第四章 思わぬライバル 第五話
文字数 2,977文字
ルシアンは全ての令嬢の名前を暗記しているようだった。適度に離れた席の令嬢の名を呼んで、会話に参加させている。
といっても、やはり会話の中心になるのは皇太子や皇后の近くに座っている者たちである。長方形に並べられた机の奥になるほど、皇太子からは顔も見えづらくなるし、声も届きにくくなる。しかも、リゼットの側は逆光になるので、ますます見づらい。
メリザンドやリアーヌのいる位置は、皇太子と近く逆光ではないので、かなり有利な位置といえる。サビーナも、逆光とはいえ皇太子との距離はまぁまぁ近い。リゼットのほぼ対面に座っているパメラは、皇太子の距離こそ遠いが、逆光ではないだけあって割といい席だと言える。さらに、入場した扉を背にした長方形の短辺の席は、距離こそ遠いが、姿は真正面からはっきりと見えるので、これはこれで良い位置らしい。ブランシュはその中央に座り、時折会話に入って行って明るく笑っていた。
(わたしもあれくらい積極的になるべき? でも余計なことを言って悪い方に行ったら良くないし、かといって皇太子殿下が話しかけてくれるのを待つだけっていうのも)
有力であればあるほどいい席が設けられているとは。内心で焦りをくすぶらせながら、リゼットは出された料理をナイフとフォークで切り分けて口に運んだ。
「けれど、最近は古典ばかりで、新作がかからないのがつまらないですわ」
話題は詩から劇場の出し物へと代わっていた。ブランシュの意見に令嬢たちの半数ほどが頷いていた。
「確かに。だが古典には古典の良さもある」
「殿下は古典がお好みなのですね。若い人には伝統的なものは時として難解ですのに、それを味わうことができるとは、素晴らしいですわ」
リアーヌはひたすらルシアンに媚びているが、とろけるような笑顔と言葉のわりに小さめの声などによって、絶妙にいやらしさを感じさせない。まるでお慕い芸の真骨頂を見せられているかのようだ。
「殿下なれば、当然ですわ。将来は国を背負って立つ方ですから、我が国、ひいてはこの大陸の伝統的な文化に深い造形を持つべきと、人一倍お立場に責任感をお持ちですから」
他の令嬢が気に入られようと躍起になる一方、メリザンドは一人余裕で、ルシアンのことは誰よりもわかっていますアピールに徹している。
話は古典の戯曲でどれが好きかへと変わった。皇太子はパメラに話を振った。
「わ、わたくしは“白百合の騎士”が好きですわ。歌がどれも素晴らしくて」
パメラは緊張気味ではあったが、しっかりと答えていた。
「私は“雨の修道院”ですわ。あれは登場人物に共感するところが多いのです。特に濡れ衣を着せられて王宮を追放される主人公の悲しみや口惜しさは、深く共感できますわ」
ローズの言葉には、先日の夜会の出来事への含みがあった。リアーヌは少しむっとしたようだったが、すぐに笑顔に戻ってやり返した。
「ローズ様は感受性豊かでいらっしゃるのね。それを社交界でも発揮なさればよろしいのに。お話相手のお心をしっかり感じ取れば、的外れな言動をしなくて済みますもの」
「ご助言ありがとう。でもわたくしにどなたがどんな思いを抱いているかは、よくわかっておりますわ。リアーヌ様のお心も、しっかり感じ取れましてよ」
「ふふ。ローズ様は主人公に共感したとおっしゃるけれど、主人公に嫉妬して陥れる娘の方はどうでしょう? 彼女の感情にも理解できるところはあると思いますわ。もちろん、だからといって悪い行いはいけませんけど。あとは修道女見習いの娘。一見誰にでも優しく振る舞っているけれど、それは自らを良く見せたいがため。こういう欠点は誰しも持っているものです。大小はありますけれど。ねぇリアーヌ様」
メリザンドが見事に二人ともを黙らせた。会場にはクスリと笑う声もあった。
「どうやら、花の棘は大きいようですわね。注意が必要ですわ。殿下も私たちも」
サビーナが最初の詩の内容を持ち出して、冷めた口調で言った。
ルシアンは気分を変えるように、魚を切り分けて一口食べた。
「リゼット嬢は?」
遂に質問が来てリゼットは少し体を固くした。が、今日はここが見せ場だと己に言い聞かせて、流れるようなしぐさでナイフとフォークをテーブルにおろして、上半身を少し皇太子の側へ捻った。
古典の戯曲についても、シモンの座学で一通りの粗筋は習った。実際に見たことはないので好きも嫌いもないが、その中から一つ名前を挙げればいい。
(この微妙な空気を変えるような作品がいいわよね。暗い話とか、権謀術数が入り乱れる話はだめ)
リゼットは高速で頭を動かし、一つの物語に決めた。
「“赤い屋根の屋敷”ですわ。貴族の落とし胤の青年もお針子の娘も、お屋敷の面々も、最後はみんな幸せになるんですもの」
「そうか。わたしはいつも、途中で青年と娘を引き離そうとした者たちが幸せをつかむのは、ちゃっかりしているなと思ってしまうのだが」
「それは思わないでもないですが、でもあの人たちも根っからの悪人ではないし、憎めないところがあるでしょう。例え悪人だったとしても、厳しく罰するのは、後からもやもやした嫌な気持ちが残ってしまうものですし」
「なるほど。リゼット嬢は博愛主義のようだ。私は少し心が狭いのかな」
「そんなことはありません!」
思わず声が大きくなり、リゼットは顔を赤らめた。
「すまない。ただの冗談だから、本気にしないでくれ」
ルシアンは微笑を浮かべてリゼットを落ち着かせるように言った。すぐにブランシュが違う話を始め、皇太子の視線は別の令嬢へ移った。パメラが向う側の席でほっとした表情をしている。
(必要以上にいい人アピールしたみたいになっちゃったし、皇太子殿下にも気を使わせちゃった。もう、余計なことは言わないようにって思ってたんだけどな)
リゼットは押し寄せる後悔をなんとかやり過ごして、綺麗な姿勢で所作に気をつけながら、大人しく食事を平らげることに集中した。
その後リゼットが話を振られることは無かった。最後のデザートが出て、食後の紅茶を飲み終わると、皇太子たちが退出して、昼食会は終わってしまった。
皇太子と皇后、それに審査を任された者たちは別室へ集まり、今回の審査の結果を話し合った。
「メリザンドは当然残りますね。それからリアーヌ嬢も。メールヴァン公爵が推薦するだけあって、素晴らしい令嬢だわ。あと、わたくしが良いと思うのは、やはり出しゃばらなくて、楚々とした方ね。ルイーズ嬢とか、オルタンス嬢とか、パメラ嬢とか」
皇后は自分の好みの令嬢の名前を挙げた。皇太子は頷いて、その他、自分の目に留まった者を挙げていった。
「サビーナ嬢は教養もあり、冷静で現実的な目線は、皇后の素質があります。ローズ嬢の気の強さも、皇后には必要かと」
「でも……」
付き従っていたユーグが思わず声を上げたが、ルシアンは目顔でそれを制した。
審査員に入っているサビーナの父は笑みを隠せなかった。娘の冷めたような発言は歓迎されていないと思ったのだろう。
皇后も、少し納得していないような顔をしていたが、そこへ使用人がやってきた。
「皇后陛下、リヴェール国大使がお目通りを願っております」
「陛下ではなくわたくしに? 何の用で。とにかく会いましょう」
皇后は審査を中座した。残りの人々で審査は進められた。
といっても、やはり会話の中心になるのは皇太子や皇后の近くに座っている者たちである。長方形に並べられた机の奥になるほど、皇太子からは顔も見えづらくなるし、声も届きにくくなる。しかも、リゼットの側は逆光になるので、ますます見づらい。
メリザンドやリアーヌのいる位置は、皇太子と近く逆光ではないので、かなり有利な位置といえる。サビーナも、逆光とはいえ皇太子との距離はまぁまぁ近い。リゼットのほぼ対面に座っているパメラは、皇太子の距離こそ遠いが、逆光ではないだけあって割といい席だと言える。さらに、入場した扉を背にした長方形の短辺の席は、距離こそ遠いが、姿は真正面からはっきりと見えるので、これはこれで良い位置らしい。ブランシュはその中央に座り、時折会話に入って行って明るく笑っていた。
(わたしもあれくらい積極的になるべき? でも余計なことを言って悪い方に行ったら良くないし、かといって皇太子殿下が話しかけてくれるのを待つだけっていうのも)
有力であればあるほどいい席が設けられているとは。内心で焦りをくすぶらせながら、リゼットは出された料理をナイフとフォークで切り分けて口に運んだ。
「けれど、最近は古典ばかりで、新作がかからないのがつまらないですわ」
話題は詩から劇場の出し物へと代わっていた。ブランシュの意見に令嬢たちの半数ほどが頷いていた。
「確かに。だが古典には古典の良さもある」
「殿下は古典がお好みなのですね。若い人には伝統的なものは時として難解ですのに、それを味わうことができるとは、素晴らしいですわ」
リアーヌはひたすらルシアンに媚びているが、とろけるような笑顔と言葉のわりに小さめの声などによって、絶妙にいやらしさを感じさせない。まるでお慕い芸の真骨頂を見せられているかのようだ。
「殿下なれば、当然ですわ。将来は国を背負って立つ方ですから、我が国、ひいてはこの大陸の伝統的な文化に深い造形を持つべきと、人一倍お立場に責任感をお持ちですから」
他の令嬢が気に入られようと躍起になる一方、メリザンドは一人余裕で、ルシアンのことは誰よりもわかっていますアピールに徹している。
話は古典の戯曲でどれが好きかへと変わった。皇太子はパメラに話を振った。
「わ、わたくしは“白百合の騎士”が好きですわ。歌がどれも素晴らしくて」
パメラは緊張気味ではあったが、しっかりと答えていた。
「私は“雨の修道院”ですわ。あれは登場人物に共感するところが多いのです。特に濡れ衣を着せられて王宮を追放される主人公の悲しみや口惜しさは、深く共感できますわ」
ローズの言葉には、先日の夜会の出来事への含みがあった。リアーヌは少しむっとしたようだったが、すぐに笑顔に戻ってやり返した。
「ローズ様は感受性豊かでいらっしゃるのね。それを社交界でも発揮なさればよろしいのに。お話相手のお心をしっかり感じ取れば、的外れな言動をしなくて済みますもの」
「ご助言ありがとう。でもわたくしにどなたがどんな思いを抱いているかは、よくわかっておりますわ。リアーヌ様のお心も、しっかり感じ取れましてよ」
「ふふ。ローズ様は主人公に共感したとおっしゃるけれど、主人公に嫉妬して陥れる娘の方はどうでしょう? 彼女の感情にも理解できるところはあると思いますわ。もちろん、だからといって悪い行いはいけませんけど。あとは修道女見習いの娘。一見誰にでも優しく振る舞っているけれど、それは自らを良く見せたいがため。こういう欠点は誰しも持っているものです。大小はありますけれど。ねぇリアーヌ様」
メリザンドが見事に二人ともを黙らせた。会場にはクスリと笑う声もあった。
「どうやら、花の棘は大きいようですわね。注意が必要ですわ。殿下も私たちも」
サビーナが最初の詩の内容を持ち出して、冷めた口調で言った。
ルシアンは気分を変えるように、魚を切り分けて一口食べた。
「リゼット嬢は?」
遂に質問が来てリゼットは少し体を固くした。が、今日はここが見せ場だと己に言い聞かせて、流れるようなしぐさでナイフとフォークをテーブルにおろして、上半身を少し皇太子の側へ捻った。
古典の戯曲についても、シモンの座学で一通りの粗筋は習った。実際に見たことはないので好きも嫌いもないが、その中から一つ名前を挙げればいい。
(この微妙な空気を変えるような作品がいいわよね。暗い話とか、権謀術数が入り乱れる話はだめ)
リゼットは高速で頭を動かし、一つの物語に決めた。
「“赤い屋根の屋敷”ですわ。貴族の落とし胤の青年もお針子の娘も、お屋敷の面々も、最後はみんな幸せになるんですもの」
「そうか。わたしはいつも、途中で青年と娘を引き離そうとした者たちが幸せをつかむのは、ちゃっかりしているなと思ってしまうのだが」
「それは思わないでもないですが、でもあの人たちも根っからの悪人ではないし、憎めないところがあるでしょう。例え悪人だったとしても、厳しく罰するのは、後からもやもやした嫌な気持ちが残ってしまうものですし」
「なるほど。リゼット嬢は博愛主義のようだ。私は少し心が狭いのかな」
「そんなことはありません!」
思わず声が大きくなり、リゼットは顔を赤らめた。
「すまない。ただの冗談だから、本気にしないでくれ」
ルシアンは微笑を浮かべてリゼットを落ち着かせるように言った。すぐにブランシュが違う話を始め、皇太子の視線は別の令嬢へ移った。パメラが向う側の席でほっとした表情をしている。
(必要以上にいい人アピールしたみたいになっちゃったし、皇太子殿下にも気を使わせちゃった。もう、余計なことは言わないようにって思ってたんだけどな)
リゼットは押し寄せる後悔をなんとかやり過ごして、綺麗な姿勢で所作に気をつけながら、大人しく食事を平らげることに集中した。
その後リゼットが話を振られることは無かった。最後のデザートが出て、食後の紅茶を飲み終わると、皇太子たちが退出して、昼食会は終わってしまった。
皇太子と皇后、それに審査を任された者たちは別室へ集まり、今回の審査の結果を話し合った。
「メリザンドは当然残りますね。それからリアーヌ嬢も。メールヴァン公爵が推薦するだけあって、素晴らしい令嬢だわ。あと、わたくしが良いと思うのは、やはり出しゃばらなくて、楚々とした方ね。ルイーズ嬢とか、オルタンス嬢とか、パメラ嬢とか」
皇后は自分の好みの令嬢の名前を挙げた。皇太子は頷いて、その他、自分の目に留まった者を挙げていった。
「サビーナ嬢は教養もあり、冷静で現実的な目線は、皇后の素質があります。ローズ嬢の気の強さも、皇后には必要かと」
「でも……」
付き従っていたユーグが思わず声を上げたが、ルシアンは目顔でそれを制した。
審査員に入っているサビーナの父は笑みを隠せなかった。娘の冷めたような発言は歓迎されていないと思ったのだろう。
皇后も、少し納得していないような顔をしていたが、そこへ使用人がやってきた。
「皇后陛下、リヴェール国大使がお目通りを願っております」
「陛下ではなくわたくしに? 何の用で。とにかく会いましょう」
皇后は審査を中座した。残りの人々で審査は進められた。