第十三章 愛の成就へ 第五話
文字数 2,991文字
ローズはリゼットを陥れようとして却って脱落していたし、リアーヌは皇太子が男色家であることを理由に選挙から降りた。ただ、自分より下だと思っていたリゼットがその地位に納まるのも、メリザンドが予定調和でその座に座るのも、なんとなく癪で、邪魔してやろうとリゼットに探りを入れていたわけだ。
二人からしてみれば、お家断絶したフルーレトワール家の令嬢など、リゼットと同等に己が負けるべくもない存在だった。今から交代妃の座を巡って勝負してもいいと思うくらいには、二人は野心家だった。
けれど、ソフィを押しのけて皇太子妃になったとして、ではその先は? 二人にとって、いや、多くの令嬢たちにとって、皇太子妃になることが目標となっていて、その先の事は具体的に想像してみたことがなかった。
リゼットが言う通り、皇太子妃になったら、その先には皇太子妃としての人生が続いていく。皇太子の心が得られないまま王宮で皇族として生き続ける事が、果たして幸せなのか。二人はリゼットのように、それは幸せではないと断じることはできないが、幸せだとはっきりと答えることもできなかった。
「……まぁ、殿下が男好きだと思い込んでいましたから、それならば他のいいご縁に期待したほうがましだとは考えていましたけれど。叔母様が縁談を設けてくれるといいますし」
「まぁ、流石名門のご親戚ですこと。皇太子妃が駄目でも次があるなんて、大変よろしいですわね。わたくしは皇太子妃を諦めたら、もうどうしようもないですわ。無理やり皇太子になっても幸せになれないと言いますけれど、では諦めて大人しく家の言いなりに生きていっても幸せになれるとは思えませんわ。自らの幸福は、自らで掴み取るものだと、もっともらしいことを言う人がありますけれども、わたくしには掴み取るためにできることなんて限られていますわ。皇太子妃選びはわたくしの人生にとって唯一の機会でしたのに」
ローズはリーアヌに相変わらずの嫌味を言ったが、そこからはだんだん元気を失ってしまった。客間に重い沈黙が落ちた。
暫くしてからセブランが口を開いた。
「唯一の機会を失ったというが、そうだろうか。君のように精神が逞しく、知恵のある女性であれば、皇太子妃以外の幸せをつかみ取るのはそう難しくはないだろうと、わたしは思うけれどね。
皇太子妃選びがあると知らされてから、いや、その前からずっと君は社交界で積極的に振る舞ってきたじゃないか。そのおかげでわたしは君を知ったし、君を好ましく思う人間が数人現れたのも知っている。だからなにも悲観する必要はないよ。社交界には若い殿方が沢山いるが、彼らの心を射止めるのは、ルシアンよりも難しいことはないはずだからね。君ならきっとできるはずだよ」
だいぶオブラートに包んで良いように言い換えていた。もしサビーナあたりだったら、野心家で悪知恵が働く、とはっきり言ってしまっただろう。流石はセブラン、社交界の花形貴公子だけあり、ローズのような難しい女性の扱いもよくわかっている。
「皇太子妃以外に、わたくしが自分でつかみ取れる幸せがあるかしら」
幼い娘のように頼りない表情を見せるローズの手を、リゼットは身を乗り出して握った。
「きっとありますわよ。それにセブラン様の言う通り、ローズ様なら、ご自分の力でつかみ取ることができますわ」
ローズは一度恥ずかしそうに顔を伏せた。次に顔を上げた時は、もう最初に出会ったときのような、ツンとした表情に戻っていた。
「いずれにせよ、もう殿下はその娘に心を決めているのでしょう。だったらこれ以上無意味な競い合いに時間を費やしたくないですわ。それにメリザンドもリゼットも皇太子妃にならないというなら、ひとまずはそれで胸がすきます。あなたに協力して差し上げてもよろしくてよ」
これでようやく二人は皇太子妃への執着を手放してくれたようだ。リゼットはほっとして、先に話を進めた。目下リゼットがやるべきことは選挙で勝つこと。そのためにはメールヴァン家の協力が必要だ。
「ソフィの名誉が回復されればソンルミエール家は失脚するでしょう。それはメールヴァン家にとって良いこととは言わないまでも、悪いことではないはず。リアーヌも選挙から降りたことですし、メールヴァン家にはぜひリゼットを支持していただきたいのです」
サビーナの言葉を受けても、セブランはすぐに首を縦に振らなかった。きっと頭の中に社交界の勢力図を広げて、どうするのが家にとって最善か吟味しているのだろう。
「皇太子殿下も13年前の事件が陰謀だったと知り、大変心を痛め、これを正そうとお考えです。事件を解き明かそうとするリゼットを支持してくだされば、セブラン様はますます殿下の信頼を受けられますわ。それに何くれと矢面に立つのはリゼット本人です。どう転んでも、メールヴァン家に悪いようにはなりません」
サビーナがさらにたたみかける。こういう勢力争いに類する話をリゼットは苦手としていたので、サビーナの存在が心強かった。セブランも遂に首を縦に振り、リゼットを支持すると約束した。
「それで、わたくしたちは何をすればよろしいの?」
「あなたたち二人は、とにかくリゼットの邪魔をしないでいてくれればそれでいいわ」
「まぁ、協力しろというわりに、何もしなくていいなんて、なんだか無能扱いされたようですわ」
「あのね、自分のこれまでの行いを思い返してごらんなさいな。わたくしはあなた方のこと、これっぽっちも信用していませんからね」
ローズもリアーヌも不服な顔つきでリゼットを見た。そうやって見つめられると、何かしてやらないといけない気分になる。
「えっと、それじゃあ三週間の間、わたくしを色々な夜会とか昼食会とか舞踏会とか、そういう集まりに連れて行ってくださいな。やっぱり票を集めるためには、多くの方に直接支持を訴えなくてはいけないけれど、わたくしは田舎から出てきたから、都に伝手がないのよ。そういう会には招待されないと行けないでしょう。だからお友達ということで連れて行ってほしいの」
それくらいならブランシュに頼めばいいのだが、彼女たちに与える役割としてはおあつらえ向きだったし、ポーッラク家の人脈以外を飛び越えた範囲で選挙活動できるのは意味のあることだ。二人ともお安い御用だと引き受けてくれた。サビーナはシモンがいつもするように、あきれ顔でリゼットを見つめていた。
メールヴァン家との話が付いた後で、今度は劇場へ向かった。パメラは既に支配人たちに話をつけていた。彼らは劇場封鎖の時の恩があるため、二つ返事でリゼットの選挙活動を許したうえに、特別に選挙ポスターを作って、劇場内に張り付け、さらに舞台を見に来た客にビラを配るとまで言ってくれた。
ポーラック邸へ戻ると、ブランシュが三週間のカレンダーを作り、手配できる社交界の集まりを書き込んでいた。つまりリゼットのスケジュール表である。翌日にはリアーヌとローズが連れて行ける集まりも書き込まれ、その合間に劇場での選挙活動を入れるとびっくりするほどのハードスケジュールになった。
「たった三週間ならなんとかなるわよ。稽古期間はもっと忙しかったんだから」
そこへ、シモンから状況を知らせる手紙が届いた。が、手紙を書いたのはノエルだった。
「ええ! お兄様が刺客に捕まったですって!」
二人からしてみれば、お家断絶したフルーレトワール家の令嬢など、リゼットと同等に己が負けるべくもない存在だった。今から交代妃の座を巡って勝負してもいいと思うくらいには、二人は野心家だった。
けれど、ソフィを押しのけて皇太子妃になったとして、ではその先は? 二人にとって、いや、多くの令嬢たちにとって、皇太子妃になることが目標となっていて、その先の事は具体的に想像してみたことがなかった。
リゼットが言う通り、皇太子妃になったら、その先には皇太子妃としての人生が続いていく。皇太子の心が得られないまま王宮で皇族として生き続ける事が、果たして幸せなのか。二人はリゼットのように、それは幸せではないと断じることはできないが、幸せだとはっきりと答えることもできなかった。
「……まぁ、殿下が男好きだと思い込んでいましたから、それならば他のいいご縁に期待したほうがましだとは考えていましたけれど。叔母様が縁談を設けてくれるといいますし」
「まぁ、流石名門のご親戚ですこと。皇太子妃が駄目でも次があるなんて、大変よろしいですわね。わたくしは皇太子妃を諦めたら、もうどうしようもないですわ。無理やり皇太子になっても幸せになれないと言いますけれど、では諦めて大人しく家の言いなりに生きていっても幸せになれるとは思えませんわ。自らの幸福は、自らで掴み取るものだと、もっともらしいことを言う人がありますけれども、わたくしには掴み取るためにできることなんて限られていますわ。皇太子妃選びはわたくしの人生にとって唯一の機会でしたのに」
ローズはリーアヌに相変わらずの嫌味を言ったが、そこからはだんだん元気を失ってしまった。客間に重い沈黙が落ちた。
暫くしてからセブランが口を開いた。
「唯一の機会を失ったというが、そうだろうか。君のように精神が逞しく、知恵のある女性であれば、皇太子妃以外の幸せをつかみ取るのはそう難しくはないだろうと、わたしは思うけれどね。
皇太子妃選びがあると知らされてから、いや、その前からずっと君は社交界で積極的に振る舞ってきたじゃないか。そのおかげでわたしは君を知ったし、君を好ましく思う人間が数人現れたのも知っている。だからなにも悲観する必要はないよ。社交界には若い殿方が沢山いるが、彼らの心を射止めるのは、ルシアンよりも難しいことはないはずだからね。君ならきっとできるはずだよ」
だいぶオブラートに包んで良いように言い換えていた。もしサビーナあたりだったら、野心家で悪知恵が働く、とはっきり言ってしまっただろう。流石はセブラン、社交界の花形貴公子だけあり、ローズのような難しい女性の扱いもよくわかっている。
「皇太子妃以外に、わたくしが自分でつかみ取れる幸せがあるかしら」
幼い娘のように頼りない表情を見せるローズの手を、リゼットは身を乗り出して握った。
「きっとありますわよ。それにセブラン様の言う通り、ローズ様なら、ご自分の力でつかみ取ることができますわ」
ローズは一度恥ずかしそうに顔を伏せた。次に顔を上げた時は、もう最初に出会ったときのような、ツンとした表情に戻っていた。
「いずれにせよ、もう殿下はその娘に心を決めているのでしょう。だったらこれ以上無意味な競い合いに時間を費やしたくないですわ。それにメリザンドもリゼットも皇太子妃にならないというなら、ひとまずはそれで胸がすきます。あなたに協力して差し上げてもよろしくてよ」
これでようやく二人は皇太子妃への執着を手放してくれたようだ。リゼットはほっとして、先に話を進めた。目下リゼットがやるべきことは選挙で勝つこと。そのためにはメールヴァン家の協力が必要だ。
「ソフィの名誉が回復されればソンルミエール家は失脚するでしょう。それはメールヴァン家にとって良いこととは言わないまでも、悪いことではないはず。リアーヌも選挙から降りたことですし、メールヴァン家にはぜひリゼットを支持していただきたいのです」
サビーナの言葉を受けても、セブランはすぐに首を縦に振らなかった。きっと頭の中に社交界の勢力図を広げて、どうするのが家にとって最善か吟味しているのだろう。
「皇太子殿下も13年前の事件が陰謀だったと知り、大変心を痛め、これを正そうとお考えです。事件を解き明かそうとするリゼットを支持してくだされば、セブラン様はますます殿下の信頼を受けられますわ。それに何くれと矢面に立つのはリゼット本人です。どう転んでも、メールヴァン家に悪いようにはなりません」
サビーナがさらにたたみかける。こういう勢力争いに類する話をリゼットは苦手としていたので、サビーナの存在が心強かった。セブランも遂に首を縦に振り、リゼットを支持すると約束した。
「それで、わたくしたちは何をすればよろしいの?」
「あなたたち二人は、とにかくリゼットの邪魔をしないでいてくれればそれでいいわ」
「まぁ、協力しろというわりに、何もしなくていいなんて、なんだか無能扱いされたようですわ」
「あのね、自分のこれまでの行いを思い返してごらんなさいな。わたくしはあなた方のこと、これっぽっちも信用していませんからね」
ローズもリアーヌも不服な顔つきでリゼットを見た。そうやって見つめられると、何かしてやらないといけない気分になる。
「えっと、それじゃあ三週間の間、わたくしを色々な夜会とか昼食会とか舞踏会とか、そういう集まりに連れて行ってくださいな。やっぱり票を集めるためには、多くの方に直接支持を訴えなくてはいけないけれど、わたくしは田舎から出てきたから、都に伝手がないのよ。そういう会には招待されないと行けないでしょう。だからお友達ということで連れて行ってほしいの」
それくらいならブランシュに頼めばいいのだが、彼女たちに与える役割としてはおあつらえ向きだったし、ポーッラク家の人脈以外を飛び越えた範囲で選挙活動できるのは意味のあることだ。二人ともお安い御用だと引き受けてくれた。サビーナはシモンがいつもするように、あきれ顔でリゼットを見つめていた。
メールヴァン家との話が付いた後で、今度は劇場へ向かった。パメラは既に支配人たちに話をつけていた。彼らは劇場封鎖の時の恩があるため、二つ返事でリゼットの選挙活動を許したうえに、特別に選挙ポスターを作って、劇場内に張り付け、さらに舞台を見に来た客にビラを配るとまで言ってくれた。
ポーラック邸へ戻ると、ブランシュが三週間のカレンダーを作り、手配できる社交界の集まりを書き込んでいた。つまりリゼットのスケジュール表である。翌日にはリアーヌとローズが連れて行ける集まりも書き込まれ、その合間に劇場での選挙活動を入れるとびっくりするほどのハードスケジュールになった。
「たった三週間ならなんとかなるわよ。稽古期間はもっと忙しかったんだから」
そこへ、シモンから状況を知らせる手紙が届いた。が、手紙を書いたのはノエルだった。
「ええ! お兄様が刺客に捕まったですって!」