第一章 労多くして功少なし 第七話
文字数 2,974文字
「めっちゃ綺麗やん! このまんまでもええくらいよ」
舞白美湖 は元気いっぱいだった。
「わたし救いようのない不器用やから、まだ研4やのに、こんな綺麗にできるの尊敬するわぁ。わたしが最初に作ったお団子キャップ、同期から蛇がとぐろ巻いてるって言われてん。せやから、いつも業者さんに頼んで作ってもろうてんねん。けど外の人やから、ほいほい衣装の写真とか見せるわけにはいかんやろ。それでイメージ伝えるのが難しくて、ちょっと衣装と合ってへん感じになってもうて……」
お団子キャップにも業者がいるらしい。彼女はあくまで下級生の腕前を褒めただけであり、お金持ちであることをひけらかしているわけではない。まったくてらいなくこういうことを言えるのが、真のお金持ちなのだろう。
いざ、例のジャズのダンスシーンが来た。衣装を着けた娘役たちの後頭部には、それぞれが手作りしたお団子キャップが光っている。
オーケストラの音楽に合わせてトップ娘役が下手から登場。一節歌いながら、銀橋と呼ばれるオーケストラピットを囲み客席にせり出したエプロンステージを軽やかに歩く。銀経を渡り終えたら、踊りながら舞台のセンターへ移動。そこで路線娘役たちが加わる。次のきっかけで夢園さゆりも舞台に飛び出した。
眩しいライトに照らされて、豊かな音楽に乗って踊る。顔には微笑みを讃え、寝不足を全く感じさせずに。客席には演出家やら舞台監督やら関係者がぽつりぽつりと座っている。時折、劇団の広報やブロマイドに使う写真を撮影するカメラのシャッター音がする。
場面が終わると、一旦演出家の指示が入る。照明の具合とか、音楽のテンポとか、いろいろと指示を出したり、担当のスタッフと相談した後に、一言。
「あと、衣装だけど、周りの娘役は紫じゃなくてピンクの方がイメージに合ってるなぁ。ピンクに変更で」
ダメ出しを待っていた娘役たちが一瞬、ぴしりと固まった。ピンクの衣装に変更となると、お団子キャップは作り直しである。演出家としては少し前からどちらの衣装にするか悩んでいたのだろう。初日まであと三日しかない。初日までの間に徹夜確定だ。だがこんなことは日常茶飯事、みんな慣れっこだから、固まったのは一瞬で、すぐに次の場面の稽古へと切り替える。
こうやって最後は本番と同じように通して稽古をし、ようやく初日を迎える。連室徹夜続きだった夢園 さゆりは、この時が一番疲弊している。初日が開けて数日経つと、やっと回復して、色艶が戻ってくる。
公演が折り返しに差し掛かる頃の休演日、夢園さゆりは二回公演の日と同じ時間に起きていた。
適当に買ってきて、刻んで小分けに冷凍しておいた野菜を取り出して、電子レンジで火を通す。それからスクランブルエッグを作り、食パンの上に野菜と一緒に乗せる。半分に切ったオレンジも食卓に並べる。飲み物は白湯。これが朝食であり、一日の食事だった。昼と夜は食べない。もし空腹に耐えきれなければ、冷蔵庫にストックしてあるゼリー飲料などを口にする。
体型維持のためだが、稽古の途中や夜昼に買い公演の合間に胃に何か入れると動きが悪くなるし、改めてウォーミングアップしないと声が出なくなったりするので、食べないようにしている。
食べ終わったらクローゼットを開けて、この日のために買った、ピンクの小花柄のノースリーブワンピースに袖を通す。買ったときは少し早いかと思ったが、すっかり暖かい陽気になっているからぴったりだった。
それから化粧をする。今日は普通のナチュラルメイクだが、近くで見られるわけだから、隙が無いよう念入りに。
終わったらヘアアレンジである。ヘアアイロンで茶色い髪をクルクルと巻く。捻って、編みこんで、ピンでとめて、優雅なアップヘアにまとめる。
そしてアクセサリー。パールのピアスとシルバーの鎖の中心に同じくパールと丸い透明なガラスビーズが三つ並んだ控えめなネックレス。
爪は薄ピンクと白の上品なグラデーションにして、いくつかの指に小さなラインストーンが光っている。靴は細いヒールのクリーム色のパンプス。服が花柄なので、シンプルなデザインのものを選んだ。
上品で可愛らしくて、華やか。宝川歌劇団の娘役に相応しい装いだ。
舞台以外でも宝川歌劇団のイメージを壊さないように、服装に気を使わなければいけない。特に公演中、朝の楽屋入り、夕方の楽屋出の時は、入り待ち出待ちのファンに見られるので手を抜けない。今はSNSもあるから、トップスターだろうがその他大勢であろうが、関係なく写真を撮られ、拡散されてしまう。それで安物やよれよれの服を着ていたら、ノーメイクで髪がぼさぼさだったら、宝川の生徒たる自覚がないと非難轟轟だ。
特に娘役は、髪型から爪の先まで見られて品評される。よくそんなところまで見ているな、と感心してしまうが、それを想定して、品よく、可憐に、季節も考慮しておしゃれをするのも娘役力の一つとされる。
当然、休演日に劇場へ向かうわけはない。彼女はお茶会へ行くのである。
お茶会とは、宝川歌劇団の生徒が、ファンと交流する一種のファンミーティングだ。生徒が公演中の作品について語ったり、稽古場や楽屋で起きた楽しい出来事について話したり、ファンからの質問に答えたりする。
トップスターともなれば、ホテルの宴会場を借り切って、1000人以上のファンが集まるが、非路線の娘役である夢園さゆりは、小さなカフェを借り切って、数十人の参加者とお喋りする。
「おはよう。ワンピースかわいいね」
開始時間のだいぶ前に会場のカフェで落ち合ったのは、ファンの三島さんだ。宝川のファン文化の中では、ファンの中に代表という人がいて、お茶会の手配やチケットの取次ぎなどを取り仕切ってくれる。
三島さんに挨拶をして、少し世間話をしてから、一度カフェの中のスタッフスペースに待機する。時間が来るまで何度も鏡を見て、化粧が崩れていないか、髪が乱れていないかチェックする。そして、三島さんが呼びに来たら、客席の方へ出てゆく。今日は28人集まっていた。彼らがチケットを買ってくれる得難い存在だ。
ただ、ここに集まった28人全員が夢園さゆりの純粋なファンとは言えない。
まず同期の路線男役、紫貴 ゆうやや秋月怜央 のファンが、彼らの話目当てに来ている。実際、稽古場であった二人とのやり取りを話したら、反応が良かった。
また、単純に宝川歌劇が好きで、確実にチケットを確保したいという人もいる。非路線の下級生娘役はチケットを売るのに毎度ひいひいしているわけだから、確実に確保できる。トップスターのファンクラブに入っても、競争率が高くて思うように手に入らない。代表の三島も、それが狙いで代表をしている。
宝川歌劇の売り物はあくまで男役。娘役は男役に花を添える存在。娘役はカスミソウ、とファンも生徒もよく言う。詩的な言い回しだが、身もふたもない言い方をすれば、刺身のツマである。
お茶会の最後にファンの一人一人とツーショット写真を撮るサービスがある。応援しています。頑張ってください。と声をかけてくれる人もいる。笑顔でありがとうございますと応えて、スマートフォンのカメラに向かって微笑む。
(そういえば、春海さん今日は来てないな)
ふと、あるファンの事を思い出した。
「わたし救いようのない不器用やから、まだ研4やのに、こんな綺麗にできるの尊敬するわぁ。わたしが最初に作ったお団子キャップ、同期から蛇がとぐろ巻いてるって言われてん。せやから、いつも業者さんに頼んで作ってもろうてんねん。けど外の人やから、ほいほい衣装の写真とか見せるわけにはいかんやろ。それでイメージ伝えるのが難しくて、ちょっと衣装と合ってへん感じになってもうて……」
お団子キャップにも業者がいるらしい。彼女はあくまで下級生の腕前を褒めただけであり、お金持ちであることをひけらかしているわけではない。まったくてらいなくこういうことを言えるのが、真のお金持ちなのだろう。
いざ、例のジャズのダンスシーンが来た。衣装を着けた娘役たちの後頭部には、それぞれが手作りしたお団子キャップが光っている。
オーケストラの音楽に合わせてトップ娘役が下手から登場。一節歌いながら、銀橋と呼ばれるオーケストラピットを囲み客席にせり出したエプロンステージを軽やかに歩く。銀経を渡り終えたら、踊りながら舞台のセンターへ移動。そこで路線娘役たちが加わる。次のきっかけで夢園さゆりも舞台に飛び出した。
眩しいライトに照らされて、豊かな音楽に乗って踊る。顔には微笑みを讃え、寝不足を全く感じさせずに。客席には演出家やら舞台監督やら関係者がぽつりぽつりと座っている。時折、劇団の広報やブロマイドに使う写真を撮影するカメラのシャッター音がする。
場面が終わると、一旦演出家の指示が入る。照明の具合とか、音楽のテンポとか、いろいろと指示を出したり、担当のスタッフと相談した後に、一言。
「あと、衣装だけど、周りの娘役は紫じゃなくてピンクの方がイメージに合ってるなぁ。ピンクに変更で」
ダメ出しを待っていた娘役たちが一瞬、ぴしりと固まった。ピンクの衣装に変更となると、お団子キャップは作り直しである。演出家としては少し前からどちらの衣装にするか悩んでいたのだろう。初日まであと三日しかない。初日までの間に徹夜確定だ。だがこんなことは日常茶飯事、みんな慣れっこだから、固まったのは一瞬で、すぐに次の場面の稽古へと切り替える。
こうやって最後は本番と同じように通して稽古をし、ようやく初日を迎える。連室徹夜続きだった
公演が折り返しに差し掛かる頃の休演日、夢園さゆりは二回公演の日と同じ時間に起きていた。
適当に買ってきて、刻んで小分けに冷凍しておいた野菜を取り出して、電子レンジで火を通す。それからスクランブルエッグを作り、食パンの上に野菜と一緒に乗せる。半分に切ったオレンジも食卓に並べる。飲み物は白湯。これが朝食であり、一日の食事だった。昼と夜は食べない。もし空腹に耐えきれなければ、冷蔵庫にストックしてあるゼリー飲料などを口にする。
体型維持のためだが、稽古の途中や夜昼に買い公演の合間に胃に何か入れると動きが悪くなるし、改めてウォーミングアップしないと声が出なくなったりするので、食べないようにしている。
食べ終わったらクローゼットを開けて、この日のために買った、ピンクの小花柄のノースリーブワンピースに袖を通す。買ったときは少し早いかと思ったが、すっかり暖かい陽気になっているからぴったりだった。
それから化粧をする。今日は普通のナチュラルメイクだが、近くで見られるわけだから、隙が無いよう念入りに。
終わったらヘアアレンジである。ヘアアイロンで茶色い髪をクルクルと巻く。捻って、編みこんで、ピンでとめて、優雅なアップヘアにまとめる。
そしてアクセサリー。パールのピアスとシルバーの鎖の中心に同じくパールと丸い透明なガラスビーズが三つ並んだ控えめなネックレス。
爪は薄ピンクと白の上品なグラデーションにして、いくつかの指に小さなラインストーンが光っている。靴は細いヒールのクリーム色のパンプス。服が花柄なので、シンプルなデザインのものを選んだ。
上品で可愛らしくて、華やか。宝川歌劇団の娘役に相応しい装いだ。
舞台以外でも宝川歌劇団のイメージを壊さないように、服装に気を使わなければいけない。特に公演中、朝の楽屋入り、夕方の楽屋出の時は、入り待ち出待ちのファンに見られるので手を抜けない。今はSNSもあるから、トップスターだろうがその他大勢であろうが、関係なく写真を撮られ、拡散されてしまう。それで安物やよれよれの服を着ていたら、ノーメイクで髪がぼさぼさだったら、宝川の生徒たる自覚がないと非難轟轟だ。
特に娘役は、髪型から爪の先まで見られて品評される。よくそんなところまで見ているな、と感心してしまうが、それを想定して、品よく、可憐に、季節も考慮しておしゃれをするのも娘役力の一つとされる。
当然、休演日に劇場へ向かうわけはない。彼女はお茶会へ行くのである。
お茶会とは、宝川歌劇団の生徒が、ファンと交流する一種のファンミーティングだ。生徒が公演中の作品について語ったり、稽古場や楽屋で起きた楽しい出来事について話したり、ファンからの質問に答えたりする。
トップスターともなれば、ホテルの宴会場を借り切って、1000人以上のファンが集まるが、非路線の娘役である夢園さゆりは、小さなカフェを借り切って、数十人の参加者とお喋りする。
「おはよう。ワンピースかわいいね」
開始時間のだいぶ前に会場のカフェで落ち合ったのは、ファンの三島さんだ。宝川のファン文化の中では、ファンの中に代表という人がいて、お茶会の手配やチケットの取次ぎなどを取り仕切ってくれる。
三島さんに挨拶をして、少し世間話をしてから、一度カフェの中のスタッフスペースに待機する。時間が来るまで何度も鏡を見て、化粧が崩れていないか、髪が乱れていないかチェックする。そして、三島さんが呼びに来たら、客席の方へ出てゆく。今日は28人集まっていた。彼らがチケットを買ってくれる得難い存在だ。
ただ、ここに集まった28人全員が夢園さゆりの純粋なファンとは言えない。
まず同期の路線男役、
また、単純に宝川歌劇が好きで、確実にチケットを確保したいという人もいる。非路線の下級生娘役はチケットを売るのに毎度ひいひいしているわけだから、確実に確保できる。トップスターのファンクラブに入っても、競争率が高くて思うように手に入らない。代表の三島も、それが狙いで代表をしている。
宝川歌劇の売り物はあくまで男役。娘役は男役に花を添える存在。娘役はカスミソウ、とファンも生徒もよく言う。詩的な言い回しだが、身もふたもない言い方をすれば、刺身のツマである。
お茶会の最後にファンの一人一人とツーショット写真を撮るサービスがある。応援しています。頑張ってください。と声をかけてくれる人もいる。笑顔でありがとうございますと応えて、スマートフォンのカメラに向かって微笑む。
(そういえば、春海さん今日は来てないな)
ふと、あるファンの事を思い出した。