第三章 皇太子妃候補たち 第四話
文字数 3,020文字
宮殿の壁は白く、床は大理石のタイル張りで、格調高い幾何学模様が描かれていた。
「皇太子妃選びに参加する方は、こちらの控えの間へお集まりください」
宮殿の使用人と思しき男が令嬢の群れに声をかけている。それに従って、廊下をたどり、一つの部屋に入った。薄紫の絨毯が敷かれ、入り口側の壁に沿って、豪華な布の張られた椅子やソファが置かれており、対面の壁際には扉がいくつか並んでいた。右手の壁に両開きの立派な扉がある。恐らくそこが鏡の間の入り口なのだと思われる。
令嬢たちは知り合いを見つけて、小さなグループを作ってお喋りに興じていた。表面上は楽しそうに見えるが、どこかピリリとした緊張感が漂っている。それはそうだろう。もし皇太子妃の座を射止められたら、この国一の女性になれるのだから。誰もが野心をもっている。広い部屋の中で、なんとはなしに鏡の間へ続く扉の方に密集しているのも、その証だった。
知り合いなどいないリゼットは、人の少ない場所に立って待つことにした。改めて周りを見ると、誰もかれも、この美しい宮殿を背景としても、全く見劣りしない。
(もしかしたら、明日私に招待状は来ないかもしれないわね)
ひっそりと溜息をついていると、入り口の方にいた令嬢たちが、お喋りをやめて静まった。目を向けてみると、一人の令嬢が部屋に入ってきた。
彼女の姿を見てリゼットはぎょっとした。生成り色のスカートの上には、紫と緑のフリルが波を描くようについていて、肩から胸元にかけて大仰にすら見えるレースが飾られ、胸元にはにはショッキングピンクの大きなリボン。毒々しい色合いのドレスだ。その上、髪は本来の頭の大きさがわからないくらいボリュームをもって結い上げられていて、残った髪は縦に細かく、きつくカールしている。更にその頭上に羽飾りがついている。
カミーユに見せたら大笑いされそうな服装だ。昨日のリゼットの姿、いや、それ以上に野暮ったく珍妙だった。贅を凝らしたドレスには違いなかったが、この控えの間にまったく似合っていない。
令嬢たちをは彼女を見てくすくす笑い、ひそひそと嘲った。
「ひどいドレス、変なヘアー! 一体どこの家の方かしら」
一人、オレンジ色のドレスを着た少し大きな声で言った。鼻梁が高く彫の深い顔立ちをしている。艶やかなこげ茶の直毛も相まって、なんだかきつい人のように見える。
どぎついドレスの令嬢も、自分の格好がふさわしくないとわかるのだろう。まっすぐ切りそろえられた前髪の下の丸い目を伏せて、所在なさげに部屋の隅っこの方へ歩を進める。その間にも、彼女への嘲笑は止まなかった。
(どうしてあんな格好で来ちゃったんだろう。アドバイスしてくれる人はいなかったのかな)
もしドレスを直さずにここへ来ていたら、嘲笑われていたのは自分だったかもしれない。そう思うとリゼットはとても彼女を笑うことはできなかった。
彼女は部屋の隅で、極力目立たぬように俯いて立っていた。飽きてしまったのか、令嬢たちの嘲笑は収まったが、これから最初の審査でまた好奇と嘲りの視線を浴びなければならないのだから、彼女の心情は推して知るべしだ。
リゼットは扉の側に置いてある大きな時計に目を向けた。審査が始まるのは正午から。あと三十分ある。
リゼットは皆の興味が外れたのを見計らって、どぎついドレスの令嬢に近づいた。
「あなた、ちょっとこちらへいらっしゃって」
令嬢は大きな鳶色の目を見開いて、戸惑いの滲んだ眼でリゼットを見つめた。リゼットはその手を引いて、小部屋の一つに入り込んだ。
どうやらちょっとした休憩室のようで、ソファトロ―テーブル、それに簡単なドレッサーが備え付けてある。もちろん中には誰もいなかった。
「良かった。ここなら誰にも見られないわね」
「あの、いったいどういうことでしょうか。わたくしにご用がおありですか?」
質問には答えず、リゼットはおもむろにドレスの裾をめくり、薄い布が重なったパニエの中を探りだしたので、どぎついドレスの令嬢は困惑を深めた。
リゼットはパニエの中から花柄の小さな巾着を取り出した。中には鋏と針と糸が入っている。いわば携帯の裁縫セットだ。実は手直しした直したドレスが心もとなく、万が一ほつれた時のため、こっそり持ってきていた。
「あなたのドレスを直しましょう。このフリルとリボンを取ってしまえば、随分ましになると思うわ。それに髪型も、もう一度セットし直してよろしいかしら」
「で、でも……」
「だって、このままではあんまりにも……。また笑われて嫌な思いをすることになりましてよ」
リゼットは令嬢の返事を待たずに、胸元のショッキングピンクのリボンをつまんで、縫い目を見つけると、鋏でちょきんと切った。数か所を切ると、リボンはあさっり取れた。
「じつは、リボンとフリルは母が縫い付けましたの。こんな地味なドレスではいけないって」
「そうでしたのね。なら簡単に取れるはず」
どぎつい色味のフリルを取り去ってしまえば、いたって普通の生成り色のドレスになった。レースの襟が少し大仰だが、これくらいなら良いアクセントだ。
そのままリゼットは令嬢をドレッサーに座らせて、頭の羽飾りを取り、髪を解いた。ミルクティーのような色の髪を四つの毛束に分ける。向かって左側の毛束を耳の後ろあたりから編みこんで、そのまま三つ編みにする。右側二つの毛束は通の三つ編みに。三本の三つ編みを少しほぐしてボリュームを出し、左耳の後ろあたりに集めて、上手いこと丸くまとめる。残った毛束はカールをほぐして首筋に垂れさせる。娘役のヘアアレンジ技術を思う存分発揮した。
「このリボン、髪に飾ったらちょうどいいですわ」
と、羽飾りを分解して櫛の部分にピンクのリボンを縫い付け、お団子の下、垂らした髪の根元あたりに差し込んだ。
先ほどまでの毒々しく野暮ったい様からは想像できない程、楚々として、年相応に可愛らしい令嬢の姿に変わった。
出来栄えに満足する暇もなく、急いで部屋を出る。取り去ったフリルや羽飾りを放置するわけにもいかないので、二人で手分けして胸元からコルセットの中に押し込んだり、パニエに糸で乱雑に縫い付けたりした。
ちょうど広間の時計がボーンと鳴って正午を伝えたところで、二人は部屋から飛び出した。宮廷の使用人によって、鏡の間への扉が開け放たれる。令嬢たちは吸い込まれるように鏡の間へ入って行った。二人その後ろの方に合流した。
一歩入ると、そこは華麗な世界だった。純白の壁に、黄金の彫刻とアメシストで縁取られた大きな鏡が並ぶ。シャンデリアは輝き、大理石の床は令嬢たちのドレスの色を映してうっすらと染まっている。
テレビで見たベルサイユ宮殿そのもの、むしろそれ以上に美々しい。リゼットが思わず見とれていると、令嬢たちが腰をかがめて礼をした。慌ててそれに倣う。
鏡の間の奥に、見るからに高貴そうな貴婦人と貴族の男性が数人並んで座っている。その中央の、一回り大きく赤いビロードが張られた椅子に座った貴婦人が立ち上がった。
「本日はよく来てくれました。ここに集まった者のなかから、国一番の淑女を選び、我が子ルシアンの伴侶として、即ち未来の皇后として迎え入れるつもりです」
貴婦人は、薄絹を何枚も重ね、金糸の刺繍が施されたドレスに身を包み、宝石が散りばめられたティアラをつけている。発言の内容からして彼女が皇后なのだろう。
「皇太子妃選びに参加する方は、こちらの控えの間へお集まりください」
宮殿の使用人と思しき男が令嬢の群れに声をかけている。それに従って、廊下をたどり、一つの部屋に入った。薄紫の絨毯が敷かれ、入り口側の壁に沿って、豪華な布の張られた椅子やソファが置かれており、対面の壁際には扉がいくつか並んでいた。右手の壁に両開きの立派な扉がある。恐らくそこが鏡の間の入り口なのだと思われる。
令嬢たちは知り合いを見つけて、小さなグループを作ってお喋りに興じていた。表面上は楽しそうに見えるが、どこかピリリとした緊張感が漂っている。それはそうだろう。もし皇太子妃の座を射止められたら、この国一の女性になれるのだから。誰もが野心をもっている。広い部屋の中で、なんとはなしに鏡の間へ続く扉の方に密集しているのも、その証だった。
知り合いなどいないリゼットは、人の少ない場所に立って待つことにした。改めて周りを見ると、誰もかれも、この美しい宮殿を背景としても、全く見劣りしない。
(もしかしたら、明日私に招待状は来ないかもしれないわね)
ひっそりと溜息をついていると、入り口の方にいた令嬢たちが、お喋りをやめて静まった。目を向けてみると、一人の令嬢が部屋に入ってきた。
彼女の姿を見てリゼットはぎょっとした。生成り色のスカートの上には、紫と緑のフリルが波を描くようについていて、肩から胸元にかけて大仰にすら見えるレースが飾られ、胸元にはにはショッキングピンクの大きなリボン。毒々しい色合いのドレスだ。その上、髪は本来の頭の大きさがわからないくらいボリュームをもって結い上げられていて、残った髪は縦に細かく、きつくカールしている。更にその頭上に羽飾りがついている。
カミーユに見せたら大笑いされそうな服装だ。昨日のリゼットの姿、いや、それ以上に野暮ったく珍妙だった。贅を凝らしたドレスには違いなかったが、この控えの間にまったく似合っていない。
令嬢たちをは彼女を見てくすくす笑い、ひそひそと嘲った。
「ひどいドレス、変なヘアー! 一体どこの家の方かしら」
一人、オレンジ色のドレスを着た少し大きな声で言った。鼻梁が高く彫の深い顔立ちをしている。艶やかなこげ茶の直毛も相まって、なんだかきつい人のように見える。
どぎついドレスの令嬢も、自分の格好がふさわしくないとわかるのだろう。まっすぐ切りそろえられた前髪の下の丸い目を伏せて、所在なさげに部屋の隅っこの方へ歩を進める。その間にも、彼女への嘲笑は止まなかった。
(どうしてあんな格好で来ちゃったんだろう。アドバイスしてくれる人はいなかったのかな)
もしドレスを直さずにここへ来ていたら、嘲笑われていたのは自分だったかもしれない。そう思うとリゼットはとても彼女を笑うことはできなかった。
彼女は部屋の隅で、極力目立たぬように俯いて立っていた。飽きてしまったのか、令嬢たちの嘲笑は収まったが、これから最初の審査でまた好奇と嘲りの視線を浴びなければならないのだから、彼女の心情は推して知るべしだ。
リゼットは扉の側に置いてある大きな時計に目を向けた。審査が始まるのは正午から。あと三十分ある。
リゼットは皆の興味が外れたのを見計らって、どぎついドレスの令嬢に近づいた。
「あなた、ちょっとこちらへいらっしゃって」
令嬢は大きな鳶色の目を見開いて、戸惑いの滲んだ眼でリゼットを見つめた。リゼットはその手を引いて、小部屋の一つに入り込んだ。
どうやらちょっとした休憩室のようで、ソファトロ―テーブル、それに簡単なドレッサーが備え付けてある。もちろん中には誰もいなかった。
「良かった。ここなら誰にも見られないわね」
「あの、いったいどういうことでしょうか。わたくしにご用がおありですか?」
質問には答えず、リゼットはおもむろにドレスの裾をめくり、薄い布が重なったパニエの中を探りだしたので、どぎついドレスの令嬢は困惑を深めた。
リゼットはパニエの中から花柄の小さな巾着を取り出した。中には鋏と針と糸が入っている。いわば携帯の裁縫セットだ。実は手直しした直したドレスが心もとなく、万が一ほつれた時のため、こっそり持ってきていた。
「あなたのドレスを直しましょう。このフリルとリボンを取ってしまえば、随分ましになると思うわ。それに髪型も、もう一度セットし直してよろしいかしら」
「で、でも……」
「だって、このままではあんまりにも……。また笑われて嫌な思いをすることになりましてよ」
リゼットは令嬢の返事を待たずに、胸元のショッキングピンクのリボンをつまんで、縫い目を見つけると、鋏でちょきんと切った。数か所を切ると、リボンはあさっり取れた。
「じつは、リボンとフリルは母が縫い付けましたの。こんな地味なドレスではいけないって」
「そうでしたのね。なら簡単に取れるはず」
どぎつい色味のフリルを取り去ってしまえば、いたって普通の生成り色のドレスになった。レースの襟が少し大仰だが、これくらいなら良いアクセントだ。
そのままリゼットは令嬢をドレッサーに座らせて、頭の羽飾りを取り、髪を解いた。ミルクティーのような色の髪を四つの毛束に分ける。向かって左側の毛束を耳の後ろあたりから編みこんで、そのまま三つ編みにする。右側二つの毛束は通の三つ編みに。三本の三つ編みを少しほぐしてボリュームを出し、左耳の後ろあたりに集めて、上手いこと丸くまとめる。残った毛束はカールをほぐして首筋に垂れさせる。娘役のヘアアレンジ技術を思う存分発揮した。
「このリボン、髪に飾ったらちょうどいいですわ」
と、羽飾りを分解して櫛の部分にピンクのリボンを縫い付け、お団子の下、垂らした髪の根元あたりに差し込んだ。
先ほどまでの毒々しく野暮ったい様からは想像できない程、楚々として、年相応に可愛らしい令嬢の姿に変わった。
出来栄えに満足する暇もなく、急いで部屋を出る。取り去ったフリルや羽飾りを放置するわけにもいかないので、二人で手分けして胸元からコルセットの中に押し込んだり、パニエに糸で乱雑に縫い付けたりした。
ちょうど広間の時計がボーンと鳴って正午を伝えたところで、二人は部屋から飛び出した。宮廷の使用人によって、鏡の間への扉が開け放たれる。令嬢たちは吸い込まれるように鏡の間へ入って行った。二人その後ろの方に合流した。
一歩入ると、そこは華麗な世界だった。純白の壁に、黄金の彫刻とアメシストで縁取られた大きな鏡が並ぶ。シャンデリアは輝き、大理石の床は令嬢たちのドレスの色を映してうっすらと染まっている。
テレビで見たベルサイユ宮殿そのもの、むしろそれ以上に美々しい。リゼットが思わず見とれていると、令嬢たちが腰をかがめて礼をした。慌ててそれに倣う。
鏡の間の奥に、見るからに高貴そうな貴婦人と貴族の男性が数人並んで座っている。その中央の、一回り大きく赤いビロードが張られた椅子に座った貴婦人が立ち上がった。
「本日はよく来てくれました。ここに集まった者のなかから、国一番の淑女を選び、我が子ルシアンの伴侶として、即ち未来の皇后として迎え入れるつもりです」
貴婦人は、薄絹を何枚も重ね、金糸の刺繍が施されたドレスに身を包み、宝石が散りばめられたティアラをつけている。発言の内容からして彼女が皇后なのだろう。