになってしまったら、優しい心失ってしまいそうで、それが不安でならないの」
子爵夫人はリゼットの膝の上の手に、レースの手袋をした手を重ねた。
「大丈夫ですわ、お父様、お母様。わたくしもお二人のように、貧しい人々のためになることをしたいと思っています」
両親と同じようにノブレスオブリージュをして、あんなふうにダンスをして、そうやって気楽に、適度に貴族の義務を果たして生きていくのが、理想的に感じられた。
一方、慈善活動嫌いだと謗られているシモンは、書斎で不機嫌に足を組んで、ずっと考えこんでいた。彼を不機嫌にさせているのは妹リゼットである。
(記憶を失ったのは幸いと、一から社交界一の淑女に仕立てるつもりだったのに、父上と母上が余計なことを言ったから、教養を身に着けるのも行儀見習いもしたくないなんて、怠けたわがままを言い出して。これでは計画が台無しだ)
ノエルがティーセットをもってやってきた。茶を淹れながらシモンの懸案事項について話す。
「お嬢様のこと、このままではいけません。もう時間があまりないのですから。
もういっそ、旦那様に計画を打ち明けてしまわれては? もちろん多少は誤魔化しも入れてですが……。でも必要性がわかれば、旦那様もシモン様のなさることに口出ししないはずです」
「馬鹿なことを。打ち明けたら、父上のことだから、可愛い娘を利用するような真似はできない、だのなんだのと、もちまえのお優しさを発揮して止めるに違いない。多少嘘を交えてごまかしてもな」
「それはそうかもしれませんが……」
「わかっている。もう時間がないのだ。何としても言うことを聞かせる。あいつは今日孤児院へ行ったのだったよな。ならちょうどいい。子供たちを使って……」
そこまで口に出したところで、外から馬蹄と車輪の音が聞こえた。子爵夫妻とリゼットが戻ってきたようだ。ノエルはシモンの目くばせを受けて、すぐに下へ降りてリゼットを迎えた。
「馬車に揺られてお疲れでしょう。先にお部屋ですこしお休みなさいませ」
ノエルは巧みにリゼットを部屋へ誘導すると、着ていたマントを受け取りクローゼットへ入れたり、かいがいしく世話をした。リゼットはというと、久しぶりのダンスで楽しくなったからか、すっかり安心しているようだった。
そこへシモンがやってきた。
「お、お兄様、何かご用?」
「ご用? ではないだろう。返ってきたなら座学の続きをするぞ」
「それについては、出かける前にはっきりと申し上げたはずよ。わたくし、そういうのはもうやりたくないのよ。無理強いなさるなら、お父様にいいつけますから」
扉の方へ向かったが、その前にノエルが素早く扉の前に立ちふさがった。
「お前が承諾するまで逃がさないからな。どうしても嫌だというなら、孤児院への支援を全て打ち切ってやる。あの子供たちは貴族やブルジョワの屋敷か、医師の採掘場に出も売り飛ばされることになるだろうな」
「な、何ですって?」
いきなり卑劣な脅しを始めたシモンにリゼットは驚き呆れた。そうまでして自分を教育したいのだろうか。
「お兄様って、本当に冷たい人なのね。子供たちを脅しの道具に使うなんて。優しさも思いやりのかけらもない。お父様とお母様を少しは見習ったら?」
「見習うだと? 優しさも思いやりも、見習うどころか反面教師にすべき悪癖だ。そんな甘いことを言っていたら、この世界では生きていけない。持てる者が持たざる者に施すなんて、お人好しの間抜けの生き方だ」
「それは流石にひどくない? 優しいことは悪いことじゃないでしょう。私はお父様とお母様を尊敬しているわ。私も同じように生きたいと思ってる。どうしてあなたはそんな荒んだ心になったの?」
すると、窓の外からまた馬蹄と車輪の音が聞こえた。シモンは窓枠へ寄って外を確認すると、にんまりと笑った。
「ちょうどいい。ではこれからお前が尊敬している父上と母上の所業がどういう結末を生んだか見せてやろう。それでもまだ尊敬しているなんて抜かせるかな」
シモンはリゼットの腕をつかんで強引に扉の方へ引っ張った。ノエルがすぐに鍵を開けて部屋の扉を開ける。閉じ込めると言った舌の根の乾かないうちに、すぐに外に連れ出そうとする。苛立ったリゼットが抗議する前に、乱暴に扉をたたく音がした。
シモンに引っ張られて階段の中腹まで来ると、玄関が開いて、体の大きい髭を生やした男が、家令と何やら言い争っている。
「早いところレーブジャルダン子爵様を出してくれ。こっちも暇じゃないんでね」
「旦那様は今お取込み中でして……」
「じゃあ、そのお取込みが終わるまで待たせてもらうぜ」
男は無遠慮に広間に入って、壁際にあるソファにどかりと腰を下ろした。すぐに自室にいた子爵と夫人が出てきて、リゼットとシモンの横を通り過ぎて階段を下っていった。男の声が大きかったので、二階の掃除をしていたメイドたちも、厨房のコックも広間の方へやってきて、騒ぎを見物していた。
「何の用だ。支払いならこの前済ませただろう」
「ああ、済ませたな。一年前の夏の分な。俺はそれから今日までの分を取り立てに来たんだよ」
「え? 取り立て? 借金ってこと?」
小声でシモンに訊ねたが、彼は何も答えず、広間をよく見ていろというように、その肩をぐいっと押した。リゼットが視線を戻すと二人の会話は再会した。
「待ってくれなんて言葉は聞き飽きたぜ。まったく立派な貴族様が借金まみれなんて笑わせる。さっさと宝石でも何でも売って、返してもらえないもんかね」
「宝石なんて、もう我が家には残っていないのよ」
「じゃあ、その金鎖のネックレスは何だい」
男は子爵夫人に近づいてネックレスを引っ張った。子爵が止めに入ったが、突き飛ばされて、二人して絨毯の上に倒れた。
「それもこれも子爵様の自業自得ですぜ。領民たちに泣きつかれて借金やらなんやらを肩代わりして、そのくせ寄付だのなんだのも続けて、首が回らなくなってるんだからな。おんぼろ屋敷に住んで、貧しい食事に甘んじて、着たきり雀で、貧乏子爵様って笑われてもまだ懲りなんだからお笑いだぜ。お大事な領民たちも、子爵様はちょっと泣きつけばすぐに金をくれるって、舐めきってるっていうのによ」
男の笑い声が屋敷中に響いた。子爵は何とか立ち上がって、男に来月必ず返すからと懇願した。男はそれでも暴言を吐いて金品を要求したが、本当に何も出そうにないとわかると、腹立ちまぎれに壁際に飾ってあった花瓶を叩き落とした。
「今度出し渋るようだったら、屋敷の中の物を頂戴しますからな」
男が乱暴に扉を閉めて出てゆくと、すぐに馬車の去る音が聞こえた。
「このお屋敷ももう終わりかもね」
「新しい勤め先を探そうかしら」
割れた花瓶を片付けに、隣を横切ったメイドが小声でそんなことを話していた。